第17話 眠れぬ夜の魔法使い
眠れない。
神経が高ぶっているのか。
思えばとんでもない経験をしたものだ。暇つぶしとして適当に書いた魔方陣で、異世界から勇者イチゴを召喚してしまうし、イチゴが婚姻の候補だという竜神の国の皇太子ヘイゼルさんまで来てしまうし、そのイチゴを狙っていると思われる闇の人形を操っている危ない奴に襲われるし、金髪ロリっ子だが竜神の国の親衛隊長まで来るし……。
考えても仕方がないのだけど、色々考えてしまうのも仕方がないだろう。何せ、今まで俺が未経験だった事をメチャクチャ経験してしまったのだから。
気分を落ち着けようと麦茶を飲む。そしてトイレに行く。また布団に入ろうとしたところで、隣の部屋のドアが開く音が聞こえた。
こんな時間に何だろうか。
俺は玄関をそっと開けて外の様子を伺った。フラフラとおぼつかない足取りで誰かが階段を降りていくのが見えた。
女性としては広い背中。
アレはイチゴだ。こんな夜中に何なのだろうか。
俺は素足にスニーカーを履き、音をたてないように表に出た。階段を静かに降りていく。この、無音昇降の術は俺の得意技の一つだ。力仕事やら荒事は苦手だが、金属製の階段を音をたてずに降りる技術は現代のニンジャと言っても差し支えないだろう。
赤い色のジャージを着てサンダル履き。腰まである長い黒髪とぷりぷりのお尻、胸元のボリュームを確認するまでもなく彼女はイチゴだ。
彼女はまるで夢遊病者のような歩き方をしている。何かがおかしい。ヤバイ気がする。
俺は走った。イチゴをすぐに止めなくては。
イチゴを追うのだが、何故か追いつけない。彼女は眠っているような、ゆったりとした動きしかしていないのだ。それに対し、俺は結構マジで走っている。全力疾走一歩手前って感じで。
何かが変だ。
夜の住宅街。見慣れた景色のはずなのだが違和感がある。
何が変なのか分からない。
違和感の正体がわからない。
俺はイチゴを追いながら、うっかり電柱に肩をぶつけた。
いや、肩をぶつけたと思った電柱が電柱ではなかった。
黒い、何かのもやが電柱みたいになっていたのだ。
わけが分からなかった。
「ふむ。あの集合住宅内は全て熟睡させたはずなのだが。君は眠れなかったのかな」
不意に声をかけられた。
目の前にいるイチゴは足を止めていた。その前側の地面から黒い影が湧き出て来て人の姿へと変わった。
それは昼間見た人形ではなく人間だった。
そいつは、濃い赤の生地に金色の煌びやかな装飾が施されたローブを羽織っていた。頭にもローブと同じような装飾が施されている円筒形の帽子を被っていた。何だか魔法使いといった雰囲気の、白いひげをたくわえた初老の人物だった。
「君は日本国の魔法使いだね? 名は確か山並壮太君だったな」
「何で俺の名を知ってるんだ?」
「調べたから。勇者様の行方を追う過程でね」
「じゃあお前は何者なんだ?」
「これは失礼。私はエイリアス魔法協会のアルダル・アスラ・ジブラデルと申します。親しみを込めてアルちゃんと呼んでいただいても結構ですよ」
ふざけた野郎だ。しかし、あの手紙の差出人に違いない。妙に大仰な名は何となく覚えている。
「イチゴを連れて行くのか?」
「もちろんです」
「それは困るな」
「何故ですか?」
「本人が望んでいないからだ。彼女はこの平和な日本で楽しく暮らしたいと願っている。彼女の師匠も……誰だっけ?」
「大賢者バリアス」
「そうそう、その人だったと思う。よく知ってますね」
「当たり前。グラスダース王立魔法協会の会長ですからね。私の国で知らぬ者はいないほどの有名な方ですよ」
「そうなのか。じゃああんたも有名なの? 名前は違うけど魔法協会の会長さんだよね」
「私はそこまで有名ではありません。同業者でなければ名を知らぬ人も多いかと」
「へえ、そうなんだ。じゃあさ、有名人に嫉妬とかしないんですか?」
「ふむ。そういった感情がないとは言い切れないのですが、ほとんど意識していないというのが事実ですね」
「シェアとしたらどのくらいなんですか? 七三くらい?」
「八二程度でしょう。勢力としては概ね四分の一」
「ああ、結構少数派なんですね。逆転を狙ってるんですか?」
「魔法とはある種の信仰なのです。いわば、宗教的な信者の獲得合戦競争は常に行われておりますが、いわゆる精神的基盤の差異が信者数に現れているのです。わがエイリアス魔法協会はレグリアスに総本山のある思想体系なので、そちらの勢力と合わせればほぼ拮抗しています」
「レグリアスって獣王の国でしたっけ?」
「そうですね」
イチゴの国のグラスダース王立魔法協会と、多分対立しているエイリアス魔法協会はグラスダースにおいては八対二くらいの力関係。しかし、エイリアス魔法協会は本拠地がレグリアスにあるので全ての勢力を比較するなら同程度。なるほどよくわかった。
しかし、俺にはやらねばならぬ使命がある。それはイチゴをこの爺さんから守る事だ。無駄話をしているような雰囲気を漂わせながら時間を稼いでいるって訳だ。多分、ヘイゼルさんかウルファが気づいて駆けつけてくる。それまでは俺の拙い話術でこの爺さんと話し続けるしかない。俺たちが勝つ方法はそれだけだ。
「ところで爺さんに質問ですが」
「先ほど、アルちゃんと呼んで下さいとお伝えしましたが」
「すみません、ではやり直して。アルちゃんに質問します。先ほど俺の事を〝日本の魔法使い〟って言いましたよね」
「ええ。日本の魔法使いさん」
「それはどういう意味なんですか? 俺は魔法なんて使えないんですが」
「自覚がないようですね。あなたは高度な異世界転移魔法を使ったじゃないですか」
「高度な異世界転移魔法ですか? それを使ったのはイチゴの師匠で……誰だっけ?」
「大賢者バリアス」
「そう、そのバリアスって人なんでしょ」
「彼女をこの世界に飛ばしたのは大賢者バリアスですが、飛ばすための目印を作ったのはあなたです。山並壮太君」
「え? あんなのが魔法なんですか?」
爺さんはにこりと笑って頷いている。確か、ヘイゼルさんにのろしのようなものだと言われた気がするが、大したことじゃないと思っていた。
そして気付く。そろそろネタが付きそうだと。
ここはシモネタに走って時間を稼ぐべきか。揺れるおっぱいとブラジャーのサイズとの関係性について熱く語ってやろうか。
そんなバカみたいな決意をしたのだがある事実に気が付いた。それは、街灯に誘因された蛾が全く動いていないって事だ。その大きな蛾は空中でぴったりと静止しているのだが、そのけばけばしい四枚の羽根も動いていないのだ。
もしかして、この場は時間が止まっている?
俺は一生懸命時間稼ぎをしていたつもりだったのだが、それは無意味だったという事なのか?
ちょっと目の前が真っ暗になってしまった。
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