第64話

 一体三頭の黒犬を撃退したクラマ達。

 負傷したガーブの手当てを行い、洞窟から脱出するべく歩みを進めた3人の男たち。

 彼らは次に、鳥の上半身と獣の下半身を持つ怪物と遭遇そうぐうした。


「クワアアァァァァァァァッ!!!」


 洞窟内の空気を引き裂くかのような甲高かんだかい鳴き声!

 異形いぎょうの怪物は大きく翼を広げて威嚇いかくしながら、クラマ達に襲いかかった!

 クラマの倍近くある巨体。

 そこから繰り出されるクチバシの突きは、爆撃のように地を穿うがち土砂を巻き上げる!

 さらに巨大で禍々まがまがしい鉤爪かぎづめは、一振りで壁面を大きく削り取った。


「近づけないでしょこれ! どうすんの!?」


 クラマが叫ぶ。

 槍で突こうにも、前足の鉤爪かぎづめが危ない。

 間合いに入った時点で槍ごと吹き飛ばされる未来がクラマの脳裏のうりに浮かぶ。

 クラマと同じく間合いの外から様子をうかがうワイトピート。

 ワイトピートは周囲の状況に視線をめぐらせ、その頭脳は怪物を倒す青写真を描く。


「うーむ、5秒ほど奴の動きを止められないかね?」


「止めろったって……!」


 こんな怪物の間合いには入れない。

 現在の装備で最も射程の長い武器は……鞭だ。

 クラマは鞭の柄を握る。

 だが自分の方に向かって来る相手に鞭をからめたところで、止めることはできない。

 鞭で止めるなら、自分以外の者が狙われている時だ。


「………………」


 クラマは足音をたてないように敵の視界の外に移動した。

 そこで敵の鳥獣が標的に定めたのは……


「クアアァァァァァ!!!」


 離れた位置で柱に手をついて立っていたガーブだった。


「うおおおおおおおおっ!?」


 地響きをたてて突進、そこからのクチバシ突き!

 ガーブは咄嗟とっさに剣を構えて防いだ。

 が、突進の勢いは殺せず、地面に押し倒されたガーブ。

 すんでのところで横にした剣をクチバシに挟んで押しとどめているが、それが精一杯だった。

 動けないガーブに鳥獣は前足を上げて、鉤爪の攻撃に移る!


 その上げた前足に絡まる銀の鞭。


「……クァ?」


「くおおおおぉぉなんてパワーだこいつ……!」


 前足が振り下ろされないよう、クラマは必死に綱引きをする。

 しかし鳥獣の前足は想像以上のパワー。

 ほんの少しでも力をゆるめると振り回されそうなところを、クラマは必死に力を込めて踏ん張る!


「おいーっ! まだかーっ!」


「オッケーだ諸君! 素晴らしい足止めだった!」


 賛辞さんじの声は上空から。

 そこには壁を蹴って駆け上がったワイトピートが、落下してきていた!

 ワイトピートは高所から降下しながら、サーベルを一閃!

 銀の刀身は鳥獣の首を一刀両断した。

 転がる頭部。盛大に噴き出す血液。

 真っ赤な血が、地面とガーブの体を汚していく。

 クラマはすぐさまガーブに駆け寄った。


「大丈夫か!?」


「ああ……なんとかな」


 ガーブは体の上に乗った鳥の頭部を地面に放ると、よろけながらもひとりで立ち上がった。

 なんとか協力して怪物を倒した一同。

 クラマは鳥獣の足から銀の鞭を解きながら、ワイトピートに尋ねる。


「出口はまだ先なの? こんなのばっかり出てきたら、きついんだけど」


 クラマの問いに、ワイトピートはサーベルを鞘に納めながら答えた。


「うーむ、ここからだと先は長いな。しかし根を上げるのはまだ早いぞ! まだまだ序の口だからね……このグリフォンや、先ほどのケルベロスなどは」


「……え?」


 言われてクラマは倒れた怪物を見る。

 わしの上半身と翼、そしてライオンの下半身。

 たしかに伝説上の怪物、グリフォンの特徴そのままだった。


「なんで……」


「どうかしたかね?」


「あ、ああ……いや……」


 釈然しゃくぜんとしない思いを抱えたまま、クラマはワイトピートの後について歩きだした。






 そうして、また少し進んだ頃。

 クラマ達の前に新たな敵が現れた。


 前方は獅子しし、胴部は山羊やぎ、そして尻尾は蛇。

 それらがひとつに合わさり、それぞれの頭部を持つ奇怪な四足獣。


「……キマイラ」


 クラマの口からつぶやきが漏れた。


「ほう! 知っているのかね」


「まあ、ね」


「ならば話は早い! 奴は強いぞ! 特に口から吐き出す火炎に気をつけたまえ!」


 ワイトピートの言葉に申し合わせたように、獅子頭が大きく口を開いて火の玉を吐き出した!

 クラマは飛んできた火球を回避。

 地面に当たった火球はジュワッと水分を蒸発させて、熱気と湯気を周囲に拡散させる。

 相当な熱量だった。

 こんなものを人間が受けたらひとたまりもない。

 軽く触れただけでも致命傷になるだろう。


 クラマとワイトピートはキマイラの突進を避けつつ、回り込みながら攻めの機会をうかがうが……獅子の頭部と同じく口から火を吐く山羊やぎと蛇が邪魔で、なかなか有効な攻撃を与えることができない。

 そうした立ち回りを続けるうち、ついにキマイラが吐いた火球がワイトピートをとらえる!


「むうっ……!?」


 ワイトピートは避けられないと知るや、咄嗟とっさにサーベルを突き出した!


 ジュワァッ!!


 蒸発音。

 少し遅れて広がる、鉄の焼ける溶接の匂い。

 ワイトピートは無事……だが、火球を受け止めた刀身は、跡形もなくけ落ちてしまった。


「ぬかった、これはいかん!」


 緊急事態――!

 ここにきて、最大の武器を失う。

 その瞬間、クラマはなかば反射的に唱えていた。


「オクシオ・イテナウィウェ! ドゥペハ・イバウォヒウー・ペヴネ・ネウシ・オーバウェフー・トワナフ……!」


 もはや出し惜しみしている余裕はない。

 怪物も詠唱時の魔力波を感知するのか、キマイラはワイトピートからクラマに振り返り、標的を変えてくる。

 喉奥の火球を見せつけるかのように3つの口腔こうこうを広げ、クラマに跳びかかる!

 対するクラマは陳情句ちんじょうくはぶいて一気に詠唱を完了した!


「ジャガーノート!!」



> クラマ 心量:58 → 33(-25)



 ベルトの黒い炎が輝く。

 駆け巡るアドレナリン。

 心筋収縮力上昇。

 血流増大。

 気道拡張。

 運動機能向上。

 筋肉のリミッター解除。


 クラマは燃えるような熱が湧き出てくるのを感じる。

 体の内側に大量の燃料を投じられ、加速する肉体をクラマは操作する。


 クラマは眼前の怪物を見据える。

 3つの口から撃ち出される火球!

 その軌道を見切ったクラマは、逆に前へと踏み込む!

 火球をかわし、そして続く突進を紙一重ですり抜けたクラマ。

 目前にはがら空きの胴部。

 怪物の背中についた山羊の頭と目が合った。

 クラマはその山羊の頭へと、黒槍の突きを放つ!


「おおおぉっ!!」


 貫く黒槍!

 並んだ4本の刃は山羊の頭部を完全に破壊した。

 しかし足を止めたクラマに、尻尾の蛇がそのあごを広げて食らいつく!


「くっ!」


 喉元に食いつこうとするそれを、クラマはのけぞってかわした。

 クラマの体勢が崩れる。

 そこへ獅子の前足が体ごとおおかぶさり、クラマを押し倒した!


「ぐっ、は――!」


 相撲取りを超える重量にのしかかられて、クラマの息が詰まる。

 しかし息を整える暇もない。

 クラマの目の前いっぱいに広がる獅子の口――!


 それをクラマは両手でキャッチした。


 右手で上顎うわあご、左手で下顎したあごを掴んで、目の前で閉じようとする口を押し広げるようにして止める。

 ジャガーノートの筋力増強があって初めて可能となる芸当だった。


「くぅおおおおおおぉぉぉぉ……!!」


 みしり、と自分の手首が嫌な音をたてるのをクラマは聞いた。

 そこでさらにもっと嫌なものを見る。

 それは、獅子の喉奥へと徐々に溜まっていく炎の渦。


「……!」


 クラマはバタンと獅子の口を閉じた!

 そして今度は逆に口が開かぬよう、両手で上下から挟み込んでホールドする。


 暴れ回る獅子の頭と前足。

 しかしクラマも離すわけにはいかない。

 獣の前足が自分の体を蹴るのに耐えて、必死で獅子の頭を掴む。

 そのクラマの目のはしに、不吉なものが見えた。


「うっ……!?」


 それは、怪物の後ろから伸びてくる蛇の頭。

 今、この状態では対処できない。

 無防備なクラマに蛇の頭が忍び寄り……


 ダンッ! と投じられた剣が、蛇の体を貫き地面に張り付けにした。


「――ガーブ!」


 剣を投げたのはガーブ。

 その機、勝利への道筋をワイトピートは逃さない!


「いよォし! でかした!」


 即座に駆けるワイトピート。

 地面に突き立った剣を引き抜いたワイトピートは、蛇の体を両断!

 さらに続けて獅子の首を貫いた!


「ギャオオオオオオオオォォッ!!」


 首を貫かれた怪物は、恐ろしい力を発揮してクラマの拘束を振り切ると、咆哮ほうこうをあげて暴れ狂った!

 ワイトピートはすかさずその背に乗り上げた。

 そして首元に刺さった剣をひねり込む!


「ガ……ア……ッ!」


 ギヂィッ! と音をたてて獅子の首は切断され……ついに怪物は倒れた。

 動きを止めた怪物に、おそるおそるガーブは近付いてく。


「……やったのか?」


「はは、いや倒せるものだな。3つに合わさった獣より、息の合った3人の連携が勝利を掴む! ……といったところかな?」


「………………はぁ……」


 クラマは答えず、大きく息を吐いて呼吸を整えた。

 しかしながらワイトピートのげんの通り、こと戦闘において、ここにいる3人の息が合っているというのは、たいへん遺憾いかんではあったがクラマも感じていた。

 イエニアとの連携のような練習して詰めた一体感とは違って、それぞれが素早く、そして明瞭めいりょうに判断を下して行動する流れ。

 連携するというよりは勝手に連携になる、奇妙な信頼感があった。


「うーむ、しかし消耗が激しいな。長居ながいはしたくないが仕方がない……このあたりで小休止としようか」


 ワイトピートの提案を受けて、3人はしばし体を休めることにした。






 安全な場所というものはなかったが、クラマ達はひとまず大きな岩の陰に身を隠した。

 ワイトピートは岩を背に座るクラマとガーブに、ふところから取り出した水色の葉を差し出す。


「地下5階でれる葉だ。これで水分補給しておきたまえ」


 クラマは受け取った葉を見る。

 大きな舌のような、ぷりっとした肉付きのいい葉だった。


「私は先の道を少し確認しておこう。何かあったら大声で呼んでくれ。すぐに駆けつける」


 そう言い残すと、ワイトピートの背中は暗い洞窟の奥へと消えていった。

 残されたクラマとガーブのふたり。


「…………………………」


 気まずい静寂せいじゃく

 距離をたもって座る両者の間に、なんともいえない微妙な空気が流れている。

 手持ちぶさたのクラマは、とりあえず手にした葉をかじった。


 シャクッ!


「……!」


 歯を入れた途端に、口の中にジュワーッと広がる甘みのある水分!

 そしてサクサクと軽い食感。

 クラマとしてはスナック菓子を思い出す感覚だった。

 あまりの食べやすさに手と口が止まらない!


「こ、これはうまい!」



> クラマ 心量:33 → 39(+6)



 夢中になってシャクシャク食べるクラマを見て、ガーブも手にした葉に口をつける。


 シャクッ!


「む……!」


 ガーブも思わずうなって目を見張る。

 その反応に気付いたクラマ。

 互いに目が合う。

 クラマはふにゃっと崩れたような、気の抜けた笑顔を返した。


「……ち」


 ガーブは隠れて小さく舌打ちをした。

 そして気まずげに目をそらす。



「ありがとう」



 前触れのない突然の言葉。

 ガーブは我知われしらず、一度外した視線をクラマに戻していた。


「……何がだ」


「いやあ、2回も……さっきのを入れれば3回も助けてもらったからさ。……いい人だよね」


 ガーブは今度こそはっきりと聞こえる舌打ちをした。


「ちぃっ……! 俺がいい人だと? そんなわけがあるか」


 彼は顔をゆがめて、吐き捨てるように言った。


「俺はこれまで、数えきれないほどの罪なき者を捕まえ、従わなければ手にかけてきた。俺が捕えた者は奴隷に仕立てられ、売り払われると知りながらな。そこには正義も大義もない。ただ、ヒウゥース様の利益……それだけのために」


 ガーブは自虐じぎゃくし、己の手のひらを見つめる。

 彼の目には、洗っても落ちないけがれがその手に染みついているように見えるのか。

 少なくともクラマには、そのような汚れは見えなかったが。


「いや……いい人だよ、やっぱり。自分の悪いところを批判するのは、そこに良心があるからなんだよね。悪いことを悪いと感じるのは、良心がある証拠だ」


「前提がおかしいだろう、それは。どんな人間でも多かれ少なかれ良心は存在する。それを無視するか、しないかの違いがあるだけだ。良心を持っていれば善人……などという理屈が通るなら、この世に悪人は存在しなくなる」


「はは、そうだね」


 クラマは笑った。

 いつも通りに、ほがらかに。


 ガーブはその笑顔から目をそらして、己の考えを語る。


「ふん……しかし根本的には善人も悪人も存在しないというのは、その通りだ。善悪として語られるものの正体は、利害と思想の対立。そこにそれぞれが、自身の所属する側を“善”として……対立する側を“悪”と呼称しているに過ぎん」


 そう語るガーブは、虚空こくうを鋭くにらえていた。

 達観たっかんしたガーブの善悪論。

 絶対的な善……または悪など存在しない。

 道徳すらも数ある思想のひとつと見なす、非常に俯瞰的ふかんてきなものの見方であった。


「そうだね、確かにそれは間違いないと思う」


 クラマもそのガーブの考えに同意する。

 しかし彼の理屈が正しいと認めた上で、言った。


「でもさぁ、僕は……べつに“世界中のみんなが善人だ”って事にしてもいいと思うんだよね」


「……………………」


 ガーブはクラマを見た。

 クラマの様子は何も特別なことはない。

 茶化すでもなく、いきどおるでもなく、ただただ自然体だった。

 ……それがなぜ寂しそうに見えたのかは、ガーブにも分からない。


「……まるで花畑にでも住んでいるかのようだ。そんなに平和なのか、地球という所は」


「あはは、平和かと言われれば平和だね。僕の住んでた国は特に」


「お前の国に奴隷はいなかったのか?」


「んー……労働環境向上の目的で一般労働者を『奴隷』と比喩表現する事はあるけど……」


 本来、奴隷とは古来の身分制度における階級のひとつである。

 ――身分制度。

 そう、奴隷とは法律で定められた合法的な存在なのである!

 しかしいつしか、奴隷制度によらない非合法の「人身売買による強制労働者」――要するに「奴隷扱いされている者」も、一緒くたに奴隷と呼ばれ、混同されるようになった。


 西暦1862年、リンカーン大統領が有名な『奴隷解放宣言』を発した。

 それを端緒たんちょとして、世界各国で奴隷制度の撤廃てっぱいが進められた。

 現代においても正式に奴隷制度を採用している国家というのは……クラマの記憶にはなかった。


「僕らの世界じゃ奴隷はいない、っていうことになってるね、一応」


 奴隷と人身売買はイコールではないが、事実上の奴隷売買と呼べるものは世界中のいたるところで行われているのを、クラマは現職の大臣である父の口から聞いている。

 そんなクラマが言外げんがいに匂わせた含みを、ガーブは敏感に感じ取った。


「ふん……どこの世界も同じか。俺はな、3ロイ前までは奴隷だった」


 1ロイは地球単位で3年ちょっと。

 3ロイでおよそ10年だ。


「お前は奴隷に対して、どういったものをイメージしている?」


「えー? うぅーん……人権がなくて道具扱いされる人、かなぁ」


「ジンケン? ジンケンとは何だ?」


「あ、ええっとー……」


 世界史上で人権思想が流行したのは、わりと近代に入ってからだったことをクラマは思い出した。

 そして説明しようとしたところでクラマは、人権という言葉を聞いたこともない人に対して、この多岐たきに渡る概念を短い言葉で言い表すことが困難であることに気がついた。


「……人が生まれながらに持ってる権利……かな?」


 結果、口から出てきた答えはサクラに毛が生えたレベルであった。

 悲しみと恥じらいに縮こまるクラマに気付いているのかいないのか、ガーブは真剣な空気を崩さす話を続ける。


「権利がない、か……帝国の奴隷法は逆だ。奴隷の所有者が購入した奴隷に対して、就労しゅうろうを強制する権利を持つ」


「……それだけ?」


「ああ、それだけだ。法規上はな」


「大雑把すぎない、それ? 抜け道いくらでもありそう」


 ガーブは鼻で笑って頷いた。


「ふん、その通りだ。わざと解釈を広げられるように作ったんだろう。使用者が『こういう仕事だ』と言えば実際のところ何でもありだった。お前たち奴隷は死ぬことも仕事だと……まったく笑わせる」


 大きな火傷痕が残るガーブの顔が、クラマの目に入った。


「まあ、実際はそんな劣悪な扱いを受けることは稀だ。暮らしぶりに余裕のある者ほど、第八次元サ・ディウェけがれることを嫌う」


「第八次元……たしか……魂に刻まれる業の記憶……だっけ」


 第八次元サ・ディウェ。

 クラマは以前に少しだけパフィーに説明されていた事だが、この世界では人の魂は輪廻転生を繰り返し、その行いが転生後も魂に記録されている。

 ただし転生以前の記憶を引き継がないため、神の教えに従って清く正しく生きるかどうかは、人それぞれ……ということだった。


「ああ。だが俺はそこまで運が良くないらしくてな……俺を買った女は、自分の目の前で奴隷同士に殴り合いをさせるのを至上の趣味としていた」


「うへえ。そりゃーキッツイね」


「しかも一方が完全に壊れるまで止めるのを許さず……逆らう者には苛烈かれつな制裁を下していた」


 そう言いながら、ガーブは自分の顔についた火傷の痕を人差し指でなぞった。


「逆らったんだ」


「……倒れて動けない相手を壊すことに、意義を見出せなかっただけだ。だが、今思えば……あの女は奴隷が反抗するのを待っていたのだろう。殴り合いの観戦よりも、俺の顔に薬品を垂らしている時の方が明らかに活き活きとしていた」


「歪んでるなあ。どうしてそんなヒドいことして平気なんだろう」


「さてな。むしろ平気ではないから、やるんじゃないか? 奴は体に不具ふぐを抱えていた。そして殴り合いで壊され、体の一部が使い物にならなくなった奴隷に対して……奴は優しかった。おそらく、奴にとって加害とは、他人に優しくするために必要な儀式だったのだろう」


「ナルホドね。優しくするために傷つける、っていうのは屈折くっせつの極みって感じだけど……傷つけた後に優しくするのは罪悪感から来る反動もありそうだね」


「想像でしかないがな。やっていることはクズでしかない。俺はあの女を擁護ようごするつもりはさらさらないが……こんな奴でも、お前の理屈で言えば“いい人”になるんだろうな」


 皮肉混じりの目を向けるガーブ。

 クラマも何とも言えない苦笑で返した。


 そしてクラマは思った。

 ――ああ、この人は本当に向いてないんだなあ。……と。


 善悪の所在を否定しながらも、悪行をみ嫌い、手の汚れた自分を責める。

 せめて先ほど話で出てきた女性のように、倒錯的とうさくてき享楽きょうらくとしてしまえば、いくぶん楽になるものを。

 彼はあまりに真面目で、潔癖すぎる。

 それゆえに――クラマは、彼に好感を抱いた。


 クラマはガーブの剣に目を向けた。

 あぐらをかいて地面に座る彼は、鞘に納めた剣を抱きかかえるように自分の肩へ立てかけている。


「その女も、もっと大きなクズに飲み込まれてしまったがな。帝国では力を大きくして目立った振る舞いをすると、理由をつけて皇帝に財産を没収される事がままある。結局、その時まで不具ふぐにならず、五体満足でいられた奴隷は俺だけだった」


 魔導帝国の皇帝については、レイフからもいくらか話を聞いていた。

 これまでの話を聞く限りでは、相当な暴君というイメージをクラマは抱いている。


「そこで俺はヒウゥース様に買い上げられたが……ヒウゥース様は帝国の貴族連中と違って、奴隷だからといって区別をしなかった。そして奴隷の中で能力のある者は、その借金を肩代わりして一般市民へと身分を引き上げ、直属の配下に取り立てた。……ヒウゥース様は『投資だ』と言っていたが」


「へぇえー……なぁるほどねぇー」


 投資。

 成程なるほどいかにもこれは商売人のヒウゥースらしい考え方であった。

 同時にクラマは、彼らのヒウゥースへの忠誠心の高さに納得した。

 金で忠誠を買えるものなら、遠慮なく買う。

 合理的な話だった。


 クラマが驚いたのは、ヒウゥースがそれを包み隠さないところだ。

 自らが“悪”であることを隠さず、そんな悪人の自分について来いという露悪的ろあくてきな振る舞い、スタンス。

 ……政治の世界では、まれにそうした人物が出てくる。

 経営者でありながら評議会議長という、政治のトップにも立つヒウゥースの政治力にも、ようやく合点がてんがいった。


 しかし目の前のガーブを見るに、こうして忠誠を植え付けられても、生まれ持った良心――心の性質はどうにもならないということでもあった。


「……お前は俺が“いい人”だと言ったな」


 洞窟をおおう薄闇をへだてて、ガーブはクラマを鋭く見据えている。


「だが、俺にとっては上の樹海で死んだ部下達の方が、俺なんかよりも遥かにいい奴らだった。鋼刃の葉で切断されたディペハーは、普段は大人しい男だが、仲間が困っている時はいの一番に声をあげて手を貸す男だった。食人樹に喰われたウーリネは、酒癖も女癖も悪かったが、誰よりも新人の訓練に熱心だった。若い連中は生き残るために、まず最初に盾の扱いから覚えるべきだ……と提案したのもあいつだ」


 ガーブは語る。

 うしなった仲間との思い出を。

 クラマは相づちもせず、頷きもせず……ただ、聴いた。


「恨み言をうつもりはない。お前にも事情があるのは分かっている。だが、俺は……俺を信じてついて来た俺の部下の死を、無意味なものにする事はできん」


 これは決意表明。

 長々と自らの過去や、胸の内を語ったのは、ただこの一言を告げるために必要な前振りだった。


「クラマ=ヒロ。ここを出たら俺と戦え」


 そして、クラマもそれに応える。


「いいよ。上でどっちの仲間が残ってても、手出しはさせない。……それでいいかな?」


「ああ、それでいい」


 それで、話は終わった。

 初めから相容あいいれるはずのなかった2人の男。

 奇妙な巡り合わせによって重なった2つの軌跡は、互いの了承をもって有るべき場所に引き戻された。


 もはや語るべき事もない。

 薄闇の洞窟はせきとして声なし。

 しめやかな空気の中で、クラマはふと、思い出したように口を開いて言った。


「……ああ、そういえば前にヒウゥースが献身にむくいるタイプじゃないって言ったけど……あれは嘘だよ。多分、そういう人の気持ちを大事にするタイプだと思う」


「誰にものを言っている。お前よりも俺の方が遥かに詳しい」


「あはは、そうだね」


 クラマは笑った。

 そして、ガーブの喉元が、ぱっくりと切り裂かれた。


 噴き出す鮮血。


 ぴっ、とクラマの頬に血がかかる。


 およそ10秒近くもの長い時間、開いた喉から血液をほとばしらせたガーブは、やがて壊れた人形のように力を失い……洞窟の地面にその体を横たえた。

 ぴくりとも動かないガーブ。

 そのそばに立つ男がひとり。


「やあ、遅くなった。充分に休めたかね?」


 片手に小さなナイフを握ったワイトピートはそう言って、ガーブの手に残ったままの血塗ちまみれの葉を拾い上げると、しゃくっと歯をたててかじった。



> クラマ 心量:39 → 97(+58)

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