第三章(月・火・水・木)

第1話

 ユミとセックスはしていないものの、お互いに欲望を満足させて、和也は安らかな眠りから覚めた。ユミも満足しているせいなのか、透けることなく和也の横で熟睡していた様子。ふだんの月曜日の憂鬱ゆううつさとは、比較にならないほど充実した気分で、和也は着々と朝の準備を始めた。


 ユミも昨晩と同様に機嫌がよく、キッチンで食事の準備を始めた。ユミが和也に用意したのは、トースト、ベーコン、スクランブルエッグのアメリカンブレックファースト風の朝食とコーヒーだ。ダイニングテーブルの向こうで微笑むユミを見るにつけ、和也は疑問に思う。一風変わった面もあるけれどユミはまさに才色兼備。また心遣いも優しいユミが、なぜ自分に惚れているのか。まったく腑に落ちない。


 もふもふ佐吉を拾った縁で、しばらく居場所を用意しただけで、ユミは和也に誠意尽くしてくれている。突然不運がやってくるのではないか。どうしても嫌な予感を和也は想像してしまう。和也は玄関で靴を履くときに、悪い予感を打ち消すように首を振った。「行ってきます!」見送りのユミに笑って和也は玄関のドアを開ける。


 ◇◇◇


 金曜日に休んだため、和也の本日の仕事は通常の五割増しぐらいの業務量だった。だが和也は、『新妻』ユミの顔を思い浮かべ、気合を入れて着々とこなしていく。さすがに疲労はかなりあるものの、一時間の残業でノルマをこなして和也は退勤した。

 予めユミには帰りは遅くなる見込みだから、食事の用意は不要と伝えていたため、夕食を外食で済ませて和也は帰宅の途につく。ユミの使っているタブレットに、メッセージアプリをインストールしておけばよかった。帰宅時間を知らせるなど、連絡手段があるに越したことはない。


「ただいまっ!」和也が元気な声で、ユミが待つ自宅に着いたのは、午後七時過ぎだった。

「わあ! お帰りなさい! けっこう早かったんだね」笑顔のユミが出迎えてくれる。やはり、愛する女性が待つ自宅はいいものだ。仕事で溜まった疲労が、どんどん解消していく気がした。


「頑張って早く帰ってきたよ」

「和也さん、お疲れさま。ありがとう」と、和也を労うユミの笑顔が眩しい。和也は自然にユミを抱きしめて、愛情表現のキスをした。


「さすがにちょっと疲れたね。すぐお風呂に入りたいな」

「お風呂なら、あと一分ぐらいで入れるわよ」

 ユミのあまりの用意の良さに、和也は驚いてしまった。

「え!? お風呂の準備してたの?」

「さっき、バルコニーで外を眺めてたら、和也さんが帰ってくるのが見えたから」

「じゃあ、さっそく着替えて、ゆっくりしよう」


 風呂にゆっくり浸かって、ハードワークの疲れを癒やした和也が、リビングに向かうと、コーヒーが用意されていた。

「はい、和也さん。コーヒーれておいたよ」

「気が利くね。ちょうど飲みたかったんだ。ありがとう」

 酒をほとんど飲まない和也は、何かにつけてコーヒーを飲んでいたので、そろそろ頃合いだろう、とユミは推測していたのだろうか。いずれにしてもタイミングがよくて、和也は舌を巻く。


 ソファでコーヒーを飲んでくつろぐ和也の横では、ユミがタブレットを片手に、真剣な険しい顔つきで画面をにらんでいる。和也に笑顔を見せていることの多い、ユミにしては珍しい顔つきなので、和也は何事か、と心配になってしまった。今朝、ふと感じた悪い予感が当たらないでくれ。


「ユミちゃん、なにか心配事がある?」和也はユミに訊いた。

 険しかったユミの顔つきが、すっと柔和な笑顔になった。

「なにって……フォルスラコスってどう料理すれば美味しいのかな、って考えていただけよ」


 悪いしらせを覚悟していた和也は、すっかり拍子抜けしてしまった。ほっと胸をなで下ろす。外国産の食材の名前だろうか。和也は初めて聞く単語なので、さっぱり想像がつかない。


「フォ、フォル……?」

「フォルスラコス。だいたい五千万年から数十万年前まで生きていたでっかい鳥ね。恐鳥類きょうちょうるいといって、三メートルぐらいあったらしいの」

 和也はぷっと吹き出しそうになった。大昔の巨大鳥類の料理法を険しい顔つきで真剣に考えていたとは。


「古生物に興味があって調べてたの?」

「んー。古生物に興味はあるといえばあるけど、元々は和也さんの口癖がどこかの方言なのかな、って調べてたんだ」

 ユミは嬉しそうに目をキラキラさせている。口癖や方言から巨大な恐鳥類にどう繋がるのか、和也にはさっぱり分からない。だが、ユミにとっては、とても楽しいことなんだろう。タブレットを貸してよかった、と和也は思った。


 タブレットといえば、メッセージアプリをインストールしてユミとの連絡用にしよう。帰宅途中に考えていたプランを和也はユミに説明しようとした。

「ユミちゃん、そのタブレットにメッセージアプリを……」

「アプリはインストール済みだから和也さんのアカウントを教えて」


「ええと。kaz……」和也はアプリのアカウントをユミに教えた。と思ったら、すぐにメッセージアプリの通知音が鳴ったので、和也は携帯電話の画面に目をやると、

『緊急時以外は業務時間には送らないから安心してね。ユミ♡』

 と、和也が伝えたかったことが、すでにユミからメッセージで送られてきている。ユミの手回しの良さや先回りした読みの鋭さを、先ほどから何度も見せつけられて、和也は舌を巻くばかりだった。


 ◇◇◇


 ――ピンポーン。

 夜も更けたころ、坂口家のインターホンのチャイムが鳴り響いた。

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