第3話

 和也としては、ユミとの居心地の悪い関係を解消して、残りの時間をなるべく一緒に過ごしたかった。だから当然のように、明日のデートを優先させることにした。

「今日はゆっくり休んで、明日水族館にいかないか? 天気予報でも晴れのようだし」と和也は、はっきりとした口調で提案する。

「うん。でも、和也さんがご飯食べた後、今夜は一緒に寝よ? すごく寂しかったんだよ」ユミも胸のつかえがなくなったせいか、ほがらかな顔つきになっている。


 早起きするので、というユミの提案に従って、和也とユミは早めにベッドに入った。もともと和也にべたべたと甘えることが多いユミだが、二日間のブランクがあったせいか、和也が驚くほどの大胆な甘えっぷりを見せる。思い切り和也を抱きしめて、激しく舌を絡めたり、和也の胸や太ももを撫で回す。さらに、ユミが和也の股間に手を伸ばして、セックスしないと決めていた和也を、慌てさせる場面もあった。それでも、和也に伝えたいことを話して胸のつかえが下りたせいか、ユミもやがて安らかな寝息をたてる。ユミの色白で端正な寝顔をみて、ユミの寝顔を見るのは最後かもしれない。そう考えて和也は胸が張り裂けそうだった。


 和也が目を覚ますと横で眠っていたはずの、ユミの姿が消えている。和也が不安になってリビングに行くと、キッチンでなにやら作業をしているユミが見えたので、ほっと胸をなで下ろした。

「和也さん、おはよう。お弁当のサンドイッチを作ってるんだよ」

 ユミは明るい笑顔で、いつにもまして上機嫌の様子だ。

「ユミ、おはよう。俺は朝食を食べたら、レンタカーを取りに行くよ」

 和也はユミの様子に一安心して、ユミが楽しみにしていたデートで、満足できるように行動しよう、と決意した。


 和也が電車で数駅離れた営業所でレンタカーを借りて、自宅に戻ったときには、ユミも既に出発準備が終わっていたようだ。和也が驚いたことに、ユミは化粧をしている。もともとが整った顔立ちのユミだが、化粧によって目鼻や眉毛、唇などが際立って、セクシーな色気が漂う印象が強くなる。

 ユミが『和也さんと一緒に出かけるときに』と、化粧品をせがんだことを思い出して、和也は胸が熱くなった。

「ユミ、化粧が素敵だよ」と和也がめると、

「わーい! ありがとう。なかなかうまくできずに、がんばったんだよ」

 ユミは満面の笑みを浮かべる。快晴の天気と同じようにユミの表情は晴れやかだ。


 海沿いにある目的地のH水族館までは、カーナビによれば、所要時間は一時間四〇分ほどだ。助手席のユミも楽しみにしていたデートということもあって、いつになくはしゃいでいる。

「ハムサンドでしょ、卵サンドでしょ……」

「和也さんとドライブ!」

「エイの裏側を……」

 などと、ユミは、陽気に和也に話しかけてくる。和也も横目で見るユミの表情に、はっと息を呑む美しさを感じて気分爽快だ。全てが順調に思えた。


 H水族館までの道のりの三分の二ほど走行したころだった。

 明るく上機嫌だったユミが、

「私、調子悪くなっちゃった。家に帰れない?」顔をしかめながら、和也に伝えてきた。車酔いなら車を停めて少し休めば具合が良くなるけれど、まさか――。

「大丈夫? 車酔い?」

「私、ダメになりそうなんだ。だから……」

 ユミは顔を下向きにして、必死に何かを耐えている様子だ。間違いないだろう。デートをしている場合ではない。ユミが消滅してしまう可能性がある。


 和也は即座に決意して、レンタカーをUターンさせて自宅へハンドルを切る。

「ユミ、一時間ちょっとだからがんばって」

「和也さん、ごめん。私、私ね……」

 焦る気ばかりがつのって、時折引っ掛かる信号待ちがもどかしく恨めしい。もしユミが消滅してしまうなら、和也の腕の中で心残りなくってほしい。和也の心ばかりが急ぐ。


 和也がユミをおぶさって自宅に戻ったのは、ユミの様子が急変してから、一時間余り過ぎたころだった。

「和也さん、ありがとう。少し横にならせて……」か細く消え入りそうな声のユミ。

 わかった、と和也はユミを寝室に連れていき、ベッドに横たわらせる。ユミはうつ伏せになっているので、和也から表情をうかがいしれないが、確実に調子が悪そうだ。

「ユミ、何かしてほしいことあるかい?」

 和也は優しく問いかける。

「和也さん、駐車違反になっちゃうよ。だからレンタカーを駐車場に。お弁当を忘れないで。帰りにプリンを買ってきてくれると嬉しい」

 確かに和也は急ぐあまり、路上駐車をしてユミを自宅に担ぎ込んでいるし、車内の荷物はそのままだった。体調が悪いのにしっかり者のユミの言葉に、和也は泣きたくなった。

「ああ、わかった。すぐに行ってくる」


 和也が慌ただしく寝室に戻ると、ユミはうつ伏せのままだったが、和也の帰宅に気づくと、ユミは身体を起こした。

「ユミ、無理しなくてもいいよ」和也が優しく声を掛ける。

 ユミは、「プリンを食べたい」とせがんだ。

 食べさせようか、との和也の提案には、

「少し落ち着いたから大丈夫」

 と答えて、ユミは好物のプリンを食べ始めた。好物のプリンの効果で、ユミに元気になってほしい。祈るような和也。無事にユミがプリンを食べ終えたので、

「他に何かある?」和也は訊く。

「和也さんに、腕枕をしてほしい」

 和也は、「もちろん」と快諾かいだくする。

「その前に、お出かけ用の服を脱がして……」

 和也は洋服を脱がして、ユミを下着だけにしたので「パジャマを着る?」とたずねねた。

「パジャマは要らない」と答えて、ユミはようやく安心したのか、和也の胸に顔を当てて、「このままでいさせて」と細くつぶやく。

 和也はこのままユミが消えてしまうかと、気が気ではなかった。

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