第9話 四月の呪い




 ――十年前。狂った男が死んだ。


      ☆


「処分した?」

「はい」

 まだあどけなさの残る、弱冠十六歳の少年が、笑顔のまま――頷いた。

「……殺した、のか?」

「はい」

 顔色一つ、変えるわけではない。少年の背後には、神社の境内が広がっている。まだ冷たい春先の霧雨の中、いかな惨状が広がっているかは対峙する青年にも想像は難くなかった。

 暦は四月を迎えたばかり。境内の桜の蕾も鮮やかにほころびはじめたというのに――それを彩ったのが、何とも生臭い血の惨劇だったとは。

「そう、か」

「……柚真人君が、つらい思いをしましたから。生かしておくことが得策だったとは思えませんでした。後の処理を、頼めますか?」

「なんとかしよう」

 なんとかするほかに道はない。

 おそらく――死体は三つ。

 事件自体を揉み消すことは、とてもできそうになかった。そうなると、死体のうちの誰かを、犯人に仕立てるしか、ない。

「凶器は」

「現場に。神社の御神刀でしたから。あと、『暁』から『医者』を呼んでください。記憶の改ざんをしなくては。それと、事件処理は『陵』と『橘』にお任せしましょう」

「……」

 少年は、何でもないことのようにいう。青年には、若干のためらいがないでもなかったが、現実がそうだと指し示されれば、迷っている暇はなさそうだった。

「……そこにいたのか、柚真人も」

 それは、青年の十二歳年下の弟の名。はたして彼は深く頷き、

「司さんも。見ていたようです、一部始終。……今は、ふたりとも気を失っていますが」

 青年――皇卓史は、言葉を失った。 心に大きな傷を受けたであろう、たいせつな弟妹たちのことを思う。

「なんてこと……。なんてことをしてくれたんだ……。あの、男は……」

 青年――皇卓史は臍を噛んだ。

 対する笄優麻少年は――感情の欠落したような笑顔で佇んでいる。

 そぼ降る雨、鈍色の曇天の下、青い傘が目に痛い。

 彼らに、こんな。こんな結末がまっていようとは。



 そして事件は様々な思惑のもと、闇に葬り去られることとなる。



 皇神社からは、御神体たる神刀が消えた。

 事件は、その刀等の神宝を目当ての強盗殺人事件として処理された。

『強盗殺人犯』が事件の過程で死亡したという、事実を残してこの日――皇卓史と笄優麻は、『重罪』と『秘密』を、背負うこととなったのだ。

 ――殺人。

 ――隠匿。

 ――捏造。

 幼い子供達のために。

 一方子供達は、事件の記憶を失った。

 心の平穏と引換えに、記憶が改竄されたのだ。まるで、書類を書替えるように。記憶が変造されたのだった。だがそれは、その時点では彼等を守るために必要な処置だった。



 けれど、優麻が不意につぶやいた言葉を、卓史は忘れられない。

「……もしかすると、これからはじまるのかもしれないですね。あの男の、呪いが」

 彼等が抱えた物は――抱えさせられた物は、爆弾だったかもしれない。

 背中に頑丈な紐でくくりつけられているみたいに――いったいこれをいつまで抱えてゆけばいいというのか。

 捏造された事実を。

 一時凌ぎの偽物を。

 じつはそれこそが。

 これから待ち受ける白紙の未来こそが。

「それこそが、あの男の望みだったのかも……知れないでしょう……?」

 少年はそういった。

 まるで自身が呪詛の言葉を紡ぐように、愉しげな顔で。

 ――呪いがはじまる、と。

 四月の桜が緑に色を変える頃。

 ――そう。呪いが――はじまる。

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