第22話 intermission Ⅱ・7月30日
これは、勾玉の血に連なる者――皇の巫の物語。
☆
漆黒の髪。漆黒の瞳。
闇色の装束に身を包んだ女が、月の下でうっすらと微笑む。
対峙する男は許しを請うかのように地に跪き、震える声で言い募る。
「お願いです。お許しください環さま! 私にはもう続けていくことができません。妻にもこれ以上の負担を強いることはとてもできない……!」
それは、哀願。
そして、男を見くだす女の目は――冷ややかな、侮蔑にも似た色を浮かべていた。
男は瞼を閉じて想像する。唇を噛んで回想する。
あの少年の、怜悧な横顔を。
この世の存在とも思えぬ、整い過ぎた人形の如き、美貌を。
恐ろしい。
ただひたすらに恐ろしい。
「それは、もう二度と、あそこへは戻らないという意思表示とみてよいのですか?」
ふっと、女が言った。
「も……戻れません。もう戻れない。限界です。これ以上親子のフリなど……あ……愛するフリさえ辛いのです。あれが、ただの子供だということはわかっています。彼らには罪がないことも。でも……しかし……私にはとても……とても『人の子』とは……っ」
「お前は、『皇』の『血』を恐れるのね……」
女が、遠く晴れた夜空を仰いぎ、哀れむ声音で呟く。男はそれには応えなかった。
「……お願いです。どうか。……どうかお許しください、環さま……」
あの――少年の冷たい瞳は、硬い鉱石を思わせた。
色の無い硝子――あるいはそれは溶けない氷。
感情の宿らぬまなざし。
死者の姿を霊視、死者の声を霊聴くという――皇の巫。
「それは生涯、『ここ』へ……お前達が幽閉されるということなのですよ」
「かまいません。元より妻は心を病む身。『ここ』で暮らす方が、きっと彼女も安らぐでしょう。私も……彼女とともに……『ここ』で暮らします」
「お前の存在は、世界から抹消されるのですよ。二度とふたたび、『ここ』から外の世界へは出られない。……よいのですね?」
「いいえ。……それが、それこそが私の願いなのです。そうでもなければ、私はいっそ殺してしまうでしょう。あの子を。いつ私のこの手が……そんな過ちを犯すかと思うと……」
あれは禍々しい存在だ。
この世にあってはいけない存在だ。
彼には、そうとしか思えなかった。
消してしまうべきだ。
そしてそんなふうに強く思う自分を恐ろしいと思ったし、そう思わせる少年が恐ろしかった。
女は――ふっと小さく息を吐いた。何かを諦めたように、淋しく。
「『桜御護の姫御前』の言葉は、何時も正しい。……かの姫は……、『未来を違えることなどたやすい』と、『それが人の力』とおっしゃるけれど……、きっとそれはとても困難なことなのでしょうね……」
それは女の独り言のようだった。だが男は、彼女が言の端にのせた言葉に身を硬くする。
「『姫御前』……が……私のことを……未来占に……!?」
「正確には、『皇』の末を」
『桜御護の姫御前』の占いは、重要な機密事項のはずであった。
だがしかし、女は男を哀れに思ったのか、ぽつりと洩らす。
「……滅ぶと。皇の血の滅びの未来が霊視えると。……この私、『漣 環』を京都に呼び寄せ、おっしゃった。……お前の願いは、やがて滅びの呼び水となるのでしょう」
桜御護の姫御前――それは皇と同じく『勾玉の血脈』を受け継ぐ、神の巫である。皇の血が死者の姿を霊視るように、その血脈には未来を霊視する力が宿るという。
この国には、かように、古き血を承継する巫の一族が幾つか残存していた。
それを、『勾玉の血脈』と、呼ぶ。
そしていま目の前にたたずむ黒衣の女は、この国にあって、それらの血脈をすべからくあまねく見守ることをつとめとする者である。
男には、それ以外のことはわからない。
「ですが、それは致し方ないこと。私の努めは、ただ見守ること。干渉しないこと。そして『勾玉の末裔』の行く先を知ること。……それがお前の真実の願いであれば、拒むことなどできようはずもない……」
女――環は、うそぶいて再び、男を見た。
「十年前、同じように、『勾玉の血脈』『草薙』の一族が途絶え滅んだようにね。それが運命たれば、術などない……」
女の声の言外に、咎める響きを――陰惨な愉悦を聞いたような気がしたのは、男の気のせいだっただろうか。
十年前――あのときのことを思えばいまだに身震いが男を襲った。
思い出したくない。
考えたくもない。
むしろ、あれから十年という時間が過ぎ去ったということが信じられなかった。男の時間と感情は、あの事件のあった日から、凍りついてしまっているのだ。
「お前達の、覚悟ある、最後の願いなら。受け入れましょう。皇和季人」
環の返答に逡巡はなかった。
けれど。
けれどその瞬間。
まったく不意に、なにかしくじった――そんな思いが男を襲った。
急に、背筋が寒くなって、ひやりとしたおぞけが首筋の辺りを撫でていった。
だが、そう――そのときは、それ以外に路がなかったのだ。男には、それ以外に選ぶべき未来がなかった。
少なくとも――男は、そう、信じていた。
☆
「巷の本や雑誌などに見る幾多の『占い』と、わたくしの『未来占』にいかほどの違いがありましょうか?」
桜御護の姫御前――と呼ばれる占姫は、大きな瞳で彼女を見て、そう言った。
彼女は未来を霊視る巫。
「何も違いはありません。『占う』とは所詮そのようなものなのです。……いうなれば警告。警鐘。……この意味がわかりますか?」
ひっそりと夢見るように、未来霊視の姫巫女は――。
「……現在のわたくしには、彼らの破滅の未来が見える。けれどもそれは、幾万もの未来のうちの、たったひとつの可能性に過ぎないのです……。そのような『皇』の先代様の判断が、いかなる未来を呼ぶものかは、……わかりません。……まだ。そして何がこの先に起ころうとしているのかも……」
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