第74話『クラマ#07 - 深夜の密会、ふたりの女』

 僕は手ぬぐいで頭をきながら浴室から出た。


「いやー大変な目にった」


「えぇ~? まだ言ってるのぉ~? ちっさい男ねぇー」


 そう言うリーニオは、ベッドに肌着で大の字になってくつろいでいる。

 僕は室内を見渡す。

 ここは、やや広めの長屋型集合住宅の一室――要するにアパート。その2階の一部屋ひとへやだった。

 木造で、一人暮らしにしては広めの部屋。

 室内に置いてある家具はいずれもうるしを使ったなめらかな木製で統一されており、洗練されたセンスの良さがうかがえる。

 ……が、床には脱ぎ捨てられたギルド職員の制服。

 ゴミ箱からあふれて散乱したゴミ。

 浴室の手前には放り投げられた下着の山。

 ……うーん、こりゃ前に来た時よりもひどくなってるぞ。


「お仕事たいへんそうだね~、忙しいの?」


 床に落ちた制服を拾ってたたみながら言う。

 だらしないね~、とか思っても言ったりしない。

 とりあえず相手の苦労をよく分かってるふりをしておく。


「誰のせいだと思ってんの!」


「あれぇ?」


 おこられた。


「いや~、ごめんごめん。でも大変だったんだよこっちも」


「悪いと思ってんなら付き合いなさい、ほら」


 なんて言ってリーニオは、この街の住人の家にはあまり見られないガラス製の酒器を差し出してくる。

 僕は2つあるグラスの片方を受け取りながら言う。


「僕の記憶が確かなら、きみはさっきお酒の飲み過ぎで死にそうな顔をしていたはずだけど……」


「酔い覚ましよ、酔い覚まし」


「なるほど、さすが都会育ちは発想が違うね」


 酒の酔いを覚ますために酒を飲む。

 およそ完璧な永久機関であるなあと僕は深く感心した。


「ふん、イヤミ言っちゃって。どうせあんたの方が育ちいいんでしょ」


「いやいや、そんなことないよ」


 じーっとにらみつけてくるリーニオ。


「……ふん」


 リーニオは不機嫌そうにグラスをかたむけた。

 ギルドのカウンターにいる時とは、まるで別人のような気安い受け答えである。

 お酒が入ってるから……ではない。

 彼女は酒癖が悪いともっぱらの評判だが、それは正確じゃない。

 お酒を飲むと素が出るのだ。

 もっと厳密に言うならば、「今はアルコールが入ってるから」という名目を得て、普段の取りつくろった仮面を脱ぎ捨てているのだ。


 まあ彼女のストレス解消法はともあれ、こっちも飲まないとうるさいので、僕も椅子に腰かけてグラスに口をつけた。

 ……ぐわ。強い。

 のどが焼けそうだ。

 しかもベッド脇の丸テーブルの上でちりちりと焼かれている粉末は……。


「この匂いは……チィイプットの葉かな? あんまり体に良くないんじゃなかった?」


「だからやめろっての?」


「いや、この葉っぱはそこまで害はないから、やめるんならお酒が先だよね」


「絶対! やめない!」


「だよね」


 チィイプットの葉はわずかに毒性と依存性はあるが、その影響はアルコール未満だ。

 おそらく大麻と同じようなものだろう。

 度数の強い酒との合わせ技で頭がクラクラするが……そのぶん彼女の口が軽くなることに期待しよう。

 ……と、考えていたら突然リーニオがベッドにバタリと倒れる。


「あ~! もーやだ~! 仕事やめた~い! なんでこんな田舎街に来ちゃったのよ~!」


 そして子供のように足をバタバタさせた。

 僕はグラスに口をつけて飲むふりをしながらたずねてみる。


「この街って首都に比べたらまだ田舎なの? 昔は田舎だったのが、今は大都市になったって聞いたけど」


「娯楽がないのよ! 劇場も! 美術館も! 球戯場も! 冒険者向けのカジノとか娼館ばっかりで、女性向けの娯楽が全っ然ない!」


「ははあ、なるほどなるほど。それじゃあ、なんでそんなところに来ちゃったのさ?」


 首都生まれで首都育ちの彼女は、首都にある冒険者ギルドで働いていたが、ヒウゥースが始めたこの地の冒険者誘致政策によって、この地に転勤してきた。……という話は以前この部屋に来た時に、彼女自身の口から聞いていた。


だまされたのよ!」


 リーニオは勢いよく上半身を起こすと、テーブルを叩く。


「な~にが首都に匹敵する一大商業都市よ! お給料が3割増しになるって言うから転勤してみれば、お金と人が集まってるだけじゃないのよう……ちょうど彼氏と別れたところだったとはいえ……なんであんな甘い話に乗っちゃったんだろ~~~~……バカ~~~!!」


「まあまあ、どうどう」


 僕は椅子から立って彼女の隣まで行くと、彼女の肩をほぐして気持ちを落ち着かせる。

 リーニオはぐいっとグラスの残りを一気に飲み下すと、大きく息を吐きだしていた。


「ハァ~……つまんない上に仕事ばっかり増えて……そりゃ酒と薬しかする事なくなるわよ」


「そりゃあ大変だねぇ」


 僕がそう言うと、リーニオはジロっとこちらを見上げてくる。


「あんた何をやらかしたのよ? あんた達を捕まえるためにダンジョンが立ち入り禁止になっちゃって、抗議しにきた冒険者でロビーが埋まって仕事にならないんだけど?」


「いやあ、僕は何も悪いことしてないんだけどね」


「ギルドの規約は破ってるんでしょ? まあ、あれも真面目に守るバカいるの? って内容ばっかりだけど」


「そうなんだよねぇ。でも意外とみんな守ってるよ。少なくとも表向きは。冒険者っていろんな人がいるから、下手に自分のルール違反を言いふらすと危ないんだって」


「ふーん。でもあんたが追われてる理由って、規約違反とは別でしょ? たかがギルドの規約違反で、街中の憲兵を総動員するはずないもの」


「………………」


 なかなかに鋭い。

 彼女はヒウゥースとは直接関係のないただのギルド職員に過ぎないから、深いところまでは知らないはずだ。

 しかし窓口という職務上、色んな人と接するからか。なんとなく察しもつくのだろう。


 ――さてどうするか。

 何も差し出すことなく情報を得ようというのは、さすがに都合が良すぎるか。

 幸いにも彼女はこっちの話に興味を持ってる。

 ……僕は既に指名手配を受けている以上、次に捕まれば終わりなのだから、「自分が知ってはならない事を知っている」という事実を今さら隠す理由もない。

 ヒウゥースの秘密を話してしまうと彼女に危険が及ぶ可能性はある。

 あるけど、別にいいか。彼女の身の安全は僕には関わりがない。


「きみになら話してもいいかな……僕が追われてる本当の理由……この街の秘密を」


 なんていう、もったいぶった口調で僕は語りだす。

 ヒウゥースの悪事……召喚した地球人の四大国への人身売買。それから、邪神の信徒と組んで地下で冒険者を襲っていた事を彼女に話した。

 僕の話を聞き終えて、彼女は……


「……はぁああ~……そんなこったろうと思ってたけど……」


「そうなの?」


「そりゃね。受付なんかやってるとさ、結構よく来るのよ。ダンジョン行きたくない~! って泣きついてくる地球人が。そういうのに対するマニュアルがギルド内にあって……ヒウゥース邸に連れて行くことになってるのよ。……で、私は毎日毎日、冒険者ギルドの受付に立ってるけど……連れて行かれた地球人は、二度と顔を見せることはなかった」


 彼女はどこか遠いものを見るような目で、訥々とつとつと語った。


「さすがに四大国で売られてるってのは知らなかったけど……連れて行かれたあの人たちがろくでもない目にってるのは分かってたわよ。……でも、だからって……ただの受付嬢の私には、どうすることもできないじゃない……」


 これまでと一転した静かな声のトーン。

 こういう、声を小さくして自虐的な物言いをするのは、落ち込んでる時だ。

 落ち込んでるということは、慰めるのが吉だ。

 ここで彼女が共感して欲しいと思ってる点は……ここかな。


「そうだね、受付のきみが一番多く冒険者と接するんだから……彼らに何かがあった時に一番つらいポジションなんだよね。上から決まり事を押しつけてくる偉い人たちには、そういうの分からないんだろうけど」


 受付という役職のせいで他の人より多くの精神的負担をこうむっている……と、彼女は思っている。

 しかしそれぞれの役職にそれぞれの辛さがあるわけで、そんな弱音を同僚に言うわけにもいかない。

 そうして溜め込んだ不満を誰かに共感して欲しいのだ。

 僕は彼女が泣こうがわめこうが共感はできないけれど、求められている答えを予測することはできる。

 リーニオはテーブルに突っ伏して、ダンダンと叩いた。


「う~~~! そうなのよ~~~!」


 いい具合に酒と薬も回ってきたようだ。

 僕はベッドのふちに腰を下ろして、彼女の肩を優しく叩きながら言う。


「そう考えると大変だなあ、ギルドの職員も。冒険者はあんまり心配かけないようにしないとね」


 リーニオはした顔を横に向けて、ジロリとこちらを見てくる。


「いちばん心配かけてるのがあんたなんだけど?」


「おっと? こりゃ一本取られた」


「バカ。この前もあんたの協力者とかいうパーティーが捕まってたし……」


「え?」


 なんだって?

 捕まった?

 僕の協力者パーティー?

 まさか……


「それって……」


「セサイルって有名な人らしいけど、ほんとにあなたの協力者なの?」


「…………あ、ああ、うん。……ねえ、他に捕まった人の名前は分かる?」


「覚えてるわよ。ベギゥフ、ノウトニー、あとマユミって地球人と……それに地球人召喚施設長のディーザ。あ、元施設長か。ディーザの後釜あとがまが役に立たないのも、こっちが忙しくなってる原因なんだけど。……あ、それから、誰か知らないけどメイドがひとりいたって」


「………………………………」


 絶句した。

 そんなばかな。

 あのセサイルがいて捕まるなんて……これじゃ全てがご破算だ。

 ……僕が戻らなくても大丈夫だと思っていたけれど、やはり戻ってきてよかった。

 とはいえ、いや……どうするんだ、これは……。


「……まだ何とかしようと考えてるのね。でも、難しいわよ? ヒウゥース評議会議長は、首都に軍隊の出動を要請したから」


「軍隊……」


 そこまでやるか、ヒウゥース。

 それだけあの男も追い詰められてるという事でもあるが……。


「3日後には着くらしいわ」


「………………」


 時間が……ない。


「ひとりだけなら今のうちに逃げられるんじゃない?」


「はは、いいアイデアだね。ついでにこの街の冒険者みんな連れて行こうかな?」


 これは大勢じゃ無理だけどひとりだけなら逃げられる……という彼女のアドバイスに対して、一度それに乗ったふりをしておきながら、「この街の冒険者みんなを連れて」と大勢で逃げることを示唆しさすることで、最初に向こうの言葉に乗ったように見せて実は乗る気がないという、非常にセンスの光るジョークだ。「ついでに」と、さりげなく付け加えるところがポイントだね!


「はぁ……まぁ、そう言うのは分かってたけど」


 僕の鋭いジョークが予想できていた……だと?

 彼女はベッドの縁から下ろしていた両足を上げると、ごろりとベッドに横たわっていてくる。


「で、私が教えられるのはこのくらいだけど、他に何かある?」


 ……さすがに僕が情報収集のために近付いたことは察していたか。


「いや、充分だよ。ありがとう」


 それだけ言って、僕は腰を上げる。

 ……と、その僕の手首をリーニオの手が掴んだ。

 振り返ってみると、挑発するような……情欲の浮かんだリーニオの瞳と目が合った。


「もう帰るの? まだ早いんじゃない?」


 ベッドに横たわり、薄い肌着姿で僕を引きめるリーニオ。

 ……彼女が何を言いたいのかは分かる。

 そしてこの場の正解も分かる。

 僕のやるべきこと、それは……


 指名手配犯の身としては、接触を持った彼女を野放しにするのはリスクがある。

 これは最初から分かっていた。彼女の部屋に上がる前から。

 それで、僕は、こう言った。


「いやあ……実は、そういうのはもうやめたんだ」


「なにそれ?」


 僕はピッと指を二本立てて、斜め45度の角度で決める。


「好きな人ができたからさ」


 ――空白のとき

 リーニオはぽかんとした顔で僕を見つめ、そして……


「ぷっ! あっははははははは!! あはーーーー、なにそれーーーー!? あ~~~ふぁっふゃ、ひぁ、ひ、ひぃ~~~!」


 そんな笑い方ある?


「おかしいなぁ……おかしな事は言ってないはずなんだけど……」


「はひぃ~~~、おかしーーーーひひひひひ……ゴホッ、ゴホッ! はぁ……」


 ひとしきりバカ笑いした後、彼女は咳払せきばらいして言う。


「はいはい、分かった分かった。じゃあ早く行きなよ。好きな人がいるのに、こんな夜中に私の所にいちゃまずいでしょ?」


「たしかにそうだ。じゃ、またね。……一応、お酒はほどほどにね」


 そう言って、僕は部屋から出て扉を閉めた。

 閉じたドアの向こう側から、小さく声が聞こえた。


「ばーーーーか」


 …………さて、行こう。







 リーニオのアパートから出た僕は、しばらく一人で夜の道を歩く。

 そうして近くに民家がなくなったあたりで、暗がりに向かって呼びかけた。


「ヤエナ」


「はい、なんでしょう」


 間髪かんぱつ入れずに姿を現すヤエナ。

 あれだけ走り回ったのについて来ている。

 彼女を一級ストーカーと認めよう。


「きみの力を借りたい」


 僕がそう言うと、彼女は驚いた顔を見せた。


「それは……私を抱いてくれるんですか?」


「ああ、きみを抱く」


 あっさりと答えた僕を、彼女は怪訝けげんな顔で見つめた。

 彼女もこの申し出に面食らっているようだ。

 しかしやがて、彼女は笑顔の表情を見せて言った。


「はい、では何なりと」


 ……僕は矛盾しているだろうか。

 たとえ矛盾していても――筋が通っていなくても――今の僕には、やるべきことが見えている。

 そのためならば、僕はどんな無理でも押し通してみせよう。


「まず聞きたいんだけど、ヒウゥース邸に忍び込んで捕まってる人達を助け出すことはできる?」


 僕の質問に、ヤエナは眉根まゆねを寄せて渋い顔をした。


「それは……成功する可能性はかなり低いですね。手練てだれの警備が大勢いるのでは、私では対処しきれません」


 ろくな訓練を受けていない、平和な田舎街の地元民で構成されたこの街の衛兵ならともかく、しっかりした訓練を受けた人間を瞬殺するのは容易よういではない。

 特に不慮ふりょの事態、乱戦となると、技術や速度が生かせず単純な腕力がものを言うようになる。

 いかに賢者ヨールンの秘蔵っ子といえど、ヤエナには体格という如何いかんともしがたい弱点がある。

 ヤエナは僕よりは強いが、単純な戦闘力ではおそらくイエニアよりも一段下だろう。


 ……まあ、これが駄目なのは予想がついていた。

 なので、こちらが本命だ。


「そっか、じゃあ……」


 僕は片目を閉じ、人差し指を立てて尋ねた。


「探しものは得意かな?」

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