実像(2)

「本当に全校放送しなかったのは、やはり君の優しさだろうね」

「単なる保身ですよ。あんな内容を許可なく放送するなんて退学ものだし」

 僕は天井の隅のスピーカーを見る。あそこのプラグは引っこ抜かれて、隠されたICレコーダーに繋がっている。僕は手元のリモコンでレコーダーを再生させただけだ。僕たち二人はあらかじめ決められた台本通りの受け答えを演じていた。

「秘密が暴露されたと、三人がそう思い込んでくれたら十分なんです」

 諫早が手を差し出した。僕はそれを握って固い握手を交わす。

「よく僕たちの妄想を破ってくれた。本当に感謝する」

「どういたしまして」

「それにしても、さすがは賀茂惣利だ。君ならやってくれると信じていたよ」

 諫早の台詞を怪訝に思った。

「さすがってどういう意味ですか。僕はまったくの普通ですよ。あなたたちと同じく」

 妄想の世界は壊されてしまった。僕たち二人と気絶した三人、ここにいる五人の中にはエリートもスーパーマンもいない。ごく人並みの悩みを抱えた平凡な高校生たちだ。僕の中には彼らへの親近感が芽生えつつあった。

 しかし、諫早は首を横に振った。

「賀茂くん、君はこの学園に転入してきたんだろう? それはとても珍しいことなんだ」

 そういえば、華村がそんなことを話していた覚えがある。

「どうしてですか」

「編入試験がありえないほど難しいから。現に、過去十年で編入できたのは君だけだ」

「え……」

「最初から君は有名人だったんだよ。しかもこのあいだの学力テストの順位、見てなかったとでも言うのかい? 二年生で一位じゃないか。化け物ぞろいのこの学校の猛者たちを数十点引き離してトップに躍り出た賀茂惣利の名前は、三年生のあいだにも知れ渡ってる。しかも小学生のとき数学オリンピックで金メダル、ピアノの国際コンクールで最年少入賞、中学生にして飛び級でオックスフォード大学の学位を取り、イギリスで作曲活動をしてヒット曲を連発。日本に戻ってからは剣道と柔道と将棋とチェスでそれぞれ全国大会に出場して優勝してる。日本人とイギリス人のハーフで、巨大財閥フィッツジェラルド家の御曹司。蒼一とは比べ物にならないくらい華麗な経歴だよ」

 普通の高校生の僕は、あの〈生徒会〉で劣等感に苦しんでいた。

 自分のちっぽけさにくよくよと悩んでいたのは誰だ?

「僕たちは君の足元にも及ばない。住んでいる世界が違うからね」

 違う、僕はみんなと同じ普通の人間だ。優秀な人間にコンプレックスを抱きながらも、努力によってその高みを目指すことはしない平凡な高校生。

 ――そう思い込もうとしたのか?

 孤独だったから。誰も自分を理解してくれなかったから、みんなの共有する世界に僕も住みたいと強く願って真実の自分を封じ込めた。華々しい経歴と学歴を捨てて、普通の高校生として学校生活をやり直すことにしたのだ。転校を繰り返してきたのは秘密が広まるたびに逃げてきたから。

 せっかくあの孤独な世界を脱出してここに来たのに。

 今度こそみんなと同じ世界に行けると思ったのに。

みんなはまた去ってしまった。

嫌だ。

もう戻りたくない。

称賛と羨望と嫉妬で溺れそうになるあの狂った世界には――

「って……賀茂くん、大丈夫かい?」

 諫早の心配そうな声を遠くに聞きながら、白目を剥いてがくがくがくと頭を揺らすと、僕は底知れない暗闇へとダイブする。


 重低音の響き渡る講堂から、僕たち六人は人目を気にするように背中を丸めて出てきた。ライブハウスが開かれている講堂は騒がしかったが、外も相変わらずのお祭り騒ぎでまっすぐ歩けないほど混み合っている。

「あのSAYAのコピー歌ってたバンド、上手かったね。声も似てたし」

 佐々山が心から感心している様子だったので、僕はほっとした。

「あの歌声、羨ましいと思ったりはしない?」

「しないよ。あたし歌は好きだけど、SAYAになりたいわけじゃないから」

「ずっとSAYAを名乗ってたくせによく言うよ」

 もう言わない約束でしょ、と佐々山は僕の肩を突き飛ばす。

 前を歩くのは諫早紅一、華村、汐見――そして溝呂。

 溝呂を文化祭に招いたのは紅一の提案だった。彼が四人とどんな話し合いをしたのかはわからないけれど、こうして一緒に文化祭を回っているのだから和解が成立したのだろう。身を切るような思いで罵詈雑言を投げた甲斐があったというものだ。

 しみじみと溝呂の後ろ姿を見ていたら、突然振り返った彼と目が合った。

「君、昔どこかで会った?」

 まったく記憶にないし、溝呂とは今日が初対面のはずだ。僕は首を振った。

「会ったことはないと思うけど、もし会ってたらごめん。物覚え悪いから」

 その瞬間、溝呂は表情を一変させた。

「その声……『レイジー・パイソン』のソーリ・カモ――」

 諫早が突然その口を塞いだので続きは聞けなかった。必死の形相で諫早は囁く。

「賀茂のことはそっとしておいてくれ、頼むよ」

「でも、どうしてあの超有名人が日本の高校なんかにいるんですか? あの人とっくにオックスフォード出てるじゃないですか。絶対におかしいですよ」

 超有名人? オックスフォード? よくわからない。誰と勘違いしているのだろう。

 すると、何かを悟ったように溝呂がはっとした顔をした。

「まさか諫早さん、また洗脳を――」

「あっはっは、何言ってるんだ君は」

 無理やり溝呂の顔を前に向けると、諫早は彼に何かを耳打ちしていた。その内容はほとんど聞こえなかったけれど、一言だけ洩れてきた言葉があった。

「彼の幸せは鏡の中にしかないんだ」

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生徒会・イン・ザ・ミラー 松明 @torchlight

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