第23話 決定事項


 真っ暗だ。

 何もない。これが本来の記憶なのかもしれない。

 早く光を見つけたい。周りを見渡すが見つからない。

 仕方がなく歩いてみる。どこまで行っても暗闇だ。進んでいるのかも止まっているのかもわからない。

 ここが本来の場所。

 どんなに遠回りしてもここに行き着くんだろう。それでも歩き続けた。

 ここは現実。

 だけど現実じゃない。辿り着く場所。だけどまだ至らない場所。手を伸ばした。何も掴めなかった。

 ここはどこだ。

 今、どこにいるんだろう。



「零の家に行きたいな」

 この言葉がことの発端だった。

 そういうと彼女は強引にでも強行する。僕の意志とかは関係なく、蓮の意見が芯を持って通っていく。

 僕は彼女の意見に逆らうことはせずに、受け入れた。

 今日は彼女の家で遊んでから一週間が経っていた。彼女はその期間意見が曲がることはなかった。妥協なんていう曖昧なものはなかった。

 まあ、とにかく彼女は僕の家に来る予定でいる。それも近日中に。僕は美術室で絵を描いていた。彼女も隣で絵を描いている。彼女は僕に感性を見出しているようだけど、僕には彼女の方が感性が豊かなのだと思う。

 僕は色々と欠落している部分が多すぎる。その部分を彼女は丸々持っている。妬ましいという気持ちはないが、それが自分に宿っていたら、と考えること胸の真ん中に黒い穴が開いたような感覚がした。

 本当にそんなものがあるかはわからないけど、確かにあった。

 確かに、あった。



 零はずっと黙ったまま、絵を正面に向き合っている。時々考え込んでいるような顔をしている。確かに今日のお昼休みに「零の家に行きたいな」、とは言ったけど、前に遊んだ時にも言ってたし、そんなに家に上がられるのが嫌なんだろうか。考えても答えが出なかった。

 零の考えてることは、広い。

 あたしなんかじゃ到底及ばないような場所に考えを持っていったりしている。零の中にはいくつもの回路があって、その回路の隅々まで神経をいきわたらせている、そんな気がする。

 そういえば零は頭が良かった。その上ルックスまで良いんだ。そりゃ、学年…、いや、学校中の女子から目を惹くわけだ。そんな零が好きなのがあたしなんて、嘘みたいだ。どの辺が零の目に良く映ったのかはわからないけど、零の隣にいられるのは、単純に嬉しかった。

 きっと零は女子が苦手なんだろう。あたし自身も、零と出会った時は嫌悪感を示されたし、クラスの女子にも冷ややかな言葉を浴びせたりする。

 それでも人気が衰えないのは、そもそも持っている優しさや穏やかさのせいだろう。零の瞳は優しく、声は穏やかで、振る舞いは淑やかだった。そして整った顔立ちは美しく頭は聡明。零には限界がないように思える。その上、絵だって描ける。

 あたしは釣り合うように頑張るくらいしか出来なかった。今日も頑張ってデッサンをした。描けば描くほどその奥深さに気付く。零は相変わらず油絵を仕上げようと頑張っていた。花畑の絵に色を重ねている。

「今回の絵は風景画なんだね」

「うん。今回はこういう絵だね」

「前までは宗教画みたいなのが多かったよね?」

 零は一呼吸置いて、あたしの言葉を噛み締めるように言った。

「宗教画か…。そうかもね。僕も自分ではよくわかってなかったんだ」

 そこには、自分自身を知りたいために描いている、といったニュアンスの意味が含まれていた。

「なんか、天使とか悪魔とか神様とか。全体的にそういうの多いもんね」

「描こうと思うとそういう絵を描いちゃうんだ」

 零は照れ臭そうに言った。

「あたしは良いと思うよ。零らしくて」

「僕らしい?」

「うん。なんか、零って神秘的だから。その辺の男子と比べたら全然違うよ」

 零は笑った。照れの笑みでも苦笑の笑みでもなかった。

「そんなことないよ。蓮だって、良い雰囲気を持ってると思うよ」

 あたしもなんだか照れてしまった。

「そうかな。そんなことないと思うけど」

「蓮もそろそろ何か描いたら?」

 零はずっと温めていた言葉を放った。

「んー、自信ないんだよね」

 苦笑いをして答えた。

「デッサンも上手くなったし、多分描けるよ」

 零はにっこりと笑いながら言った。

「うーん、考えとく」

 零はからかうように言った。

「だったら、僕も家に誘い入れるの考えとこうかな」

「あー、ずるい。それは決定事項でしょ」

「決定って…」

 零も苦笑いをした。

 あたしは途中まで描いた絵を棚にしまい、零はイーゼルを美術室の角に置いた。かばんを持ち、美術室を出た。ロックを掛け、職員室に戻す。もうこれは一つのルーティーンになっている。

 一週間あったら、五日はこの動作をしている。ほぼ毎日だ。朝の支度のように一連の流れの動作だった。昇降口に着くと辺りは真っ暗だった。零は立ち止った。

 ぽつぽつと街灯や街の灯りが見える。あたしは零に手を差し出した。零は握ってくれた。相変わらず冷たい手。きっと心が温かいんだ。あたし達は夜の街を歩き、家路に着いた。

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