-1.15 人鬼
-1.15
「ふぃ〜魔法教えてくれてありがとな、姫さんよ」
水中で体を伸ばし礼を言いながら手を振る男は、クリスタルに刻まれる文字に目を通す。
《もう来ないで》
「どうしたんだ?」
その文字の意味を理解できずに問うと、男の背後の水が綺麗に分かれ、地上へと繋がる一直線の道が出来上がる。
「おおこれは見事だ」
《帰って。あなたからは何も吸い取れない。しかも『玉手箱』を自分で解除するなんて………二度とここへは来ないで》
「ほうほう、これがフラれるという事なんだな。……まあいいよ。玉手箱とやらさえ手に入ればな」
《早く出ていって。私の世界を汚さないで》
「私の世界って……この水たまりを世界って呼ぶのか……」
《早く》
「なぁ、いつまでその中に……っとぅをぉ!!」
水の壁から突き出た水流に突き上げられ、浜へと強制送還された。
ーーーーーーーーーーー
アズトの病院に辿り着き、病室にフィーリアを寝かせると、少年はフィーリアフィーリアが起きない様に静かに退室しようとする。
扉を押そうとすると、力を加えるよりも先に開き手を離すと、扉の向こうからは院長のアズトが顔を出した。
声をかけようとしたが、寝ているフィーリアをみて、無言で少年を客室へと誘う。
二人は看病を鬼人のバーラとスンに任せて客室へと向かった。
この客室は以前ケイアスと対面した部屋だ。
複数ある客室の一つに腰をかけて二人は向き合う。
「彼女は大分末期にいると思われる。私の今の知力と技術力では人鬼に対して出来ることは何もない。残念だけどね。彼女のそういった素振りは今まで何もなかったのかい?」
「………見たことない……いや、気づいていないだけかもしれない」
「………申し訳ないが、君に迫られる選択肢は限られている」
アズトは少年の顔を見れずに口を硬直させ、少年もまた、俯いたまま硬直する。
「最後まで彼女の傍らにいてあげるか、君が化した彼女に………」
「アズトさん!」
皆まで言わせないように少年は、アズトの言葉を食い気味に遮る。
「選択肢は作れる限り無限にある。アズトさん、分岐の追加だ」
救えないなんていうことは絶対にない。
この灯が消えるにはまだ灯が大きすぎる。
彼女の灯が消える前に分岐を増やす。
「ラーメルトラメルが人鬼に関する研究を行っている。その研究資料を俺が盗んでフィーリアを救う」
ラーメルが成功してる確証などないが、僅かな可能性に縋ることしか出来ない今、少年はそれに這いずっても縋り付く。
時間が勝負なこの状況だが、最後にフィーリアの顔を拝み、少年が病室を退室しようとすると、看病をしていたバーラとスンが体を掴み抑える。
「行っちゃダメ」
「この女の子はいてほしがってる」
「そうしたいけど、救える方法を取りに行かなくちゃならないんだよ。二人がいるなら安心してフィーを任せられるから宜しくな」
立ち去ろうとする少年の腕をバーラが強引に引っ張り、スンが膝の裏を蹴り体勢を崩させる。
「傍にいてあげるのが一番いい」
「ここで行ったら絶対に後悔する」
「……後悔ね……。後悔なんて腐るほどした。………俺は後悔よりも失う方がよっぽど恐いよ」
そう言うと少年は、その場から、その地域から姿を消した。
取り残された二人は、自分達が出来る限りの看病を再開する。
「────」
霞んだ声が寂しげに喉を鳴らし、弱った呼吸で瞼を開けずに何かを欲しがるように手を持ち上げた。
二人はその手に寄り添い、小さな手で寂しがり屋の手を包み込む。
その小さな手が温かく包み込んでくれたお陰なのか、寂しがり屋の少し強ばった表情が緩んだように見えた。
ーーーーーーーーーーー
「これもこれで慣れないものだな」
少年は数時間前の場所、工場に再生による瞬間移動を行った。
この瞬間移動した時の感覚は非常に妙である。
移動したという実感はなく、元からそこに居たかのような存在感。急に景色が変わっても驚くという感情など生まれず、不思議と自分はどこにも移動していなかったという感覚だけが取り残され、元いた場所には、元々着ていた衣類だけが取り残されている。
つまり今の少年の状況は全裸である。
「こんな格好で彷徨いたら間違いなく鉄格子入りだな」
流石に人に見つからずに行くのは難しい、とはいえ今は日が沈みかけているが、暗くなりきるのを待っている時間もない。
やるしかない。
十数分以内に場所を特定して、十数分以内に侵入して資料を漁る。
「まずは外れの村を探さなきゃな……。……いやまて、何でわざわざこの砦ではなく外れに村を作るんだ。貧乏だからか?いや、考えるよりも先に探さなきゃな」
少年は飛び降り再生による飛行を再度行い、螺旋を描きながらプルスフォートの周りを見回ったが、村と該当するような場所は一切見当たらず、懸念して工場の高所で沈みかけの夕日を眺めながら頭を抱える。
ザィスは外れの村と言った。
それが嘘だったとしてもフィーリアが反応しないのなら嘘ではない。
ならば反応されないように、回った言い方をしたということになる。
それは俺達に分からないように言ったのか、魔法を植え付けた奴にバレないように回したのか。
確認が取れない今は、考えてもどうしようもない問題だ。
一つ、村の在り処で心に引っかかるものがある。
地下の騎士団基地にあった謎の通路。
あそこはおそらく騎士達も知らない通路だろう。
少年は飛び降り、数十メートルも下にある地面に着地すると、下半身から骨が砕ける音を耳に響かせ激痛が襲う前に再生で打ち消した。
飛び回った時に地下が露出した場所を見つけ、そこから入れないかと向かうが、地下を見下ろした景色に違和感を感じ眉を寄せる。
「ここにこんな瓦礫の山なんてあったっけなぁ……」
確か牢屋から月明かりが見えた気がする。
他に騎士団基地らしき建物が見当たらないことから、ここは基地だった建物の残骸かと思われる。
「……え、あの爆発そんなに凄かったの……?」
とりあえず降りて瓦礫の中から通路を探さなきゃならない。
これは骨が折れる。
そう思っていたが、地上から飛び降りて着地した場所が沈下し、少年は瓦礫と共に地下の地下へ雪崩落ちた。
「痛ててててて……お、なんか来れたな。つーか、こんなに崩壊して血が全く見当たらないのは負傷者がたまたまいなかったという事か?」
自分の着地した場所を一瞥すると通路の奥に視線を移し、髪の毛を一本引き抜くと宙を舞いその場から姿を消した。
ーーーーーーーーーーー
少年が少女の為に頑張る今、二人の鬼人の子はせっせと濡らした布を頭に被せては取り替え、被せては取り換えを繰り返し、定期的に汗ばむ体を濡らしたた布で拭き取り必死に看病を行う。
一方、院長であるアズトは人鬼に関して記された情報を片っ端から読み漁り、自分が出来る最善を尽くす。
一人の患者に必死になって働く中、病院内に甲高い鈴の音が鳴り響く。
この鈴は来客が来たという合図だ。
アズトはいったん作業を中止し、客の待つ玄関へと足を運ぶ。
「はい、こちらどんな種族どんな経歴をもってもただで看れる病院です」
定型文を読み上げながら扉を開き、客の顔を見るとアズトは一緒に持ってきてしまった本を足元に落とし、悲しげに穏やかな表情を浮かべるその客を中へと通した。
「思ったより早く帰ってきたね。…で、どうだったのだい?」
「………」
アズトは自分よりも背丈の低い客を尻目に結果を聞くが、返答は返らず静かに微笑む。
「少しでも長くいようと思いました。それが、俺が彼女に出来る最善の道です」
そう言い悲しさを言外に伝える客を見てられず、フィーリアの眠る部屋の扉を開けベットの横に椅子を置いた。
アズトは手招きで鬼人の子を退室させ部屋を二人だけにする。
病原体のない高熱に侵され苦しむ少女は、重たい瞼をこじ開け傍に寄り添う者を見つめて安堵の表情を浮かべた。
「…………お……か…えり…アノ…ン」
「ただいま…フィー」
悲しげな顔を慰めようと伸ばされた手は、ほんの少しのところで届かず、ベットに落ちる。
落ちた手がベットに着地する前に受け止め、その手に顔を押し付け涙を伝える。
「俺は一を救うために十を犠牲にするんだ」
「………」
黙って頭を撫でては慰めてくれるフィーリア手を、強く優しく握る。
涙で滲みはっきりとは見えないが、確かに彼女の体から汗とともに黒いモヤが滲み出ている。
それは絶望の兆しであり、敗北の印である。
彼女は少年に不安を与えないように、穏やかな表情を作り眠りに入った。
「フィー……ずっと隣にいてあげるからな」
握った手を離さず少年は、次第にモヤが増えてゆく彼女を見守り涙を与えた。
気づけば少女は黒いモヤに覆われ、面影など微塵も残らず唯一残るのは人の形をしている事くらい。
黒いモヤに覆われた手を離さず握り、少年は彼女を包むモヤを憎み、そして何より何も出来ない自分を呪う。
「───!」
ーーーーーーーーーーー
再生飛行で高速移動を行う少年は、見覚えある道を辿り、以前追いかけて飛ばされた扉の前まで到着する。
「ここで俺はワープさせられたんだったな」
扉には決して触れず扉の周りを観察するが、特に変わったものは見当たらず、なす術なく扉の前に立ち尽くす。
「はてはて、どうしたものかな…………。お、そうだ」
扉の横の壁を軽く叩き、壊せる強度かを確かめるが、無理だとわかると髪を引き抜き壁に押し付けた。
すると少年の姿が消えると共に、正面の壁に物音一つなく大きな穴があく。
まるで最初からあいていたかのように。
少年は魔法の範囲外から侵入し、侵入不可であろう中身を拝見する。
しかし、何かが動いた気配を感じたが、何も見当たらない。
「はてはて、この事務室みたいな場所は何の事務室なのかね」
上に散りばめられた資料と思しきプリントの山々は、どれも歴史に関することでラーメルの実験とは関係なさそうだ。
床にも敷かれたプリントたちを踏み躙りながら歩き、心の焦りを僅かにでも解消しようとする。
心がようやく落ち着き、改めて周りを見渡すと妙な違和感に包まれる。
「不自然すぎる。これは最近誰かに漁られたとしか思えない」
汚いを越して荒らされているこの部屋は、既にここに来た奴がいるとしか思えない。
そしてここに来て丁度何かが動いた事から、まだ近くに人はいると思われる。
だが、部屋中を探しても何も見当たらず、先人と同じように部屋中を荒らして荒らす。
抑えた心の焦りが溢れ出し物へぶつけ、部屋中を舞う紙たちがそんな少年を嘲笑う。
焦っても無駄を承知で荒らす少年は、宙に舞う紙を眺めてふと我に返る。
「求ム物ハ、帰リ道ニ、転ガッテルカモネ」
見上げた少年の視界に、太字でそう書かれた紙が踊り出し、自分の存在を主張する。
この言葉の意味はいったい何なんだろうか。
ここを以前荒らした者の仕業なのだろうが、何故こんな事を書いたのだろうか。
こんな物が見つかれば間違いなく処分される。
だが今現在見つからずにここにある。
それはつまり、荒らした者はさっきまでここにいた、もしくは少年が同じように荒らすことを予測し、荒らした時に目に付くように配置したということになる。
どちらにせよ自分に残したメッセージには違いない。
その意味を読み取れない限りは辿り着けない。
帰り道がキーワードなのだろうが、出口もなく来た時も何も見えなかった事から、普通の帰り道ではないのは確かだ。
何か隠し通路はあるのだろうか。
いや、あるならもう見つけている。
帰り道。
出口。
この扉は普通に入れば別の場所へ飛ばされる。
ならば、出ればどうなのだろうか。
少年はふと自分が体感した最初の魔法を思い出す。
人魚にかけられた魔法は、内側に魔法を展開したせいで、どれだけ足掻こうとも抜け出せなかったが、フランコが外から魔法陣を崩したおかげで抜け出せた。
何故これを今思い出したのか。
おそらく直感なのだろうが、これが最もな答えだと確信できる自分がいる。
少年は扉の前に立ち尽くし、
扉に触れる。
もしもここで予測が外れれば大幅に時間を無駄にした上、万策が尽きてしまう。
最後の賭けに賭け、少年は扉の向こうへ進む。
「───ほぁ!」
見たことない景色に不安と安心を混ぜ合わせて苦笑する。
転移魔法は再生と違って妙な感覚が残る。
再生は何も感じないのだが、転移魔法は違和感を最大限に感じさせ、時間感覚と方向感覚が狂わされる。
あれからどれだけ経ったのだろうか。
実際に時間を測る手段は無いため考えても無駄なのだが。
考えても無駄な事は今からは考えずにラーメルの拘束を考えなくては。
とりあえず現在地を確認しなくては始まらない。
簡単にまとめると広く薄暗く水の滴る音が聞こえる。
おそらくここがお目当ての実験室だろう。
だが、資料と思しき紙が見当たらない。
感づかれて持ち逃げされたのだろうか。
「もう夕食の時間かい?……おやおや、君は騎士達ではないみたいだね」
カツカツと足音をたてながら少年に近づく一人の人影。
そのシルエットは少年より少し小さく、がたいは小さめだ。
並べられた机に手を置くと、天井に付けられた電球が薄暗い部屋を灯してくれる。
明るくなった部屋には大量の数字が書かれた引き出しだらけだ。
「………で、誰なんだい君は」
少年に問う人影の顔は幼さが残っており、聞いていたとおり本当に子供のようだ。
「おっと、すまない。知ってると思うが僕はラーメルトラメル。ラーメルって呼んでくれ。見た感じ僕より少し年上みたいだね」
「俺はアノンって呼ばれてる」
奇妙な自己紹介をおかしく思ったのか、ラーメルは小さく笑い手を差し出した。
「ところで君は何でこんな所に来たんだ?」
「ラーメルを拘束しに来た」
「へぇーそれは面白いね」
置かれた茶を啜りながら薄い反応を見せつける。
自分に対する事なのに随分と冷めた対応をされ、少年は少し味気ない気分になる。
「なんだか思っていた人物像と違うな」
「それはいったいどういう事かな?」
ラーメルは興味ありげにくいつき、少年の浮かべていた人物像を問う。
この時点で少年と浮かべていた人物像と真逆だ。
「いやぁね、もっと開発中毒者だと思ってた。他のことなんてどうでもいいくらいに実験とかを繰り返す様な人」
「ほうほう。確かにそれは僕だね。少し前までの」
どうやら本当にそうだったらしいが、過去の事らしい。
道理で普通に喋ってくるわけだ。
「どうしてこうなったのかを聞きたげだから。聞く前に教えてあげよう。人が導き出す答えはいつも単純」
ラーメルはコップに茶を入れ全て飲み干すと口を開く。
そして少年はどんな答えが出るのかと唾を飲み込む。
「飽きだ」
「…………は?」
答えは先にラーメルが説明したように単純である。
だが、想像以上の単純さに思わず声が漏れてしまう。これは少年に限らず、誰でも同じ反応をするだろう。
その反応を楽しんでいるのか、ラーメルは注いだコップの茶を飲みながら少年を笑う。
「皆決まってその反応だよ。まあそれが普通の反応何だろうけどね。結果僕は飽きちゃったから次の趣味にめりこむことにするよ。アノンみたいに面白い人もいるからね、僕は次に人について研究したいと思う」
いったいどれだけ茶を飲むのだろうか。
さっきからずっと飲み干す度に入れて、また飲み干しては入れてを繰り返している。
ラーメルの行動を気にする少年を更に興味ありげに、見つめるラーメル。
お互いがお互いを見つめ合い、何だか奇妙な空気になる。
「おっと、やべ。こんなことしてる場合じゃなかった!」
「急いでたんだね。失礼、アノンの邪魔をしちゃったみたいで申し訳ない」
「いやいいよ。一つ頼みを聞いてくれれば問題ないよ」
「ほうほう、その頼みとは?」
茶を飲むのを止めコップを机に置くと、ラーメルは空になったコップを投げ捨て少年に耳を傾ける。
「人鬼に関する資料を譲って欲しい」
「いいよ。34番と書かれた引き出しに入ってるから好きなだけ持っていくといい」
言われた数字を探し、その数字が記された引き出しを引くと、山のような資料が敷き詰められていると思っていたが、そんな想像を蹴散らすかのように、あっけない一つの小さなディスクがポツンと寂しく置かれていた。
「……。これが、資料……なのか?」
「そうだよ。それは僕が実験狂いしてる時に寝相で編み出したもの。素肌で触れるだけでその内容が頭に入ってくるという便利な魔道具さ」
「マドウグ?………何でこんな大発明が世間に知れ渡らないんだ?」
「それは僕にしか使えないからね。魔道具というのは魔力を染み込ませた道具のことさ」
「ほうほう………え、魔力?」
人の口からは聞きなれない言葉を聞き、聞き直す少年の表情を楽しむラーメル。
「人が魔力を使えないなんて誰が決めたんだろうね。人の体はマギが流れている、マギで出来ているとも言っていいだろう。多くの種族はそのマギを貯め込み、その貯め込んだマギを活用しながら一生を生きている。マギを保有し貯めたまま活用せず一生を生きる僕ら人間とは別に、同じくマギを活用しない獣人は、マギを貯め込まずに全身に染み込ませあの強靭な体を得ている。それと似て獣人程でなくとも微量に染み込ませ、人間よりもステータスの高い妖魔。一応マギは貯め込んで入るが、人間と同じく使い方を知らない。マギ保有量と使い方さえ分かれば魔法なんて簡単に使える。───そう思っていたが、実際には違った。心臓の横にマギを貯め込む器官があって、ほかの生物はこれが解放されてて僕ら人間は解放されてないんだ。これを解放しない限り人間は魔法を使えない、そして誰も解放する方法を知らない。だが、解放できない訳ではない。むしろ今までに解放してきた人なんて数え切れないほどいる。それらは皆揃って体外に露出し、原型を跡形もなく変えてしまう」
「まさか……!」
「そう、人がマギを解放するには人鬼になる必要があるんだ。そうなると今魔道具を生み出す僕は何故人鬼にならないのかってなってくるよね。研究ばかりで感情袋を黒く染める暇もない僕なんかがなるわけないもんね。でも実際、実験中に染まっちゃったんだよね。まぁ、そこら辺はそれに触れれば全て分かる事だから置いておくね。急いでいたのに長話をしてしまって悪いね。とりあえず早くそれをとって行くといい」
話疲れた様子のないラーメルだが、流石に喉がついてこれず、再び茶を飲み始める。
「情報を譲渡する上でアノン、二つお願いがあるんだ」
「なんだ?」
ラーメルは恥ずかしそうに俯き、寂しそうに少年を呼ぶ。
「一つは、僕と友達になって欲しい。見たとおりこんな所に引きこもってるんだ、人と喋ることなんてお世話しに来る騎士くらい。だから一つは僕の友達になってほしい」
「なんだそんな事か、気にすんなよ。友達ってのは気づけばなってるもんだからよ」
「へへ、ありがとう」
顔を上げることなく俯いたまま照れるラーメルの心にはまだ幼さがあり、友達というよりは可愛い弟ができた気分になる。
出会ってから時間は全然経っていないが、なんだか別れるのが惜しくなる。
「それと、もう一つは……」
ラーメルは引き出しのディスクを手に取り、少年に渡すのを拒むように抱きしめた。
「これを見てどうか僕を、嫌いにならないでほしい」
少年の手を取りディスクを握らせる。
瞬間、少年の脳裏に自分の記憶とは違う、実験の記憶が混じり込んできた。
これはラーメルの実験当時の記憶。そして感情。
自分の意志とは関係なしに胸が締め付けられ、息が荒くなる。
次第に自分の体は黒ずみ、心が体から剥離してゆく。
自分が自分ではない自分に自分を乗っ取られてしまう。
「────へぁ!」
視界は戻り目の前に弟、いや、友達のラーメルが少年の顔色を伺うように見つめている。
そう、人類を救うための研究とはいえ、ラーメルはそれほどの事をしたと自分で自覚している。
少年がゆっくりと伸ばす手に怯え、縮こまるラーメルの頭をそっと撫でる。
「お前が彼らにやって来たことは、確かに許されることではないけど、お前は自ら自分を罰した。それで十分だろ」
「ア、アノン………!」
「悪いけど俺はもう行かないと」
「そうだね。バイバイアノン」
安堵を浮かべ手を振るラーメルの顔はやっぱり寂しそうだ。
少年は置いてきた髪に再生をしようと目を瞑る。
しかし。
「あれ……?」
再生ができない。
………そうだ、さっき二回全身を再生したから置いてきた髪が消えてしまったんだ。
しかしどうしようか。
いや考えている時間などない。
答えは一つしかない。
「ここってどこから出れるの?」
「ここへは転移魔法で来ただろう?帰りもそれと同じでどこに行きたいかで変わるよ」
なるほど。となれば再生飛行しなくてもすぐに帰れるということか。
「王都の近くにある種族問わない病院って知ってる?」
「いいよ。おーい、誰かそこへ行ったことある人いる?」
ラーメルは誰もいない方向に声をかけ反響する音に耳をすませる。
もしかしてそういう事なのだろうか。
友達が欲しすぎると出来ちゃう的なアレなのだろうか。
「そこの近くになら繋がってるみたいだよ。そこを向かって左に曲がって右を向いた所を一歩進んで上に付いてる戸が繋がってるみたいだよ」
この部屋は迷路かよ。
「そうか。ありがとな、今度会うときは土産話でも持ってくるよ」
手を振って別れを告げると、うろ覚えで覚えた道を辿り上を見れば確かに戸がある。
何かと不安がある友達だが、今はやることがある。
少年は梯子のように壁に埋められたパイプを登り、戸を開け転移魔法に体を包まれる。
ーーーーーーーーー
転移魔法特有の不快感を噛み締め少年は目を開くと、外は暗く夜空で星たちが各々を主張するように踊っている。
第一に考える事は現在地の確認。
「王都が見えて近くに森林がある。となれば右に進めば病院が見える」
少年は髪を抜き宙を駆ける。
再生飛行を使えばすぐに目的地に着くことが出来、病院の手前で髪を離し再生を完了させる。
扉の前にある鈴を鳴らし中にいるアズトかバーラとスンを呼ぶ。
すぐさま足音を立てて扉を開けたのはアズトだ。
「────!?君は………!」
少年の顔を見て驚愕を顔に表すアズト。
二階の病室に繋がる階段と少年とで視界を往復させようやく口を開く。
「どうして君が、上にいるんじゃ……!」
「へ?いや、来たばかりだけど。それよりもフィーは無事なんですか!?」
その名前を聞いてアズトの頭の中で何かが、思考をぐちゃぐちゃに乱す。
「だって君が……。いや、そもそも君は……!」
このままじゃ埒が明かないと思い少年はアズトを避け、ラーメルの記憶を階段を登りきる前に何周も閲覧し、どういった方法で戻すかを試行錯誤する。
ラーメルの記憶。
それは、聖騎士によって捕縛されたラーメルの母、人鬼を人に戻す資料として送られてきた日からスタートする。
元々人鬼に関する研究は昔から願われていたものであったが、誰一人研究できるものはいなかった。
そこに現れた都合のいい人材、ラーメルトラメル。
彼は天才的知能を持っており、彼よりも頭のいい人類など、過去にも未来にも存在しないだろうと言われるほどだった。
そして、騎士団に連れられたラーメルの母が人鬼と化し、ほかの実験などする気のなかったラーメルのやる気を起こさせた。
人鬼を還す方法で最初に考えられたのが、感情だ。
人鬼とは感情袋が限界を迎えてなる姿。
感情と関係性がないはずがない。
強い感情をぶつけるには、愛の声などでは届くどころか近づくことも叶わない。
最初に思いついたのはやはり痛みだ。
痛みは最も感情を強く刺激する。
最初に行った実験は殴る蹴るだが、人鬼の硬い装甲には衝撃が伝わらず痛みを与える事は無理だった。
ならば装甲を剥がせばいいのではと刃物などで刻んで剥がそうと試みたが、あまりの再生速度に剥離が追いつかず、黒いモヤに包まれた刃物はたちまち酸化し錆びて使い物にならなくなった。
よって、人鬼の装甲を剥がすことは不可能である。
剥がすことに時間をかけすぎたためそこで中断し、次の実験は翌日へと持ち込みになった。
そして翌日になると、捕縛された人鬼が数体送り込まれてきた。
本番の母親で試す前にと送られたサンプル体。
それから色々なもので試した。
矢が通らないなら銃弾で、銃弾が通らないなら砲弾でと試し、銃弾では効果が薄く、砲弾で試してみたところ確かに通用したのだが、瞬く間に再生されてしまった。
瞬間的な火力では無駄。
早くも打つ手を狭められ指をくわえさせられる。
痛みの実験は一つの選択肢に委ねられた。
翌日平地に拘束された十体の人鬼と、大勢の騎士や聖騎士が集められた。
頑丈に拘束された人鬼は自由に動けず唸るばかり。
悪足掻きとも思える叫びは複数名の騎士の意識を剥がし、誰も近寄ることも叶わなくなったが、ラーメルの作った即席耳栓によって人鬼の悪足掻きは無力化された。
力自慢の聖騎士を頼り、人鬼の四肢を切断する。
それでも変わらず、聖騎士たちは続けて痛みを与えるべく人鬼の体を滅多刺しにした。
すると、十人中三名が痛みという刺激で感情を取り戻したのだ。
残りの七名は残念ながら廃材と化した。
人鬼だったものの身柄は、いつまた人鬼になるか分からんと危険視されほかられたが、ラーメルがそのもの達の身柄を預かることにし、国に収容施設の建設を申し出る。
次の実験はラーメル以外誰も携わる事を許されない実験だ。
その内容は体からの刺激ではなく、次は脳に直接与える刺激だ。
パラダイスと呼ばれるどんな場所にでも咲く花から抽出される花粉を吸引させるという実験だ。
その花粉を吸ったものはたちまち気分が良くなり、どんな状況だろうと幸福な気分になれるという代物だ。
デメリットは勿論その逆だ。
幸福を感じられるのは数分。
効果が切れると味わった数十倍の負を感じさせられ、やがて吸引したものは数時間後避けられない死に至る。
通称身近な毒ガスである。
この実験でも痛みと同じ数のサンプルを用意し行われた。
そもそも人鬼にガスが通用するのかという疑問が浮かぶが、その疑問はすぐにもみ消された。
荒れていた人鬼は大人しくなり当たりを見渡しながら喉を鳴らす。
しかし効力が切れると、動けない体を必死に動かし悶える。
結果は痛みと同じ三体。
人鬼から開放されたのは五人だったが、二人は毒ガスの効力が終わっておらず、人としてガスに苦しみ死んでいった。
残された三人も人鬼の施設へと送られた。
結論。
どちらも非人道的でぼつ案となった。
残された最後のサンプル体、母親の安否はラーメルに委ねられ、ラーメルは苦悩させられた。
どちらをとってもラーメルは化した。
ーーーーーーーーー
どちらもとりたくない。
時間をかけて得た情報も無駄になってしまった。
扉の前に立つとドアノブを握る手が急に重くなる。
救う手段もないのに彼女を一人にしてしまった罪悪感ではなく、自分に対する恨み。
こうしてる間にも彼女は。
「ええい!」
考える事を止めて握る手を動かし部屋に入る。
「────え」
病室には誰もいない。
どういう事だ。
部屋が荒れていないということは、彼女は人鬼にはなっていないはず。
しかし彼女はいない。
出ていったのならアズトが教えるはず。しかし、アズトはあんな状態になっている。
何がどうしたのかわからない少年は、ただただ少女が眠っていたベットを眺めて呆然と立ち尽くす。
続いて階段を上がってきたアズトが少年の肩を掴むと、少年の止まった思考が再起動する。
「とりあえず客室で話をしよう」
先のように客室に腰をかけ先に口を開くのはアズト。
「単刀直入に言おう。フィーリアさんは、人鬼と化した」
「……え……?」
どういう事だ。人鬼になった?
そんな筈ない。
「確かに私はこの目で彼女の人鬼と化した姿を見た。しかし、私は二人に引かれてその場から離れてしまったんだ。しばらくして病室に戻ってみたら、人鬼の姿も君の姿もなく暴れた形跡もなかった」
「俺の姿………?」
「そう、君が部屋から消えてすぐ、君が病院に現れたんだ。あまりの早い帰りに僕は失礼ながら君が諦めたのかと疑ったよ。でも彼女とともに君が消えて、君が現れた」
「まってまって、どういう事だよ、何で俺より先に俺が帰ってきてるんだ」
何が起きてるのかが理解できない。
「君は本物かい?」
「分かんねぇよ!?」
「私にも分からない。私は医者だ、魔法で幻覚を見せれるこんな世界でこんなのを信じるのもどうかと思われるだろうが、あれは君が彼女を強く思う気持ちから現れた生霊なんじゃないかと思う」
「まさか」
例えそうだろうとなかろうとフィーリアが人鬼になった事には変わりない。
分からないことが多すぎる。
先に現れた自分。
突如消えたフィーリア。
何がどうなっている。
どうする。
フィーリアを探すか。
先に戦争を止めるか。
フィーリアを探したら間違いなくケイアスとの待ち合わせに遅れる。
相手は神聖。約束を破棄すればもう戦争を止められないどころか、それ以上の事になるかもしれない。
かといってフィーリアを放っておくわけにもいかない。
少年は頭を抱える。
苦悩する。
どうすればいい。
その問に答えてくれたのは一人だけだった。
寝ろ。
単純な回答が返ってきた。
「フランコ……!」
お前の脳は俺らと同じ。パンク寸前になったら休め。今考えても考えてないのと何ら変わらない。
「そうだな………」
少年は焦る気持ちを思考を休止させることで冷却し、落ち着きを取り戻す。
「アズトさん、今日泊まっていってもいいかな」
「構わないけど、君はいいのかい?」
「ああ、今考えても考えてないのと同じだ」
怪我をしても怪我にならない少年はベットに横たわり瞼と共に思考を閉ざす。
ーーーーーーーーー
閉ざされた思考と瞼を開けたのは、変わらず毎朝やって来る朝日だ。
十分に休んだ。
休むのも惜しい時間を割いて十分すぎるほどに休んだ。
しかし、少年は考えようとはしない。
「どっちにするかなんて、最初から決まっていたよな」
少年は病室から姿を消した。
最近の間にどれだけ再生したか覚えていない。
数える余裕もなかったが、数える気にもなれないほど再生した自覚はある。
昨日出来た友達の寝顔を眺めて少年は微笑む。
「おい、起きろ。そんな所で寝たらお前は風邪ひくぞ」
机に突っ伏し寝るラーメルを起こそうとするが、なかなか起きず近くにある布を被せて見守る。
布の温かさでようやく起きたラーメルは、霞む視界に映る少年を見て口を緩める。
「おはよ〜、アノ、ン」
「おう、はようなラーメル」
少年に渡された茶を飲むと、目が覚め再度少年を二度見する。
「え、なんでいるの!?」
少年は口元を歪めて答える。
「お前を攫いに来た」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます