第3章 都人

  第三章 都人 




      1


 よい天気のようだ。

 『暁の刻』を寝過ごして、時刻盤は『空の刻』――正午前を指していた。

 波の音がきこえる……。

 寝台の上で頭を押さえ、ぼうっとしていると、きゅるきゅる腹が鳴った。

 今日は前夜祭の始まる日で、ゆのかと約束の日である。『大巫』の祭りは、前夜、当日、後夜、の三日間に渡って催される。だからたすくは向こう三日間、祭日休業、だった。

 邑の商人たちは、祭りごと交替で出店をだすことになっているため、商人同士の協定と取決めによって、祭りごとの休業を許可される店は決まっているのだけれど、たすくは毎度、優先的に休みを貰っているのだ。

 要するに子供扱いだが、子供なのだからとたすくは素直に休業を決め込む。

 さて、祭の前夜祭は、『宮』で習練を積む舞姫と歌姫の少女たちの舞台が目玉だ。

 その舞台は『奉納の歌舞』と呼ばれている。ここで、その技を認められると国の王都の中央宮へ上がることも許されるとあって、選ばれた少女たちは技を磨くことに熱心だ。そんな夢を賭して戦う娘たちは、確かに粒揃いの美く優雅な娘たちばかりであると、評判だった。

 それを見るのも、今年が初めてだ。

 寝台をのろのろ下りて、草染めの渋茶色の短衣に袖を通すと、上着をひっかける。食事はまあ、外でとることにして、戸締まりを済ませ、たすくは外に出た。

 どうせとまやも家には戻らないだろうし、外でどんちゃんしているうちにきっと一晩明けてしまうことだろう。だからせいぜい泥棒を喜ばせることはしないようにすること、だ。


 

 市の方へ行くと、屋台の準備やらなにやらで、ごったがえしていた。

 その中には、いつものようにふだんとかわらず店を開けている知り合いもいる。

「お早う」

「……よう。たすくじゃねえか。お前、こんの忙しいのにいままでねこけてやがったのかよ。空の刻

も半ばじゃよ、昼飯時だよ」

「じゃ、こんにちはかな」

 相手の主人はずるりと肩を落とした。

 たすくは悪戯っぽく舌を出す。

「しっかり稼ぎなよ。かきいれどきだもんね」

「お前にいわれたかねぇよ!」

 軽口を叩いて飛び跳ねながら、たすくは石畳を歩いてゆく。

 酒楼などはすでに賑やかで、軒先に積み上げられた酒樽が通りまで転がっていた。

 あっちもこっちも道端を埋める荷車は、港から運ばれてくるのだろう。山と積まれた荷に、木車輪を軋ませて道を行く。

 酒樽を積んで酒楼へ行くものあれば、生花を積んで花菓子の出店へ行くもの、出店料理に欠かせない香辛料を売り歩きながら道を行くものもある。

 こういう空気は、子供心に楽しい。

「おや、たすく君!」

 すれちがいざま荷車を押していた男のひとりが、振り返る――薬草の取引相手で馴染みの商人だった。

 こんなところで顔を合わせるとは珍しいことだった。いつもなら別の島で商売に励んでいるはずなのだ。

 たすくは立ち止まり顔を上げた。

 薬商人は、僕童と商人仲間たちに荷車を任せてたすくのほうへ歩み寄る。

「こんにちは。今年の大巫はこちらで過ごすんですか?」

「それが向こうの島じゃあ、商売にならなくてねぇ。なんでも……今年は育ちが悪くて商売相手の薬草はとてもとてもってわけで……」

 禿げた頭を掻きながら、商人はいう。

「今年は薬草の根はだいぶ上がりそうだね。とくに『鬱金香』なんかはねぇ」

「そうですか」

 商人が挙げたのは、南回帰線の辺りの島で栽培される貴重な解熱の効用を持つ草の名前だった。

「問屋も楽じゃなくてねぇ。ああ、それじゃ……これからもご贔屓にお願いするよ」

「はい。こちらこそお願いします」

 仲間に促され、商人は駆けて先行く荷車のほうへ戻っていった。

 薬草は不足しているらしい。すると商売もきつくなりそうだ。昨年の茂葉季は、寒かったから心配していたが、案の定何か対策が必要かもしれない。

 けれどもいまは、そんなことも忘れたい気分で大きく空に手を伸ばすした。

 祭を迎えようとする空気に抱き込まれるのを感じる。この三日は、煩わしいことはみんな忘れて、農耕の季節を迎えるための、お祝いをするのだ。

 神女・玉響姫に祈るのだ……。



 たすくは、やがてほどなく人波をのらりくらりと歩きながら、大通りから横道を逸れた。海を臨める、邑の市通り東の高台へと続く低くて緩い石畳を上って行く。

 いいかげんおなかも空いてきたので、遅い朝食兼昼食を、行きつけの店で摂ることに決めたのだ。

 そして少し奥に入ったところに朱塗りの柱がけっこう古びてはいるものの、瀟洒なたたずまいが目をひく酒楼の一軒を選んだ。





      2


 窓際。

 良く手入れされた店自慢の庭の、池が見渡せる席で、たすくはひとり忙しく口を動かしていた。向かいに腰かける年のいったおばさんが、感心の目つきで眺めている。

「よぉくたべるねぇ、たすく君」

 対してたすくは顔を上げ、いったん箸を止めて口の中のものをすっかり飲み込んでから、

「まぁ……育ち盛りだし。まさぎさんのおごり、ということで」

 しれっとそんなことをいうと、まさぎここの料理長で、店主でもある彼女は、嬉しそうに相好を崩して目を細めた。

 いつもならとまやもいることが多い、二人用の席であるが、祭りの前後は、たすくがひとりでいることの方が多いことも、昔馴染だから彼女は知っている。

 まさぎは、にっこり笑って豪快な太っ腹であることをしめしてくれた。

「かなわないわね。いいわ、どんどんお食べなさい。そのかわりねぇ? 今度はちゃんと、とまや様も一緒にね?」

 たすくが眉間に皺を寄せると、若い娘がうるさいのよねと、まさぎは呆れたようにいった。

 ちらり、と目をそらしてみると、厨房の方で女の子たちが三・四人ばかり、たすくに向かってとびきりの笑顔で手を振ったりなんかする。複雑な気持ちで、たすくはまさぎの方へ向き直った。

「もてまくりだね、とまや」

「そりゃあねぇ。あんたのお義父さまは若いし、見目もよくって、それに師範ていう学位もあるからねぇ。立派なもんさねぇ」

「うぅん。確かに息子の欲目かしんないけど……おれもそう思うよ」

 おれだって、とまやのことは大好きだしね、と、たすくは口に出さずに呟いた。

 しかしもしも自分という『養子』の存在が邪魔になっていたりしたらそれはそれで困ったことかもしれない。大好きなあの人の妨げになるような存在にはなりたくない。

 それにしても、考えてみると今まで浮いた話は聞いたことがないのだが、実際本人が一体何を考えているのかといったところは、たすくにもよくわからないことだった。

 たすくの敬愛すべき養い主は、自覚あってか顔がいい上にやたら愛想を振り撒いて歩くから始末におえないのだ。

 たすくが思うところでは、意中の女人などいそうもないが……。

 たすくは娘たちに力ない笑顔を取り敢えず返しておいた。

「……たすく君はどうなのさ」

「……どうって?」

 いきなりだったので、たすくはまたまた箸を止めて顔を上げた。

「うちの若い娘、たすく君でもいいっていう子もいるよ」

「……って。え!?」

 とまやに向いていた矛先が、自分に向けられたのだと悟って、次の瞬間たすくはぶるぶると首を振っていた。

「や……冗談!」

 いってしまってから、何をそんなにあわてて答えることがあるんだろう、とたすくは我に返って言葉に詰まった。

 なんで。

 急に自分の頬が熱くなるのを感じて、たすくは戸惑いを覚えた。

 脳裏に閃いたのは、ひとりの可憐な少女の笑顔で、その少女のことを思わず想ってしまった自分にたすくは慌てたのだ。

「……あ……あ、いや。そんな。とまやの方が全然いいよ」

「……やれやれ。たすく君は売却済みかい?」

 まさぎは鋭かった。

「……そんなんじゃ……」

 はっ――しまった、とたすくは口許を押さえたが遅かったようだ。

 まさぎは、それは楽しそうな笑みを浮かべてたすくを眺めていた。

 想いを寄せる人はいますと白状したようなものではないか。……だが。

(ああ……そうか)

 だけど何も望めないことがわかっているからこのささやかな想いはどこにもいく場所がないのだ。

 とまやに恋する娘たちとは違う。

 ふいにたすくはそれに気ついた。

 身分が違う。立場が違う。生まれた場所が違い過ぎる。

(そりゃ、……ゆのかはかわいいよ。好きだよ。だけど……だからってどうしょうもない……んだよな?)

 まさぎは、何かを思うたすくのようすに気がついたのか、それ以上それについては何も続けなかった。かえって悪かったというように微笑むと、

「次は何を御所望? たすく君」

「え。じゃあ、食後に、ということで――」 

 なにが食後なものか、呆れるほどの皿の山をこしらえておきながら臆面もなく追加注文をしたたすくである。伝票を手に、まさぎは厨房へと戻っていった――と。

 何気なく――本当に何気なく首をめぐらせたとき、それが瞳に飛び込んできた。

 奥まった席で飯卓をかこむ一団。

 覚えがある、あの顔。姿。

 いつか見た都人の楽師たちだ。

 ゆのかのことを考えていたせいか、胸が奇妙な痛みを伴って、とくとくと躍りだした。

 ――都人だ……。

 三人――そして耳をそばだてれば意識的に潜められた声が聞こえた。

 意識を集めると捕らえられる。



「しかし、まぁ。四……いや五日ばかりまえか。『動き』がなくば……見逃すところであった」

「まったくだな。するとこちらはまたしてもしてやられた、ということになるわけさ」

 なにかに感心しているような口振りで、三人が頷き合う。

 なんとはなしに、たすくの耳は、そちらへ傾いていった。窓の外、陽光を返す池を静かに眺めながら。

「我らには、すべきことは命じられておる……しかたあるまい」

「困り者よ」

「まこと困り者よ」

 にやりと笑みを含んだ、どこか揶揄するような歪んだ声。

 かつ、さも不快で仕方がないという響きがそこには潜んでいるようでもある。苛だち、忌々しさといった棘のある感情だ。

 すべきことは命じられておる、と確かに真ん中の痩せた男がそう言った。とすれば楽師が一体何を画策するというのであろう。

 鼻先に漂ってくるのは、きな臭い匂いで、不穏だな、とたすくは眉を寄せた。

 せっかくの新しい濃耕の季節を迎える大巫の祭りだというのに、穢されてはたまらない。

 飯卓に肘をついて考えてみる。

 なにやら聞いてはいけないないようを聞いているような気がしてきた。そう思わせる、嫌な空気が都人たちの間に漂っているのだ。けれども――耳に流れ込んでくるものは仕方がないし……。

「それで。やはり始末は……つけるのか」

「……ためらうか?」

(始末って……なんか、物騒だな)

 思わず振り向きかけて、首をめぐらせかけて、そこにいたのは湯気を立てる盆をもったまさぎだった。

 ぎょっとして、身を引く。

「どうかしたかね?」

 たすくは浮かせかけた腰を落として、慌てて首を振った。

「なっ……なんでも」

 そう。ためらうか、とか、始末とか。

 なにか、冗談でいったのかもしれないし。早合点ということもある。

 よくわからない。

 聞かなかったことにしよう。

 そうしよう。他人にはそれぞれ事情というものがある。

 そういうものをないがしろにすると、どういうことになるのか、たすくはよく知っていたから。躰で。

 あたたかい食後茶が置かれる。

「まさぎさんには感謝してますよ」

「まぁまぁ。いうことだけはいうよ」

 ははは、と力なくたすくは笑った。



「あれから三年を数えるか……。姫もてこずらせてくれたもの、だ」

 ――三年。

 その言葉はたすくの耳元をかすめていっただけだった。





      3


 緋。

 鮮赤の帳。

 ひびの入った夕焼けに、膨れた姿を滲ませながら、邑の向こうの海原へ、水平線へ、陽が沈んでゆく。

 宮の中は儀式然として、冷えた宵の空気がが漂っていた。人々にとってそれが開放的な享楽の祭りであっても、信仰の要たる『宮』においてはやはり厳粛な宗教事であった。精進潔斎を済ませた祭式官たちが祈祷の準備や、今夜の舞台の準備を整えている最中である。

 明日の昼には、巫女が神女から託宣を賜る儀式もある。

 祭りのために衣装を整えた歌姫と舞姫の一団が、渡殿を通り過ぎていった。今日のこの栄えある舞台に立てる選ばれた乙女たちだ。

 そして、彼女たちのための楽を奏でる楽師たちはというと、茜の空が見える露台で楽器の調律に勤しんでいる。

 数にして、十数人ほどであろうか。幾つかの楽団である。

 その中に美しい海原の色の瞳の都人があった。彼らは、少しばかり離れたところで声をひそめつつ、慣れた手つきで弦を張り直す。

「都を捨てるとはまた思い切ったことをしたものよ。姫も浅はかな……」

 昼にたすくが目にした青年だ。

 すると鼓を手にしていた厳つい男の方が、きつい目を上げた。

「処分は処分。所詮は小娘だったということだ。いくら賢しげでもな」

 吐いて捨てる。やや痩せすぎのきらいのある青年が、口を慎め、と苦笑を浮かべた。

「都でも普通の娘であったなら、これほど執拗に追っ手はかけられまいに」

「姫は己の立場をわかっておられなかった。それが小娘だというのだ……」

「姫が都から持ち出したものはあまりに大きい。……必ず息の根を止めなくてはならぬぞ」

 ぽつり、ぽつり、と。それだけだった。青い瞳はとても冷めて沈み、夜を映して深く澱んでいた。

 ただ、深く澱んでいた。

 その時。

 庭の叢が揺れた。駆け上がってゆくのは夜目にも白い翼。

「鳥――?」

「ふん」

 渡殿の向こうの本堂のから、支度が済みましたらこちらへ、と呼びかける声があって、三人は話を切り上げ楽器を携えて立ち上がった。

 そっと彼らのうちのひとりが、賢明に弦を張っていた楽器を取り上げた。

 びん、と――しかしそれが奏でるものは雅やかな楽の音色などではなく。



 彼が楽器とともに何気なく小脇に抱えたものは、弓と、黒い鳥の羽で拵えた一本の矢であった。





    4


 楽師たちが調律をしていた露台の下の草むらに、二つの人影がひそんでいた。

「気づかれなかったようだ。大丈夫かい?」

「平気、です。……とまや様」

 背の高い草に埋もれていたゆのかは、蒼白な顔を上げた。

 白くなるほど、両の拳を握り締めて、草の影で露台の下層を支える柱によりかかるようにしていた。あたりはすでに、宵闇に飲み込まれつつあった。

 渡殿の西は宮の別棟にあたり、宮司や巫女、それに寮生たちが寝泊まりしており、さらに今日は舞姫や歌姫たち、それに楽師団の控えの間となっていることもあって、祭りとはいえ明りは灯らない。

 対する本堂へ向かう廊下には、鉄籠に入れられた火が、闇の中に浮かび上がっていた。

 ぱさ――ぱさぱさ。

「ゆのか――ああ、ゆのかっ!」

 振り仰ぐ。

 ひとまわりして戻ってきた有翼の小人は、悲鳴をあげて少女の掌に飛び込んだ。

「怖かったよ!」

「華乃由……ごめんなさい……」

「こんなことって……! ゆのか。ねぇ、一晩身を隠して。それから逃げようよ! もう駄目だよ!

 追っ手が。ねぇ、ゆのかっ!」

 翼羽はまくしてたてた。覚悟の上のことだったはずだ。都からの逃亡を企てた――三年前の、あの日から。

 なにもかもが、ゆのかの中で砕けた日、『都』の『姫』ではいられなくなった。そこから逃げ出さずにはいられなかった。

 それは裏切りであり、反逆だ。追っ手がくる。刺客がくる。無事では済まないだろう。

 そうと知っていて、ゆのかは逃げた。

『姫』などという空々しい称号は叩き返した。反旗を翻すことだとわかっていた。

「でも。……たすくと、約束が」

「ゆのか。あの子には私がいっておく。すべて説明しておくよ」

「ゆのかほっときなよっ、あんなの! こっちは命が賭かって――!」

 とまやの手を振り払う。ゆのかは、胸を突く悲しい瞳で翼羽を見た。紅い唇が紡いだのは、消え入りそうに淋しい淋しい声だった。

「……あの子が……きらいなの?」

「ゆのか……」

 それ以上は続けられずに翼羽は口を噤んだ。

「遅かれ早かれこうなることは覚悟していました。ただ……とまや様。たすくを危険な目に遭わせることはしません。お許しください」

 ゆのかの悲壮な覚悟は幼くて、だからこそとまやは厳しく糾す。

「私は君達二人が心配なのだよ。たすくのことだけではない。君も」

「申し訳……ありません」

 私にはもう限界だったのです、と大人びたまなざしで少女が告白する。果たしてその、儚く薄い微笑みを見せられたとまやはというと、ため息をついて頷くしかなかった。

 翼羽がむくれている。

「……行きなさい。たすくのことは案じてくれなくてもいい。あの子は、強い」

「申し訳ありません、導師――とまや様」

 ゆのかは小さく頭を下げ、握り拳をほどいて、鉄籠の明りが連なる方へ夜陰に紛れるように駆け出していった。翼羽の姿はすでに無かった。

 唐突の来訪者だった。

 とまやは俯いて頭を抱えた。

 なぜかはわかっている。ゆのかが、長い間ずっと押え込んでいた『力』を自分で使ってしまったからだ。同じ『質』の『力』をもつ都人同士は、その『力』の発顕を感知し合えるという――。

 ゆのかがどこか不思議な娘だということぐらい誰でも知っていたことだけれど――何ということだろう。

 三年前、傷だらけの少女を助けたことがとまやとの出逢いだった。思えばその馴れ初めはたすくを拾ったときとよく似ている。

 あれは、たすくもやっとひとりで商人として稼げる術を身につけた頃だったろうか。

 空は晴れていただろうと記憶している。

 ゆのかという少女と初めて遭った。

 邑の入り口で、一体何があったのか少女はぼろぼろだった。少女は事情を話そう、とはしなかったのだけれど、『力』を携えた『都』の人だった。『宮』に居を与えたのは、とまやだ。少女は医学の心得があるのかやがてすぐに医師を始め……そして薬師のたすくと会うことになったのだ。

 いつからゆのかがたすくに惹かれていったのかはわからない。けれど、こんなふうに。

 少女が自らの手で、訣別を刻まなければならないほどの思慕に育っていたとは。

 ――君は、どう思う。……たすく。

 実際、たすくの傷は深かったのだろう。放っておけば熱も出たし腐りもしたのだろう。

 ゆのかはたぶん、心で暖めるだけではもう堪え切れないほどになってしまった想いを優しい癒しの『力』にして、かわりにこの邑での生活を壊すことにしたのだ。

 たすくへの想いを断ち切るためにはそれしかなかったのだろう。

 少女は、一途な恋に生きられる身の上ではなかった。誰かを苦しいほど想うことは、自分にとっても相手にとっても危険な命取りであることを、重い枷でしかないことを、わきまえていたからこその選択だ。

 無事でいてくれればいい。

(明日、夜が明ければ逃げ出す機会はある。手助けもしてやれるのだが……)

 むざと殺させたりは、しない。

 とん、とひとつ、朱の剥げかかった柱に拳をぶつけてから、とまやも本堂へと歩き出した。

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