第3話 妙なものをたくさん見た
阿澄の調査に同行するようになって三日目。この日も数体の怪異と遭遇したが、人が襲われている様子はない。
「数が多い」
自販機の下から湧き出した虫の怪異を退治した阿澄が言う。
「多いですか」
怪異が出てきた自販機の下に塩と酒を撒いて穢れを祓いながら井戸が繰り返す。
怪異と関わるのは初めてなので、多少の基準がわからない。
「普通、こんな地方の町に怪異はうようよしていない」
「こっそり暮らす妖怪とかは、都会より田舎にいそうな感じですけど」
「無害な奴らはこれ見よがしに出てこない。言い方が悪かった。好き好んで人を襲うような、やばい奴の数が多い」
穢れが濃くなっている、と阿澄が言う。
「前に少し話したが、怪異にも無害な奴、有害な奴、色々いる。有害な奴ほど穢れを好む。逆に穢れの少ない場所には寄ってこない。ユスリカとかエラミミズが清流に棲めないのと同じだな」
「なんでこの町の穢れが濃くなってるんでしょう」
「それがわからない。穢れを出してる大元がいる筈なんだが……ここで話してても仕方ないな。休憩終わりだ。行くぞ」
今の会話時間は休憩だったらしい。
井戸は酒瓶の口を締めてカバンにしまう。
夜道を歩きながら、井戸は町外れにある小高い丘の方を見て首を傾げた。
釈然としない。地域差というやつだろうか。
◆
翌日、いつも通り登校した井戸は玄関の下駄箱で妙なものを見た。数人の生徒の靴入れスペースに黒い羽虫が集っている。ゴマ粒サイズの羽虫が何十匹と集まり、小さな雨雲がいくつも浮いているようだった。他の生徒たちは一瞥もせず通り過ぎて行くから、見えていないのかもしれない。井戸も素知らぬふりで教室に向かった。
朝のホームルームでは、井戸のクラスの内、3人が体調不良で欠席だと連絡された。高校生活での疲れが出る時期だから、各自十分休息を取るようにと担任が言う。
その後も、学校で妙なものを何度か見た。
廊下の天井の隅に斑模様の大きなヒトデが張り付いている。中庭の植込みが不自然にガサゴソと鳴る。倉庫の半端に開いた窓の隙間から、長い鼠の尻尾が垂れていた。
「とまあ、学校でそんなことがありまして」
夜の見回り時、昼間に学校で見たものを阿澄に話す。とても嫌そうな顔で聞いていた。
「……学校は人が多いから、穢れも溜まりやすいんだ。そのせいだな」
溜息をついた阿澄は、帰る前に井戸が通う学校を見に行くと言った。
◆
「……」
「……」
見回りの最後。井戸の通う高校に来た二人は、校門の前で立ち尽くす。
あーおあーお、くけけけけけ、ギャッギャッ、きちきりきりきち。
閉められた校門の向こう側、高校の敷地内からは奇声異音が飛び交っていた。
音だけではない。グラウンドを這い回る犬の生首。校舎の壁に張り付く巨大な異形。他にも色々。奥に進めばもっといるかもしれない
これ全て、集まってきた怪異だろうか。校門を閉ざす柵越しに見る夜の学校と怪異は、テレビで見たナイトサファリを彷彿させた。
黙ったままの阿澄を横目でちらりと見る。難しい顔で怪異たちを睨んでいた。
「沢山いますね、怪異」
「……そうだな」
「退治しますか?」
「ああ。このまま放置したら日中も被害が出る。明日は学校の怪異退治だな。一晩で済めばいいが……」
明日の待ち合わせ場所が高校になった。
◆
翌日の昼休み。
移動教室から戻る途中の井戸は、廊下を歩く生徒たちの中に阿澄らしき人物を見た。まあ人違いだろうと思ったのだが、阿澄らしき人物も井戸の方を見て近づいてきた。
「おい待て、井戸」
「私ですか」
「他に誰かいんのか」
阿澄本人だった。
廊下で話し込むと通行の邪魔になるので端に移動する。制服はどこから調達したのだろうか。
「昨日、怪異を見た場所、覚えてるだけ教えてくれ」
下駄箱、二階の廊下の天井、ゴミ捨て場近くの倉庫、と挙げていく。思い出せる分を言い終えると、阿澄は分かったと言って去っていった。
教室に戻ると、女子数名に話しかけられた。阿澄が誰か気になるらしい。井戸は購買で買ったパンを見せる。
「知らない人です。購買で最後のチョココロネを買ったのはお前か? と聞かれました」
◆
夜、井戸が高校に着くと、すでに阿澄は怪異退治を始めていた。
「来たか。行くぞ」
「阿澄さん、どうやって中に入ったんですか」
入り口は背丈以上の折りたたみ式の柵で塞がれているし、高校の敷地を囲む塀の高さは三メートルはあって登れるような凹凸もない。行くぞと言われても塀の向こうに行けないのではどうしようもない。
「昼間からずっといる」
「夕飯どうしたんですか」
予想外の返事にどうでもいいことを聞いてしまう。
「ここ来る前に弁当買っといた。そんなのどうでもいいだろ、早くこい」
「柵を開けてもらえませんか」
柵を掴んで揺する。阿澄もああ、と納得したように頷いた。
「最初からそう言え」
「まさか阿澄さんがずっと学校にいたとは夢にも思わなかったんですよ」
◆
一階の教室の窓から校舎内に入る。都合よく利用させてもらっておいて文句を言える立場ではないが、日直の生徒や教師は施錠を確認しなかったのだろうか。不用心だなあとひとりごちると、鍵開けたの俺、と阿澄が言った。教員、生徒全員が帰るまで校舎に隠れ、その後窓の鍵を開けたという。
「野球部とか、まだ春なのに遅くまで練習してるんだな」
「この学校、運動部が活発ですからね」
部活の種類も多い。弓道や空手部など、井戸が通っていた中学校にはなかった部活もある。
いつものように阿澄の後ろについて廊下を歩きながら、井戸は気になっていたことを聞いた。
「阿澄さんは昼間何してたんですか? この学校の生徒……じゃないですよね」
「溜まった穢れを祓ったり、力の弱い怪異を退治してた。この学校の生徒じゃない」
廊下の曲がり角から棒きれの手足が生えた皺くちゃの肉団子のような怪異が現れた。
阿澄は怪異にまでの距離を二歩で詰め、三歩目で怪異を頭から袈裟懸けに切り裂いた。怪異は痙攣していたがすぐに動かなくなる。追いついた井戸が塩をかけた。
一階を一通り調べ、二階へ行くため階段を上る途中、踊り場の手前で阿澄が急に足を止める。どうかしたのかと井戸が奥を伺うと、踊り場にぼたぼたっと液体の塊が落ちてきた。懐中電灯を上に向ける。一抱えほどもある大きさのナメクジが天井に張り付き、巨大な複眼で井戸たちを凝視していた。触角の間で縦に裂けた口からはだらだらと涎が垂れている。元々ナメクジが苦手な井戸は気持ち悪さによろめいた。
阿澄がナメクジの怪異に塩を投げる。踊り場に落下した怪異は身悶えしながら縦に裂けた口でギャアアーと叫んだ。阿澄は即座に棒でナメクジの怪異を刺して黙らせるが、耳障りな叫び声は既にそこら中に響き渡った。
暗く沈んでいた校内の空気が粟立つ。井戸は身を固くして周囲を見回した。
「しくじった。逃げるぞ!」
阿澄が舌打ちして踵を返す。井戸も後に続く。二階から不自然な物音が近づいていた。
しばらく一階で身を隠し、再度階段を上がっていく。
踊り場には粘度のある液体が広がり、その中に薄赤い筋、小さな茶色の物体がいくつか転がっていた。
「……食われたな」
「共食い?」
「わからん」
阿澄は食事跡に塩を撒く。茶色い物体は蠕動しながら溶けていった。
二階、三階と見て回る。現れた怪異は阿澄が片っ端から倒していった。
阿澄に疲れないのかと聞いたらクソしんどいと帰ってきたので休憩になった。校舎に入った時と同じ窓から外に出る。井戸が窓を閉めると阿澄は壁を背にして座り込んだ。
「阿澄さんが使ってる棒は、特殊警棒ってやつですか?」
カバンから出した塩の袋と酒瓶の口を開けながら井戸が聞く。
「よくわかったな。これだと持ち運びが楽なんだ」
「テレビで見ました。警棒で怪異と戦えるんですね」
「特殊な処理をしてあるからな」
「だから特殊警棒なんですか?」
「いや、これは元々特殊警棒だ。特殊な処理をした特殊警棒だ」
「マイナスにマイナスをかけたらプラスになるみたいな感じですか」
「それじゃ意味ねえだろ。マイナスにマイナスをかけてもっとすごいマイナスにした感じだ」
◆
しくじったな、と阿澄は頭の片隅で考える。
現在地は二棟ある校舎を繋ぐ一階の渡り廊下。非常灯の下に、蹲るようにして一体の怪異がいた。
無害な怪異なら攻撃する必要もない。気付かれないように迂回して通り過ぎようとしたが、運悪かった。強い風が吹いて近くの窓が鳴り、音に反応した怪異に気づかれた。
素知らぬ振りをすればよかった。お前のことなんか知らないよという顔で通り過ぎればよかったのにできなかった。
向けられた意識に警戒した。身構えた。敵意を発した。
怪異は覿面に反応した。
体の側面に生えた長い副腕で殴りかかって来る。応戦するも、背に井戸を庇いながらでは明らかに不利だった。直撃は避けるが、掠める副腕が皮と肉を裂く。
「阿澄さん!」
井戸が前に出て塩を撒く。副腕が怯んだ隙をつき、阿澄の腕を引いて井戸は体育館や卓球場が建つ方へと逃げた。
副腕の怪異が追ってきていないことを確認して二人は足を止める。井戸が持っていた懐中電灯の灯りを消しているため、周囲を照らす物はない。
「逃げきれましたかね……」
渡り廊下の方を見ながら井戸が呟く。手にはまだ、空になった塩の袋を持っていた。
「……なんでこっちに逃げたんだ?」
傷を押さえながら阿澄は尋ねる。井戸は怪異の横を通り抜けて逃げた。阿澄だったら、背を向けて反対方向に逃げていた。
「こっちの方が暗かったので」
「は?」
訳のわからない返答。井戸も伝わらなかったのは分かっていたようで、言葉を足した。
「あの怪異、ずっと「暗い、怖い」って言ってたんです。阿澄さんを攻撃してる時も、非常灯の下から動いてませんでした。だから、暗い方へ逃げれば追ってこないと思って。反対方向に逃げれば楽なんですけど、あっちは生徒玄関の電気があります。もし追ってこられたらまずいので、灯りのない運動部棟の方に逃げました」
「そういうことか……」
淀みない説明に内心で舌を巻く。あの短時間によくそこまで考えたものだ。
「……これからどうしましょう。というか、阿澄さん、怪我は大丈夫ですか?」
「問題ない。浅い傷だ」
痛みはするが、動くのに支障はない。
「井戸の予想通り、あの怪異が暗闇を嫌うなら非常灯の下からは動かないだろう。あそこを迂回して外に出る」
方針を決めて歩き出した阿澄たちだが、道を塞ぐように現れたものを前に足を止める。
大きな黒い犬が内臓を垂れ流しながら二人に向かって呻る。
阿澄は特殊警棒を構えて歯噛みした。やはり今日は運がない。
マイナスにマイナスをかけたって、更に酷いマイナスになっただけだった。
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