第4章 歌舞

  第四章 歌舞




      1


 宮から、それを中心として広がる市の軒先は、縦横に屋台が出ている。なにがなにやらごった煮になったようなにおいが漂う通りでは、そこここから喚声が上る。

 参道の最後尾、白い石畳を敷き詰めた泉のある広場でたすくは人垣をぼんやりと見つめていた。

 あたりがすっかり夕闇に包まれていたるところにそなえつけられた火灯りが、すっかり明るい。

 石畳に長く影が踊る。ゆのかが約束してくれ刻限はとっくに過ぎていた。

(遅いなぁ……ゆのか)

 かわりばえしない人の波を眺めながら、知り合いの店で焼き団子を一本くすね、暇を潰しているとまやだ。

 ひとつため息をつきながら俯いたとき、隣に影が伸びた。

「たすく……」

 振り返ると、だいぶ遅れて――という表情を満面に湛え、息を切らしているゆのかが薄い明りの中にいた。

 白い簡素な衣を帯で留め、青の上掛けを羽織っているのは祭りのときの宮の者の衣装。

 それが、瞳の海に映えて綺麗だった。

「ご……ごめんなさい」

「いや……」

 その姿にみとれながらたすくがいうと、ゆのかは一気に安堵したように、柔らかく微笑んだ。

「奉納の歌舞。いそがないとはじまってしまうわ。夕の刻の四からだもの」

「あ……うん」

 踵を返して参道の人波を越えてゆく少女の後を歩き出しながら、たすくは眉を寄せた。

 それは、ゆのかが『都』の人で、だから自分とは違うわけで――それでどうして悲しいのかわからなかったけれど、なにやらどきどきしている。

 白い手が、たすくを呼び、たすくは応えて駆け出した――。




      2


 宮の斎場に湧く大きな泉の上にある舞台が、松明の明りに照らし出されている。

 巫女のひとりが祝詞を読み上げ終わると、舞台の両の渡殿から、華やかな衣装に身を包んだ歌姫と舞姫が歩みでた。

 習練を積んだ美姫たちは、やがて楽の音に細く声を絡ませ、軽やかに舞台を滑り出した。

 奉納の歌舞。

 歌姫の声が、朗たる調べとなって流れ出す。万人が魅きつけられずにはいられない、それは華美なる奔流である。

 ざわめきを起こすことは許さない。

 進み出る、舞姫の春の花染めの衣が翻る。

 炎。光と影。

 奏でられる歌に楽器の音色が響く。

 鼓の音。

 琴の音。

 それは実りある大地と種を与え給

 うた神女を称え、捧げる歌……。



「……?」

 一心に惹きつけられる群衆の中で、たすくがゆのかの横顔を流し見たときだった。たすくはそこに、

 ゆのかのとても厳しい顔を見て首を傾げた。

 ゆのかの瞳は、揺れる炎を映しながら舞台を凝視していたが、それは歌姫や舞姫の華美に魅了された人々の恍惚たる表情とは明らかに違うものだったのだ。

 何か食い入るように、舞台正面だけを見つめて、苦しげに唇を引き結んでいる。

(……ゆのか……?)

 おかしい、とおもった。

 そして辿った視線のその先に……。 

 何故、と思ったのはほんの一瞬だった。

(あの、楽師たち……まさか!?)

 松明の明りはあくまで少女たちのためにある。だから楽師団は舞い続ける姫君たちの影になって闇に沈んでしまう。まして美しい娘たちに目を囚われてしまっている者たちは楽師など見もしないだろう。

 だからたすくも、ゆのかのまなざしを辿って彼らの存在に気がついたのだ。

 あれは昼間の酒楼で、穏やかならぬ会談に興じていた都人だ。しかしそのしなやかな指先が奏でる音は、あくまでも穏やかだった。 そしてあくまでもしなやかすぎて、無骨さなど微塵も感じられない。

 彼等の指はまさに楽器を奏でるためのものだとしかいいようがないほどに。

 けれど、たすくはそうでないことを知っていた。

 昼間耳に挟んでしまった彼等の話が、胸の底に重く残っていたからだ。



 甲高い笛の音が、闇を切り裂くように澄み渡って響いた。

 ――!!

 たすくの胸が、激しく鼓動をうった。 

 その笛の音のせいではない。

 否、笛の音がそうさせたのかもしれない。それはどこか、悲鳴のようだったから。

 しかし胸の奥で何かが飛び跳ねたのはそれのせいだけではなかった。ゆのかが、たすくの腕を掴んだのだ――唐突に。

 爪が喰い込むほどに強く、それを衣服の上から感じる。そして震えが伝わってきた。

 がたがた、がたがたと。

「……」

 ゆのかは、たすくの腕を握りしめている、という意識がなさそうだった。俯いて、きつく目を瞑っている。

 たすくはゆのかの手にそっと自分の手を重ねて、震える小さな手の甲を包みこんだ。

 その冷たさが痛々しいかった。

 ゆのかは三年前に、都からやってきた。そしてたすくの怪我を治してくれた。

 『頑張ったものだね、彼女も』……とまやの声が耳の奥にふいに蘇る。

 『五日ばかり前か。動きがなければ見逃すところであった』……都人の楽師の声。

(まさか。あいつらが追っているのは、『ゆのか』なのか……?)

 そうだ。決まっている――何故、もっと早く気がつくことができなかったのだろう。

 あいつら連中は都人で、しかもだれか娘を追っているらしいことも立ち聞きしていて、この邑にはたったひとりゆのかという都人がいるだけだと。気づいて当然だ。

(なんでだ……よ……)

 たすくは、あいたほうの手で、口許をおさえた。なにかがあふれそうになった。

 ゆのかの掌は汗で濡れていた。うなだれたまましっかりたすくの腕を握って放さない。

(……怯えて、いるんだ……)

 ゆのかの心を支配するのは恐怖だろうか。ゆのかのことは気丈だと思ってきた。しっかりした、芯の通った娘だと。そのゆのかを刹那にしてこれほど苛ませる恐怖。

『ためらうか――?』

(あいつ、ら……)

 突然にその、都人の言葉から不穏どころではないものが汲み取れた。それを、ゆのかは知っているのだ。だから怯えているのだ!

(ゆのかを……まさか……まさか殺す気? ――そうなのか!?)

 なんで。どうして。なにがあった?

 どうしてこんなことになっているんだ。

 つい、さっきまでそんなこと、考えもしなかった。だけど、ゆのかは、あまりにも謎が多すぎてたすくにはわからない。

 口を押さえながらたすくは黙っていた。

 歌が細くなり。そしてひき継いだ楽器も一縷の響きを残して消えようとしていた。

 刹那――。

「……っ」

 視界の隅。

 楽師のひとりが立ち上がったのが見えた。

 何か、携えている。楽器ではない。黒い。……あれは……。

 いま、ここで!?

 馬鹿な。

 大巫を血で汚すことは法度だと。

 禁忌と、都人が知らぬはずがない。

 なのに。

 か細い悲鳴が、ざわめきが聞こえたような気がして――たすくは顔を上げた。

 はっとして舞台を振り仰ぐと、鋭い殺気が感じられた。

 松明の明りを背負って仁王立ちになったかの楽師が真っ直ぐ正確に、ふたりのほうを見ていた。

 遠く、泉のに施された舞台の上から、きりり、と弦を引く音が聞こえたような気がした。

 弓。

 そして標的は。

「……ゆのか……!」

  

 

 たすくは咄嗟に、少女を背に庇っていた。

「っ……ああっ! 」

 矢がささったのは肩口だった。たすくは即座にそれを引き抜く。

 ざわめきと悲鳴が広がった。

「きゃああっ。たすく……!!」

 ゆのかの声。

 舞台の上で、楽師たちが立上がる。

 舞姫たちが悲鳴を上げて散る。

 警備の者たちが舞台に飛び出した。

 痛みでかすむ視界にそれらを捕らえていたたすくは、唇を噛み締めてゆのかの手を引き、脱兎のごとく夜陰の中へ走りだしていた。




     3


 黄金と蒼白の輪が支配する夜の光。祭りの明りからすっかりはぐれたが、辺りは輪のおかげで明るかった。強い海からの風が渦をまいて、木立ちを揺らす。

 遠くで喚声が上がるのが聞こえた。木立ちの向こうは、炎が闇を塗りかえている。

 明りも喚声も、遠かった。遠ざかった。

 ただざわざわいう耳障りな木立ちと風のざわめきが、ぐるぐるまわる。

「た……すく! たすく、あなた怪我!」

 切れ切れに息と息の間から零れる悲痛な声が、たすくの足を無理やり止まらせ、正気へとひきずり戻した。

 すっかり息が上がっていた。無我夢中だったから、きっとやみくもでめちゃくちゃに走り回ったのだろう。

 たすくは激しい困惑を覚えながらゆのかを見た。

 ゆのかは、肩で息を繰り返していた。苦しげに背を丸めたまま、俯いている。

 手が――いままでたすくが握っていたゆのかの手が何かに濡れていた。はっとして自らの腕を見やる。肩から流れ出た出血だ。

(……ゆのかは……無事なんだな……)

 刹那、松明の中に立ち上がった都人の影と弓弦の音が耳奥に蘇った。

 呻いて、たすくは蹲った。

 焼けるような痛みが全身を駆け巡った。

「う……っ」

 そこへ落とされた、腹立たしさもきわまれり、といった刺々しい声。

 それの主はすぐにわかった。痛みがたすくを苛んでいても。

「なんて不様なの! 見ちゃいられないわね! 本当にまったく!」

「……翼羽……か……」

 痛みを堪えてたすくは顔を上げた。

 月明りに照らし出された黄金の瞳。それはたすくの方を見ようともしなかった。

「だからあたしは忠告したはずよ、ゆのか……愚かな少年一人に何をやっているの」

 叱られた子供のように、ゆのかが瞳を伏せる。

「……華乃由」

「あなたはこんなところで愚か者にかかずらっていられる人じゃないのよ」

「……止めて。華乃由。……いいから」

「……おれのせいだ……」

「そうよ!」

 翼羽の瞳がこちらを向いた。笑みなどひとかけらもない、底まで凍りついて煙を上げている瞳だった。

 その瞳を、翼羽は再び己の分身へ向けて、世にも凄まじいせせら笑いを浮かべた。

「……それにあたしはこんな子供大嫌いよ。わかった?」

 ゆのかがかくりと砂利に膝を突く。それを横目に翼羽は宙を滑り、たすくの肩のあたりへやって来る。

「もう、助けないわよ」

 冷ややかに翼羽はいい捨てた。たすくにはそれを非難できるわけもなかった。

「力を使えば居場所が露見る。あんたのためにそんなこと、二度と御免だわ!」

「華乃由!」

 ゆのかの鋭い声が一閃する。しかし翼羽は怯まない。

「わかってないのよ!? この子は何もわかってない! なのにあんただけが何でこんな風に苦しんだり悩んだりするの! 放って置けばよかったのよ!」

「……『力』……? ばれる……って……」

「あたしたちは『力』を使うことで相手の存在を感知し合えるのよ! あんたのけがをゆのかが癒したときに都の追っ手はあたしたちの居所を嗅ぎつけたの!」

 ……初耳だった。

 知らなかった。そんなこと知らなかった。

 責められたとて、それは不可抗力だ。けれど翼羽自身もわかっていて、それでも敢えていうのだろう。己の半身大切さに……。

 そしてその辛辣な言葉は正しかった。

 たすくはうなだれ、頷いたけれどそれが翼羽にわかったかどうかは定かではない。

 途端、たすくの中で堰が崩れた。それは、弾けて言葉になってぼろぼろ零れ出した。

「……っ。上等だよ! 畜生!」

「たすく」

「たすくの傷には触れないで! ゆのか。とまやを、呼んでくるから」

 翼羽はたすくには一瞥さえくれないで、するりと舞い上がる。たすくも、翼羽を見てなどいなかった。面を上げて。そして瞳にゆのかを捕らえる。

「なんで。どうして。わかってておれを治療したんだろ!?」

 ゆのかは答えない。たすくの激しい剣幕に驚愕していたのかもしれない。

「どうしてそんなばかなこと、すんの!? 黙っていればやり過ごせた嵐じゃない! あいつの、翼羽のいう通りだよっ」

「でもたすくが」

「腕一本無くなったって、こちとら平気だよ! あんなに平気な顔してさ、しかも様子まで見にきてさ、翼羽にまで遭わせてくれちゃってさ! さっきだって――あんなに酷い顔して舞台を見てた。ごまかせるなんて思うなよ、おれ気がつかなかったんだよ! 馬鹿かもしれないけど、ゆのかがさっきあんな顔してがたがた震えてたから、それで……それでやっと!」

 たすくはいったん言葉をきった。息が切れる。でもまだ、あふれてくる。

「……追われてるなら、怯えてるなら、逃げればよかったんだ! さっさとこんな邑でればよかったんだっ!」

「そんなの……そんなこと……」

「本当におれ、気がつかなかったんだよ! ばかばか。おれの腕のことなんか、どうでもよかったよっ。そりゃ、宮の連中にあんなことされたのは初めてだ。だけどあいつらはおれを殺す度胸なんか、これっぽっちもありゃしないんだ!」

 そう。それに比べてしまったら、都人は本気なはずだ。だからゆのかが怯える。

 子供の喧嘩とは、訳が違うだろうに。

「おれのことなんかにかまうから! ――そうだろゆのか。そうすればよかったのに、こんなことにならなかったのに、そうなんだろうっ!?」

「……」

「とまやも何か知ってるんだっ。二人して避けてた! こういうわけだったんだな! ばかやろう、おれは助けてくれなんてひとことも」

 悲しかった。止めなくては駄目だ。ゆのかが泣き出しそうだ。どうしてこんなことをこんなふうにいわなくてはならないのか、たすくにはわからなかった。ただ、怒濤のごとく喉元まで押し寄せてきてしまって、あとはあふれるだけ。悲しくて悔しくて、そして、不安で不安で。

 こんな完璧な治療を施すなんて。悲劇がはじまるのを知っていたくせに。

 腹が立つ。彼女にか、己にか。

 何がそうさせるのかわからなくて。ただ、無性に。

「ゆのか……ゆのか! 気が、知れないよっ!」

 まとまらなくて吐き捨てたとき、ゆのかの表情が刹那凍った。たすくも続ける言葉を失い、息の止まるような思いで立ちすくむ。

 暗闇から、ひとつきり、鉄籠に入れられた明りがゆらゆらと近づいてきたのだ。

 けれどそれは、ほどなく安堵のため息に変わった。

「おいで。君の翼羽から話は聞いた。さぁ、早く」

 明りを差し出して、とまやが現れたのである。だらだらと血があふれるままになっている我が子の腕をひどく深刻に眺めやって、まず傷を手当てしなくては、ととまやはいった。


 

 ゆのかは、たすくの背を見送りながら、あとに続いた。翼羽が、くしゃくしゃの顔でこちらを見ていて、どうしようもなくて、ゆのかは――はなはだ頼りないことはわかっていたけれど――無理やりに、笑みをつくった。

 ――ねぇ、たすく。

 悄然とした背に、瞼を伏せて呼びかける。それは、たすくには届かない、と思えた。そのときは。

 あんなふうに怒鳴られたから。

 だけれど。

 ――気が知れないなんて、いって欲しくなかった。たすく――。

 言葉にはならない。

 ゆのかは、くってかかってきた少年のすべてが刻印となって刻まれたことを悟って、深い吐息を落とすしかなかった。

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