第15話 夢

 放課後の美術室はいつもと同じく静かだった。零はイーゼルに乗せたキャンバスに向かって、天使と悪魔の絵に色を乗せていた。繊細に、かつ豪快に絵の具が乗っていく。

 あたしもいつも通り、デッサンをする。今日はブドウのデッサンをしている。一粒一粒を表現するのが難しかった。

 零は感情なく淡々と描いているように見えた。昼食の時の感情が消え去っているようだ。きっと切り替えが上手なんだ、と思った。

 対してあたしは切り替えが下手なんだ。未だに零の顔を直視出来ないでいる。零はそんなことないのかな。

 なんだか、今日の昼休みを境に変わってしまった気がした。もちろん良いほうに、だと思うんだけど、本当にあたしで良いのかな、とか余計なことまで考えちゃう。

 あたしが考えすぎなだけなのかな。ふと、零が口を開いた。

「明日、どこに行こうか?」

 あたしは驚いた。鳩が豆鉄砲を食ったような顔、を今あたしはしていると思う。零は少し恥ずかしそうにしていた。あたしはそれが愛しくて笑った。

「零はどこに行きたい?」

「僕? うーん。どこっていうのはないなぁ」

 あたしは少しがっかりしてしまった。だけど、零はこう付け足した。

「蓮が一緒にいるならどこでも良いよ」

 またも不意打ちだった。柔らかい表情と声で零は言った。あたしは耳の裏まで熱くなった。

 今日は携帯を当ててない。

 何が原因かは一目瞭然だった。

「あたしも…。零と一緒ならどこでも良いよ」

 ようやく絞った声であたしは言った。零は相変わらず手を止めない。絵に着色していく作業をこなしながら考えている。

「うーん…、じゃあ、適当に街でもぶらつこうか?」

 あたしは頷いた。適当に街をぶらつくという目的は、漠然としていて目的だと言えないかもしれないけど、それでも一緒にいられるなら嬉しい出来事だった。

「うん。じゃあ、そうしよっか」

 零と約束を交わしてから、また絵を描き始めた。

 零は一度も手を止めなかった。あたしはずっと止めていた手を動かし、ブドウの輪郭を描き始めた。やっぱり難しい。思った以上に難航した。それでも、なんとか完成させようと頑張った。が、それでも、今日は完成できなかった。難しさもあったけど、集中が出来なかったというのもあっただろう。今日は無理に描かずに次に持ち越すことにした。

「蓮、今日はあんまり描けなかったね」

「誰のせいだと思ってるのよ」

 零はうろたえた。

「えっ、僕?」

 何が? と、顔に書いてあるかのような表情だった。

「ホント鈍感」

 あたしは棚にキャンバスを戻し、教室を出た。零はキャンバスとイーゼルを慌てて片付けて、美術室にロックをした。その姿を遠くから見ていた。

 愛しいという気持ちが溢れる。心が満たされてそれがいっぱいぎりぎりまでくると、零れる。

 その欠片は零に反応する。

 些細なことでも零を試したり、からかったり、イジワルをしてしまう。零は走って後を追ってきた。

「蓮。僕何か悪いことでも言ったかな?」

「ううん。もう大丈夫。イジワルなこと言ってごめんね」

 その後、あたし達は職員室に向かい、美術室のカードキーを戻した。昇降口をくぐると、鐘が鳴った。完全下校の鐘だ。

 あたしたちは手を繋いで帰り道を歩いた。



 最近夢に見る。君の夢だ。夢の中だと君の声は膜がかかったように不鮮明に聞こえるんだ。

 そばにいるよ、って言ってくれる君の声も、遠くに聞こえる。

 君の姿は近くに見えていて、手を伸ばすと届きそうなのに、届かない。

 どんどん遠くに離れていく。

 目が覚めると手を天井に伸ばしていた。

 またあの夢だ。

 夢であってほしいと願う。

 本当に……夢であってほしい。



 朝日が昇ると同時に飛び起きた。今日は零とのデートの日だ。お互いの気持ちがわかりあったんだから、デートと呼んでも良いだろう。

 零にとって、大切な女の子になれたんだ。そう思うと幸せな気持ちになった。

 あたしにとっても零は特別な男の子なんだ。それは、零と一緒にいると気付けない感情に気付ける。大切なことがなんなのかがわかる。零と一緒ならそれが見つけられる気がした。

 支度をするために、リビングへ向かった。

 宵月が先に起きて朝ご飯を食べていた。

「姉ちゃん珍しく早いじゃん。どしたの?」

「今日は出掛ける用事があるから。あんたこそこんな早くからどうしたの?」

「俺は友達と仮想ゲームする約束があっから。何、姉ちゃんカレシでも出来たの?」

 宵月は含み笑いを込めた。

「うるさい」

 あたしは悟られないように突っぱねた。

 宵月と他愛のない口喧嘩をしていたら、庭で家庭菜園をしていたおじいちゃんが声を掛けてきた。

「また喧嘩しているのか?」

「俺知ーらね」

 宵月は食器をそのままに部屋へと戻っていった。

「あ、ちょっとちゃんと片付けなさいよ。ったく……」

 そのまま逃げてしまった。

「蓮は出かけるのか?」

「うん。ちょっと友達と出掛けるよ」

 おじいちゃんは庭から部屋へと上がった。

「じゃあ、片付けはおじいちゃんがやっておくから、蓮は支度しなさい。遅刻したら大変だろう?」

「うん。ありがとう」

 あたしは、部屋へと戻って支度をした。ロングティーシャツを着て、カーディガンを羽織った。下は花柄のスカートを履いた。かばんに携帯を入れて、部屋を出た。

 リビングを通る時におじいちゃんと鉢合わせた。

「おお、出掛けるのか?」

「うん。行ってくるね」

 おじいちゃんはにっこりと笑って見送ってくれた。

「はい、行ってらっしゃい」

 宵月の部屋から小さく「行ってらっしゃい」と聞こえた。まったく。本当に素直じゃないんだから。

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