-1.11 理想の破綻

-1.11






蹴っ飛ばされ地面に着地すると受け身をとり、顔を上げれば目の前には膝があり、回避という選択に至った時にはボルタの顔面に拳がめり込んでいる。


「ついでにお前のそのどうしようもない歪んだ性癖をなぶり治してやるよ!」


再び後方へと飛ばされ、二人は村から飛び出した。

周りは平地、障害物もなく歪んだ地面もない。


「くそがァ!!」


戦斧を地面に突き刺し勢いを殺し、戦斧を軸に一回転して迫る男に蹴りをくらわせる。

しかし、その足も掴まれては地面に叩きつけられる。

更に、掴んだ足を宙に投げ飛ばし、納刀せず腰に太刀を当て、少し長いが居合の構えを取る。


「ついでにお前の犯した罪も、俺が裁いてやらぁ!」


大地を砕く踏み込みから放たれる剣閃が、ボルタの腹部を捉えた。

一瞬、生まれて初めて死を覚悟したが、腹を伝う打撲の痛みが峰打ちだったということを知らせてくれた。


「お前、それでもカルメ家か?俺みたいなのにこんなボロクソにやられてよ」


一歩一歩近づいてくる足音に恐怖を覚え、「ひぃ!」とみっともない声を上げる。


「…!」


ボルタにはこの男が死神にしか見えない。

鎌をぶら下げてこちらにゆっくりと向かってきている。


「俺はお前なんかよりももっと強い奴を知っている。いや、お前は弱い」


「な、なにをぉ!」


戦斧を構えて突撃してくるが、動きが鈍く顔面に足を当てられ後方へと押し飛ばされてしまう。

転がるボルタの胸ぐらを掴み上げ頭突きをかまし、額を押し付け虚ろな双眸を睨みつけた。


「俺はお前みたいに強い気でいた。強さを求めて命を求めた。だがそいつに出会って俺は初めて負けた。敗けて負けて敗けて負けを繰り返した。絶望したよ。強くあれと、敗北を許すなと、自分に言い聞かせて強さを求めた結果、敗北の連続だよ。俺のプライドはズタズタにされた。だが、気づけば俺はズタズタにされていたのではなく、削られていたんだ。その削られたのをそいつに束ねられて。そいつの引いた手に、光に俺は惹かれた。強さとはいったい何なのか。これ以上強くなれないのかと悩みもしたが、じきにわかったよ。強くなるには強さを求めるのが遠回りなんだってな」


「うああがああああ!!」


獣の如く声を上げるボルタの双眸には、自分が映っているのかさえ分からない。

獣と化したボルタには自分の声はどうやら届かないみたいだ。


「おれはお前に話してるわけじゃねぇんだよ。引っ込んでろ!」


と言い放ち再びボルタに頭を打ち付けた。


「お前は死を感じた時、一瞬だけ喜んだ。だが今は違う、偽物に支配されている。ボルタ、お前は本当は強いんだろ、だったらさっさとその殻ぶち破って出てこい!」


ボルタの意識は、深い、暗い、水槽の中に沈んでいた。




ーーーーーーーーーーー




───物心がついてから、ずっと覚えている。


おかあさんの手はあたたかく、おとおさんの手は。

すごく、すごくつめたかった。

いもうとはちいさくて、せんさいで、すぐ泣くけど、かわいかった。


13歳になった頃、母からボルタを聞かされた、血を聞かされた、絶望を聞かされた。

この先生きていても先は永くないのかもしれない。

カルメ家が人鬼になったら身内が始末するんだとも聞いた。

もしも自分が人鬼になってしまったら。

母さんの事も忘れてしまうのかもしれない。

嫌だ、絶対に嫌だ。

忘れたくない、大好きな母さんも、大好きな妹達の事も。

いや、それよりも、自分の始末で妹たちの手を汚してしまうのが何よりも嫌だ。

妹たちにはそういう事とはかけ離れた生涯を送って欲しい。


だが、カルメ家に平穏など訪れる筈がなかった。

時の流れは早いものだ。

あっという間に三年が経ち、騎士団に属し三年の間に聖騎士に昇格してから数ヶ月、ボルタが16歳の頃、事件は起きた。


休日だったのでアーニャの人鬼適正診断に付き添ったが、急な雨が降ったので急いで家に帰れば、屋敷は薄暗く外の明かりだけになっている。いつも帰れば母が迎えてくれるのだが、今日はそうではないようだ。母を探していると、アーニャが二階で末っ子のフィーリアが母の部屋の前で、呆然と立ち尽くし中を眺めているのを見つけた。


「フィーリア?」


アーニャが幼い妹の名を呼ぶと、こちらに気づき駆け寄って抱きついてきた。

妹が母の部屋で何を見ていたのか気になったアーニャが、妹を置いて部屋を覗くと。

口に手を立て膝を崩し、屋敷に声を響かせた。


妹の声に危機感を感じたボルタは、廊下に飾られた剣を引き抜き妹の元へと駆けつけた。

崩れた妹の視線を追ってボルタが見たものは。


「………母………さん……?」


母であるリーンが、姿が変わり果てた父親に四肢をもがれ、喰われていた。

瞳から涙を流して虚ろを眺める母の目は、忘れられない。


「もう手遅れだけどこれ以上は見ちゃダメだ!フィーリア、アーニャを連れてここから離れろ!」


第一に考えたのは妹達を守る事。

母はもう助からない、せめても妹だけでも失いたくない、傷つけさせたくない。


だが、目の前にいるのは人外の化物。

全身が恐怖に溺れ、騎士になり握りなれた剣ですら剣先が安定しない。

ようやく気がついた人鬼は、口から鮮血を垂れ流し喰いかけの母をほかり捨てた。

母の血で染まった化物は、いつもアーニャが綺麗に掃除してくれている床を、血で汚してこちらに近づいてくる。

そのとき、ボルタの脳裏に母から聞いたカルメ家の掟が過ぎった。


「カルメ家の人鬼はその身内が始末しなければならない」


浮かんだ言葉を朗読し、震える剣先を安定させようとするが、治らない。

自分が殺らなくてはならない。

妹たちの手を汚さない為には、自分の既に汚れた手で殺るしかない。

殺るしかない。

覚悟を決めて一歩踏み出すが、その一歩が全身を硬直させた。

無理だ。やっぱり無理だ。頼む、誰か俺に勇気を、力を下さい。

妹達を守りたい。


そのとき、ボルタの心臓が一度だけ強く音を打ち鳴らした。

その気持ちが生んだのか、自分に流れるカルメ家の血が生んだのか定かではないが、ボルタの中の何かを閉じ込めていた檻が開放された。


人鬼が間近まで迫ると震えは増し、剣先は床に触れる。


「クククククク」


不気味に肩を震わせて笑うのは、先程までは震え上がって動けなかったボルタだ。

人鬼が伸ばした手の指を切り落とし、立て続けに跳躍して右の掌から肩までを一刀両断すると、空中で回転し、着地しするまでに右足の肉を全て削ぎ落とした。

たかが16歳が成せる技ではない、これは代々引き継いできた血の本能が見せた動きなのだろう。


体を損傷し暴れ狂う人鬼をうっかり殺してしまわぬように、体の端から骨すら細切れになるほど斬って、斬って、斬って、斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬った。




気がつけば床は赤く染まり、足元には大量の肉塊が転がっている。

手に感じるこの感覚。

自分はやったんだ、遂に殺ったんだ。

なんだこの背筋を伝うゾクゾクする感覚は。

これが快楽なのか。命を奪ったことで快楽を得たのか。これが命。なんて素晴らしいのだ。簡単に潰せてこんなに気持ちいい。


転がった自分を眺める眼球を踏み潰し、振り向くとこちらを怯えた目覗くアーニャ。

無事を確認すると安心感が湧くが、それと同時に、今までに感じた事のない欲求衝動が沸き起こる。


あぁあぁ………上質なお肉。………お前はあれを失えばさらに強くなれる


「いらない!そんな力はいらない!」


欲しいって言ったのはお前じゃないか。

あれを失ったショックでお前の中の何かが吹っ切れる。


「妹を失うくらいなら死んだ方がマシだ!」


それは困る。


「だったら交渉しよう。俺の体お前にくれてやってもいいが、これから先妹には絶対に手を出すな」


そんな事でいいのか?


「妹が、家族が無事なら俺はどうなろうと構わない」


そうか、交渉成立だな。




それから、優しかったボルタは人が変わり、聖騎士という立場であらゆる罪人を殺めてきた。

だが、そんなある日のこと。

ボルタ限定の依頼が届いた。

その内容は聖騎士としてではなく、カルメ家としての内容だった。


ゴア・カルメ家で人鬼が現れたから始末してほしいとのことだ。

一人っ子でなければ、その家の者に始末させればいいものを。だが、また新しい玩具で遊べる事に喜びを覚えた。


実際に行ってみれば、カルメ家は全員胸を鷲掴みにして横たわっていた。

一部の者は手足から黒いモヤを生産している。

この光景を見て、今まで眠っていたボルタが目を覚まし、心を痛めて胸を押さえて心臓の鼓動を感じる。

大丈夫、自分はまだ生きている、人鬼じゃない。

大げさにリズムを刻む心臓の鼓動が、自分の存在を教えてくれる何よりもの証拠だ。

だが、いつかは自分もこうなってしまうのかもしれない。


「頼む、殺して………欲しい」


「………!」


背後で横たわる自分と歳が近く見える青年に、自分を殺して欲しいとの依頼をされたが、今のボルタは首を横に振って断った。

Yesでもnoでもどちらにせよ自分は後悔する。


「頼む……人のまま死にたいんだ……」


「……!?」


カルメ家は嫌でもいつかは人鬼になってしまう。

好きで人鬼になる奴などいない。

この男はその中の一人なのだろう。

もしも、自分が同じ状況下に陥ったら、彼と同じ事を言うだろう。


握り慣れない戦斧を逆に持ち、槍のように鋭い戦斧の尻を男に向けた。


「出来れば……ここ………にいる皆の分も……お願いしたい」


苦しむ彼らを見殺しには出来ずに、涙を流しながらもボルタは戦斧を握った。


「君の様な人に………こんな仕事を任せて、申し訳ない」


「あああああああああ!!」


感情を声で抑え殺し、戦斧の尻を男の胸に突き刺す。


「本当に……あり…が…………」


最後に男は申し訳なさそうにしながらも、笑って逝った。


一人を殺めただけでこの有様だ。

こんなのじゃ心が持たない、あと四人分この辛さを味わなければならない。


「ああああああああああああああああああ!!」


辛さが嫌で、勢いに任せて苦しむ皆を適当に殺してしまった。

自分は自分のことに精一杯すぎた。


隣で獣の如き雄叫びを叫ぶ人鬼がいる。

その声が自分には、とても哀しみを謳っているように聞こえた。


人鬼は家を飛び出して、外に解放されてしまった。

これから彼は自分のせいで人鬼として人を殺し、自分のせいで人鬼として生きていかなければならないのだろう。


───もういいだろ?


「ああ、もう疲れたよ」


───お前は間違っている。


「ああ、俺が間違っていた」


───辛いのは嫌いか?


「ああ、当たり前だろ」


───俺に任せておいた方が楽だろ?


「ああ、そうだな」


───これからは俺に任せろ。


「ああ、これからも頼んだよ」


膝を折って泣き崩れていた姿はどこにもなく、辺りには死体が転がっており、唯一立っているのはと言うと。


「これでいい。これでこいつはもう目覚めない」


口元を歪めた男。


「これから先は、俺がボルタ・ロア・カルメだ」




ーーーーーーーーーーー



───だったというのに。


「出てこい、ボルタ!」


この男が来たせいでボルタが目覚めつつある。

それどころか、閉じ込めていた檻すら破ろうとしている。


「うぐあ、が……ぐ……駄目だ、抑え……きれない」


───しかし、その時だった。


もう少しでボルタを救えそうだっというのに。

男は後ろで異常な速度で飛行する物体を捉えた。


「空気読めやボケがぁ!」


横を通り過ぎようとする飛行物体を蹴りつける。

すると物体は地面に落下し分裂した。


「いててて、何すん……!」


飛行物体は分裂すると人型へと変わり、片方が顔を上げた瞬間、顔面に膝がめりこんだ。


「ぶふぇらぁ!」


「アノン!」


蹴っ飛ばした男にもう片方の人型は飛びかかるが、腕を掴まれて投げ飛ばされる。

掴んだ腕は獣毛に覆われていた事から、獣人と思われる。


「くそ、行かせない気かよ………フランコ!お前だけでも村へ行ってくれ!」


投げられた獣人は叫ぶ少年に手を振って了解を表し、受け身をとると真っ直ぐ村に走り出した。

それと入れ違うように、アーニャが短刀を持ってこちらに駆けつけてきた。

獣人と入れ替わる瞬間、火花が散った。

否、これは火花ではなく、フランコの血飛沫だ。


「ぐぅ、痛てぇ!」


痛みに声を上げ、立て続けに繰り出される斬撃に身を投げ出した。

避けきれないのなら、迫って手を塞げばいい。

短刀の腹を弾いて斬撃を防ぎ、目と鼻の距離まで詰めよれば………。


「……?」


「ふぅ……危なかった」


どうなっているのか理解できないフランコは、地面に転がり下から女性を見上げている。

何故だ……体が動かない。


「数分で起き上がれるようになるから安心してね」


それはつまり毒を盛られたということか。

考えられるのは一つしかない。

あの短刀に毒がもられていて、初撃でくらった毒が今効果を表したという事か。

幸い殺されなかった事に感謝しつつ、呼吸を整える。


アーニャが男の元に着くと、男は頭を押さえるボルタに指を指した。


「そいつはまだ戻れる。あんたが介抱してやってくれ、悪いが急用が出来た、後のことは任せる!」


アーニャはボルタに向き直り、まっすぐと歩き出す。

苦しむボルタの正面に座り、頭を抱える手を取り微笑んだ。


「あのねお兄ちゃん、私結婚したんだよ。三人の子供もいて、お父さんと違って優しい旦那さんもいる。今まで行方不明だったフィーちゃんも帰ってきたんだよ。皆大切で欠けてほしくない掛け替えのない大切な家族なの。でもね、まだ私の中ではあなたが欠けてるの。あなたはお兄ちゃんだけどお兄ちゃんじゃない。……だからお願い……優しかったお兄ちゃんを…返して!」


妹の叫びにボルタは、心臓が跳ねる音を聞いた。

遅れて、現れたフィーリアの声にと止めを刺され、光無きボルタの瞳に光が戻った。


「お姉ちゃん!」


「うう……アー…ニャ」


その名を呼ぶボルタの表情は、先程までの苦痛の表情ではなく、最愛の人に会えたかのように穏やかだ。

安心で手がダランと伸び、地面には届かず落とした戦斧に落下する。


「お兄ちゃ………っ」


アーニャの安堵の表情が一瞬にして赤く染まった。

力なく倒れ込み、ボルタの胸に沈む。

あろう事か、自分の意識と関係なしに、彼女の背中に戦斧の尻が突き刺さっているではないか。


遠くで聞きなれた嫌な声が聞こえる。


───すぐにお前は油断する。そこを突けばお前は崩れるはず。


「あ………あああ………あああああああ!!!」


穏やかな表情は崩れ、目からは涙ではなく、黒いモヤを流し、それはやがて周辺に染み渡り、地面を黒く染め上げる。


「大丈夫、大丈夫だよ。安心して……私は大丈夫だよ」


むくりと起き上がり、口から血を溢れさせながらもボルタに抱きついて背中を擦り気持ちを鎮めさせようとする。

そう言いつつも、自分の体はとても危険な状態に陥ってる事を理解している。


「俺のせいで、俺のせいで、俺のせいで俺のせいで俺のせいで俺のせいで俺のせいで俺のせいで俺のせいで………アーニャが、妹が!」


「駄目、私は大丈夫だから落ち着いて!」


その声はボルタ自身には届かず、散りばめられた黒いモヤがボルタの体を包み込んだ。


「お兄ちゃん!」



ーーーーーーーーーーー




───謎の男に襲撃されてからずっと、避けて避けて避けてばかりだ。


近くに森があったはず、そこに隠れながら戦えば人間相手なら何とかなるはず。

避けながら拾った石に血を付着させ、男に投げると見せかけて森へと投げ込んだ。

斬りつけられる瞬間に再生を開始し、進行方向にいる男に体当たりを仕掛けるが。


「……!?」


まるでそれをしてくる事を待っていたかのように、あっさりと避けられ背中にライドオンされてしまった。


「なゃにぃ!?」


「あ?」


空中にいる間は思う様に動けない。

そして今、この男とまさかの空中ランデブーだ。

男は太刀の刃を眺め、少年がいざゴールに着きそうになると、全身を細切れにして飛び降りた。


少年は何が起きたのかさっぱりわからなかったが、再生前の一瞬の痛みと地面に塗られた自分の血で大雑把ながらにも理解する。

続いて襲う斬撃に腕を切り落とされ、焼けるような痛みが腕に集中する。

近づいてきた男が丁度傷口の正面にまで迫ったのを利用し、ノーモーション再生を顔面に喰らわそうとするが。


「再生の速度を避ける上に、二十数メートルの距離を移動しきる前に体を消されて、再生ですら避けられるとは思わなかった」


「そんな強そうな言い方はやめろよ、斬られたことを消すだなんて魔法みたいな」


「ゼロ距離であれを避けるのは不可能に近い程の速度だ。それをお前は避けた、つまりお前は神憑きだな………!」


「ほぉうほぉう、正解」


「お前は未来を見たんだな」


「あーおしい。正確には未来を見てきた。それが俺がお前を殺す理由だ」


未来を見たところで避けられるかは別だが、これからどうしたものか。

殺すとか言ってるし、逃げれないし、ハッタリでもかけてみるか。


「悪いが俺は今見た通りの不死身だ。残念ながらいくら殺しても何度でも蘇る」


少しベタだがこれで何とか退いてほしい。

だが、そんな願いは思わぬ発言に打ち消された。


「言っただろう?俺はお前を殺しに来た」


み、見えない。


刹那の間に再び体を細切れにされ、見えない太刀筋に抗えず、四肢を内蔵を頭部を胴を骨を血液を失い、全てを斬られまくった。


斬撃の嵐は治まり、再生し立ち上がろうとするが。


「……あれ……?」


身体と共に精神も斬られていたのか、立ち上がろうにも全く立ち上がれない。


「お前……何で…」


「俺を殺すのかって?」


少年の頬に太刀を押し付けると、溜め息を吐き捨てて納刀した。


「そりゃあお前が救えない糞野郎だからだよ」


救えない?どういう事だ?さっぱり理解できない。


「救えるだけ救えぬ者を救いたいのだろう?フランコを、フィーリアを失いたくないのだろう?」


「当たり前だ」


「その願いは今ここで諦めろ、お前はこの先何も救えない、お前を待つのは絶望だけだ。もしくはここで死ね」


「どっちも願い下げだね!」


舌を出し下瞼を引いて、ようやく動いた足でその場から逃げ出した。


「お前がそれを望むなら、俺はお前を殺して二人を、他を救うよ」


隠れていても居場所は分かる、お前をただ殺すだけじゃ駄目だ。


「現実を見てから死んでいけ」


跳躍一つで少年に追いつき抜刀し、追いつかれまいと石を投げよこすが、当然の様に避けられ投げた左腕を切り落とされる。


「うぁあうが!!」


「次は足だ」


「……いいや、お前だ!」


少年がそう叫ぶと、どこからか飛んできた矢が男の背中を射抜いた。


「新手か………いや、これは!」


一つが刺さればそれに続く様に、後ろから複数もこ矢が男に、ではなくその正面の少年に向かって降り注ぐ。


無防備な状態からこの速度を避けるのは不可能だ。


「……やむを得ない」


男は嘆息を吐き捨てると降り注ぐ矢に身を晒した。

矢がその身に刺さろうとも勢いは治まらず、頑丈に作り上げられた体を貫き少年に帰る。

はずだったのだが。


「……あれれ?」


帰ってくる筈だったのだが、矢が帰ってくるどころか羽丈だけを残して男の背中から落ちた。


「片道切符を使った覚えはないんだけどな」


「死ね」


「ちょまてまてまてまて!!その一言で死ぬのなんかやだ!!」


腕の痛みを忘れて両腕を振りながら必死に命乞いを行うが、男の冷徹な目に心臓を鷲掴みにされる。


「どういう事だ、腕が再生出来ない。まだ精神が癒えてないってのかよ」


「言っただろう、俺はお前を殺しに来たと」


これは流石にマズイと不死身になってから、その存在の否定を初めて体感させられ、死に対する憧れではなく恐怖が込み上がる。


「お前の理想は人を救えない。お前は他を殺し、一人になり、一人にしてきた」


『お前は救えない』

未来を見てきた男が言った言葉が、鋭い針となり少年の胸に刺さる。

この男が言うには少年が救いたいものを救うために全てを失い唯一残った者を一人にしてきたそうだ。説得力のある言葉の重さは尋常ではない。


足を掴まれ森の外へと追い出される。

この方向は確か。


「お兄ちゃん!」


青い髪、カルメ家の女性が黒いモヤに対してそう叫ぶ。

その奥では女性と同じく黒いモヤを眺める少女が、唖然と見つめ手を震わせながら剣を握っている。


「お兄ちゃん、気をしっかり保っ………!」


立ち上がろうとした女性は口から溢れ出す血を吹き出し、その足元に口を押さえて倒れ込んだ。


「………これはまずいかも」


止まることなく溢れる血に自分の死を悟り、駆けつけて来てくれたフィーリアの手を握って苦笑を浮かべる。


「フィーリアお願い、私はもう失いたくないの。だから……お願い」


「嫌だよ、まだあったばかりなのに!」



薄れ行く意識の中、アーニャは人生を閲覧した。



ーーーーーーーーーーー



カルメ家は15歳を超えると必ず3年以内に病院に行って採血をしなければならない。

たまたま休日だったボルタは着いていくと言いながら、道中では診断結果に怯えながら足を震わせていた。

そこで病院の先生に言われた。


「君は非常に明るい性格で、若くして人鬼になる可能性は非常に低い」


その言葉を聞いた付き添いのボルタが誰よりも安心し、安堵を浮かべて胸を撫で下ろした。


「だけど、人間負の感情を持たずして生きるのはどうも無理らしくてね」


医者は採血の結果が記してある紙を差し出した。


「君はAX-と出た。この意味は分かるかね」


紙を見て、医者の言葉を聞いて瞳を曇らせたアーニャは静かに頷き、後ろのボルタは聞いた途端涙を流した。


「一応説明しておくけど、カルメ家の血は特別でね、一般の血液型の横にその印であるXを置かなければならなく、さらにカルメ家の中でも血を分類されて君の様に-やお兄さんの様に+で分けられる。多くの人は+で-は少数なんだ。この±というのは、簡単に言うなら人鬼になりやすいかなりにくいかって事でね、普通な人も安全と見られて+を押される。まぁ、+は対してどうでもいいんだけどね-はちょっと厄介なんだよ。生物には感情袋と言うものがあってね、それは人間という木になった果実。その感情袋には負の感情がしまい込まれて溜め込まれる。でも、溜まりすぎると重さに耐えれなくなった袋が、落下し破裂して人鬼になってしまうから、正の感情が感情袋に穴を空けてそこから零れた負の感情を食べてくれるんだ。しかしカルメ家はどういう訳か、その感情袋に穴を空けれないらしくて、一方的に溜め込んでしまうそうだ。+の人は一般の許容量と変わらないが、-の人は簡単に落ちてしまう。例えるなら、皆がリュックに詰めて来ているにも関わらず、同じ量の物を自分はポケットだけに詰め込むみたいなのでものだね。若くして人鬼になるのは皆決まって-の人ばかりだ。溜め込みやすいかは人によるけど、君の感情袋は言わば豆腐の様なものだ。簡単に蓄積された負の感情を、少しでもショックを与えれば簡単に崩れ落ちる。気を付けて生きていくんだよ」


『豆腐の様なもの』


医者に言われたその言葉を常々思い出し、負の感情を抱かないように心掛けてきた。母を失った日はショックのあまりにやけ酒をした。幸いにも、今まであまり溜め込まれてなかったために、感情袋は落ちることなく酒に溺れた。

アーニャはやけ酒をして気付かされた。

アルコールが頭に回れば、物事をそこまで考えずにすむと。

それからアーニャは酒を常に持ち歩いた。

フィーリアが失踪した日は一番飲んだ。意識が飛ぶほど飲んだ。何も考えたくないと。でも考えれば頭に必ずフィーリアがいる。


兄は豹変してから帰らない。

フィーリアはいない。

一人で過ごすには広すぎる屋敷をでて、旅をしていた時に旦那と出会った。


私はこれから死んじゃうけど、あの人とあの子達は大丈夫かな。イジメにあわないかな。

最後にフィーちゃんに会えてよかった。でも、やっぱり子供たちの顔も、もう一度見たかった。

死んだらもう会えないんだよね。

え?会えないの?嫌だまだ私はあの子達の成長した姿を見てない。見たい。

駄目。考えちゃいけない。

人鬼になったら生き永らえても地獄。


でもやっぱり最後くらいわがまま言っても、いいかな。


「フィーちゃん、私……やっぱり悔しいよ」


フィーリアは初めてアーニャのこんな顔を見た。

涙で顔はグシャグシャになり、次第にその涙はボルタのと同じ黒いモヤに変換されてゆく。


「お姉ちゃん……」


体が黒いモヤに包まれ掴んだ手でさえも原型を失い、異形の形へと変わった手をそれでも尚、フィーリアは握り続けた。


遠くでそれを見守る男と足元に転がる少年。

男は見慣れたかのような目で眺めるが、少年は頭に男の言葉を何度も往復させながら見ていた。

ただ見ていた。自分は動こうとしなかった。行っても何も出来ないと理解し、それを言い訳に動けなかった。動かなかった。


『お前は救えない』


この言葉の意味はこの先の人生で何度も体感しそうだ。

気がおかしくなったのか、少年は声を上げて笑い出した。


「これが現実だ」


「ハハハ……あははははははは!」


理想の対義語が現実であるように、理想では現実を語れない。

現実は夢を見るものではなく、夢を実現するものでもない。理不尽を見せて、理不尽を実現するものである。


「カルメ家の知り合いに聞いたことがある。代々引き継がれる血の中で、穏やかな奴が豹変する事は珍しくないそうだ。そいつも一時期それになりかけたらしくてな、血の本能に従うというよりは、何かに取り憑かれて本人ではなくなってしまうらしい。それは、今までに無念に死んでいったり、人鬼として処分されたカルメ家たちの怨念から生まれた亡霊たち。あの先に人鬼になったボルタも同じ症状だそうだ」


「はははははは」


「現実は厳しいよな。亡霊になってまで、子孫に取り憑いてまで生きようとするあいつらを、こんな簡単に殺してしまうんだからな」


「はははははは」


「お前、気は変わったか」


「こんなのを見せられれば誰でも変わるだろ」


思考を遮断していたが、現実を受け止め再度考え直した。答えを迫られるが、こんなものを見せられて何も思わない奴などいないだろう。


「だがな、こんな現実だからこそ救いを求める声が存在するんだよ!」


答えは当然。変わらない理想だ。


「最後にお前に教えてやるよ」


太刀を首に押し付け冷徹な眼差しを浴びせてくる。


「今のお前の再生のストックは二十人分だ。だが俺は既にお前を二十人分再生させた。ストックが尽きた今のお前の体はただの人間に戻っている」


再生しない腕を眺めては、自分の体の謎が一つ解けて思わず納得してしまう。


「つまりお前を殺すには今の状態が最適という事だ」


少し首から刃を離し、斬首の勢いをつける。


「理想を抱いたまま一人で死ね!」


先ほどまで殺すことを躊躇う気配のなかった男だが、今は手を震わせて殺すのを体が抵抗しようとしている様に見える。

だがそんな手も感情を打消す程の叫びで強引に動かし、少年の首に狙いを定めた。


「……?おいお前、何で体から蒸気が出てんの?」


首を刈ろうとした手を止め、自分の体を見てみれば確かに言われた通り、音を立てて蒸気が発されている。


「まずいな」


男は太刀を納刀すると少年の首を諦めて一目散に逃げ出した。

取り残された少年は、ボロボロになった体を立ち上がらせ、腕のない左肩を押さえてフィーリアの元へと歩き出した。


ーーーーーーーーーーー


形が完全に生成されてない二体目の人鬼の手を握り続けるフィーリアを、ようやく毒が抜けて動けるようになったフランコが抱えてその場から離れた。


走った先で、大怪我を負いながらも再生せずに歩く少年を見ては疑問に思ったが、事情を聞いて納得する。


「救える算段は浮かばないが、とりあえずやれる事をやろう。ベタだけど、動きを止めてからマルシィが声をかけて感情を呼び戻してみよう」


「了解」


「わかったわ。絶対に助け出したい」


男の言葉を思い出しては唇を噛み締める。

これは意地であり、理想を現実に変えるための一歩だ。


「俺は救うぞ。決められた未来なんて存在しない。可能性は無限の分岐だ。お前の見た未来になんて進むものか!」


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