第75話 - ヒウゥース邸の挿話
ここで、話は10日前に
サーダ自由共和国の国家主席である評議会議長ヒウゥースが、地方都市アギーバでその生活
冒険者ギルド、それから高級賭場『天国の扉』と並ぶ大規模建築として知られているこのヒウゥース邸は、広大な敷地の中で3棟に分かれている。
正門を入って正面にあるのが、ヒウゥースが住まう本棟。
その背後に
向かって左側に見えるのが居住区域で、使用人や奴隷がここに寝泊まりしている。
そして右側の棟が作業棟と呼ばれ、ここでは人体実験等を含めた
その作業棟の一室、二階大部屋にて。
イクスやトゥニスのパーティーメンバーであるオルティが、ここで日々の労働に
現在行われている作業は粉末の袋詰め。
この黄土色の粉末は、最も凶悪な麻薬のひとつと言われている『合成ヴァウル』だ。
あのダイモンジを言いなりにするために、冒険者が使用していた薬物である。
合成ヴァウルは、ほとんどの国で製造も取引も違法とされているため、
この街で流通している合成ヴァウルは、この施設内で生産されたものだった。
オルティが作業している部屋はかなり広いが、中にいる人数は多くない。
3人の監視に、10人の奴隷。
オルティもその一人として、口元を布で
「よーし止まれ。休憩だ」
監視役のひとりが告げて、作業中の奴隷たちはそれぞれ大きく息を吐いたり伸びをしたりする。
……オルティはダンジョンで邪神の信徒らに襲われ、この屋敷に連れて来られてからというもの、毎日こうした労働をさせられていた。
作業内容は他にも武具の整備だったり食料品の加工だったりと、その日によって様々。
拒否が許されない強制労働ではあったが、意外にもしっかりとした休憩時間や自由時間があり、安いが給料も出るので注文すれば娯楽品も取り寄せることができた。
特にこの合成ヴァウルの製造に関わる業務では、作業時間より休憩時間の方が長いくらいだ。
建物の外に出られず退屈ではあるものの、予想外のまともな
「おい、34番!」
監視役の男からオルティが呼ばれる。
ここでは名前ではなく割り当てられた部屋の番号で呼ばれていた。
オルティは監視役の男に答えた。
「なによ?」
「今日の作業は終わりだ。マスクと手袋を置いてヤイドゥーク様について行け」
オルティが奥の扉に目を向けると、扉の
オルティはヤイドゥークの後について廊下を歩く。
彼女はすでにヤイドゥークとは面識があった。
これまでに何度か、ヒウゥース直々にオルティへ面談を行っており、仲間になるようヒウゥースから説得されてきた。
その時にヤイドゥークは、護衛と一緒にヒウゥースの傍にいた。
ヤイドゥークは廊下を歩きながら、背後にいるオルティに向けて話す。
「一応聞くが、どうしても俺らの仲間になるつもりはないんだな?」
「当たり前でしょ。くそくらえよ」
「……ま、そうだろうな」
ヤイドゥークは頭をボリボリと
「ハァ~……
よくわからない
やがてオルティも来たことがない施設の奥深くに入った。
薄暗い廊下。
薬品の香りがそこかしこから
オルティにはどことなく既視感があった。
それは、かつてトゥニスやイクスと共に依頼を受けて討伐をした、錬金術師の研究所に近い雰囲気だった。
「ギャアアアアアアアアアアッ!!!」
「うきゃあっ!?」
突如、すぐ近くの部屋から人の絶叫が
「な、なに!? どうしたのよ!?」
驚き慌てるオルティ。
思わず立ち止まった彼女だったが、気付くと先行するヤイドゥークが
ヤイドゥークは今の身の毛もよだつ叫び声にも、何の反応も示さず平然と歩き続けていた。
「………………」
オルティは強い不安にかられたが、このような場所に置いていかれるのもそれはそれで怖い。
天秤にかけた結果、彼女は小走りでヤイドゥークまで駆け寄った。
オルティがついて来たところで、ヤイドゥークは振り向かずに、そのまま前を向いて歩きながら語りだした。
「俺らヒウゥース直属の配下は、
淡々とした語り口調。
それが、周囲の異様な雰囲気も
「甲組は奴隷から取り立てられた、忠誠心の厚い連中。基本はこの屋敷の使用人だが、ひととおり戦闘訓練して、いざという時は戦える。俺も一応ここに入ってるらしい」
オルティは歩みを進めながらヤイドゥークの話を聞く。
「乙組は帝国時代から今でも続けて契約してる傭兵たち。忠誠心はそれなりで、主に警備や
階段を降りて一階へ。
暗さが増し、オルティは手すりに手をかけて足元に注意しながら降りた。
階段を降りた先には扉があり、ふたりの男女がその前に立って守衛をしていた。
オルティは
それは厳重に
「丙組は無理やり忠誠を誓わされた者達だ。甲組がいくら忠誠心が強いといっても、任せられるのは殴る、奪う、殺す……このあたりまでだ。それ以上の事をするのは……やる側の負担が大きい。知識として『自分らがそういう事をしている』と知ってるのと、『実際に目の当たりにして、自分の手でやる』のには大きな
ヤイドゥークはふたりの守衛を目で指し示しながら、そのようなことを語った。
守衛の男女。
彼らはこの館にいる他の使用人と同じくメイドと執事の格好だ。
しかし大きな違い……というか、目立った特徴があった。
男は左腕の肩から先がなく、
女は長い髪で顔の半分以上を
「う……」
オルティはぐらりと視界が歪むような感覚を覚えた。
暗がりの奥にある扉が、
扉の前に立ったヤイドゥーク。
その
ヤイドゥークはそうしてゆっくりと振り返る。
「もう一度聞くが……どうしても、俺らの仲間になるつもりはないんだな?」
――ああ、そうか。
オルティは察した。
この先に足を踏み入れれば、おそらく二度とまともな体で出てくることはできないと。
全身から噴き出る汗。
背筋に走る悪寒。
そして体の震えをオルティは止められなかった。
気を失いそうなほどの恐怖の中で、オルティは
「……何度も言わせないで。くそくらえよ」
ヤイドゥークはため息を吐き、頭を
「まぁ、そう言うしかないわな。最初は」
ヤイドゥークは守衛の女に命じて、扉を開けさせる。
重苦しい音をたてて開いた
その先には地下へと続く階段があった。
「さて……行くか」
そうしてヤイドゥークの後について、オルティは絶望への階段を一歩ずつ下っていった。
――そして10日後の現在。
ヒウゥース邸の地下牢に、新たに連れて来られた者がいた。
「ちょ……ちょっと、こんな所に連れてきて何するんすか。あ痛っ! 引っ張らないで……!」
セサイルのパーティーメンバーとして召喚された地球人……マユミである。
彼女の手首を縛る
その後ろにはヤイドゥークの姿もあった。
暗く、冷たく、固く、見る者の心象に圧迫感を与える武骨な
男たちは嫌がるマユミの言葉を無視して、彼女を
「いっ、たぁ~~~……」
両手を縛られているマユミは勢いよく尻餅をついた。
涙目のマユミにヤイドゥークが声をかける。
「何をするかって聞いたな?」
マユミは顔を見上げた。
目の前ではヤイドゥークが
「“教育”だよ。おまえさんがこれまでの人生で積み重ねてきた自尊心、反骨心……そういったもんを
「……は? そ、削ぎ落と……へ? じょっ、冗談っ……すよね……ハハ……」
ヤイドゥークは答えない。
また反応もしない。
何も変わらずつまらなそうに見下ろしてくる視線が、「そんな言葉は聞き飽きた」と言っているようにマユミには見えた。
「あ……ひ……や、やだ……そんな……嘘でしょ……なんでそんな……」
マユミの呟きには誰も答えない。
隻腕の男が万力のような器具を持ってきて、ヤイドゥークに渡す。
そして彼は無言でマユミに近づき、その腕を掴んだ。
「やっ! やだ! やだやだやだ、やめてよ! お願いだから! 何でもするから!」
男は暴れるマユミを片手と膝で押さえつけ、マユミの手を器具に
冷たい鉄の感触にマユミの背筋が震えた。
「い、いや……いやぁーーーーーっ!!!」
「あーーーーー! うるっさいなぁー!」
……と、隣の部屋から少女の声が聞こえてくる。
「あんまりうるさいから起きちゃったでしょー! 寝るくらいしかする事ないのに、どうしてくれんのよ! 私の相手しなさいよー!」
マユミは聞いたことのない声だった。
「……ちっ」
マユミが顔を上げると、ヤイドゥークが苦々しげに舌打ちするのが見えた。
それは珍しいヤイドゥークの誤算であった。
赤い瞳の人間――すなわち美と官能の神の信徒は、通常であれば最も簡単な相手のはずだった。
ヤイドゥークは効率的な拷問のやり方を考えるにあたって、信奉する神によって傾向を分類していた。
その中で美と官能の神の信徒は、その容姿を破壊してやれば
彼らは見た目の美醜に関して非常に強いこだわりを持っているためだ。
他にも博愛の神の信徒には、二者択一の選択肢を与えて「
だが、10日前に連れてきたオルティは、どれだけ拷問の最中に泣き叫び、許しを
……こうした例外は
ヤイドゥーク自身、拷問のやり方は誰に教わったわけでもなく、他にやれる者がいなかったために一人で試行錯誤してきたのだから。
隣の部屋に向かってヤイドゥークは声を発する。
「ちっとばかり静かにしてもらえないかねぇ」
「いーーーやーーーでーーーすーーー! そんなに嫌なら私の口でも塞いだらぁー?」
ヤイドゥークは頭をボリボリと
「口を塞いじまったら、この先使いにくいからなぁ。研究室に送るしかなくなるが……そっちの方がいいんかね?」
「どっちもイヤですぅー!」
ヤイドゥークはついに頭を抱える。
次に口を開こうとした、その時だった。
ズズゥン……という大きな振動。
同時に遠くから爆発音のようなものも届いてきていた。
「……操作室の方か?」
音源はこの地下だった。
ヤイドゥークの額に冷や汗が流れる。
この地下への襲撃はまずい。ここはヒウゥース邸の中でも外へ
「人を呼んでこい! 俺は場所を確認する!」
「はい」
隻腕の男に指示を出し、ヤイドゥーク自身も
……地下牢には静寂。
男たちがいなくなった後、マユミは隣の部屋に向かって声をかけた。
「あ、あの~~……ひょっとして助けてくれたんすか?」
「……べつに。どのみちあいつらにされる事は変わんないし。ちょっと遅くなっただけ」
「で、でも、さっきの音……きっと助けが来たんすよ! これで外に出られるはず……!」
マユミの声は明るい。
自分達を助けに来る人物に心当たりがあるからだ。
しかし返ってくる言葉は暗い。
「ふ~ん……そう……」
「……?」
マユミは首をひねった。
相手の立場では信じられないのも無理はない。
しかし、マユミの言葉を信じていない……というのとはまた少し違ったニュアンスがあるように感じられた。
「今の私は、ずっとここにいた方がいいかもしれないけどね……」
石の壁を
壁を乗り越えることのできないマユミは、その言葉の意味を想像するしかできなかった。
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