第19話 晴天には太陽

 教室に着くと、那智が座っていた。あたしは声を掛けた。

「おはよう、那智」

「おはよー。こないだ、零君とデートだったんでしょ? どうだった? ん?」

 あたしはびっくりとした声で言った。

「なんで知ってるのよ」

「見かけた人がいたのよ。気を付けなよね。零君ファンにばれたら大変よ?」

「うん。気を付ける」

 すぐ後ろのドアが開いた。零が立っていた。

「おはよう」

 零は穏やかな顔をしていた。

「おはよー。今、零君の話してたのよ」

 あたしは那智の口を押さえた。そして、耳元でこそっと話した。

「零には言わなくて良いから」

「えー、だって……」

「大丈夫だから」

 あたしは声を強めて念を押して言った。

「どうしたの?」

 あたしと那智は笑って誤魔化した。

「なんか変だね」

 零は怪訝そうな顔をして自分の席へ向かっていった。



 始業の鐘が鳴った。学校が始まりを告げた。今日も長い一日が続くんだろう。午前からお昼まで、依然として情報に特化した授業だった。

 情報、科学、数学、英語、これが主な授業の内容だ。それに、歴史や国語がたまに入ってくる。

 今日は国語が入っていた。

 確かに情報系の受験が多くなってきているから、受験対策にも情報系の分野は役に立つんだろう。でもあたしは、零やおじいちゃんの言う豊かさの代償をどこかで払っているというのもなんとなく感じている。

 それが何かは、はっきりとはわからないけど、それでも何かを失っている気がするのもわかっていた。

 授業が終わった瞬間携帯が震えた。学校では基本的に電子系の機器は禁止されている。ワイヤレス・イヤホンも、電子コンタクトも付けてる分には問題ないけど、学校内では使えなくなっている。けれど、仮想ゲームの世界以外の、電話やメールといったものは使えるようになっている。

 あたしにはそれだけ使えれば十分だった。

 送られてきた、メールを確認した。

 ―うざい。消えろ―

 それは、あたしに対する敵対心が詰まっていた。あたしは廊下を歩きながら考えた。

 これは、零と仲良くしているあたしに対しての攻撃なんだろう、とすぐにわかった。

 でも、こういうやり方は気に入らなかった。匿名でこういうことをするのは卑怯だ。

 そんなやり方に屈したりはしない。今の電子コンタクトは携帯に対してもメールが送れる。だからこれを送った人は、別に携帯じゃなくても送ってこられる。だけど、アドレスだけは知る必要がある。どうやって知ったんだろう。もやもやと考えを巡らせた。

「どうしたの?」

 零が声を掛けてきた。あたしは何も言わずに黙っている。

「何かあった?」

 優しい声。穏やかな表情。心を溶かしてくれる。

「ちょっと、嫌なことがあったんだ。でも大丈夫。零と話してたら心も晴れてきた」

「そっか。でも、辛くなったら無理しないで言っても良いんだよ」

「大丈夫だって。あたし、そんなに弱くないもん」

 嘘だ。本当は弱い。だけど、零の前では強くありたいと振る舞ってしまう。本当は強くないのに。

「行こ。零」

 あたし達は教室へ戻った。



 授業内容が全く頭に入ってこなかった。いや、それはいつもと変わらないけど、それとはまた違うことで頭に入ってこなかった。集中できない。あたしは弱いんだな、と自覚した。

 零みたいに割り切った考えは出来ないし、那智みたいに明るく振る舞うことも出来ない。

 まるで自分が無価値な人間にでもなったかのように感じた。だからと言って泣くことも出来ない。泣くのは悔しい。

 匿名のメールなんかに絶対泣いてやらない。

 あたしはお昼休みが来るのを待った。



 今日はやっぱり青空だ。気持ちが良い。

 零と二人で眺める空は中々爽快だ。

 あたしは寝転び、零はフェンスに寄りかかる。

 これもいつも通りだ。

 あたしは空を見ていた。青い空は昔から変わらないらしい。ただ、夜になるとそれも一変する。おじいちゃんが星空は綺麗だった、と言っていた。でも、あたしは星を見たことがなかった。テレビで見ることはあったけど、直で見たことはなかった。

 そのことをおじいちゃんに話したら、おじいちゃんは「時間っていうのは残酷だな」、と言っていた。

 その謎の答えを見つけるのは、あたしがうんと大きくなってからなんだと思う。

 零は何も言わなかった。お昼休みになったらいつものように、「お昼ご飯、一緒に取ろう」、とだけ言ってくれた。あたしは無言で頷き、屋上まで来た。零の周りにいた取り巻き達はぶつぶつと何かを言っていた。

 そのうちの誰かが、あのメールを送ってきたのだろうか。憶測で判断するのは嫌なので、それ以上考えなかった。

 ふと零が口を開いた。

「今日は、美術室行く?」

 あたしはその言葉に頷いた。

「僕、嫌なことがあっても絵を描いてる時だけは忘れられるんだよね。でも後で思い出す。それが、本当に求めているものなのかもしれない。本当は忘れたくないんだ」

 零の言いたいことの全てを理解することは出来なかった。

 ただ零は零なりに悩んでいることがあるんだろう。その答えを見つけたくて思いを巡らせている。零は割り切っているわけじゃなかった。割り切って考えないと悩みに飲み込まれてしまうのかもしれない。

 あたしは、零の考えをいつも理解出来ない自分に腹を立てていた。今までもずっとこういうことはあった。その度、言い訳のように、わからない、理解出来ない、といった言葉で括っていた。

 理解したい。

 その欲求は確かに募っていた。

「零って、いっつも難しいこと考えてるね。あたしだったら頭がこんがらがっちゃうと思う」

 零は黙って空を見上げた。

「僕の考えてることは、本当は単純なんだ。単純だからこそ、難しいように見えるだけだよ」

 そんなはずない。零はいつも冷静に悩みに向き合っている。その悩みが解決すると次の悩みに取りかかる。まるで、流れ作業をこなすみたいに淡々と感情を挟まない。

 そのせいか、どんどん大きな悩みに取りかかっていってるみたいに見える。

「零は強いんだね」

「蓮。あんまり自分を卑下しちゃダメだよ。僕の知ってる蓮は十分強いよ。強さって、優しさだと思うんだ。だって自分が強くなきゃ優しく出来ないじゃない。蓮は十分すぎるほど優しい。だから強いんだよ」

 あたしは目頭が熱くなった。零の言葉ってどうして突き刺さるんだろう。

 零にはそのつもりはなくてもあたしの心に深く刺さる。

「そうだね。ちょっと弱気になってたみたい。零のおかげでそれに気付けた。ありがとう」

 零は微笑んで首を振った。

「蓮が自分で見つけたんだよ」

 零はそう言ってまた空を見上げた。あたしも寝転んで空を見た。飛行機雲が伸びていく。雲もまばらにある。太陽は雲の隙間から陽を射していた。

「ねえ、零」

「何?」

「今度の休みさ、また遊ばない?」

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