第10話 遠い約束




 坂の上には神社がある。

 黄泉の女神の杜がある。



 祭壇に揺れる焔。

 それは彷徨う魂を導く道標。

 それは想いの残滓を喚ぶ灯。

 揺れる炎は鎮魂の明。

 深紅の桜が咲き乱れ、血飛沫の如く花吹雪舞う、緋赤の社。

 そこは、迷える死者の魂が辿り着く、黄泉の女神を祀る杜。

 ――皇神社。祭神の名は、『佐須良姫』。

 人の罪を背負い、永遠に死の国を彷徨い歩く、放浪の女神の御名である。

 黄泉の女神を一族の祖とし、黄泉の女神の血脈を継ぐと伝わる『皇』の『巫』は、人の眼に見えぬものを見るという。人の耳には聞こえぬ声を聴くという。

 黄泉と現世の境にありて彼の者は、彼岸を離れた魂に、辿るべき道を示すのだ。

 それが皇の神事である。

 そして皇の巫の務めである。

『巫』は、古来よりその不可思議な力を血統に伝える一族より成る。

『皇』を筆頭に、『笄』、『暁』、『陵』、『橘』。

 その名を継ぐ者。

 その血を現代に継ぐ者たち。

 死者の、導きの手――である。


      ☆


 時は四月。

 季節は春。

 境内に狂ったように咲き乱れるのは緋の桜。

 兄妹は、血桜舞い散る境内に立ち、鳥居のむこう、透明な朝の空を見上げていた。

 淡い浅葱色が、静かな水面のように、どこまでも広がっている。

 そのもとにたたずむ少年と少女。

 ふたりは、社の巫だった。

 兄は神主。

 妹は巫女。

 神社の名は、『皇神社』といった。

 春には真紅の桜が咲き乱れ、季節を問わず緋色の花がその境内を彩るがゆえ、神社は『緋の杜』とも呼ばれている。

 それが、兄妹の生まれた家。

 二人は――いまは揃いの制服に身を包んでいる。柔らかい鶯色の制服だ。ふたりが今日から共に通うこととなる、都内私立高校のそれである。



 境内を、まだ幾許か冷たい――凜とした気配を残して吹き抜けてゆく、春の風。



 彼は、妹が好きだった。

 彼女は、兄に恋をした。

 ――これからはじまる悪夢のような毎日に、一体何時まで耐えたら。

 兄が押し殺す血を吐くような危うい想いを、彼女は知らず。

 ――これから続いてゆく救いのない毎日に、一体どうして耐えたら。

 妹が掻き抱く血の滲むような寂しい絶望を、彼は知らない。

 交わることない平行線。

 ひとつにならない螺旋。

 それでもふたりは歩きだす。



 真紅の桜の舞い散る春から――次の季節へ。

 そこに待つのが、破滅でも。

 そこに在るのが、絶望でも。

 互いの心に禁断の想いを隠してふたりは――歩きだす。


      ☆


『僕ねえ。……司のことが、とっても好きだよ』

『うーんと……。わたしも、柚真人のこと、大好き』



『それなら僕たち、おおきくなっても、ずっと一緒にいようね』

『ずっと?』

『そう。ずうっと、ずうっと』

『約束?』

『うん。約束』



『約束する。どんなときも、僕は司の傍にいる』

『約束する。もう絶対に柚真人を独りにしない』


      ☆


 その誓い――何時かの記憶は乱れ舞散る深紅の桜の花びらの、その洪水に埋もれている。

 遠い、遠い、約束。深い眠りについた憶い出。

 それはもはや叶わない宣誓。

 それはもはや届かない願い。

 けれど確かにふたりが交わした約束、だった。

 だからこそ。否、それゆえに。

 彼と彼女の運命は。

 ――螺旋を描いて――廻りはじめる――。

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