-3.2 シオン

-3.2


何とか地図の場所にたどり着けた青年はそこに見える景色に一目惚れしたように見とれる。


風に撫でられながら崖に鮮やかに咲く花達、その奥には高さを忘れるほど広大に広がり空の色をそのまま写した様に透き通った海


できることならずっとこの景色を観ていたい、初めての場所なのに懐かしさを感じる。


そんな青年を知っている声が耳を貫く。


「あぁ!!来てくれたんだぁ~!!」


石柱の横から顔を出したのは騎士の制服ではなくワンピース姿の紅い瞳を持ち奥の海のように青く長く伸びた髪の少女。


「……」


少女の名前がわからず少し戸惑う青年を見て察したのか少女はクスッと戦を経験したと思えない様な優しい顔で笑う。


「ごめん名前言ってなかったね私はアイビー、アイビー・ゴア・カルメ。あなたは?」


「……ない」


「ないのかぁ…でもないと呼ぶとき君やあなたじゃ困るしなぁ……そうだ!私決めていい?」


石床を黒板、石ころをチョーク代わりにし、名前を二つ挙げる。


「んーどうしよっかなぁ、ねぇねぇ!シオンかアスターどっちがいい?」


「どっちでもいい」


「それじゃ困るよぉ……んー」


顎に指を立てて悩む少女の前に2匹の蝶がシオンと書かれた文字に着地する。


「決まったよ!あなたはシオン、よろしくねシオン!」


バッと立ち上がり、ニッコリと微笑みシオンの手前に手を差し出す。


シオンもつくり方すらわからない笑顔を自覚なく作り、その手に応えようと手を優しく握り返す。


それから少年は少女の事を聞いた。

そんなデリカシーのない唐突な質問に少女は躊躇いなく答えてくれた。


少女も自分と同じ様な存在だった。

しかし、鏡の様な存在でもあった。


少女は強く、何も失わなかった、失うものがなかった。

人であり人から恐れられる人。

少女は産まれると共に家族を失った。

それ故に、力以外何も持たずに育った。

ある日少女は思う。

自分も何か欲しい、形のない何かが。

少女は探し求めた、自分が欲しいものを、失いたくないと思えるものを。

しかし、手に入ったのは、聖騎士という空っぽの肩書だった。

違う、こんなものじゃない。

少女はさらに探し求め、人鬼の群れに襲われた王都を救い、いつかは無双の英雄とまで呼ばれた。

分からない、私が欲しいものは何なのか、どうやったら手に入るのか。

迷走している時に出会ったのがシオンだった。

人鬼でありながら理性を持ち、苦しみで泣き崩れる子供を見て、いくつもの命を奪ってきた少女が初めて守りたいと思えた小さな命。


話を聞き終わったシオンは立ち上がり、アイビーを見下ろす。


「俺はお前に救われた恩を仇で返す」


「恩だなんてぇ、えへへ、………え、今なんて?」


「剣を構えろ、今から俺はお前を殺す」


「い、嫌だよ、シオン強いもん」


「やる気がないなら出させるまでッ!」


必死に抵抗する無防備なアイビーにシオンは刀を抜き問答無用で斬りかかった。


それでも武器を出さないアイビーは、シオンが繰り出す斬撃を舞い散る花びらの如くひらりひらりと避け続けたが、


「舐めやがって…」


それが余計にシオンを刺激し、斬撃の速度を加速させた。


それでもまだアイビーは武器を出さず避け続け、面倒くさくなったのか、シオンから距離を置く。


「どうした、まだ俺じゃ足下にも及ばないってか」


「ううん、そうじゃないよ、シオンは強い、充分過ぎるほど強いよ。………でもまだ私には届かない」


シオンは歯噛みし、距離を詰めるべく跳躍すると、目の前にいたはずの少女がいない事に気がつく。と、同時に腹部に衝撃が伝わる。

その場で腹を抱え膝を着き、薄くなってゆく意識を何とか繋ぎ止めるシオンを今度はアイビーが見下ろす。


「おやすみ、シオン……」


「くそ…う……」



────あれから何時間経ったのだろうか。


ゆっくりと目を開けると青かった空は、はちみつのような琥珀色に染まっていた。


意識が覚醒したシオンの後頭部に柔らかい感触が伝わる。


「おはよう」


不意に視界の中にアイビーが覗くように割り込み、変わらない優しい笑顔で話しかけてくる。


「お前の顔と胸が見える。なら今俺の頭は膝に乗ってい…………ッ!?」


唐突に頬をひっぱたかれたシオン、なぜ叩かれたと言わんばかりに頬を抑え驚愕する。


なぜ膝で寝ているのかというのは聞かずともだいたい察しがつく、恐らくアイビーが硬いとこで寝ると体を痛めるからと、気遣ってくれたんだろう。


「夕方も綺麗でしょ、心が洗い流されていくみたい…仕事の後ここに来ると心が洗濯されるの」


そんな事をアイビーは風に揺れる髪を耳に掛けながら囁いた。


シオンは瞼を閉じると、ふと我に返ったかのように目を見開き、起き上がり置かれていた刀を再び抜く。


「さっきはごめんね、私手加減の仕方を知らないから」


「違う!そんなんじゃない!お前の手は優しかった、暖かかった、その暖かさをもつ者があんな戦場にいてはいけない!そして俺は鬼だ、だから俺は騎士であるお前を殺す!」


「そっかぁ、でもごめんね、私が死んだらこの国は終わってしまうの。こんな私でもやれる事はこの国を護ることなの、だからまだ死ねない」


「この国を守るんだろ?なら、まずは自分の目の前にいる鬼から守ってみろ!」


シオンが雄叫びを上げると再び斬撃の嵐がフィーリアを襲う。

変わらず避け続けていたアイビーだが、髪の毛先を刀に刻まれた事により、ようやく余裕の表情が消えた。目を鋭く光らせたアイビーはシオンの背後へ周り込み、腰に手を回すと、アイビーの膝は直角に曲がり腰は曲線を描く。

勢い良く石床に後頭部を叩きつけられ、シオンの意識はまた飛んでいってしまった。

両手を振り上げガッツポーズの後は、元に戻ってシオンを見つめては感心する。


「……驚いた、半日しか経ってないのにもう私に当てれるようになったね」


倒れたシオンを抱き起こし、だらんと垂れる頭を撫でシオンの成長速度に少し喜んでしまう。


────1時間が経過するともう外は暗く、月と星の明かりが夜空を照らす。


意識が覚醒すると共にシオンは跳ね起き再び抜刀した。


「目覚めるのも早くなったね、私もそろそろ使わなきゃやばいかも」


と、いうと腰から護身用の短剣を取り出す


「成長の御褒美に私の剣をもう一度見せてあげる」


シオンが居合斬りの構えをとると、アイビーは一つ深呼吸し剣を構えることなく間合いに踏み込む。


シオンはフィーリアに三度挑み、全て負かされ続けた。

勝って強さを手に入れて来たシオンとって、この戦歴は勝負に対するプライドをズタボロにしてくれた。そのうちの二回は剣を抜かせることなく敗北し、ようやく抜かせた今でもフィーリアは抜いた剣を構えること無くシオンの間合いに踏み込まれた。

これらの敗北から生まれた屈辱がシオンの身体の限界を押し上げる。

強者を喰らい、敗北を喰らい、そして屈辱をも吸収したシオンから放たれた刃閃は真空を生み出し、間合い外の石柱に鮮やかな斬込みをいれる。


「………。───ッ!」

しまったと思った時には時すでに遅し。

そんな気はなかった筈なのに、くたらない感情に負けて、たった今自分は少女を両断してしまった。

シオンは恐る恐る顔を上げると、


「はい、私の勝ち」


アイビーの短剣はあっさりとシオンの首を捉えた。


幸い少女の体は分裂しておらず、よかったという安心感と共に、何が起きた、という疑問が今起きたことについて何度も問いかけていた。

シオンは脳内で今自分の目に映ったことを何度も再生する、しかし再生する度に毎回一つの言葉が浮かび上がる。


《理解不能》と、


確かに今腰を捉えたはずだ、なのに少女の腰をすり抜けた様に見えたのは気のせいだろうか。


いや、そんな筈はない、ならなぜだ、なぜ少女は今もここに立ち、俺の首に刃を立てる。

様々な疑問が次々と浮かぶシオンの思考を一つのカランという金属音が休止させ、ノイズが走る脳内を一掃させた。


それは、シオンの刀の先がへし折られ、宙を舞い、落下した金属音だった。


少女の体をすり抜けたのではなく、すんでのところで刀を斬られていた?

そんな馬鹿げたデタラメあるはずがない。

だがそんなデタラメが事実。でなければこの少女は立っていない。


駄目だ、届かない、せっかく剣を抜かせたと思ったのに。

だからといって諦められる俺じゃない。


「うおぉぉ!」


「まだ、まだ届かないのね」


後ろから折れた剣を振り上げヤケクソに走るシオンにアイビーは剣の柄尻をシオンのみぞおちに打ち込み、シオンは本日三度目の昏倒に入った。


先程より一層暗くなった空では、星と月明かりが一際綺麗に輝き、遠くで波打つ音が聞こえるほど静かな夜。


意識が覚醒し、ゆっくりと目を開ければ知らない天井 。


ここはどこだ……誰かの家か?


すぅーと寝息が聞こえ、ふと横を見るとアイビーが丸まって寝ていた。


……そうかここはこいつの家か……布団は一つしかないのか。

また俺に気を使って……。


「はぁ……」


シオンは深くため息をつくと自分にかかってた布団をアイビーに掛け、家を出ると近くに先程の石造りの城跡の様なものが見える。

シオンは近くの木に寄り添い筋トレを始めた。


もっと強くならなければ…もっと強く、もっとッ!


────鳩たちが朝を知らせてくれる時間。まだシオンは筋トレをしていた。


「おっはよーう」


寝ぼけた声で髪もボサボサ、年頃の女の子とは思えない姿の少女アイビーが、ボロい木造建築の家の窓から口に手を当てあくびしながら顔を出す。


これが英雄と呼ばれる聖騎士の私生活とは思えない様にシオンは疑いを隠せず唖然と見つめてしまう。


ぼさぼさのまま家から出てきたアイビーはそんなシオンを見てクスッと笑う。


「これが国から英雄と呼ばれてるやつの生活なのか……!?て、今思ったでしょ-!そうだよこれが私の日常なの!」


寝起きでありながらハイテンションのアイビーは後ろで手を組み続ける。


「でもねお金が無くてこんな生活送ってるわけじゃないんだよ?あぁでもお金が無い訳じゃなくてね一応沢山貰ってるの、あのね、好きでこういう生活してるの。やっぱりね、貴族みたいな生活は私は好きじゃなかったからこういうほのぼのぉーっと、した日常が送りたいんだぁー……。村人と仲が良くて笑いあって野菜とかね余ったからあげるよ、とか助け合って仲良しな生活を夢見てたんだぁ。まぁでも、近くに民家なんてものは無いけど。……てぇッ!朝から何やってるのぉ!?汗だくじゃない!」


「筋トレ」


「そういやシオン……………最後にお風呂に入ったのいつ?」


「お………フロ?」


聞いたことあるようなないような響きに首を傾げるシオン。


「しんっじられない!お風呂を知らないなんて!!鍛錬はいいけど!臭いし汚いからお風呂絶対入ってよ、沸かしとくから!」



気遣って貰ってばっかだ。俺はあいつに何もしてやれない。


「沸いたよー!!」


「悪いな」


「もー」


「何だ?これは」


ドラム缶の下に火をつけて、中には……水か?


「これをどうすれば?」


「まぁ最初はとりあえず全部脱いで入るの。服は洗濯するから出しといて、あぁ、入り方はね…………ッ!?、てちょちょちょッ!なんで今目の前で脱ぐのぉ!?少しは自重しなさいよ!」


目をつぶり手をワタワタとするアイビーにきょとんとした顔でシオンは応える。


「脱げって言ったのお前だろ」


「わかったから!私が悪かったから!早くそれに入ってよぉーッ!」



「お湯の中に入るのか。なるほど、気持ちいな」


鬼になる以前の記憶はなく、風呂というものを忘れている。

シオンは地面につくまで伸びた髪に気にせず頭をだらんと下げ風呂を満喫する。


裏の小川にてジャブジャブと音を立て洗濯をするアイビー。


……はぁー、シオンは世間知らずだなぁ、私が色々と教えなきゃ!


「おし!あとは乾かすだけ!やること無くなっちゃった、乾くまでのシオンの服装どうしようかな……」


顎に手を添え、悩む少女の思考を何かが遮る。


「あああああああああああああああああああああああああああ!!」


突如、一帯に響く悲痛な叫びがフィーリアの鼓膜を震わせる。


「なになに!?何が起きたの!?」


フィーリアは急いで家の方へ向かい、シオンの元に駆けつけると、


…シオンの頭は燃えていた。


「何やってるの!?」


「か、髪に!下の火がぁ!!」


火を消す為に置いておいたバケツの水を持ち上げ、


「そぉれぇぇ!!」


勢いよくシオンの頭をめがけ水をぶっかける。


火は消えたが、頭が焦げたシオンは呆然自室となり、口を開いたまま動かない。

それを見たアイビーは、昨日のシオンと見比べてしまい、あまりの別人っぷりに耐えきれず吹き出してしまう。


「プフ、アハハハ」


それからアイビーは笑い疲れるまで笑い続けた。


「あ〜あすっかり焦げちゃったね、あ、そうだ!これを機に髪切っちゃおう!ね!いいよね!」


「…………」


湯につかりながら散髪を受けるシオン。


チャキチャキ、チャキッ


「あ、やば」


「なぁ…」


「はいぃ!!」


「何でお前....騎士なんかやってんだ?」


「ふぅ、え、あぁ……こんな私が出来る事と言ったらこの生まれ持った力を使って国を護る事、そしてそれを生きる理由にしてきた」


「そうか…」


チャキチャキ


「でぇーきたぁー!!」


長くてボサボサだった青年のシルエットはなく、元の素材が生きたサッパリとした男前な青年へと変わっていた。


「我ながら自信作!」


「さぁ!そろそろ乾くから、湯から上がってタオルで体拭いて服を着てちょうだい!」


表面的には綺麗になったが、ボロボロでサイズが合ってない服を着る姿は、まるで地下奴隷の様。


「さぁてどうしたものか…」


まだ夏だからいっか!それよりもやらなきゃいけない事沢山あるんだ!!


「ねぇシオン、文字の読み書きできる?」


「全く」


こりゃ先が遠そうね…


まずは文字を読み書き出来なきゃお使い頼めないから文字の勉強で、間に生活の基本で、料理は...一緒に作ればいいか!


「よし!まずは文字の読み書きを出来るようにしよ!家に入って机をだして」


机を置くとドサッと本を並べられる。


「まずは読むことからね読めなきゃ書けないし、これが『あ』て読むの」


────近所の小川にて。


「洗濯はね衣服を着る上で欠かせない事なのよ」


────台所にて。


「火はこうやってつけるの、でこれは皮を剥いてから切ってね」


とりあえず教えるだけザックリと教えたアイビーは、疲れに背伸びし体を反る。


「よし!これでやることは一通り教えた!あとはこれが染み込むように毎日続けよう!」


こうしてシオンの一般人化への日々が始まった。


────1週間がすぎた頃


「読み書きできるようになった?」


「出来るようになったが、難しい文字はまだだ」


「読み込み早いねぇ、じゃあ、1人で街に行っても困らない様に頑張って、私は村の隣にある街に買い物行ってくるから」


日が少し沈み、空が赤く焼けきた頃にようやくアイビーが帰ってきた。


「たぁっだいまぁー!」


アイビーが大きい袋を複数持って帰ってきた。


「何だ?その袋は」


「こぉれぇはぁねぇえ……シオンの服なのぉ!」


バッと広げたのは恐らく相当な値段であったであろう立派なスーツの一式であった。


「あとぉ、サングラスも買ったのぉ、一応シオン指名手配されるくらいの賞金首だからある程度目撃情報あると思って」


「………何で、お前に何もしてやれない俺なんかのために」


「何でって、シオンは私の唯一の家族だからだよ」


「家族?」


「そうだよ?それに何もしてないわけじゃないよ、シオンがただ一緒に居てくれるだけで私嬉しいもん」


「何で.....」


「私ねぇ、寂しかったんだぁ、帰ってくれば温かく迎えてくれる家族も、辛いときそばに居てくれる友達もいないんだ。だから私寂しくて寂しくて死にたくなった時に、シオンと出会ったの、感情のある人鬼を初めて見て気付かされたんだ、辛いのは私だけじゃない、それに気づけたおかげで寂しくはあるけど私も頑張ろうって思えたの、でも今はシオンがいる。そばに居てくれる」


「………」


「ああごめんね、暗い空気にしちゃって、ご飯作ろっか」


───。

──。


「へー包丁さばき上手くなったね」


「………」


「おやすみ、シオン」


「………」


朝になると手作りのポストに手紙が入っていた。

アイビーは手紙を見ると深くため息を吐き騎士の制服を着て剣を持ち、


「ごめんね仕事が入って、今日帰れないの」


とシオンに言い、家を出て街を目指す。


アイビーがいなくともいつもどうり家事をこなしいつもどうり勉強した。

そして1人で夜を越し、独りで朝を迎えた。いつもどうり家事をこなしいつもどうり勉強する。

独りで食事をし、独りで勉強を再開する。

夕方になればアイビーが帰ってくる。


「ただいまぁー……て、どどど、どうしたの!?」


帰ってきたアイビーをシオン正座で迎えた。


「帰って来たばかりで悪いが、俺と最後に真剣勝負してくれ、負けたら諦める」


「えぇ?」


外に出ると、前の石床のある所へ向かう。


「最近挑みに来ないから諦めたのかと思ったよ」


「構えろ、殺す気で行く」


「いいよいつで....!」


剣を抜いた瞬間いきなり斬りかかるシオンに動揺するアイビー。


言葉の途中とはいえ決して油断はしていなかった。


重く受け止めた刀を弾き後退する。


「まだ1週間しか経ってないのに成長したね、でも私も負けるわけにはいかないもの。本気で行くよ」


少し嬉しそうな微笑み顔から一変し、虚ろな目で不気味に笑う全く別人の様な少女。


「初めて退いたよ、シオンといると初体験が多いなぁ」


口調は同じだが、あの少女ではない。シオンに対し初めて向けられた少女の殺気は、総毛が立ち肌をピリピリと刺激する、これは本気で殺される。

殺気を出すと入れ替わるのか。

だとすると今俺と対峙している彼女は命を奪いたくないという現実逃避から生まれたたもう1人の彼女だろう。

直感的にそう感じ、声も姿も変わらないが、まるで別人のようになった彼女を見やると、死神の鎌を首にかけられたかの様に錯覚する。


「………ッ」


そんな恐怖を振り払い、死神を断ち切ると目の前の少女だけに意識を集中させた。


──。

─。


何の脈絡も無く、静かな平原でキィンと金属同士が交わる音が波紋状に鳴り響く。


火花を散らす激しい剣戟から生じる風圧によって、地に落ちた花弁が舞い上がり宙で刻まれる。

それと共に石造りである筈の床や柱にも豆腐を切るかの様な綺麗な切り込みが入った。


互角に張り合ってるように感じるが、シオンにとってはギリギリの綱渡りをしてる感覚だ。


少しでも気を抜けば死ぬ!呼吸する暇があるなら攻めろ!次はない、刀のリーチもない、呼吸も続かない、持久戦はしない、させない、あと一呼吸で一気に終わらせる!


シオンは細い目をカッと見開き、猛攻を止めないアイビーを前方へ押し飛ばすと崖の方へ後退する。


押し飛ばされたアイビーは勢いを殺し、間髪入れずに距離を詰める。


一方、シオンは僅かに生まれた刹那の間で一つ息を吸うと同時にリーチの減った刀を鞘に納め、屈辱を受けた時と同じ居合の構えをとり。


「…フツ……」


刹那の間で勝負は終わりを迎えた。

終わりを告げたのは地に落とされた金属の音。

その場に立つ人影は二つ。

お互い腕を掲げ、小柄な方の影の手は刃を根元から失った剣を握り、少し大柄な影は小柄な影の首に先が折られ短くなった刃を突きつける。


「一勝四敗、だが、この一勝で英雄は鬼に敗北し、殺害された。だから、ここに立つお前は英雄でも、独りでもない」


小柄な影の掌から凶器が剥がれ落ち、大柄な影は跪く。


「だから、あの、その…………あれだ、」


羞恥心など無いはずのシオンが珍しく顔を赤く染め、アタフタする姿を見てアイビーは口に手を当てクスッといつもの笑顔で笑い、


「もう!カッコつけるなら言葉を考えて恥ずかしがらないこと!ハイッ!深呼吸してもう一回ッ!」


シオンは咳払いをし、気持ちを切り替える為に深く息を吸い込み、


「お前はもう独りじゃない。辛い時も寂しい時も俺が傍にいてやる。いつも笑顔で情緒不安定で寝相も寝癖も悪いお前も、もう一人のお前も、お前の全てを俺は受け入れる」


少し表情を引き攣るアイビー。


「アイビー、俺と結婚してくれ」


どこでそんな言葉を覚えたのか、そんな本を持っていただろうか。

初めて名前を呼んでくれた嬉しさに涙が溢れ出そうになるが、その前にしておかなくてはならない事がある。

アイビーは心からの声と笑顔でハッキリと答える。


『はい』と。


琥珀の夕焼けに見守られながら、二人はそっと、唇を交わした。


二人が出会って共に過ごしたのは、一週間と少ししか経っていない。

だが、二人の長年増え続けていた穴を埋め尽くすには充分な時間だった。

愛に時間は関係ない。二人はまさにそうだ。


「これから先どうするの?あの王様は私が辞めることを絶対に許さないよ」


「英雄は死んだんだ」


シオンは黙ってアイビーの長い髪の毛先を手に持つ刀で切る。


「これが証拠だ。これを城に送れば英雄の死は国中に知らされる」


しかし、何やらアイビーは頬を膨らませシオンを睨みつけている。


「もぉー!勝手に女の子の髪を切る何て酷いじゃない!」


「わ、悪い、」


それに動揺し頭を垂れ謝罪するシオン。アイビーは後ろに手を組み笑顔を振りまく。


「いーいーわー、よ、許してあげる」


「…………アイビー、もう利用されて生きるなんてもうやめろ。もう一人のアイビーがもう殺傷しなくてもいいように平和に暮らそう」


アイビーは先ほどの勝負を今思い出したかのように、堪えた涙を解放し、シオンに抱きつく。


「よかったぁ、シオンを殺すことにならなくて、ホントによかったぁ………!」


不安と安心で泣く彼女を抱き返し、頭を撫でるシオン。


「俺は自分の愛妻に負けるほど弱くないさ」


四敗してるがここはあえて意地を通す。


「そっかぁ、強くなったんだねぇ。──あ、そうだ、帰ってくる時に通りかかった村で買ったのがあるの」


涙を拭った少女は人外の速度で家まで戻り、袋を持って青年の元へ帰ってくる。


「これはねぇ、神様の世界とこの世の世界を繋ぐ木と言われる神憑木っていう木なの」


シオンはこれまた変なの買わされたなと内心思うが、彼女の笑顔に負けてなんとか飲み込む。


「夫婦になったんだからさ、植えて神様にお祈りしようよ!」


二人は崖に鮮やかに咲き誇る花達寄り添うように木の苗を植えた。

そして、アイビーは苗の前で祈るように合掌し、シオンも模倣し合掌する。


神様、もし本当にいるのなら、願いを一つ叶えてください。アイビーはこの命に代えても守り抜くから。

だから、アイビーに祝福をお与えください。


瞼を開けばアイビーがニヤニヤしながら顔を覗いてくる。


「そんなに長ぁ〜く、なぁにをお願いしてたのかなぁ?」


「そう言うお前は何だ?」


「私はねぇ、……秘密ぅ」


「じゃあ俺も秘密な」


「えー教えてよー」


二人はまた、心の中で祈った。


『どうか、この幸せが続きますように』と。




────今の家を捨て、山を三つ越えた先に新しい家を建て、一つの夫婦の新婚生活が始まる。

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