実像(1)

「あと十分だな」

 諫早の洩らした呟きで、生徒会室の雰囲気がぴんと張りつめた。

 五人の誰もが、素知らぬ顔でデスクワークをこなしながら、落ち着かない気持ちでその時刻を待っていたことは明らかで、それは僕も同じだった。

 佐々山は両手で自分の身体を抱きしめていた。

「誰かが訪ねてくるのかな? その、監査委員会の人たちが」

「会長。念のため入り口を塞いだらどうですか。大人数で殴り込みに来られたら、汐見くんがいても対処できません」

 僕が提案すると諫早はすぐに首肯した。「そうしよう。窓越しに相手を確認してから戸を開けるようにするんだ」

 窓と引き戸を施錠してダメ押しにつっかえ棒をすると、生徒のざわめきも遠ざかって静かになる。前の高校に比べて智久志は防音に気を遣っているようだ。

 壁掛け時計の長針が「十二」にぴったり重なった瞬間、生徒会室に声が響いた。

『……集まってくれたようだね』

 加工されてざらざらとしたノイズ交じりの声だ。

『私は監査委員会、委員長のアヤハシだ。これより最終通告を始めさせてもらう』

「スピーカーから?」

 そう呟くなり、華村は天井の隅に目を向けた。そこには校内放送用のスピーカーが設置されている。

『この部屋にはマイクが隠されている。だが、私が指定した者以外の言葉は聞き入れないからそのつもりで。では諫早会長、おまえに訊く』

「何だ」

『罪を認め、おまえたちの組織を解散するつもりがあるか?』

 諫早は僕たちの顔を順々に見て、頷いた。多数決ならすでに取ってある。

「あなた方の要求には応じない。我々はいかなる罪も犯していないし、脅迫を受ける覚えもないからだ」

 しばらくの間を置いて、「アヤハシ」は返事をした。

『それでは仕方がない……おまえたちに裁きを下す』

「裁きとは何だ」

『おまえたちの欺瞞を白日の下にさらすことだ』

 沈黙の下りた部屋にアヤハシの声だけが朗々と響く。

「今年六月十三日の金曜日、おまえたちは溝呂文和をリンチにかけ、腕の骨折、全身に及ぶ打撲、顔の裂傷などを負わせた上、南棟四階の階段から突き落として脳に損傷を与えた。これは人間として許されざる行為だ」

「はあ? あたしたちがリンチって馬鹿じゃないの?」

 佐々山は苛立ったように叫んだ。声が震えている。

「なあ、俺たち、溝呂にそんな真似してないよな?」

 汐見が怒気交じりの声で同意を求めると、佐々山と華村も激しく首肯した。

「当たり前でしょ!」

「的外れもいいとこよ」

 表面上は取り繕っているけれど、彼らの交わす言葉にはやはり怯えの色がある。

 僕は深い溜息を洩らした。

 ああ、この人たちは本当に――

 そのとき諫早と目が合った。彼が小さく頷いたので、僕もちょっと顎を引いて応じる。

 ぷつん、と微かなノイズを挟んでから再び声が響いた。

『おまえたちは嘘をついている。他人も自分も欺き続けているのだ。それを今からここで示そう』

 まずは華村瑞月、とアヤハシは指名した。

「わたし……ですか」

『おまえは数学オリンピックに出場していないし、マサチューセッツ工科大学やカリフォルニア工科大学を目指せる学力も持ち合わせていない。成績順位は四〇〇人中三七〇位、試験では毎度のように赤点を取っているし、ご自慢の数学と来たらオール赤点で補修常連だ。目を覚ませ華村! おまえは今も昔も何のとりえもない卑屈で根暗なオタク女だろうがっ!』

 白目を剥いてがくがくがくと頭を揺らす華村の姿にぎょっとする。しばらく痙攣したあとはだらりと脱力して、椅子から転げ落ちて床に倒れる。

「はっ、華村さん!」

 倒れた彼女に駆け寄ったのは汐見だった。上半身を抱え起こして「大丈夫ですか?」と必死に呼びかけているが、アヤハシの「裁き」は止まらない。

『次は汐見虎之助』

「クソッ、てめえ……」

『おまえはオリンピック強化選手どころか、柔道部ではパシリばかりやらされていた最弱の部員、下級生にまで馬鹿にされるのに嫌気がさして部活を辞めた腰抜けチキンだ。試合中に力みすぎて漏らしてベソかいたクソッたれめ! 筋肉代わりに肩と腕と太腿に巻いたタオルなんかさっさと捨てろ汐見! この見栄っ張りの貧弱モヤシ野郎がっ!』

 腕に華村を抱えたままでがくがくがくと頭を揺らし、大きく開いた口から涎を引きながら倒れて、汐見は死んだように動かなくなった。地面に挟まれて盛り上がった腕の「筋肉」がべしゃりと潰れている。

「い、嫌っ。汐見くん……」

『そしておまえだ、佐々山紗耶。おまえはシンガーソングライターどころか、自作の曲のヘタクソさと音痴を馬鹿にされてぞっこんだった彼氏を振ってしまい、自己正当化のため顔と名前のそっくりなアーティストを自分だと思い込んだ妄想ファンシー女だ。純日本人のくせして染髪と厚化粧とカラーコンタクトでハーフを偽ってきたんだろうが! さあここで歌ってみろ佐々山! たーくんに鼻で笑われたインチキフレンチリリックを!』

 白目とがくがくがくと垂れ流される涎。ばったりと倒れた佐々山の青白い顔はほとんど死人のものだった。

『あと賀茂惣利。おまえはどうでもいいカス野郎だ』

「そうですか」

『最後に諫早蒼一……いや、諫早紅一。おまえは生徒会長でも連続学年首位でもハーバード大志望でもヴァイオリンとピアノの達人でもない。それらは双子の弟・蒼一のプロフィールだ。なぜならおまえたち五人が毎日通い詰めていたのは生徒会じゃなくて、おまえが勝手に復活させた監査委員会だったんだからな!』

 アヤハシの声はだんだんとエスカレートしていく。

 僕は膝の上に握りしめた両手を震わせた。

『これでわかっただろう! おまえたちは来る日も来る日も本物の生徒会を猿真似してたんだ! 諫早蒼一から手に入れた本物の議事録片手にそっくりの会議を演じ、自分たちが学校を動かしてるという下らない妄想に浸って限りある青春を浪費した! クソッたれの妄想爆発野郎どもめ! おまえたちの嘘を暴こうとした溝呂を殴って蹴って刺して半殺しのミンチにしやがったのは、その下らない脳内ファンタジーを守るためだったんだろうが! 世界を変えたいんだったら、他人を巻き込むんじゃなくてまずおまえを変えやがれ! いいかげん目を覚ませよこの救いようのないクズどもがっ!』

 少し沈黙が続いてから、冷静になった声が告げた。

『さらばだ諸君。ちなみに、この会話は校内放送されていた』

 ぴくりとも動かない三人がそれを聞いていたかどうかはわからない。

 膝の上でぶるぶると震える両手から顔を上げ、僕はおそるおそる言った。

「あの……すいません。ちょっとヒートアップしちゃいまして、変なアドリブを……」

「いや、いいんだよ。僕もすっかり目が覚めた」

 監査委員長・諫早紅一は微笑んで、無様に気絶している三人に目をやった。

「まさか、ここまで抜群に効くとは思ってなかったが」

「あの台本書いたのほとんど諫早さんでしょう。的確でえげつない表現するなって感心しましたよ。あそこまで言われたら僕だってぶっ倒れます」

「まあ、幻想と現実をいっぺんに認識したことによる拒絶反応だろう。じきに目を覚ます」

「そしたら、みんなで学園祭回りませんか? 諫早さんも、どうせ一緒に回る相手なんていないんでしょう?」

「ははは、どうせは余計だよ」

 僕も思い切り笑って、真実を知ったあの日のことを思い出す。


 諫早に励まされたあとの帰り道、『Man In The Mirror』を聴きながら訪れたのは駅前のCDショップだった。学生シンガーソングライター佐々山のアルバムがあれば買って帰ろうと思ったのだ。

 インディーズだから見つけにくいと汐見は言ったが、『SAYA』のアルバムは結構簡単に見つかった。棚から一枚引っ張り出してジャケットの顔写真を眺めていると、ふと違和感を覚えた。

 これ、本当に佐々山紗耶か?

 インターネットで調べてみると、「佐々山紗耶」と『SAYA』は顔から出身地、年齢まで何もかも違っていて、別人だという結論に僕は至った。どうして佐々山は嘘をついていたのだろうか。この謎を解くヒントを求めて、なんとなく智久志学園のウェブサイトを覗いてみると、生徒会役員の集合写真を見つけた。

 世界がひっくり返った気がした。

 諫早会長を除いて、全員知らない顔だったのだ。

 翌日、諫早を呼び出して校舎の片隅で問い詰めた。あなたは何を隠しているんですか? と。

 観念したように彼は語り始めた。

「最初は劣等感だったんだよ。弟はなんでもできて学園のトップに君臨しているのに、兄である僕は何事にも才能を発揮できず、学校の底辺を這いつくばっている。二年のとき、せめて僕がトップに立てる組織に入りたいと思って、監査委員会を復活させてくれと蒼一に頼んだのがすべての始まりだった。僕は委員長に就任し、他のメンバーを採用する権利も手に入れた。それで僕と同じような孤独と劣等感にさいなまれていた三人を誘ったんだ。華村と汐見と佐々山をね」

 僕はここで初めて生徒会長・諫早蒼一が彼の双子の弟であることを知った。

「そのころは大した仕事もないから、僕たちは毎日あの部屋で楽しく過ごしていた。でも、僕はそれだけでは満足できなかった。だから、三人を洗脳した」

「洗脳……」

「原理はよく知らないが、父も弟もこういう力があるらしい。桁外れのカリスマ性というのかな。……とにかく僕は、他人の考えをねじ曲げることが得意なんだ。その能力で三人をそれぞれの理想の姿に変身させた。そう思い込ませることにした」

 華村は数学の天才に。

 汐見は柔道のオリンピック強化選手に。

 佐々山は新進気鋭の学生シンガーソングライターに。

 そして、諫早は学園の頂点たる生徒会長にしてあらゆる才能の権化に。

「僕自身は洗脳できないはずなのに、あの部屋で過ごしているうちに自分は本当に会長なんじゃないかと思えてくるんだ。自己催眠というやつかな。……三年に上がって、一年の枠が空いたときに溝呂をリクルートした。ところが彼は洗脳されなかった。強い自分を持っていたからね。逆に僕たちを洗脳状態から解放しようとしたんだ」

 自分に嘘をつくな、いいかげん目を覚ませよ!

 溝呂は四人に向かい、毅然とした態度でそう言い放ったらしい。

「しかし、駄目だった。あの三人の洗脳は自家中毒でどんどん深まっていて、自分たちの幻想を壊す相手に対して容赦しなかった。僕は必死で止めようとしたが、三人は溝呂を袋叩きにして、ボロボロになった彼を階段から放り出したんだ。怖かったよ。ここまで悪化したら僕の手に負えない。下手したら殺される」

 並の苦労ではなかったはずだ。ファンタジーへの疑念を見抜かれてしまえば「排除」されてしまう。いかなるときも完璧に「生徒会長」を演じる必要があった。

 思えば、転校初日の帰り際、階段でノートを拾ってあげた「会長」は「本物の諫早蒼一」だったのだろう。落ちたノートには「議事録」とタイトルが書かれていた。蒼一に渡されたその日の議事録をもとに、翌日にまったく同じ会議を進行する。そうやって偽りの秩序は保たれていた。

「そこで、君を新たなメンバーに加えることにした。転校生は学園の外からやってくるから洗脳にかかりにくい。正常なメンバーと触れ合えば三人とも正気を取り戻すんじゃないか、と期待していたんだ。僕たちが転校生を狙っているという情報が洩れていたらしく、一年生をむやみに怯えさせてしまったが」

 ああ、転校初日のクラスメイトの不審な態度!

 誰も僕に話しかけなかったのは、頭のおかしい〈生徒会役員〉がやってくるのを怖がっていたからだ。そして、華村が去ったあとやけに馴れ馴れしくなって、〈生徒会〉の一員となる素晴らしさを並べ立てたのは、僕を〈生徒会〉にあてがうスケープゴートに仕立てるため。何も知らない僕はあだ名通りの「カモネギ」だったわけだ。あいつらめ。

 諫早はふと沈痛な面持ちになって、僕に深々と頭を下げた。

「すまない。君を巻き込んだのは僕の自分勝手だ」

 本物の生徒会は北棟の四階にあった。僕たちの〈生徒会室〉とは中央棟を挟んでちょうど線対称の位置だ。

 鏡映しのふたつの組織。片方は実像、もう一方は虚像で真っ赤な偽物。

 まずは鏡の中の男から始めよう。

 僕たちは、鏡の中の僕たちを変えるところから始めなくてはならない。

「みんなに嘘をつき続けるのは良くないですよ、諫早さん」

「しかし、本当のことを言えば……」

「自分を変えられないのなら、世界を変えてしまえばいいんです」

 僕は三人の世界を反転させるアイデアを話し始めた――

 視察の日、二年三組をチェックしたあとに、僕は〈生徒会〉一行を抜け出して生徒会室に急いだ。あらかじめ用意していた便箋と、不気味さを演出するために三組の教室からくすねてきた血塗れ人形を会長の机にセットしてから、〈生徒会〉に合流した。ちなみに、この視察は監査委員会の正式な仕事だったらしい。

 この警告で正気に戻れば次の作戦は不要だったのだが、それだけでは〈生徒会〉の幻想は打ち砕かれず、僕は落胆した。

 ショック療法というのはあまり気が進まない。

 それでも心を鬼にして、僕は「暴露テープ」を録音した。「イサハヤ」をローマ字にして逆から読んだ「アヤハシ」を名乗り、罵倒の限りを尽くす。最後の方はハイになって余計なことも口走ってしまったが。

 重要なのは罵倒そのものではなく、世界の反転だ。

 あの暴露が学校中に放送されていたと最後に明かすことで、「幻想の通用する世界」から「幻想が打ち砕かれた世界」へと三人の意識を移動させる。

 そこでは誰も彼らの嘘を信じない。誰もが彼らのついた嘘を知っている。

 幻想の中へ逃げ込めない以上、絶望するか、受容するかしかない。

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