第3話

 小学校六年生の頃、修学旅行から帰ってきた僕は家に帰って愕然とした。

 久しぶりに帰った家の匂いに安心した束の間、僕はある違和感を感じていた。そして、その違和感の正体に気が付くのにそう時間は掛からなかった。なぜなら玄関に置いてあった筈の使い古したバットとグローブ、自室にあった学習机。家財道具から何から何まで、全て無くなっていたのだ。


 父は詐欺会社を経営していた。その事を知ったのは後に叔父の家で暮らすようになってからだが、当時の僕は父のことを大きな企業の社長ということしか知らなかった。色々と教わっていたが、まさか詐欺の技なんて誰が思おうか。それが起因して一家離散したということを警察が喋っているのを聞いた時は、何も分からず、また世間も知らず、そのまま叔父の家に引き取られた。叔父は結婚したものの、子宝に恵まれず子どもがいなかったため、実の息子の様に可愛がられていた。優しく接し、決して怒ったり等しない温厚な夫婦だ。


 でも僕は、今まで一度たりとも馴染めていたことがない。むしろその腫れ物扱いみたいな優しさを余所余所しく思い、自分から離れていった。家に居場所がなく、ならば学校はというとそれもまた酷いものだった。人の噂も七十五日と言うが、人の先入観はまた別。転入先の学校でも詐欺師の息子というレッテルを貼られた僕に待っていたのは、陰湿なイジメだ。酷い時は何もやっていないのにペテン師と言われる始末だ。人と関わるのが億劫になっていった。


 仙道や向日のお陰で今では多少緩和したものの、それでも家は居心地が悪い。

 去年までは夏休みの様な長期休暇も含め土日はバイトを入れていた。少しでも家にいる時間を減らし、高校を卒業したら独立するだけの資金を貯めていたが、今年は受験を控えているため図書室へ足を運んでいた。

 僕が通っている岬原高校では、夏休みの期間も学校を開放している。家では何かと誘惑するものがあり受験勉強に専念できないからと教師陣が図書室に待機し、分からないところがあれば教えてもらえる。夏休み初日である今日は、それにかこつけて生徒達がひしめき合っていた。

 僕もご多分に漏れず、奥のテーブルで机に齧りついている。

 ただ、今日は参考書は開いていない。開いているのはメモ帳だけ。

 そこには『計画書』の三文字だけ書かれており、以下は空白になっている。


「図書室なら涼しいと言ったのは誰だ?」


「……まるで、私の所為みたい」


「まるでじゃなく、そうなんだよ薬師寺」


「……この辺じゃ、時間が潰せる所なんてここくらいでしょ?」


 片田舎であるここ岬原町には、喫茶店なんて便利な店や娯楽施設だってほとんど無い。中高生は皆、遊びに行くなら電車を乗り継いで一時間程先にある篠森市へ行くのが常識だ。

 取引をした手前、こうして薬師寺と集まって今後について話しているが中々話が進まない。

 薬師寺はその役目は僕だと言外に言うかのように、読書に耽っている。参考書も開かず読んでいるのは哲学書。この時期に勉強しなくてもいいのかと他人事ではない事を僕は考えるが、彼女は成績優秀だ。テスト結果が張り出されれば上位十位に入っているのだから、今更勉強など不要なのだろう。


「そうだけどさ……」


 周囲の鋭い視線が、僕達に注がれる。

 ただでさえ目立つ薬師寺が誰かと居るのだ。自然と視線が集まるのも頷ける。そうでなくとも、真剣に勉強をしている中で呑気な会話を繰り広げていれば咳払いの一つでもしたくなる。


 僕自身も勉強道具を開いていないわけで、こうも居心地が悪いと思考が働かない。薬師寺のため、なんて恩着せがましい事は言わないがせめて何かしらアイデアを出して欲しいものだ。

 僕は僕で薬師寺と交流があったのは図書室でのみだった。元々本を読む習慣はあまり無かった僕だが、薬師寺に会うために本を読む様になったわけで、趣味を共有するというのは仲を深める一つの条件だろう。それならばと僕は思い切って薬師寺に仙道の趣味を提案した。


「そうだ薬師寺、天体観測に興味ないか?」


「……天体観測?」


「ああ。仙道の趣味なんだよ」


 相手の趣味趣向に合わせれば、自然と関係は増えていく。僕がそうだったように、薬師寺も仙道と同様の趣味を持てるようになれば、平行線を辿る現状を打破できるだろう。

 仙道は僕でさえ見上げるほどの体躯で肌も日焼けしており体育会系と思われやすい。

 だが晴れた夜には星の見える丘まで行って天体観測をしている事が多く、野球もやりつつ趣味もこなしていた。それに何度か付き合わされ望遠鏡の操作を覚えたのは記憶に新しい。


「……そう」


「今まで相手の趣味に合わせたことなんて無いだろ? 興味があるならちょっと調べて、仙道を誘うとかどうか、な?」


 言い終えるかどうかの辺りで、薬師寺はページを捲る手を止め顔をしかめた。

 地雷でも踏んでしまっただろうか。彼女は普段気にも留めない様子なので望んで一人でいると思っていた。もしかしたら薬師寺本人は気にしていたのかもしれない。


「悪い。あんまり気分の良い話じゃなかったな」


「……別に、そのことは事実なのだから気にはしてない。ただ天体観測が嫌いなだけ」


「嫌い? したことがあるのか?」


「……あまり良いものじゃないでしょ? 星を見ても、何も感慨に打たれないもの」


「ごもっともで」


 付き合わされた身である僕にとってもあまり有意義な時間ではなかった。仙道が喜々として天体観測をしているのは、言っては何だが理解できない。


「他にはないの?」


「他……というと、少し泥臭くなるけどいいか?」

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宛名のない手紙 百日紅 @apeslip

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