-1.14 ピエロはピエロを愛しむ
-1.14
生い茂る木々を抜け、抉られた地面を眺める男が一人。
無性髭を生やし、気だるそうな表情で体を解しながら歩き出す。
湖が危険と知らないのか、無警戒に近寄り透き通る宝石の様な湖を一瞥する。
「おお、見つけた見つけた。あれが人魚姫か」
湖の中心の奥を見つめ男は、透き通った水にそっと触れる。
「そんじゃま、お邪魔しまぁす」
折られた木の枝一つを掴み湖へと、人魚の檻へと自ら飛び込んだ。
透き通り過ぎて少し奥の人魚の籠るクリスタルが見える。
一つ呼吸で辿り着くには厳しいため、一度水面から顔を出しもう一度潜水する。
「ほうほう、近くで見るとべっぴんさんなこった」
クリスタルの前で位置を固定し、閉じ篭った美貌を眺めて関心する。
男の口周りは黒い物体で覆われガスマスクの様な形を成している。
男はクリスタルの文字を読み上げ、苦笑を浮かべた。
「馬鹿みたいだな。…………だが、その馬鹿の行為が俺には助かる」
クリスタルに触れ問いかける。
「それは他者にも使えるのか?使えるなら俺にもその玉手箱とやらをかけてくれねぇかな。一度かけてさえくれればどれだけ養分を吸ってくれても構わんぞ」
男はクリスタルに包まれ湖に取り込まれた。
ーーーーーーーーーーー
「こちらがウュチ・ウノンセさんっす」
「お前もそいつもどうやって発音すればいいんだよ…………」
ザィスが連れてきたのは、ウュチと呼ばれる白い髭を伸ばした年老い。
「お、お前どうやってその方を連れてきたんだ………?」
サラハの反応からして相当な位の人と思われる。
「言ったっしょ?私は顔が広いって」
「それもそうだが、ここまで顔が広いと無差別過ぎやしないか?」
「やっだもー。まだ一人しか呼んでないのに気が早いっすよー?」
ザィスは口を片手で覆い、もう片方の手で空気を仰ぎながら、サラハににやつきを見せつける。
「早く始めようよ」
「……あ、ごめそ、アノッチの事忘れていたよ」
「────」
ウュチの口を覆う髭がモゴモゴと動き、聞き取りづらい声量で何かを呟いた。
ザィスがウュチの口に耳を傾け音声を必死に捉えようとしている。
「えー、なになに?そこの、いかつい?おとこは?この部屋から立ち去れ?……サラハさん出てってもらえます?」
ウュチを疑うことの出来ないサラハは、信憑性のないザィスに言われるがままに何も言えず黙って退室した。
「さてさて、それじゃあ尋問を始めましょッ」
「………」
この感覚はなんだろうか。
前に感じた自分ではない体外での異様な感覚。
これは空気を伝わって肌を通して感じる嫌な感覚。
昨日尋問室に入った時は気にならずに流していたが、今日は強めに感じ不愉快だ。
「………アノッチどうしたん?」
「…あいや、何でもない。始めよか」
少年の頭の整理が完了すると、ザィスはウュチの口元に耳を配置して開始の合図を送った。
「まず最初に、本当に爺さんはラーメルトラメルの細かい情報知ってる?」
最初に材料を疑うことにした少年に、ウュチはコクリと首を縦に振り肯定の意を示す。その横で布を手に涙を拭い鼻をすするザィス。
「ひ、酷いよ……アノッチは私を信用してないんすね」
「悪かったよ、でも対応いちいち面倒臭いから泣かないでもらえる?」
布を取り上げ悪びれる様子もなく謝る少年に、ザィスは鼻をすするのを止める。
「分かったっス」
いいのか。
キッパリと泣きやみ、定位置に戻るザィスに少年は嘆息を吐く。
しかし、戻ると急に顔を青くし、
「すいません、私お腹ハチャメチャ痛いんで排泄してきてもいいすか?」
「緊張感ねぇ奴だな………行ってこいよ、トイレの神様のところまでそのまま帰ってくんなよ。あと布返すわ」
退室を確認すると再度嘆息を吐く。
「次、ラーメルトラメルが今どんな研究してるかわかる?」
首を横に振り否定を示すと、少年は間を与えず次にの質問に進む。
「今までの研究結果は知ってる?」
肯定。
「人鬼を人に還す実験は行った?」
肯定。
「成功した?」
肯定。
「キメラの実験は烏龍だけ?」
否定。
「等価交換の実験を行ってる?」
肯定。
「この壁はいきて いた?」
肯定。
「捕まえた妖魔の捕虜は生きている?」
否定。
「それはラーメルトラメルの実験室に運ばれた?」
肯定。
「それは材料とされた?」
肯定。
「ラーメルトラメルの場所がどこか知ってる?」
否定。
「答えはそう言えと言われている?」
肯定。
「声を出せる?」
否定。
「口を開けない?」
肯定。
「魔法をかけられているね」
肯定。
「嘘はあった?二つ以上なら肯定して」
否定。
「最後に、死ぬのは怖い?」
肯定。
「そっか。でも悪いな。俺にはアンタを助けれる程の力を持ち合わせていない」
否定否定。
「俺にはアンタを助けれない。いや、誰も救えない」
否定否定否定。
「術者を特定できても、俺じゃあ返り討ちがオチだ」
否定否定否定否定否定否定否定否定!!!
「でもこんな俺が今から多種族を助けに行かなきゃなんないんだよ?無理だろって話だよね。俺じゃあ無理、うん無理」
否定否定否定否………。
「───だから他の人に頼る」
───?
「俺もアンタも普通の人間だ。普通の人間に聖騎士以上の事を望まれても困るよな。だったら普通じゃないやつに頼めばいい」
───??
「ちょっとアノン酷いわね。私みたいな女の子一人を普通じゃないって言うの?」
大きな帽子を被った少女が、豪快に開けた扉から顔を出す。その表情はどこか不機嫌そうでわかりやすく頬を膨らませている。
「いや実際そうだろ」
「ならいいわ、普通の女の子がこんな吸血鬼捕まえれるわけないものね」
少女は隠れるのをやめ全身を現し、小さな手が掴むのは見慣れた騎士の制服。
投げられたその騎士は制服だけでなく全身がボロボロで、立派な制服にところどころ切り傷が見られる。
「あわわわ、ごめんって、フィーリアさんは普通の女子です!」
「ならよし。はい、これお土産」
既に差し出されたものを今見せたかのように平然と見せびらかす。
少年は転がる吸血鬼に歩み寄り、頭を鷲掴みし至近距離で目と目を合わせた。
「あ、あれ、アノッチ……手錠は……?」
ザィスと名乗る吸血鬼は、ボロボロになりながら弱った声で最初に浮かんだ疑問を口にした。
「とった」
「……いや、とったって……簡単に……言われても……ね」
これは騙し合い勝負だ。
この吸血鬼はこの騎士団も少年も、近い人全てを騙して何かを得ようとした。
魔法によって洗脳し、自分は最初からそこに居たかのような記憶を皆に捩じ込ませ今まで自然体で過ごしてきたが、相手が悪い。
実際に初歩的な魔法ですら見たことない人間は、ほぼ全てと言っても過言ではない。
洗脳が通用したのもそれのお陰だ。
だが、実際に初歩的な魔法から幻惑魔法まで体感した少年ならば、人間が本来なら感じられるはずのない、魔法が作用している時の感覚を理解出来る。
また、少年を洗脳したところで少年は、何も無かったとしても定期的に再生を行っているためその効果はすぐに消える。
これは少年のことを普通の人間として認識していた事が、吸血鬼の唯一の敗因だ。
この少年は普通ではない。
そんなヒントだらけの答えに気づくのに遅れてしまった。思い返すとこの少年はおかしい点で溢れている。
骨折してる割には平然としている。
洗脳が効かない。
骨折した腕が朝になると治っている。
何故か手錠を外している。
「アノッチ……人間じゃないでしょ」
「ただの人間だよ………曰く付き…いや、祝福の女神付き物件を抱えたな」
「なんじゃ……そ……ら」
理解できない回答に苦笑を浮かべ、そのまま全身の力が抜け落ちる。
「おっとまて」
沈み込もうとするザィスの頭を掴み上げ、沈んだ意識を強制的に釣り上げる。
「お前にも聞きたいことがある」
「は、離してっちょ、アノッチ、いやぁ、あいやぁ!」
「フィー、大人しくさせ……!」
フィーリアが、動き出すと一瞬でザィスは背筋を伸ばしてその場で正座した。ザィスはフィーリアに一体どんなトラウマを抱えているのだろうか。
「はい、まず一つ目の質問です。お前がこの爺さんから引きずり出した情報を吐け」
「はい、居場所だけ聞いて独り占めしてました。その居場所はですね、ここから南に少し離れた位置にある小さな村です」
「それともう一つ」
少年は正座するザィスの破れた袖をまくり上げ、その腕をフィーリアの前に差し出す。
「────!」
ザィスの腕には真っ赤なパンダが描かれていた。
これが指すものは知らない人はいない程有名なものだ。
「フィーリア、この印は確か………」
「レッドパンダね」
見た感じ下っ端なこいつは幹部とは縁が無さそうだ。
「ボスの吸血鬼に何て頼まれた?情報を得るだけなら俺に爺さんを紹介しないよな」
「少年を尾行し助力しろ。そうすえま………っ!?」
大事なところで滑舌を悪くし黙り込むザィス。
口を覆い、覆った手の指の隙間から赤い血が溢れ出す。
「ザィス!」
止まらない吐血を必死に止めようとするが、数秒おきにザィスの肩が跳ねる度に血の量が増えてゆく。
これは魔法が体内で条件を満たし、内側からザィスの体を崩壊させているのだろう。その起爆原となったのが舌。一瞬だが、滑舌が悪くなる瞬間ザィスの口の中で何かが破裂したのを見た。特定の何かを伝えようとすると魔法が作動し、舌を破裂させ口封じをしたのだろう。起爆と同時に他の位置に置かれた魔法も誘爆され、それが連鎖となり今ザィスの体内を崩壊させている。
どうする事も出来なく死にゆく様を見守る少年の腕を、残った力で握り、残った生命で訴えた。
「アオッイ……いへお!」
何を言ってるかなど全く理解できない。
だが、どういう訳か何を伝えたいのかは理解出来た。
少年は急いで立ち上がりウュチを抱えてその場から走り去った。
後に続きフィーリアも離脱するが、すぐさま少年を飛び越し着地と同時に床を切り抜き下の階へと降りる。
続いてウュチを抱えて飛び降りた少年は、倍で伝わる着地の衝撃を再生で打ち消すと前を進むフィーリアを追いかける。
すると薄暗く灰色にしか見えなかった壁が白に染まり、背後で光源が生まれ爆発的な風を生み出した。
光が消えると薄暗さが戻り、半面灰色に覆われた景色と顔に伝わる感触から、自分は床に這いつくばってるのだろうと分かる。
「アノン大丈夫?」
立ち上がれば瓦礫のカスだらけ、服を叩きカスを払い落としながらフィーリアの声に反応し目を向けるが。
「何で汚れ一つ見当たらないの?」
無言で指さされた場所には大きく突き出た床の素材。彼女は爆発する寸前に床を掘り起こし、一瞬で鎌倉を作り上げ避難したのだろう。
「一人だけで」
「あんな一瞬だったのよ、一人分掘るので精一杯よ」
「まあいいけどさ、それよりここどこ?人一人いないんだけど」
人一人どころか灯りもあまり無く、不気味な通路だ。そして通気が無いのか、空気が篭もり少し息苦しい。
「爆発があればすぐに人は来るだろう。早く進むぞ。………爺さんはここで騎士を待ってりゃ助かるよ。あと、術者はもういないから口の魔法を開いても大丈夫だよ。俺は爆発で死んだと伝えといて」
そう言って二人は暗い通路に溶かされ姿が見えなくなり、少し経つと騎士の声が聞こえ、ポッカリ空いた穴を見下ろして自分を見つめる。
「ウュチ神父見つかりました!他に生存者は見当たりません!」
「ウュチ神父、今迎えに降りますのでしばしお待ちを!」
ーーーーーーーーーーー
暗い道をひたすら走り、自分たちは直線をどれだけ進んだか分からないほどになってきた。
こんなに進んで何もなく誰もいないと、おそらく騎士でもこの道を知る者はいないだろう。
だとするとここは誰かが秘密裏に作ったか、騎士達とは関係なしで作られたものになる。
「何があんだろうな。次の目的地は決まったからさっさとおさらばしたいよ」
「もうすぐよ、奥で何かの気配を感じるの」
何かとは何だろうか。
人ならば明確に分かるはずだが、『何か』と言うなら人ではない生物ということになる。
「本命だといいんだがな」
「斬るよ!」
「やっちゃえ!」
少年の許可が下りた瞬間、視界が光に包まれ視界が塞がれるが、少年はひとまず目を閉じ再生でリセットし、瞳孔を小さくしてから見開き視界に映るものを捉える。
「……ッチ……思ったより効くわ」
少年の視界にまず最初に映ったのは、少し離れた位置にある脈動する巨大な淡紅色の肉塊。
所々に手の様な物が突き出ているが、これの材料は考えない方がいいだろう。
───と、言ってる時点で自分は考えているので、既に心を抉られている。
「フィーリア、視界は戻った?」
「まだ、でも周りはだいたい分かるわ」
やっぱりカルメ家は普通じゃない。
だけど運良く20m以内に肉塊はない上に目を塞がれている。いくらフィーリアと言えども範囲外であれば、感じれても的確に感じることは出来ない。
見える限り通路は一つしかなく、ここにいた奴らもそこへ逃げる他にない。
通路はガラス張りであの肉塊が見えるようになっている。フィーリアの目を開けさせるならここを抜けなければ。
「んー、じゃあ俺に着いてきて。視界が戻ったら辺りを見回さずに閉じたまま教えてね」
「………?わかったわ。───アノン、あの光は魔法よ、悪意を感じたわ。今は感じていた気配が減って近くに変な気配と数人の人の様な気配が離れていくのを感じるわ」
数人の人の様な………。
「……え?フィーがそこまで的確に感じられないのは視力は関係ないんだよね?」
頷いて肯定を示され疑問がまた一つ増えた。
人の様なもの。
それが何を示すのかはまだ判明してない。
判明してないが予想はつく。
「研究結果聞いときゃよかったな。───あれ、さっき魔法って言った?」
「うんでも設置型だったけどね」
「いや待て、そこじゃなくて本当に人間の様な気配しか感じなかったのか?」
「偽装魔法をされてない限りは、ね」
だが偽装を使えば下手に動かない限り、フィーリアの鼻も人間と感知する。そんなフィーリアが人間の様なと言い方をするのはおそらく魔法の類ではなく、何か別のものだ。
人間に近い気配で魔法を使い、すぐに遠くまで離れれる。
「さっぱり分からんが、可能性があるとするなら、ラーメルの実験結果だな。追うから方向を教えてくれ」
「左だよ……でもそろそろ目も戻るんだけど………」
「あーまだ開けちゃダメ」
少女を目隠ししたまま少年は追いかけるが、部屋を抜けるまで走る事が出来ないので、少女の腰に手を回し膝を抱えて少女を抱き上げた。
坂道となっているが、人一人抱えていたところで体力をも再生で打ち消せれる少年にはどうということの無い障害だ。
「え、ちょっと……アノン!?」
「俺を見るのは構わんが、首は動かさずに固定しとけよ」
フィーリアの向いてる方向的にも丁度見えなくて助かる。
少年の大胆な行動に少女が赤くなってる事に少年は気づかずに通路を走り抜け、ガラス張りの通路から抜ければ少年は優しくフィーリアを下ろした。
しかし、フィーリアは立ち姿を維持出来ずに力なく足元で帽子を落しながら膝をつく。
「……フィー?顔赤いけど大丈夫?」
「大丈……夫」
胸を抑えて顔を合わせないようにそっぽ向くフィーリアに、少年は目線を合わせて手を近づけた。
「ひゃッ…!な、何!?」
「いや、大人しくしててくれると助かる」
言われるままに大人しくすると少年は、フィーリアの前髪を避けて額に手を押し付けた。
「熱い………フィー……熱あるぞ」
「カルメ家が熱や病気になる訳ないじゃない、は、早く追いましょう」
立ち上がってすぐに歩き出そうとするフィーリアの手を引き、自分の元に寄せる。
「ほ、本当よ。カルメ家は病気にも熱にも絶対にならないの」
「だったら尚更だ。普段通りなら今位の力で引いても絶対に倒れない筈。それなのに今抵抗すら感じさせずに倒れてきた」
「それは…その………ね?」
目を泳がせ誤魔化そうとしているが、フィーリアの考えている原因とは全く違う原因を頭に浮かべ、少年は顔を曇らせる。
「あいつらを追うのはなしだ。作戦中止、すぐにここから逃げるぞ」
再び少年はフィーリアを抱き抱えて通路を走る。
行く道は分かれ道がない限り結果的に追うことになってしまうが、袋小路に逃げるとは考えられない。いつかは人集りの多い場所に出れるはず。それを信じて走る以外にここを出る道はない。
気がつけば
そう考えているうちに出口らしき扉が見え、少年は走りを止めずに扉を蹴破った。
「ここ……は」
明らかに人口のものではない光に照らされ、少年は自分の現在地を推測する。
「青い空が見える時点で地上に出れたと分かるんだけど………フィー、ここどこか分か………」
抱えたフィーリアに問いかけるが、どうやらこの状況で寝てしまっているらしい。
寝てるだけだと助かるのだが。
全方位を見渡して確認できた視界情報をまとめる。
「空、見える。壁、見える。地面、どこだよ」
地上を超えて更に上へ行っていたとは。
アドレナリンで自分の進んだ距離に気づいてないとかの話ではない。
ここは工場だ。見渡す限り排気ガスか錆びれたパイプだらけ。
そして今工場の煙突と並んだ高さの位置にいる。
どうしてこんな所に……。
「まさか、魔法を仕掛けられていたなんて事は………いや、それしか考えられん」
こういった転移などの類の魔法は、以前にどっかの吸血鬼に使われ経験していたが、流石に焦っていたため魔法の気配を感じれなかった。
方向さえ掴めればそのまま飛んでいけるが、生憎馬車の中からだと見える景色も限られる上に、街はどれも似たような建物だらけで見分けがつかない。
それ以前に、彼女を抱えたままどうやってこんな高所から降りればいいものなのか。
「まぁ、降りれない訳ないから探せば簡単に見つかるはずだよな。……って言ってるそばから足元に梯子あるわ」
ふと壁の向こうを見ると、何だか見覚えのあるものが薄らと見えた。
高所にいるお陰で見渡しがよく、地上よりも遥かに遠くまで見渡せる。
「あれは……バルタベアか………?」
見覚えのある巨影を目を細めて凝視し、思わず笑ってしまう。
「なぁんで、あっちもこっちをそんなに見てんのかね」
巨大なバルタベアはその場から動かず、自分を見つめるちっぽけな少年を見つめ返す。
ふと少年はフィーリアに言われた言葉を思い出す。
「そういやバルタベアと目を合わせちゃいけないんだっけ…………?」
フィーリアに目線を送りながらそう呟き、バルタベアに視線を戻すと巨影はさらに大きくなり………否。
巨影が近づきプルスフォートの目前まで迫っているではないか。
街中にサイレンが響き、砦の門が手動で閉められる。
バルタベアが近寄るだけでこの騒ぎとなると、そんなにバルタベアとやらは危険な生物なのだろう。
「ミナサンホントスンマセン」
心の中で合掌しながらパニックに陥る街の民に謝罪する。
「んじゃ、苦手だけど飛びまっか!」
少年はその場から飛び降り、髪の毛を引き抜くと頭上に翳す。少年の頭はそれを追い、重力に逆らって飛行した。
「やっぱりこの玉が浮く感覚慣れないな。きぃもちぃわりぃ」
そう言ってる間にバルタベアは小さくなり、いつかは見えなくなった。この事で自分のこの飛行の速さを、改めて体感させられる。
方角はだいたい覚えている。
地図で見た方角に習っていけば辿り着ける。
おそらく二時間くらいで着けるだろう。
「それまで少し寒いが我慢してくれよ、フィー」
自分には風の抵抗も何も感じないが、フィーリアはそれとは違って影響を全て受ける。
普段なら大丈夫だろうが、今のフィーリアは凄く弱っている為、少しでも影響が減るように常に気を配らなければならない。だが、そんな事でフィーリアが良くなってくれるのならば少年は何だってする。
今この場で裸になっても構わない勢いで。
「あー、何ふざけたこと考えてんだ俺。フィーなしでも大丈夫なように、作戦立てなきゃならんと言うのに」
まず第一を考えよう。
ラーメルトラメルを探し出すこと。
ラーメルはプルスフォートの近くの小さな村にいるらしい。
第二ラーメルの捕獲。
ラーメルを捕獲し人鬼の実験の資料を見つけ出し、カルメ家の救済の糸口へと繋げる。
第三フィーリアを救う。
違う。フィーリアは救う事が第一であり考える程でもない程に当たり前のことだ。
フィーリアを救えなければ仮にこの戦争が終わったとしても俺はヒーローになれない。
「──まずいな……。完全に焦って思考回路がぐちゃぐちゃになってるわこれ………」
まず今は落ち着く事を考えよう。
落ち着かなければ思いつくものも思いつかない。考えることすらままならない。
「だあああああああああめだぁ!全ッッ然考えられない!」
着くまで何も考えずに景色だけを見て、心を静める事だけに集中する。
ーーーーーーーーーーー
───時は少し戻り、視点は爆破現場に移る。
「ウュチ神父ご無事でしたか!」
「神父殿一体何が………!?」
「神父様、とりあえずここから退きましょう」
次々と自分の心配だけをする騎士達の目を見てウュチは不機嫌に目を細めて立ち上がる。
騎士たちは自分の心配などしていない事を、ウュチはよく知っている。
自分が神父という位に上がってから、そういう目は何度も見てきた。
最初は神父になれて嬉しかった。
皆したがう、皆憧れる、皆自分を良くしてくれる。
だけど実際は違った。
皆自分に恩を着せて見返りを待っている。
汚い目だ。だが、自分も同じ立場ならそうする。
しかし、今はこの目に安心させられる。
そもそも神父というのは、歳を迎え戦場へは足を運べなくなった聖騎士のことを言う。
聖騎士が誰でも老いればなれる訳ではなく、聖騎士の中でも数多くの武功を挙げた者だけがなれる地位である。
その元聖騎士であるウュチが勝負事に立てば、相手は目にするだけで降参し、失禁しながら逃げる程の有名かつ威圧的なルックスだった。
だが、老いればその体も今までのようには動いてくれず、若い頃を愛しく思うことしか出来なくなった。
そして、久しく感じた自分の身の危機感を体感し、戦場の記憶を思い出して、思う。
怖い。
震える自分の口は閉ざされ、助けを求めれない状態は酷く息苦しかった。筆談を行おうとも考えたが、当然それを見過すことなどある訳がなく、常に監視され続け希望の火は静かに消えた。
だが、火の絶えたロウソクに、フッと現れた少年は新しい火を灯し、暗がりから引っ張り出してくれた。
助けを乞うことすら許されなかったウュチを、たまたま通りかかっただけの名前も知らない少年は問うた。
『死ぬのは怖い?』と。
灯が見えたウュチはその灯に必死に縋った。
しかし、少年はそれを否定した。
自分にそんな力はないと。
おそらく少年も同じだったのだろう。
だが、そんな少年は暗がりを見ることなく、新たな灯火を見つけては歩いてここにいる。
灯火を集める手段のない自分には不可能なことだ。
そう暗がりで俯く自分を少年は照らしてくれた。
見つけた灯火を、自分の物にすることなく分け与え、新たな灯火を呼び寄せた。
そして今、自分は暗がりを抜け出し灯を浴びている。
自分に顔を覚えられようと詰め寄る騎士達に、何があったのかを聞かれた。
ウュチは不安を残しながらも思い切って口を開き、半日の出来事を久しく感じ声を張り上げる。
すると、自分の中の何かが吹っ切れたような感覚を覚え、続けて言葉を発しようとすると、自分を見る騎士の様子がおかしい事に気がつく。
後ろを見るが何もいなく、馬鹿にしているのかと叱責しようとすれば声が出ない。
そして、気が付けば自分は冷たい床に転がっている。
「────」
視界のほとんどは床に流れる誰かの血に塗りつぶされ、口の中はベチャベチャしたような気持ち悪い感覚。
そして気がつく。
これは誰かの血ではなく、自分の吐き出した血なのだと。
「い……や、あ………。ひひはふあい」
心からの叫びは声となり、音として周りに伝わり、辺りを光で包み込んだ。
ーーーーーーーーーーー
プルスフォートの騎士団基地は、光に包まれると無音で破裂し、基地を半壊させ騎士団の半数を死亡させた。
半壊した基地の残骸の中から動く人影が一つ。
「ふん、ふっふふんふふふんふーん。これはやりすぎちゃいましたね」
月光に照らされ色白く淡い色気を放つ肌を纏い、服もなしに瓦礫の上を裸で散歩しだす。
「そう言えば、この場所だけ地下なのに外の空が見えますね」
顎を掴みながら空を見上げ、眉を寄せるがすぐに何も無かったかのように歩き出す。
「それにしても、新人を使ったのが不味かったですかね。恐怖に負けて簡単に口を開きましたよ。魔法を仕掛けておいて良かったですね。そう言えば、私が寄生した老人は残念でした。私が既に新人とは別に魔法を仕掛た事に気づけずに、口を開いて亡くなってしまうとはね」
欠けた月に手を伸ばし、届くはずのないものを必死に掴もうとするが、掴めずに顔に手を置いて吹き出す。
「ハハハハハ、まだ届かないですね。月夜、それは私。私、それは美しい。美しい、それは私!!」
自分の肩を抱きしめ小刻みに震えだし、両手を広げると満面の笑みを月に見せつけ、感謝を送る。
「美しい月よ、今日も美しい私を魅せてくれてありがとうございます」
月光の届かない地下の影に歩き出し、白い姿を暗がりに連れ去られる。
「また君に会えることが楽しみですよ。名前は確か、そう。アノンくん。君の顔が絶望に落ちる瞬間というのは非常に美味だ。君の前世は最高の顔をしてくれたね。ああ、私の求める者は君かも知れない」
灯を探すことなく自ら灯となり、暗闇を照らす。
そして暗がりの中でハッキリと存在を主張するその者は、黒い衣を纏い再び月光の下へ姿を現す。
「さあ、見せてもらいましょうかアノンくん。君の示すヒーローの姿というものを」
その者の背後には赤く光る点がいくつも現れ、その者もまた、双眸から赤い光を放ち月夜を見つめた。
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