第12話 約束

 電車を降りて数分歩いて家に着いた。

 電車はサラリーマンで溢れていたが、部活がないため学生はいないので、朝よりは空いていた。苦しい思いも、嫌な思いもせずに帰ってこられた。

「ただいまー」

 宵月は相変わらず、仮想ゲームをしていた。あたしが帰ってきたのに気付いたが、今日は通信を切らずに答えた。

「おかえりー。今日はおふくろ帰ってきてるよ」

「あ、そうなの? じゃあ今日はお母さんが料理するんだ」

「そうみたい。もうすぐ飯じゃねーかな」

 あたしは、キッチンへと向かった。お母さんは皮むきの機械など、調理用の機械を使って、料理していた。

 このキッチンのそういった機械を使うのはお母さんだけだった。あたしは使わないし、宵月もお父さんもおじいちゃんも料理をしない。だから、この機械はお母さんのものだった。

「ただいま」

「あら、おかえり」

 お母さんはテキパキと料理を作っていた。手際は良いけど、調理用の機械を使う手際も良かった。

「今、夕ご飯作ってるから、出来上がったら呼ぶわね」

「うん」

 あたしは、お父さんの次にお母さんが苦手だった。科学の道に入っているからかはわからないけど、お父さんにもお母さんにも甘えることは出来なかった。

 おじいちゃんの影響で情報社会に疑問を抱いていくあたしに、お父さんもお母さんも次第に優しくしなくなっていった。そんな自分がとても悪いことをしているかのように感じていた。

 でも零のおかげで自分だけがそう感じているわけじゃないとわかって、なんだか安心した。那智もそれをわかっているからか、触れるようなことはしないでくれる。

 あたしは、もやもやが取れないまま、おじいちゃんの部屋へ向かった。

「おじいちゃん、ただいまー」

「おお、おかえり。今日は学校は楽しかったかな?」

 おじいちゃんは盆栽を庭から持ってきて剪定をしていた。一軒家の広い庭の一部にはおじいちゃんの家庭菜園の畑があった。その部分で盆栽も始めたらしい。

「んー、まあまあかな」

 おじいちゃんは悲しそうに言った。

「そうか」

「まあまあって言っても、楽しかったこともあったよ。授業は楽しくなかったけど、友達と会うのは楽しかった、かな」

 おじいちゃんは嬉しそうな顔をした。

「そうかそうか。それは良かった」

「そういえば、今日友達がおじいちゃんとおんなじこと言ってたよ」

 おじいちゃんは腕を組み、考え込んだ。

「うーん、蓮に何か言ったかな?」

 完全に忘れてしまっている。あたしは付け加えた。

「ほら、豊かになると失うものがある、とかそんな感じの」

 おじいちゃんは右手を上から下し、左手の掌を胸の前でポムッと叩いた。何かを思い出した時にやる動作だった。

「ああ、そういえば言ったな」

「友達も言ってたんだー。なんなのかはまだわかんないけど。あたしが自分で見つけろ、って。そこまでおじいちゃんとおんなじこと言われちゃった」

 あたしは愚痴をこぼすように言った。

「人には成長するタイミングがある。だから、今わからなくても、いつかわかる日が来る。友達と比べたりすることはない。ただそれだけの差なんだから」

 おじいちゃんは諭すように言った。

「うーん。よくわかんないけど、わかった。要するにあたしにもいつかわかる時が来るってことでしょ」

 おじいちゃんは笑った。

「要するにそういうことだ」

「そっか。ありがとね、おじいちゃん」

 あたしはおじいちゃんの部屋から出た。キッチンからは美味しそうな匂いがしてきた。今日のメニューはなんだろう。

 多分、レシピを考えてくれる機械の出したメニューだろう。バランスよく整った夕ご飯が並ぶのが想像できた。あたしは部屋に戻って零に電話を掛けた。

「もしもし。零? 起きてた?」

「起きてたよ。ていうかまだ七時前じゃないか」

 あたしは笑った。零も冗談と受け取ってくれたらしく、笑い声が聞こえた。

「いつもこのくらいの時間に電話してるから、なんか癖になっちゃった」

「僕も掛かってくるのが習慣になったよ」

「たまには掛けてきてくれても良いのに」

 あたしは少し冷たく言った。すると零はあたしの心を見透かしているように、明るい声を出した。

「ははっ、冷たいなー。僕はいつも待ちわびているのに」

 あたしは、なんだか耳が熱くなった。携帯を当てているからかな。

「まあ、いっか。零はお父さん帰ってきてるの?」

「うん。今日は珍しくいるよ」

「へえ、そうなんだ。あたしの方は、久しぶりにお母さんが帰ってきてるんだ。本当に久しぶりに……」

 零はあたしの声音で気持ちを察したようだ。

「お父さんとかお母さんって言っても、嫌な部分はあるのは当然だよ」

 なんで零ってこんなにわかるんだろう。あたしの心を覗き見てるみたいだ。

「そうだよね。うん」

「そこは、そんなに気にしなくても良いと思うよ。きっとそれは誰でも抱えてる問題だと思うし」

 優しいな。その優しさは痛みに変わるくらいだった。胸にチクチクといつまでも残るしこりみたいだった。

「うん。ありがとう」

「じゃあ、そろそろ切る…」

「あ、ちょっと待って」

 あたしは呼び止めた。

「明後日休みだからさ。どっか遊びに行かない?」

 勇気を振り絞って言った。

「明後日か…。多分大丈夫だと思う」

 心の中で喜びの声を上げた。零には決して聞こえないだろう、あたしの中にだけある声だった。

「じゃあ、詳しい場所は明日決めようね」

「うん。じゃあ、また明日」

 電話が切れた。なんだかあっさりしていた。零はあたしのことをどう思ってるんだろう。友達ではあると思うんだけど。

 クラスの女子より優先してくれるし。それでも、零の心の中はわからなかった。詳しく聞くことも出来ない。あたしにはその勇気がなかった。そんな意気地のない自分がたまらなく嫌だった。

「蓮ー、ご飯よー」

 お母さんの声だ。

「はーい」

 あたしは、部屋を出てリビングに向かった。

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