僕の心はツギハギだらけ

@yosidayosinosuke

第1話衝動という美しくも恐ろしい行動


 感情という概念はいったい何なのか。哲学的な疑問かもしれないが、皆はそれについて考えたことがあるだろうか。

 多岐たきに渡る感情というものは、分かりやすく〝行動〟という概念がいねんで括ると大きく四つに分かつことが出来る。


 ――衝動、反応、態度、気分。


 人は憤怒すると態度に現れ、カッとなった衝動で人を傷つける事がある。人は気分が良くなると表情に現れ、言動が柔らかくなる。逆に気分が悪くなれば人の声に反応もせず、周囲に負のオーラを充満させるだろう。いや、これは人だけでなく、生物全体に言える事かもしれない。


 このように、生き物の行動と感情は殆ど一致していて、例え普段感情を表に出さない人であっても、その心の内には目的に対する情熱や決意が存在している。


 つまり、何が言いたいかというと――完璧を欲しいがままにした生命など存在しないという事だ。だからこそ僕は、完璧になりたい。



   ***



 昼休みの終わりを告げる予鈴が鳴り響き、学内で友人たちと談笑に花を咲かせていた生徒たちが虫のように散らばって行く。

 あるものは笑い、あるものは泣き、あるものは怒る。しかし、その全ての感情に〝負〟の概念を見出す事は出来ない。恐らく、そういったものを〝友情〟と言うのだろう。僕はそんな感情を持ちえたことが故、それらを理解する事は到底かなわないが。


 窓際に掛けていた肘を退け、軋む椅子に体重を掛け直す。外からふわりと迷い込む風が伸びてきた僕の前髪で遊び、少しかいていた汗をさらって行く。


 普段から時間の有り余る僕の悪い癖で、そんな何気なく吹いた風であっても、何か意味があるのではないかと思考を巡らせてしまう。そして、その答えは海の流れと大気の循環であり、風に感情や生物に近い何かなんて有るわけない、という簡単な事に気づき、ふと笑みを浮かべる。


 こんなのだから友達の一人も出来ないことは重々理解している。僕だって、窓際で独り風に当たり笑う人間とは関りを持ちたくはない。そんなのが絵になるのは所謂イケメンや美女といった類だ。生憎僕はそのどれにも当てまらない。


「――でさー! あいつが――」

「――この間行った喫茶て――」

「――次の授業何だっ――」


 ちらほらとしか座ってなかった教室に少しずつ活気が戻ってきた。


 突然だが、うちのクラスは〝幸せ指数〟というのが高い気がする。殆どの生徒が毎日笑顔を浮かべ、照れを見せ、時たま喧嘩が起こる。喧嘩と言っても小さなものだが。

 人間、人の目を気にせずに喜怒哀楽を表に出すのは少し勇気のいる事だと思う。だが、うちのクラスではその〝目を気にして〟というのが無い。それも、入学して僅か一カ月足らずだというのに。


 だからこそ、僕は幸せ指数が高いと思うのだ。更に言えば、そんな平和な中でも浮いてしまう僕という存在は異質以外の何物でもないのだろう。嗚呼、涙がちょちょ切れる。


「――次は倫理だって自分で言ってただろ?」

「あ、そうか。忘れてた! ってことは教室移動だなー」


 何気ないクラスメイトの会話を盗み……耳にした僕は、移動を始めた周囲の波に乗るべく、重たい腰を上げ教室を後にする。

 言わずとも分かる事だが、僕に移動教室を共にする友達など存在しない。何故なら僕はぼっち教の狂信者だから。



   ***



 時は流れ放課後、倫理の先生から頼まれた荷物運びという名の労働から解放された僕は、夕焼けに染まりかけた空の元帰路に着いていた。

 基本的に寄り道はしない主義の僕。本来なら既にマイホームで自宅警備にせ参じていた筈だったのだが……まぁ、こういう日も悪くはない。何か大人になった気分だ。


 自分の両手を見つめ、今日はよく頑張ったと心の中で褒めてやる。こうすることで明日も学校という集団リンチの場を乗り切ることが出来る。言わば〝おまじない〟のようなモノだ。なんか女子っぽいな。


 そんなどうでもいい事を考えつつ、歩くこと十数分。もうそろそろ自宅が見えてくるかな、と思っていた時の事だ。あの変な男と出くわしたのは。




「――貴方の感情、溢れかえってますね……とても豊潤で、甘美なぁ……」

「……は?」


 唐突だった。あまりスマホを見ない僕は、歩くときしっかりと前を向いて進むのだが、何となく。そう、何となく視線を前から横にずらした。その二秒にも満たない小さな空白の間に、謎の男が目の前に現れていた。

 黒く艶のあるシルクハットに糊の効いたタキシード、色味の良い茶色の杖に高そうな黒い革靴。そして、何より目を引くのが――左右黒と白に別れた道化師の仮面・・・・・・


 この男は……? どうやって現れた? 何故そんな恰好を?

 疑問を上げると切りがない。僕の知識欲が震え、恐怖が芽生え、動機が荒くなる。


「おやおやおやおやぁ……その歳でこの熟し方、さては――っと、申し訳ありません。私、欲深い人間でしてね。クフッ」


 男は仮面の下で癖のある笑いを浮かべたようだ。それは単純に面白いから、といった純粋なものでは無く、何処か人を馬鹿にするような憫笑びんしょう染みたもので、僕の中で〝怒り〟が僅かに顔を出す。だが今は感情に任せて話す訳にはいかない。こういう不気味な相手にこそ、冷静沈着に……。


 僕は無意識に上がってしまう口角を無理やり抑え込みつつ、一つ深呼吸をした。息が震える。


「そ、それで? 僕に何かよ、用事でも?」

「そうですねぇ、そうなりますねぇ。まず、そうじゃ無ければ私、貴方に話しかけていませんからねぇ。分かり切った話ですよねぇ」


 何がおかしいのか。男は尚も笑いを噛み締め、演技染みた身振りでそう答えた。

 奴の一挙一動が癪に障る。しかし、それが僕の感情を更に揺すってくる。嗚呼……この男をもっと知りたい、今すぐ離れたい、会話がしたい――っと、アブナイアブナイ。


 額からたらりと流れ落ちた冷や汗を右手で拭い取る。


「クフフッ、やはり見込み通りですねぇ。とても私好みな完熟具合ですッ‼ 私、今最ッ高に高ぶっていますねェ‼ ねェ‼」


 急に声量を上げた男に思わず肩が上がる。恐らく、今僕の瞳には軽侮の念が強く出ているだろう。何たってこんな道のど真ん中で気持ち悪い声を張り上げる変態が目の前に居るのだ。興味しか――まただ、また僕の知識欲がッ。


「何でもいいからさぁ……早く理由をさぁ」


 震えが止まらない。嗚呼ァ……嗚呼ァ……早くこの時間を。


 時間が経つに連れてどんどん呼吸が不規則になっていく。そんな僕を見つめる男は、いつの間にか先程までの朗らかな雰囲気は消えており、不気味一点の独特な空気を醸し出していた。それにまた少し、肩が上がる。


「仕方がないですねぇ。私、あまり時間を急ぐ人間は好きではないのですが……今回は特別、という事で」


 肌のひりつく、現代ではまず感じる事の出来ない緊迫したこの状況。冷静さを取り戻した男とは打って変わり、僕の感情は更に熱を上げる。


「ものの相談、と言いますか……殆ど命令に近いのですが。どうです? その無駄に増幅した貴方の感情、他人に提供してみませんか?」


 そんな状況下で放たれた男の言葉。それが僕の熱を一瞬にして蒸発させた。



   ***



「ただいま」


 誰も居ないのは分かっていても、玄関を開けたらそう言ってしまう。これは長年繰り返された事によって染み付いてしまった習慣というやつなのか。ご飯を食べる前のいただきます然り、寝る前のお休み然り。


 何となく漏れた溜息をそのまま逃がし、僕は止めていた足を再び動かす。目的地は自室、このまま二階に上がれば直ぐだ。

 一歩踏み出す度に自らを軋ませる家の階段。小さい頃はこれが好きで何度も上り下りを繰り返したものだ。ふと思い出した懐かしい記憶に心が落ち着く。


 そのまま姉の部屋を通り過ぎ、僕は自身の部屋の扉を開いた。

 静かに閉まる扉。乱雑に放置された雑誌。はだけた布団。食べかけのジャガルコ、パソコン、ギター、テレビ、ラジカセ、ノート――右手の名刺。


「――アハハハハハハハハハッ‼」


 自分だけの空間。誰も邪魔しない、誰の邪魔にもならないこの時間この空間。僕の抑えられた感情が爆発する。


 無駄に増幅した感情の提供? なんだよそれ、馬鹿々々しい。新手の宗教か何かですかァッ‼ 今時そんなの――。


「流行んねェんだよッ‼」


 感情に任せて放たれた僕の鞄が音を立てて壁に衝突する。それを見て、何処となく落ち着いたような――気には全くならず、僕の衝動は更に震える。


「……んんッ‼ 気になってさぁ、気になって仕方がないんだよなァァ……」


 荒ぶる呼吸。鼻息は不規則に音を立て、身体が振動を止めない。

 僕は右手に持つ少し皺の出来た黒い名刺を目の前に持って行き、定まらない視線を無理やり釘付けにする。

 そこには白字でこう記されていた。


 ――皆様の心に安らぎを 感情提供仲介人 ベギアデ――


「ベギアデ……日本人じゃなかったのか?」


 何ともおかしな文字の羅列に、僕の熱は瞬時に鎮火される。

 あの男、ハットの下に見えていた髪の毛の色は黒だった。首元から少し見えた肌も日本人特有の黄色っぽい感じだった。何処にも外国人の要素は無いが――あ。


 そこで単純な事に気が付く。


「偽名とか芸名的なやつか。冷静になれば気にする程の事でも無かったな」


 我ながら馬鹿な事に時間を費やしたな、と嘲笑ちょうしょうを浮かべる。まぁ、冷静になれたのは良かったが。

 そこで、更に名詞と同時に男が続けた言葉を思い出す。


『提供した際の報酬と致しましては、その量や質にもよりますが……最低五十万の現金に、提供者が手に入れることが出来なかった感情を少量、という事になっていますので』


 んー……。


「やっぱり胡散臭いよなぁ……」


 仮に、本当にもしもの話だが、これが本当の話だった場合。僕がいらなくなった怒りという感情を少量? 提供したとして、その報酬が五十万にプラスアルファ僕に今迄無かった感情っと……。

 正直、プラスアルファに関してはいまいちピンときてないが、最低五十万っていうのはどうも話が旨すぎると思うんだよな。何しろ、僕が失うものは形あるモノじゃないし、それが少し消失したところで生活に支障はきたさない。というか、そもそもそれを支払うのは依頼者なのかベギアデ側なのか。どちらにせよ、支払う側に旨味を見出す事が出来ない。


「本当に信じても……」


 そう呟き、もう一度名刺に視線を落とす。

 表に関しては最初と同じ。あの男の名前が載っているだけ。しかし、これを渡す前にあいつはこの裏面に何かを書いていた。それを思い出したのだ。


 僕は手首を返し名刺の裏に目を通す。


 ――080-xxxx-xxxx 私直通になっております。気軽にお電話下さい――


「ま、そうなるよね」


 何となく予想は出来ていた。でなければ連絡の取りようがない。

 がしかし、こいつ危機感というモノがないのか……? これ絶対仕事用とかじゃ無いだろ。


 隙の無かった相手だけに、少しほっこりしてしまう。とは言っても、これが仕事用の可能性も否めない為、本当の所はよくわからないが。



「嗚呼、疲れたな」


 大まかにではあるが、今さっきまでの出来事の整理が着いた。

 取り敢えずは急ぐ必要も無いだろう。気が向いた時にでも電話を掛ければいいのだ。今は少しでも早くこの意味不明な疲れを癒したい。


 肩の力が抜けた僕は、右手の名刺を適当にパソコンの上に放り投げベッドに倒れ込んだ。


「うごッ! ってて……さっき鞄投げたの忘れてた」


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