第4話

 ダンは手紙を十数回やりとりした。一日に一度、ダンが目覚めると窓際に置かれていた。内容は、他愛のないものだ。天気の話とか、音楽、料理、映画の話題だ。そして相変わらず短い。一度の手紙に数行だけだ。だが、ダンは今その短い手紙の一枚一枚を、丁寧にファイリングしている。

 目覚めると、すぐさま窓際を見た。

「来てる来てる」

 浮足立ちながら窓際に歩いて行き、アンティークな封筒を開いた。

《最近は、私との手紙を楽しみにしていただいているのですね。嬉しい限りです。貴女とどこかに出かけられたらどんなにいいことか……私は毎日、そんな思いで目を覚まします。……恥ずかしいことを書いてしまいました。今日はこれまでにします。それでは》

 ダンの顔がみるみるうちに緩んでいく。さっそく彼はレターセットを取り出して返事を書いた。

《そんな風に思っていただけるなんて、僕も嬉しいです。ぜひ今度、どこかいいところに行きましょう。それまでにおすすめの場所を探しておきます。美術館なんて貴女に似合いそうだ》

 手紙を同じくアンティークな封筒に入れ、封をする。投函場所は窓際だ。自分からの手紙だとわかってもらえるように、ダンは封筒の右下に自分の名前を書いておく。さっと窓際に封筒を置きながら、窓から首を出した。目の前には、ユーの横顔がある。

「ユー、今日、昼飯行かないか?」

「いいね。いこう」

 ユーは柔らかく笑った。出会ったばかりの頃と比べて、彼女の表情も豊かになった。あの皮肉っぽい引きつった笑みもよかったが、この柔らかい笑顔も女性らしくて可愛い。

 ダンは朝食をサプリメント十数錠で済ませ、キーボードを叩いた。彼女との食事を楽しむためにも、さっさと今日の分の仕事を終わらせてしまいたかった。その思いが力となったのか、全てが順調に進んでいく。予定よりもずっと早く、昼ごろには全てが終わってしまうほどに。

 鐘がなった。正午だ。ダンは急いで支度をし、アパートメントの外にでる。階段から立ち上がったユーと手をつなぎ、最初に食事をしたファーストフード店へ向かう。二人で食事を摂るなら、そこ。だんだんと固まりつつある、暗黙の了解だった。

 今日も店には人が少なく、店主もカウンターで居眠りをしている。彼の横でつけっぱなしのテレビが、古い西部劇の映画を流していた。ダンは店員を揺すって起こし、ホットドックとコーヒーを二人分頼む。料理が出てくるのを待つ間、ユーは腕に絡みついてきた。ダンは胸が高鳴り、頬を染める。

 不機嫌そうに出された昼食を受け取って、二人は向かい合わせに座る。大抵の場合は、黙って食事をして終わりだ。本当はもっと彼女を楽しませたいダンではあるが、生憎彼にはそこまで話の種になるようなものはない。二人の食事の時間に会話があるとすれば、ほとんどがユーからの質問だった。

「なんで、プログラマーになったのさ」

 そして今日は、質問があった。しかし答えにくい。ダンの手が止まる。ユーは続ける。

「絵や写真があるなら、他にも選択肢があったんじゃない?」

 ダンはコーヒーを口にし、少し考えた。沈黙が続き、店に置かれたテレビの音だけが聞こえる。

「秤にかけた結果、かな」

「収入が良かったってこと?」

 ダンは首を横に振る。

「いや、秤にかけたとか、そういうはっきりしたものじゃないな。つまり、だから……絵や写真で食べていくとなると、つまり、プロになるってことだろ? プロとしての気苦労を抱えながら、作品を作ることに耐えられない気がしたんだよ」

「プログラマーでも気苦労くらいはあるんじゃない?」

「それはそうだけど、でも、違うんだ。プログラミングは好きとか、嫌いとかじゃない。単なる作業としてやれるんだよ。上から命じられたプログラムを、要望と命令通りに組んで渡すだけだ。でも、絵や写真は違う。ちょっとの色合いや、構図の違いで、満足できない場合があるんだ」

 ユーはまだ満足いかないようだ。表情は固く、変化がない。

「プログラミングと何が違うのさ。『1』が『0』になるだけで、大問題じゃないのさ」

「そうじゃないよ、そうじゃない。プログラムと二進法と、絵における色は違う。単なる分野の違いだけじゃなくて、色は同じ色が作れないんだ。例え成分分析でまったく同じ色を作り上げたとしても、それは以前の色とは違う。同じ色でも、全く違う顔を見せるんだ。『1』にもいろんな『1』があるんだよ。そういったことを抱えながら、プロとして絵を描いていく自信がなかったんだ」

 ユーの表情は動かない。ただ興味なさげに視線をずらして、「理解できないね」といっただけだった。

「あの絵もそうやって描いたのかい?」

「あの絵?」

「時計の隣の、髪の長いやつ」

「ああ、エルのことか」

「……エル?」

 ユーの眉がひそめられる。

「あの絵の名前さ。ミス・LSD。ハイスクールに通っていた時、一番必死になって書いた絵だよ。それこそ、色合いから構図、何から何までとことんこだわってね」

「どうして?」

「どうしてって……一生に一度くらい、描いてみたかったんだよ。ひとつの絵に、生活の全てを投げ打つくらい必死になって。あの時は親が食事を用意してくれていたし、うちはそんなに厳しくなかったからね。一週間ぐらい学校に行かなくても何も言われなかったしさ。ユーも、絵に興味あるのかい?」

「……別に、全然」

 彼女はそっけなく答え、窓の外に目を向けてしまった。ダンとしては、それなりに身を入れて、熱を持って話しただけに少し肩を落とす。コーヒーでも飲んで気を紛らわそうと手を伸ばすと、

「ねえ」

 ユーは不意に声を漏らす。

「アタシのこと好き?」

 突拍子もなく、彼女はそういった。ダンの手がカップを掴み損ね、残り少ないコーヒーがテーブルに広がった。ユーが紙ナフキンを数枚取って、その上に落とす。拭き取るまでもなく、コーヒーは吸い取られた。

「い、きなり。なにを……」

「どうなのさ」

 ユーの視線が戻り、ダンを見つめる。ダンは耳まで赤くした。ユーは白かった。こちらに向けられる視線に焼かれてしまいそうで、彼は俯きながら小さく、「好き、です」と答えた。

「そう」

 ユーは短く答える。ダンがそっと顔を上げると、彼女は笑顔だった。ひきつった、下手な笑顔。テレビから悲鳴が聞こえる。ちらりと振り返ると、映画の中ではインディアンが悲鳴をあげていた。顔の真ん中に槍が突き刺さっている。ダンの気は動転していて、グロテスクなシーンを前にしても、自分の顔とインディアン、どちらが赤いだろう、などと考えていた。

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