インターリュード1
「コージロー、どしたんだろね?」
「忘れ物って言ってただろう。口じゃなくて手を動かせ、向日」
幸司郎が忘れ物をしたと言って、かれこれ三〇分。俺と向日は既に家で勉強を始めていた。
座卓の上には参考書とノートだけ広げられ、勉強できる状態になっている。野球をやっている分、勉強時間が少ない俺は既に集中してノートにペンを走らせていた。
……だと言うのに、向日ときたら。
先程から手を動かさず、時計と参考書を交互に見ては幸司郎はまだかなと、ソワソワとしている。幸司郎が居れば向日の手綱も握れるかと思っていたが、これでは勉強どころではない。
「……コージローと、最近遊んでないなぁ」
「遊んでってお前な――」
ノートへ落としていた視線を上げると、向日がシャープペンシルを折らんばかりに力を込めて握っていた。皺だらけになったノートには酷く醜い字で一言『コージロー』と書いてある。
また、これだ。
時々、こうやって向日は半狂乱に陥る。それはここ二年、幸司郎や向日と関わる様になってからずっとだった。これは向日のストレス発散だという事も、知っている。
向日は幸司郎が居ない時、つまりは俺や他の人と居る時はずっと幸司郎の話をしていた。幸司郎がなんだの、幸司郎はあれだの。幸司郎の事を語らせれば、一日だけでは足らない程だ。
それだけ幸司郎の事が好きだという事も、知っている。
出来ることなら、俺は幸司郎と向日との関係を崩したくはない。だがいつか、向日が押さえきれなくなって、もしもの事があれば俺はどうするだろう。
「ねぇ、仙ちゃん。お願い、していいかな?」
「……なんだ? その代わり、勉強しろよ」
向日は無表情のまま、俺へ視線をくれる。こんな向日を見るのは慣れているが、お願いされることは初めてだった。勉強をしろと言ったのに、文句も言わず分かったと冷たく言う向日に、俺は優しく微笑み返した。
「私と、付き合ってるフリをして欲しいの」
「付き合ってる……フリ?」
向日は一転して笑顔になるが、俺は逆に険しい表情になっていた。
あまりにも突拍子も無い提案で上手く要領を得ていない俺に、向日は続ける。
「ほら、もうすぐ夏休みでしょ? 少しは遊ぶ時間もあるから、私が仙ちゃんの事気になってるって言ったら、きっとコージローも焦って振り向いてくれるかも! ね? どうかな?」
「……それは、分かったが。でも、なんで俺と付き合ってるフリをするんだ?」
向日の説明では俺と向日が付き合っているフリをする理由は見当たらない。むしろ、向日が積極的に動くだけで事足りる筈だ。
「うーんとね、悪い虫、追っ払わないと」
「悪い虫?」
「ほら、夏休み近いでしょ? だから、虫が寄ってくるんだよ。そう悪い虫、えへへ。あいつさえいなければ、コージローもきっと、きっと私を見てくれるよね? そうだよぉ、気付くの遅いなぁ私」
向日はトリップした様に自分の世界へと入り込んでいく。それをなんとか落ち着かせるため、俺は向日の頭を撫でながら承諾した。
「分かった、向日。夏休みは花火大会もあるからな。皆で行こう」
「……ホント? わぁい、ありがと仙ちゃん。大好きだよ!」
それが、友達としてという事も、知っている。
その好きが違うベクトルになる事はないのだと、俺は心の中で自分を諭した。
ふと視線の脇に埃をかぶった黒いショルダーバッグが目についた。ずっと使うことがなく、かと言って捨てるのも勿体無いからと部屋のオブジェと化したバッグ。
……あれから、もう一年も経つのか。
忘れるなと語る様に右腕が痛み、俺はペンを落とした。
「わっ、大丈夫?」
「あ、ああ。大丈夫だ、発作みたいなものだ」
心配する向日に答えつつ、俺はペンを握り再び勉強に戻る。だが、今日はもう勉強する気分にはならないなと、俺は走らせようとしたペンを置き勉強を始めた向日を見る。
俺が犠牲になれば、この笑顔も、今の関係も守れるのだ。幸司郎と向日が今よりもっと仲良くなっても、そこに俺が居て、また三人で遊べるのなら構わないと腹を括った。
俺が向日を好きな気持ちを押し殺せば、この関係が続くと知ってしまったから。
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