第23話 intermission Ⅱ・8月3日




 暑い毎日が続いている。

 暁水月は、病院の精神科医局員室で小さく欠伸をした。

 患者の症例についての資料をあたっていて、すっかり遅くなってしまった。

 医局員室に他の医師の姿はなく、暗い部屋の中で水月のデスクのスタンドだけが明かりを点している。

 精神医学の希少症例を扱った専門書を閉じて、水月は軽く頭を振った。目頭を押さえて嘆息。

 ――もうすこし違った資料が欲しいわね。

 いま、水月が症例をあたっている担当患者は、交通事故に起因するPTSDだった。

 ――そうだわ……。

 院長室に、別の専門書があったかもしれない。

 水月は思い、席を立った。


      ☆


 院長――暁圭吾は、水月の父である。圭吾は、精神科の医師であったがもう随分前に医療の最前線からは現役を引退し、現在は院長としてもっぱら病院の経営などに精を出してた。

 そういえば、父が現役を退いたのも、あの事件と前後する時期だったろうか、と水月は思った。

 そのころ自分はまだ高校生だったから、病院の人事がどういう状態だったかなど、良くはわからない。さらにいえばそのころ水月は、暁の家ではひどく肩身の狭い思いをしていて、その居所の無さだけが感覚として思い出に残っている。

 水月は、暁家の正妻の娘ではなかった。

 父の、妾腹だったのだ。

 生まれてすぐに認知され、嫡出子として暁家に迎え入れられていたが、水月を育ててくれた『母』というひとの態度はどこか冷たく――侮蔑のようなものががそのはしはしに感じられ、当時の水月の心には傷が残った。

 今となってはそんなことはどうでもいいのだが――否、どうでもよくはないのかもしれない。生い立ちの影響もあって水月は性的モラルに決定的な欠陥をもっており――腹違いとはいえたったひとりの妹はそんな姉の在り方に強い拒絶と嫌悪を示しているのだから。

 できることなら彼女とは何とか上手くやっていきたいと、願っている。

 父、母、継母、それぞれには特に感慨はない。それぞれがそれぞれに自由に恋をして、やりたいことを、大人の責任のもとに、やった結果、自分が産まれたまでだ。

 それをどうこういう権利は、水月には無い。

 何不自由なく、育ててもらった。それで充分だ――親の責任なんてものは。

 自分が精神科の医師になったのも、別段父のあとを継ごうとか、そう言った意味合いがあるわけでは無かった。自分の気持の赴くままに、水月は自分の将来を決めたまでだ。

 人によっては、それは違うというかもしれないが、水月自身は、そう思っている。

 少なくとも、今、この時点では。

 ただ、緋月の存在は、水月にとって特別だった。妾腹の水月が、暁の家を訪れることは時折しかなかったが、それでもお互い近しいものであることは感じていて、友達とも姉妹ともつかず、ただ会えるのが楽しみだった子供のころ。

あのころは緋月もまだ幼くて、水月と自分の関係が世間的に、道徳的に、どういったものか理解していなかった。

 できるなら、あのころのような関係に戻りたい、と思う時がある。

 水月は暁家自体を快くは思っていなかったが、義妹――緋月のことは好きだったのだ。たとえそれがいまは一方的な思いでしかなくても、水月は異母妹を大切な家族と思っている。

 医師になると同時に家を出て一人暮らしを始めたが、妹のことは何時でも心配だ。

 まっすぐで強く綺麗な心は時に折れやすく傷つきやすいものだから。

 

      ☆


 照明の落ちた廊下を歩いてエレベーターを経由し、最上階にある院長室の前までくると水月は少し肩を落とした。

 病院内でのIDカードを、院長室の扉に設置されたスロットに差し込んだ。

 院長室の扉を開閉できるIDを所持する者は防犯などの都合上、一部の医師等に限られている。

 水月は、病院内でその地位にあるわけではないが、父と専門を同じくする都合上、院長室への立ち入りを許可されていた。

 院長室は実質上、父の執務室兼書斎で、医学的な資料があったからだ。

 両開きの扉を開くと、自動的に室内の照明が灯った。

 二十畳ほどの広さの室内には、左手に書棚、右手に応接スペース、正面奥に院長のデスクがあった。水月は、その部屋の書棚へと向かう。

 父は、ここに自分の個人的な専門書の多くを置いているのだ。

 書棚の硝子扉を開け閉めしながら、目的の症例についての記載があると思われる本を手に取っては、ぱらぱらと捲った。父・圭吾は医学博士の号を持ち、学者肌なところがあった。そのせいかさすがと思える専門書の数である。単なる臨床にとどまらず、哲学書、犯罪心理学についての書物、脳医学、様々な分野へ書物の種類は拡張している。

 水月は、呆れるほどの本の数に嘆息しながら、しばらくその作業を続けた。

 その時である。

 足許の引き戸に鍵が掛かっているらしいことに気がついたのは。

 不審に思って、少しがたがたとやってみたが、間違いなく、その戸棚だけが施錠されていた。

 しかもここだけ硝子扉ではなく、木戸で中がわからない。

「……なに? これ?」

 水月はぽそりと呟いていた。

 なんということはないのだろうがそれが無性に気になった。

 どこかに鍵があるだろう――ふとそう思った。

 水月の足は、執務机に向く。

 そして上から、引出を開けてゆく。引出の中には、ペン類や簡単な書類、ファイルなどが、きちんと整理されて入っていた。

 いちばん上。

 二番目。

 三番目。

 そして――最後に一番下の粋出しをあけた時。

 その奥に小さな黒い木箱があらわれた。水月はそれを、手に取ってそっと開く。



 そこには、――リングに束ねられた鍵があった。

 


 鍵の数は七つ。

 それを、持ち出して、ひとつひとつ、試す。すると、五つ目の鍵で、カチリと音を立ててカギ穴が回転した。

「……」

 ガラガラと木の引戸を、開ける。

 そこにあったのは、いくつかの本と、ビデオテープ、らしきもの。



 手に取って、ラベルと見る。

 そこにはタイピングされたアルファベットのイニシャルらしきものが記されている。

 ――Y・S

「Y……S……?」

 ビデオテープは4、50本はあろうかという量だった。ナンバリングもされている。日付もかき加えられている。

 本のタイトルも見た。

 ――多重人格の症例。

 ――解離性同一性障害。

 ――記憶と忘却。

 ――海外におけるカウンセリング実例。

 ――向精神薬。

 ――催眠術。

 そんなようなものがやはり7、80冊ほどはあるだろうか。本格的な学術書も在れば、怪しげな啓発系とも思われる本まで。しかも感じが、やや古い。

「……これ……は?」

 水月は、しげしげとビデオテープを見つめた。そのラベルを。

 本とラベルを照らし合わせて鑑みるにこれは――。

「……誰かの診療記録……?」

 眉間に皺を寄せて、ひとり呟く。

「多重人格患者を……診察していたということ……?」

 とすればそれはおそらく精神科医現役時代のことに違いない。

 ――……いつの話!?

 ラベルの日付を注視する。

 西暦で記された日付は、10年前――。

 一番最初のものは、4月10日だ。

「4月……10日……。……Y……S……?」

 すぐに自分の記憶の中のある部分とそれが重なり合って、ぞっとした。

 Y・Sが、イニシャルだとすれば、嫌な附合を感じてしまうが――これは気のせいなのか?

 いや、気のせいだと思いたかったのかもしれない。

 だが――。

 水月はその場に跪いたまま、軽く唇を噛んだ。

 どちらにしても再生してみればはっきりする。

 しかし、ビデオテープを持ち出すことはさすがにためらわれた。

 ここに自分がいたことは、セキュリティのシステムに記録されている。それに、こんな風に封印してあった資料であることから推測するに、これは隠してあったというべきなのだ。父が、人に見せる訳にはいかないと思い、かつ処分できずにいる、物。

 ――どうする?


      ☆


 一週間後、  夜、水月は再び院長室にいた。

 結局、自前でビデオテープ再生機能付のテレビを調達して、それを院長室にこっそり持ち込むことにしたのだ。小型のテレビだから、かさばらないし、水月ひとりでもこの程度の物を持ち運ぶことは難しくなかった。

 それを持ち込んだ水月は、応接用のテーブルの上に設置し、再び先日と同じように書棚からビデオテープを取り出した。そして、万一に備えて方耳だけのイヤホンをセットした。これで音が部屋の外に漏れる心配はないし、同時に別の耳で人の気配を察知できる。

 水月は自分でも、かなりの緊張状態にあることを自覚していた。

 父が、一体何をしていたというのか。

 何を隠しているというのか。

 このビデオテープに記録されている物が何なのか。

 しかし、自分のしていることは――医師としての父と、このテープに記録されている患者のプライバシーを侵害することに他ならない。正当なことではない。

 自分は、開けてはいけない扉を、開けようとしているのではないだろうか。

開けない方がいいのではないだろうか。これは知ってはいけないことなのではないだろうか。

 そう思う一方で、この秘密は暴かなくてはいけないもののような気もしていた。様々な逡巡が胸を廻り、背中を冷や汗が流れる。

 水月は、自分を落ち着けるように、小さく深呼吸すると、指で、ビデオテープの背を押した――。


 

 画面には、寝台に横たわる幼い子供。

 水月のイヤホンからは、父の、声がしていた。

 その画面の中の子供に向かって、呼び掛けているようだ。

 子供は、意識を失っているように見えた。その頭上には明るい――明るすぎるライトがあって、それが子供の真っ白い顔を照らしだしている。

 次の瞬間、子供が目を開いた。眩しくないのか、凝然と目を開いたままで、言う。

 あどけないさかりの年頃とみえた子供の口からこぼれた言葉に、水月は驚いた。

 ――『うるッせえなあ。……なんだよ、あんた?』

 それは咄嗟に耳を疑うような――子供とは思えないような低い、乱暴な口調だった。

 ――『それはおれの名前じゃねえんだっつってんだろうが。うるせえよ』

 ――『それじゃあ、君の名前はなんていうのかな?』

 ――『知らねえ』

 ――『じゃあ君のことはなんて呼べばいいかな?』

 ――『知らねえよ。好きにしろよ』

 それは最初の診療のようだった。

 テープには、父と、その子供のそんなやり取りがずっと記録されていた。水月は、それを順番に見ていった。たわいない質問、いろいろな――精神鑑定などの時に行われるようなテスト、なんということはない会話。だが、特筆すべきことがひとつだけあった。子供の様子が、日や時間によって著しく変化したことだ。

 ――『ねえ、お母様は?』

 頼りない、子供らしい声で、そう訴えるときもあった。

 ――『父様は?』

 ――『君が、いい子にしていたら、もうすぐあえるよ。でも、まだ治療の途中だから、もう少し我慢しようね?』

 ――『僕、悪いことしてないよ? ねえお母様とお父様はどこにいるの?』 

 ――『おうちにいるよ』

 ――『おうちに帰りたいよ。どうして駄目なの? 僕、どこが病気なの? 何処も痛くないし、具合も悪くないんだけどなあ』

 あるときは幼く拙い声で、泣きそうになりながら、子供は必死に訴えていた。

 ――『ぼく、約束したんだ。ねえ、あの子にあわせて』

 ――『約束って、なにかな?』

 ――『教えられないよ。だって、僕とあの子との秘密の約束だもん』

 ――『それは困ったなあ。先生、その約束のこと、知りたいなあ』

 ――『だめだよ。ねえ、会わせて。父様、母様はどこ? あの子はどこ? ねえ、いつ会える? いつまで、ぼくはここにいるの』

 察するに、この子供は面会謝絶の状態で入院させられていたのだろう。

 遠い過去の記録だと、わかっていても、見ている水月の方が切なくなるほど、せがむ子供の様子は必死だ。

 けれど――またあるときは、その子供が、とりつくしまもない口調で相手のすべてを拒絶するように喋るときもあった。

 ――『あの日のことは覚えているかな?』

 ――『ふん。おぼえちゃいるがそれがどうした? てめえにはかかわりねえだろうがよ』

 ――『話してくれないかな。教えてくれる?』

 ――『冗談じゃねえ。どこにそんな義理がある? ふざけんのも大概にしてくれねえか。おっさんよ』

 ――『おやおや、手厳しいね』

 ――『うるせえ。消えろ。胸くそわりぃ』

 吐き捨てるその様は、この目で確かに見ているのに、それでも俄かには信じられない光景だった。映像におさめられている子供の唇が、確かに刻んでいる言葉なのだけれど。

 この子供が。

 明らかに十にも満たない子供が、喋っているのか――本当に?

 やりとりは続いた。

 水月は、日付を確認しながら、ところどころ早送りでテープを進めた。そしてビデオテープが10本を数えるころ、暁圭吾の行動にも変化が生じた。水月は、それを目の当たりにしてさらに愕然とすることになった。

 薬の投与が始まった。日付は5月になっている。

 最初、水月は首をかしげた。安定剤か何かだと、思ったのだ。だが、様子を注視するにつけて、それが誤りであることに気付いた。投与されたものは向精神薬や催眠誘導剤の類いとわかった。

 そう――子供は、その頃を境に、診療のあいだ、薬によって誘導された催眠状態に常に置かれることになったのだ。

 ――なによ……これ? これが、治療……!?

 水月は、その様を見つめて息を飲んだ。

 十年前の父の姿を見て。

 愕然と、した。食い入るように目をみはる。

 ――何、やってるのよ……父さん!?

 最初の頃の様子は、患者の症状の確認であることは間違いなかった。

 そして、子供の極端な二面性から、乖離性同一性障害が疑われていたのであろうことは理解できた。そして記録の様子をみるに、患者がいわゆる多重人格状態にあることは間違いなさそうだった。水月の目から見てそれは確かなことだ。

 乖離性同一性障害を扱う場合――普通は症状が特定されたらそれにふさわしい治療段階に入る。カウンセリングをして、心の傷を探し出し、それを克服する手助けをしてやる。

 だが、画面の中の父が患者であるその子供に対してはじめた処置は、そもそも治療とはかけ離れており、常軌を逸したものだった。

 いや、それよりも、これほど大量の劇薬を、薬局の許可なく使えるのか?

 ひとりの患者、それも子供に対して用いるものとしては絶対に変だし、そもそも症状と薬種が全然一致していない。

 ――『つらいことがあったね? 覚えているかい?』

 ――『ううん。よくわからない』

 ――『そうかい。いまは、どんな気分かな?』

 ――『ねむいよ。でもね、なんだか気持いいんだ……』

 ――『休んでいいんだよ?』

 ――『うん。でも、それは駄目だよ。だって……あの子が……』

 時間と日にちが経過するにつれ、患者は寝台から起き上がることがなくなっていった。

 定期的に投与される薬。

 薄暗い部屋の全体照明と明るすぎるひとつの光。

 水月は、思った。

 患者は、起き上がれなくなっているのだ。

 信じがたい光景だった。ビデオテープにおさめられた記録が、一日のどれほどを占めているのかわからないが、患者の様子や薬の量からして、この問答が行われていない時間は、患者の意識はないのだろう。鎮静剤や睡眠薬が投与されているに違いない。

 そして強い暗示をかけられ、深い催眠状態にある。

 こんな子供に。

 肉体は健康体であるはずなのに、その四肢の自由を奪い、成長を疎外し、脳にすら傷害を与えかねないほどの投薬を続けるなんて。

 正気の沙汰とも思えない。

 これが医者の仕業だというのか――!?

 ――『先生……腕がいたいよ』

 患者がそう訴えた頃には、さすがも水月も、父の諸行には吐気にも似た嫌悪感を覚えざるを得なかった。

 腕が痛いという子供の両腕、それも肘から上は、注射針や点滴針の打ち過ぎで紫色に腫れ上がっていたのだ。子供は怪我も負っているらしく、ビデオテープの当初から両手に白い包帯を巻いている。その、傷の上から、注射を重ねている。これは、成長しても消えない傷跡として、残るだろう。それほどの注射のあとだった。皮膚は変色し、硬化していた。

 見ていられない。

 長い間、普通に歩くこともしていないため、細った手足がひどく痛々しい。 

 ――『あの子に……あわせてよ……。あの子を、ひとりにしておきたくないんだ……』

 そんなになっても自分のことより誰かのことを気に掛けるその姿が切ない。

 ――『そばにいたいんだ……』

 ――『そう約束、したから?』

 ――『……』

 ――『約束したんだね?』

 ――『……うん……』

 父は、その『約束』という言葉と、患者――いや、もはやこれは被験者だ――が必死に口にする、『誰か』との『約束』に何かこだわっているようだった。

 父は、この子供に一体何をしようと――いや、何をしたのか。

 水月は思案した。

 初めから順を追って、きちんと再生した記録を丁寧に観れば、それははっきりするのだろう。そう思った時、不意に気付いた。

 ――別の人格が現れなくなっている。

 投薬は、別の人格を封じるためなのか?

 問答の途中で、何度か子供が意識を失いそうになって、言葉を失うことがあった。薬の投与が行われるのは、そういうときに限って――なのか?

 すなわち、それは主人格であろうあの、年相応の幼さを見せる子供と、あの大人びた人格が、入れ替わるのを防いでいる――ということを意味する。

 なぜそんなことを?

 少なくとも、これは乖離性同一性障害の適正な治療ではない。だが、それを百歩譲っても、――わからない。父の目的がわからない。

 強烈な薬と催眠を用いて、この子供をどうしようというのだ。

 この子供がこだわる、『あの子』。

 対する父がこだわる、『約束』。

 父は、何をしたのだ? この子に一体、なにを?


      ☆


 すべてのビデオテープが、終わった。

「……」

 画面は砂嵐になり、最後のテープの巻き戻しが始まる。

 水月は、茫然とそれを眺めていた。

 ――なんて、ことなの……。

 十年前、この病院の一角で密かに行われていたことのすべて、その全貌を水月は知った。

 そして、父・暁圭吾が医者であることを辞めたわけも。

 ――なんてことなのよ……!?

 真実を、知りたいと思った。

 知りたいと、知らなくてはならないと、知れば何とかなると、何かできると、思っていた。

 だが。

 ――こんな……。こんなこと。私の手には、……。

 手には負えない。手にあまる。

 水月は、院長室の天井を仰いで目を閉じた。

 瞼の裏には、様々な光景がよぎる。過去、現在、そして未来。

 いま見た、信じたくない映像。

 いま聞いた、胸抉られる声。

 晴れやかな、あの子供の寝顔。

 水月は、握り締めた拳をテーブルに叩き付けた。

 ――なんてことなのよ……!!

 自分の父親が、いま、医師として目の前に立っていたならぶちのめすこともためらわなかったろう。

 ――なんてことを……なんてことをしたのよ……!!



 ――『ぼくねえ。あの子が大好きなんだ。でもね、ぼく、きいてしまったんだ』

 ――『聞いたって、何をだい?』

 ――『父様と母様が、話していたんだ。あの子、僕の妹なんだ』

 ――『そうかい。君は、それについて、どう思った?』

 ――『妹、とは、いつかお別れしなきゃいけないんだよ。でも、そんなの、嫌なんだ』

 ――『とても好きなんだね? その子のことが?』

 ――『うん。いつかお別れしてもいい、好き、じゃないんだよ。だってね。ぼく、ずっとね、一緒にいたいんだもん。ずっと一緒にいるってね、約束したんだよ。だから、お別れして、離れ離れになるのは嫌なんだ』

 ――『その子も、約束してくれたのかい?』

 ――『そうだよ。ぼくたち、約束したの。だから、別々じゃ駄目なんだよ。……ねえ、だからあわせてよ?』

 ――『ねえ。じゃあこういうのはどうかな。すごくいい提案だと思うんだけど、君にとっても、その子にとっても』

 ――『……なあに?』

 ――『あのね……』



 水月は俯いた。

 父・圭吾を、人としては尊敬していなかったけれど、医者としては尊敬していた。

 ――信じられない……。一体、どういうつもりでこんなことを……!

 けれど。

 いまの水月は――他に何も、術がなかった。 

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