第14話 爛々と燃えては灰墨さえも残らず


 例えるなら炎のような女だ。


***


 将棋の駒の、そのほとんどが苦手にしてることがある。


 後ろに下がる事だ、、、、、、、、


 歩、香、桂は一切後退できず、銀、金共に『下がれないマス』がある。大駒が成るには少なくとも前線に上がる必要があり、無条件に後方三マスすべてに下がれるのは王将だけだ。将棋ってのは、『前に攻める』『後ろを守る』と比べて『後ろを攻める』という選択肢が非常に限られている。


 で、あるから。


 敵の陣地に自分の王将を奥深く貫徹させる。


 これもまた、多くの戦術の中で充分有力な、守りの手段になりうる。


「『パチィエ』……」


 アルフォンシーヌの眼前。こちらから見て最奥の段まで入り込んだ俺の王将を見て、クソタコがうめいた。


 日本語で『入玉』と言われるこの状況。


 日本のプロ将棋ですら、互いに入玉すれば指しなおしすら認められる、詰ませがたい状況。


 何度も押し入る俺の王を押しとどめようとしながら、ついにはこのありさまに至って。最初、なによりも認めがたい表情をしていたのは、アルフォンシーヌだった。


「……いうだけのことはあるじゃないか」


 両手で絞られた溝鼠みたいな声で、そう言うのがやっと。


「フ、フフ。この、この状況で、『パチィエ』――。フ、フハ、ハッ。貴様も、よくよく……。いや、それとも知らないのか……」

「……ああ?」

「お前の国でどういうのか――。この、わが国の言葉で、『パチィエ』というのはな……。フッ、ククッ……、意味は、『争っていない状態和平』と、なる」

「…………」


 なに笑ってんだこいつ。


「――いいだろう! この私の攻めをこれほどまでにかいくぐり、そこまでして『和平パチィエ』を求めるなら私の度量が試されるというものだ! この勝負! 分け、、ということであずかろうじゃないか!」


 なんというのか、憑き物が落ちた、というのか。


 目ん玉の上に一枚ガラスでも貼ったみてぇに、眦の奥から炎を消して。アルフォンシーヌは、両手を広げてそう宣言した。


「『37手』を解いたというから、てっきり攻めと寄せにこそ自信のある指し手かと思っていたが、なかなかどうして、奇妙ながら粘りのある受けだ。力強くさえある。良いショーギだった。異国の棋風というのは面白い。いやいや、よく考えれば貴君は辻で海千山千の相手をなぎ倒しているのだ。終盤力だけではそうはいくまい。そもからして序盤力にこそ目を見張るべきなのかもしれないな。『マスケラ矢倉』の足運びなどちょっとした指南役のようだ。いや、そう考えると序盤の駒組から中盤の受けの妙は目の当たりにしたし、そして終盤の寄せにも実績ありとなるな。何ともはや、貴君全く隙がないではないか! うむ。貴君の身の振りに今後口は挟まないが、これからもぜひ相手してもらいたいものだな。どうだろう。この後食事でもしつつ感想戦をして、その後は一献まじえつつ気楽にもう一局……」





「何言ってんのお前」




 いや、ほんと。


「……は?」

「え? 投げんの? 投了? お前の負けでいいんか? は?」

「いや、投了はしないが……。引き分けにしよう、と言っているんだ。通じてないのか? ここからどう動くでもなし……」

「なんで?」


 文化の違いか?


「なんで、勝てる将棋、、、、、を譲ってやらなきゃなんねぇんだよ。ザコ」

「――――ッ!?」


 カァアアアアッ、と。


 アルフォンシーヌの面が、真っ赤に燃え上がった。


「はよ指せや。ぶち殺してやるから」



***



 例えるなら、炎のような女だ。


「お前さ、お前――」


 そこからさらに数十手。


 今、俺の陣の最奥。一の段まで追い回された、、、、、、、アルフォンシーヌの玉将は、一歩も動けず詰んでいた。


 吹き上がり怒り狂い、攻め込み、突っかかり。


 それをことごとく手玉に取られたあげく、くるくる回されて、曲芸みたいな負け方を晒して。


「弱い、わ」


 ごうごう燃えて、勝手に尽きて、ふぅと吹かれて消えるだけ。


 炎のような。


 何に怒ってるのか知らないが。恐ろしい程に、将棋に向かない女。


 それが、アルフォンシーヌと指した、俺の感想だった。

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