第9話

「変態さーん!起きてー、起きてよー。」


耳にかすかな声が届く。


夢と現実の境にいるような気持ちいい状態。この寝るか寝ないかの狭間が僕は好きだ。完全に寝てしまっても起きてしまっても、この気持ち良さは終わってしまう。


「起きろー!もう朝だよー!」


 鼓膜を破る勢いの爆音に僕は慌てて飛び起きた。

 寝起きのボヤけた視界には腰に手を当ててムスッとした顔で僕の方を見ている幼女の姿が飛び込んで来た。これ以上ないくらい最高の目覚めだ。首をまわすと石でできた壁が一面に確認できた。


そうだった。僕は異世界に来たのだった。僕は手をグーパーして自分の身体がきちんとここにあることを確かめた。


「あー。やっと起きた!おはよー変態さん。朝弱すぎだよー!全然起きてくれなかった。」


「おはよう。お嬢ちゃん。いつもは早起きの方なんだけどね。どうも昨日は疲れちゃったみたいだ。」


「もぉ。ならしょうがないねー。明日からは早起きできるように頑張ってよね!

早寝早起きは良い子の始まりだよ!」


アミティちゃんが表情を一転させて笑顔で言った。


 彼女の太陽のような神々しいまでの笑みでなら、僕は種という壁を突き破って光合成をすることも可能だと思う。

 キラキラとした彼女の笑顔を太陽光がわりに浴びて、僕は目覚めて10秒でエネルギーMAX状態になることに成功した。


「またアミティちゃんが起こしに来てくれるなら頑張れそうかな。」


「えー。毎日は流石にめんどすぎー。」


「偶にでいいから。偶にで。」


なんなら一週間に一回でもいいから僕にアミティちゃんパワーを分けておくれ。

 そのパワーを補充して一週間を頑張ることにするから。きっと僕にとっては元気100倍くらいの力はあると思うんだ。いけない薬物を使っても足元にも及ばぬ効果が幼女の笑顔からは摂取できるのである。


「そこまで頼まれたらしょうがないなあ。」


アミティちゃんは仕方なさそうに装うが、口元がニンマリとしているのを見るに、満更でも無いようだ。


「じゃあ行こっか!今日は私が村を案内してあげるね!」


「それじゃあよろしく頼むね。」


「任せなさい!」


アミティちゃんはふふんと誇らしげにそのぺったんこの胸を張ると、握り拳でその胸をドンと叩いた。



まず始めに彼女が見せてくれたのは畑だった。ただの畑ではない。僕の目の前にある畑は垂直だった。

 村のはずれにビルみたいな建物が建っていて、その一階一階に当たるところに様々な植物が育てられていた。


 極めつきに、ビルの外に浮いている人が手からシャワーのような水を出して水やりをしていた。

僕は目をゴシゴシと擦った。眼に映るものは変わらなかった。

僕はあまりの絶望に膝をついた。空を飛んでいるのはどう見たって魔法だ。僕はあんなに楽しそうなことができないのである。


「変態さんどうしたの?お服汚れちゃうよ?」


「うん。ごめんねお嬢ちゃん。今僕は空を飛べないんだって凹むのと同時に僕の知っている畑との違いにカルチャーショックを受けたりで心が忙しなく揺れ動いてるんだ。」


「よく分かんないけど、お空が飛びたいならわたしが飛ばせてあげる!」


アミティちゃんはにっこりとした顔でそう言うや否や、僕の正面から脇の下に両腕を突っ込んで来た。

 アミティちゃんは体をぴったりと僕の体にくっつける。僕の体にアミティちゃんのお腹が押し付けられる。布と布越しにアミティちゃんのふにゅりと柔らかい肌の感触が温度と一緒に感じられる。僕の体をかつてない高揚感が支配した。


 差し込まれた指が脇を掠めて非常にくすぐったいと身をよじらせていると、浮遊感と共に足が地面から浮いていた。


 偶に車に乗っているときに地面の凹凸とかで股間がふわっとなる感覚に似ている。あれの全身バージョンである。なんとも言えない気持ち良さだ。癖になるかもしれない。


 そんなことを考える間にも地面はどんどん遠くなる。下を見ると村のシェルターが小さくなっていって、頭がクラクラとした。

 

 僕の抱く感情がアミティちゃんとの密着への高揚と興奮から、高所への恐怖に変わるのにそう時間は掛からなかった。


「変態さんどおー?気持ちいいー?」


 気持ちいいと言うよりも、全身を虫で弄られてるような寒気を感じています。

なんだこれ高いやばい怖いやばい!


 僕は恥も外聞もなく必死でアミティちゃんにしがみついた。


「これ落ちない!?大丈夫!?

え、なんでなんの合図もなく飛んじゃったの?」


 

 僕はアミティちゃんの腰にガッチリと腕を回して顔をぐいっとアミティちゃんの顔に近づけた。

脳内が大量のクエスチョンマークで埋め尽くされ、warning!warning!と大音量の警戒音が鳴り響いた。


「ちょっ、大丈夫、だいじょーぶだからぁ!お顔近すぎて息がかかってるよぉ。こしょぐったい!」


アミティちゃんは両手でぐいぐいと僕の顔を押して距離を取ろうとしている。少しでも離れようと体も後ろに反っている。


「わー手ぇ離した、これ大丈夫なの!?手離してるじゃん!」


飛ぶときに脇の下に入れていた手を彼女が抜いたことで僕はもはやパニック状態である。彼女はゆっくりと下降していき、ついには僕の足が地面の感触を踏みしめた。ああ、地に足をつけるという言葉の意味が少しだけわかった気がした。


地面に頰をつけて涙を流す僕をアミティちゃんは冷めた瞳で見ていた。


「なんか今の変態さん物凄くかっこわるーい。男の人はどんな時でもれーせーで頼りになるようじゃなきゃダメだよぉ。」


 アミティちゃんの容赦ない駄目出しがグサグサと僕の心を串刺しにした。

 本来守るべき幼女に泣いてしがみつきながら取り乱していた自分を思い返して軽く死にたくなる。


「変態さんは頼りにならないダメな男だけど、しょうがないからわたしに頼ってもいーよ。

 変態さんがどれだけダメ人間ってやつでもわたしが居てあげるからね?

 変態さんはわたしがいなきゃダメなんだよ?ね?わかったぁ?」


「うん……。って違う!違うよ!

確かに頼りないけどこれから頼ってもらえるように頑張るから!

だから僕を見限らないでおくれよ。」


アミティちゃんの甘美な言葉に思わず首を縦に振ってしまいそうになった。


 確かに僕は将来誰かに養ってもらって楽に生きていきたいなぁという夢がある。

けれど幼女のうちから好印象を与えて将来養ってもらおうという計画では、養ってもらうのはあくまで将来の話である。

 幼女相手に依存して養ってもらおうなどとただのクズ人間じゃないか!


 それに、僕はアミティちゃんにとって頼りになるお兄さんで居たい!

 

僕はそんな強い意志のもと、アミティちゃんに甘えて依存しながら生きていくという誘惑を打ち払った。

 すると、なぜかアミティちゃんは不満そうに唇を突き出した。


「ぶー。せっかく変態さんがわたしだけの変態さんになると思ったのになぁ。

まあいっかー。じゃあ畑は見れたから次のとこ行こっか。

ね、変態さん。はい、おてて出してね。」


にっこりと笑って僕の方に手を差し伸べるアミティちゃんに僕は呆然と立ち尽くしていた。


 どうか聞き間違えであってほしいが確かに聞こえてしまった……。


 アミティちゃんは、独占欲強い系幼女なのかもしれなかった。

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