第5話

「なーんだ。服ばっかりじゃん」

 智美がクローゼットを開けると、ユミの姿はなかった。きっと警察犬智美号の気配を感じて、気力を抜いてユミは姿を消したんだろう。直接対決を回避できたので、和也は、ほっと一安心する。だがおそらく、というか絶対にユミの気分は良くないはずだ。


「トモ、何開けてるんだよ。やめろって」智美の肩を掴んで、和也は力ずくで制止しようとした。だが智美は諦めないで、クローゼット内をくんくんと鼻を鳴らしながら嗅ぎ回る。やがて、ある収納ケースに近づいて、「ここかなー?」と言いながら、引き出しを開けた。智美が開けたケースはユミが使用していて、下着やTシャツの類が綺麗に格納されているのが見えた。


「和クン、やっぱり女がいるじゃん!」

 ユミは霊だが、女性なのは間違いないので、和也は智美に返す言葉がない。智美は、ユミのブラを一つつまみ上げて、マジマジと観察し始める。

 さすがの和也も怒気どきを含んだ声で「トモ、仕舞っておけって」と強く叱った。


「C70、『くまむら』かあー。ちっさい。へえー」智美は、つまらなそうな口振りでつぶやいて、ケースにユミの下着をぽいと投げ込む。

 和也は、「もういいだろ」とクローゼットの扉を閉めた。智美は匂いを嗅ぐのはやめて、ベッドに移動して、「このベッドは、あたしのー」と再び寝転んでいる。


 余りにも図々しい智美の態度に和也も怒りを感じた。

「もういいだろ。タクシー代を貸すから帰れよ」

「貧乳彼女が来ないなら、泊めてくれてもいいじゃないー」

 まったく和也の言葉には耳を貸さない智美。

「貧乳じゃないぞ!」つい和也も言い返す。しまったと思ったが、時既に遅し。

「ぜんぜん貧乳じゃん。和クンが喜んでせがんだ、パイズリできないでしょ?」

 ああ、やっぱり。論点がずれてきた。智美とのやり取りに閉口へいこうした和也は、とにかく智美を帰らせる作戦に変更する。


「どうでもいいから、早く帰れって」

「あたしさー。彼と別れたから、和クンと復縁してもいいんだよ? 和クンの願いどおりじゃん。だから泊めてよー」

 確かに智美に和也は、復縁提案のメッセージを何度か送っていた。

「俺の願いって……とにかく今日はだめだ。帰ってくれ」

「そっかー。これから貧乳彼女が来るんだねー。今日は帰るけど、和クンの復縁の願いを、叶えてあげるわよ」


 和也が智美に復縁を迫っていたことが、思いきりユミにバレてしまったはずだ。和也は頭を抱えたくなった。この女はなんなんだ。自分勝手過ぎるだろう。和也はすっかり頭に来た。

「昔の話だろ。いいから、帰れよ!」

「昔っていってもさー……」


 ――ピンポーン。

 誰か分からないけれど、丁度いいタイミングで来客のチャイムが鳴った。思わぬ救いの神の到来に「あ、来客だ」と、和也はリビングのインターホンにそそくさと向かう。受話器をあげてモニターを確認すると、来客は中年男性でしかも帽子を被っている。はて、誰だろう。和也の記憶には全くない男だ。


「Mタクシーですが、お迎えにあがりました」

 智美が自らタクシーを呼んだとは思えない。ならば、クローゼットに隠れているユミが、タブレットでタクシーを手配したのだろうか。ともあれタクシーが来ているなら、智美を帰らせる口実になるぞ。

「はい。下に向かうので少々お待ちください」


 智美を帰らせるチャンスだ。和也は急いで寝室に戻り、「トモ、タクシーが来たよ」と智美に伝えた。

「タクシー来たなら、帰るー」と智美は言って、ベッドから起きあがる。酔っ払いで思考能力も低下しているのだろう。タクシーというフレーズに、智美は反射的に自宅に帰る気になっている。和也はジャケットとコートを抱えて、智美を連れて玄関に向かう。寝室を出るときに、クローゼットを見ると、ユミが顔と手を出して、Vサインを作っていた。


 無事に智美をタクシーに乗車させた和也だったが、自室に戻ってユミと顔を合わせると思うと、このうえなく憂鬱な気分になった。ユミは絶対に怒っているはずだし、智美とのやり取りを聞いて、ユミはどう感じただろう。

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