とある記者の死

 パスカという街がある。バベルからもほど近く、海に面しており、豊富な海産物と急斜面を利用したオレンジ畑で有名である。街の中心にある大きな時計台はこの国の草創期に白亜五賢人の内の一人(申し訳ないが、誰であったかを覚えていない)が建設したものらしい。なかなかに立派な時計台だったので、住民の誇りでもあった。そんな時計台の近くに南方新聞社という面白みの欠片もない名がついた新聞社がある。そこで記者をしていた友人が亡くなったという知らせが届いたのは、私がバベルに住み始めて間もない六月のことだった。私は、箪笥の奥から少し黴臭い背広を出し、パスカ行きの列車に飛び乗った。



 故人の名はマルケス。戦争の時の友人である。私は戦時中、従軍記者として、いくつかの戦地を転々としていた。砲弾の嵐のせいで、名をなくしてしまったとある村で私は彼と出会った。弾の跡で地面がえぐられ、ひどく歩きにくい村であるのに、彼は風に吹かれた洗濯物のようにテントからテントへ駆け回り、戦況や被害状況を熱心に収集していた。

「君はどのあたりの新聞社から来たんだい?」

 銃弾が詰まった箱に腰掛け、靴についたしつこい泥をとっていると、彼は私にそう呼びかけた。私が問いかけに答えると彼は、「あそこらへんは葡萄がうまいらしいな」と即座に答えた。長身痩躯、服は泥まみれで、従軍記者を示す黄色の腕章はぼろぼろに破れていた。はたから見れば彼は記者というよりもむしろ前線で戦う兵士のようだった。彼は自分がこの前までどこの基地にいただとか、戦場に現れる幽霊の話や、敵の兵士はどの酒が好きだとかを早口でまくしたてた。さながら、自軍の最新の連射砲だ。

「僕はね、どうやら戦場では疲れ知らずのようなんだ」

 にやりと笑いながら彼はそう言った。

「死んでる暇がないくらい情報がひっきりなしに届くんだ。それをさばくだけでも僕はもう数回は死んでる」

 戦場では笑えないジョークを言う事は一種の社交辞令であったが、これもまた笑えないものであった。私は一刻も早く故郷に帰りたかった。さっさと泥と硝煙まみれの場所から抜け出して、小麦のにおいを胸いっぱいかぎたかった。テントから将校たちが出てくるのを見つけると、彼は私との会話を切り上げ、真っ先に彼らのもとへ走っていった。


 彼と二回目に会ったのがパスカの街であった。そのときのパスカにももちろん美しいオレンジ畑と時計台があったが、街は混乱の真っただ中であった。北方からしか攻めてこなかったバルキニアが南の海から攻めて来たのだ。住民も兵士もまさか彼らが艦隊を操れるなんて思っていなかった。あいつらは馬にしか乗れないと兵士たちはいつも馬鹿にしていた。襲来の一報はパスカの漁師によってもたらされた。近海で釣りをしていたら艦隊に出くわしたらしい。すぐさま砲撃をくらい船は大破したが、漁師は自力で泳いで街まで戻ってきた。彼は基地へ行き、敵が迫っていると報告したが、将校たちはそれは妄言であると切り捨て、相手にしなかった。しかし敵国の偵察艇が難破して浜に上がってから、事態は一転、平和なパスカの街は混沌に陥った。


 住民退避を命ずる鐘の音が鳴り響いていた。パスカの住人たちは一目散に町外れへ駆けて行く中、街の中心部へ駆けつけなくてはならないのが、従軍記者のつらいところだ。ヨタヨタと港の基地へと急いでいた時、私と並走する男を見つけた。もはや腕章などつけていないマルケス記者はノートブックにメモを取りながら山火事から逃げる鹿のような軽やかさで走っていた。彼は私を見つけ、声をかけてきた。

「てんやわんやの騒ぎだな。おい、君この前会ったよな」

「えぇ、会いましたとも。あなたも基地へ?」

「あぁ、そうだ!いつ敵艦隊の砲弾が飛んでくるかもわからない中、お前も俺も死というゴールに向かって全力疾走しているってわけだ」

 私は全くもって死にたくなかったので、返す言葉が見つからなかった。

「でも、君!美しい街だとは思わないか?このパスカという街は。俺は決めたよ。この糞みたいな戦争が終わった暁には、このすばらしい港町でしがない新聞記者でもやって、ときたま海に釣りに出て、のんびり暮らすことに決めた。死ぬときはカジキに胸にでっかい風穴を開けられるか、大波にさらわれて死ぬかのどちらかがいいね。君はどっちがいいと思う?」

 前方に騎兵たちと大きな大砲を載せた牛車が見える。兵士たちは重い装備を背にひた走っていた。将校たちは右往左往していた。パスカの街はただひたすらに困惑していた。愉快な音楽と豊かな海産物の街は海の向こうに構える艦隊と無数の軍靴の重みに耐えられていないようだった。空は黒く淀み、黒い水面と今にもくっつきそうだった。



 パスカの街が近づいてきた。変わらぬ町並みが見える。結局、あの騒ぎは大嵐という世界で最も偉大な兵器によって収まった。艦隊は港に近づけず、大きく進路を変えたのだ。よってパスカは無傷で済んだ。その代わり他の街が犠牲となった。

マルケスは戦後、あの時の宣言通りパスカで暮らした。そして自ら新聞社を立ち上げた。戦争が終わって何度か会いに行ったり、手紙のやりとりをしていたが、戦争の時の、活火山のようなエネルギーはどこかに消え、彼はただの記者となった。彼は律儀に貯金をして船を買い、休みの時には海釣りへ出ていたらしい。

 パスカの時計台が見えてきた。そろそろ駅に着くだろう。日差しは強く、向かいに座っている婦人はいまいましそうに日よけ帽子を深く被っている。時計台の鐘の音が聞こえてきた。それは死者を弔うリズムだ。私は彼がカジキにやられたのか、大波にさらわれたのかを確かめるべく列車を降りた。

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