第65話

 つい先程までクラマと会話していたガーブは、今や物言わぬむくろと成り果て、湿しめった土の上に力なく横たわっている。

 下手人げしゅにんたるワイトピートは、無遠慮にガーブの剣を拾い上げて自らの腰に下げた。

 そうして彼は何事もなかったかのように、「では行こうか」と言って歩き出し――


「なぜ殺した」


 その背にかけられた言葉。

 ワイトピートは立ち止まり、振り返る。

 彼が目にしたのは、立ち上がって自らを見据みすえるクラマ。

 ことここにいたってもワイトピートは普段と変わりなく、ほがらかに回答した。


「なぜってそれは、私の剣がけてしまったからさ。負傷して動けない彼にもおとりとしての役割はあるが、さすがに私が剣を持った方がいいだろう」


「……それだけの理由で?」


 クラマが続けてくと、ワイトピートはかぶりを振って否定する。


「いいや、理由は他にもある。きみの心量回復のためさ。……どうだったかね? 協力して危機を乗り越え、親しくなった者が目の前で殺害されるシーンは。今度こそ感想を聞かせてもらいたいのだが」


「ああ……」


 この男の目論見もくろみ通り、クラマの心量は急上昇した。

 その演出に、心が揺さぶられたのだ。

 クラマは目の前の男にたずねる。


「どうして、そんなことをして平気なんだ?」


 クラマの目から見て、ワイトピートという男の言動には、およそ“良心”と呼べるものが欠落しているように見えた。

 ガーブの話に出てきた嗜虐趣味しぎゃくしゅみの女性は、他者を傷つけることで、それを己に投影して自ら心の傷を塞いでいた。

 しかしこの男は違う。

 例の残忍な“展示室”では、そういった加害者の心の傷が投影されるような、嗜虐しぎゃくの法則性がなかった。

 それこそ、単なる思いつきが並べられているような。


 ワイトピートが部下2人を殺した時にしてもそうだ。

 殺した後のやたらと淡白たんぱくな言動からしても、殺し方にこだわりというものが感じられなかった。


 “殺す方がいいから殺す”


 ワイトピートの振る舞いには、こんな気軽さがあった。


「ふむ、答えてはくれないのかね。……まあ、いいさ。どうしてこんなことをして平気なのか、という問いについてだが……


「……そうか」


 クラマの思った通りの答え。

 人が、する必要のない残虐な行いをする訳は、それが己の内にあるくらい傷穴を一時的にせよ塞いでくれるからだ。

 端的たんてきに言うなれば、嗜虐しぎゃくという道具を用いた歪んだ治療行為である。


 だがワイトピートに、そのような傷はない。

 あえて残酷な行いを選んでいる以上は、そこに自分なりの価値を見出しているのは間違いない。

 しかしそれは彼にとって、何も特別なことではないのだ。

 食事をして腹を満たすのとまったく同じ次元で人を殺傷し、しいたげる。


 これが“悪人”でなくて何だというのか。


 良心を抱かぬ完全な“悪”。

 これがワイトピートという名の怪物の正体である。



「しかし、きみはどうかね?」



 ワイトピートの問いかけ。

 その言葉に、クラマの肩がピクリと震えた。


「……なにがだ」


「私がナイフを持って彼の背後から近付いてきているのは、きみの目からは丸見えだったろう。なぜ彼に警告しなかった? ……いや違うな、フフ……きみはなぜ、私に気付いてから、彼に意味のない話を振った?」


「……それは……」


「なぜ……私が彼を殺すサポートをしてくれたのかな?」


 クラマは硬直した。

 言葉を返せない。

 体を動かすことができず、ワイトピートの青い目から視線を外せない。


 心臓が、握られていた。


 ……突然、ワイトピートは肩を揺らして笑いだす。


「く……くはははは……ははッ……」


 もうこらえきれない、これ以上は耐えられないと。

 ふくみ笑いは徐々に広がり……やがて臨界りんかいを超えてぜた。


「あーはははははははははははははは!!! ふはッ、はは、うあっははははははははははぁあーっ!!!」


 ワイトピートという男は、陽気な笑みが特徴の男だった。

 だがこの時の笑いは、これまでに彼が見せてきた笑いとは違っていた。

 今までの作られた笑いとは違う。

 腹の底から湧き上がるに任せた、き出しの笑い。


 その笑顔は派手な笑い声とは裏腹に――ひどく酷薄こくはくで、のっぺりとした能面のうめんのようだった。


「……なにがおかしい」


 クラマは喉奥から言葉をしぼり出す。


「ああ可笑おかしいさ! 傑作けっさくだ! ではこうか……! きみは、どうして私が部下の首をねたとき、転がった首に目を向けずに私から目をらさなかった!?」


「それは……そうするべき……だろう」


「そうとも! 敵の前で目をらしてはいけないな! えらい! ……だが、なぜまゆひとつ動かさずにそんなことができる!? 人の生き死にに慣れた女騎士でさえ目を細める、残酷な光景に! 平和に暮らしてきた地球人のきみが!? ははっ、まともではないな!」


 ワイトピートは問い詰めながら、一歩ずつ、ゆっくりとクラマに近付いてくる。

 クラマはその歩みをこばむかのように、否定の言葉を返す。


「僕は……普通の人間だ……」


「“それ”がきみの心のどころかね? しかし自らが普通の人間だというならば、答えてみたまえ。次の私の問いかけに」


 踏み込んでくる。

 クラマへと。

 それは、死を告げる死神のように。


「……きみは、恐怖を感じたことがあるか?」


「―――――――――――」


 これまでの話の流れと、まるで関連のない問いかけ。

 しかしそれが、それこそが……クラマの心臓を貫く致命傷だった。


「………………やめろ」


 ワイトピートは止まらない。


「嘘をついて心が痛んだことは? 傷つき、悲しむ者を見て胸が締め付けられたことは!? 後は、そうさな……複数の異性と関係を持つことに罪悪感や、背徳感を抱いたことはあるかね?」


 すでに貫かれたクラマの心臓をワイトピートはえぐり、裂き、切り刻んでいく。

 これは、あの時とまったく同じ感覚だった。



 ――あんたは人間じゃない!



 あの時も、そしてこの時も、クラマの持ち得る思いはひとつだけ。






『なぜ、それを知っている』






「……目だよ。その目を見た時から私は気になっていた。きみの目は、とてもよく似ていると」


 いつの間にか、ワイトピートの顔がクラマの目の前にあった。

 至近距離で互いの瞳を突き合わせて、ワイトピートは言う。


「――鏡に映る私の目と」


 正しくはない。

 まず色が違う。

 目蓋まぶたの形も違う。

 しかしどういうわけか、その瞳から受ける印象……雰囲気。

 そうしたものが、まったくもって瓜二うりふたつなのであった。


 クラマから否定の言葉は出ない。

 なぜなら、クラマが初めてワイトピートと出会った時。

 イエニアの盾殴りでワイトピートのガスマスクが破損し、その瞳をクラマが目にした時。

 まったく同じ感想を、クラマも抱いたからだ。


 鏡の前で、何度も見た覚えのある瞳だと。

 人を人と思わぬ、非人間の目だと。


「やめろ……」


「私の“展示室”を見てどう思った? かわいそう? 気持ち悪い? それとも許せない? いいや、違うな……きみはこう思ったのではないか?」


「く……あ………」


「これが作られた現場に、自分も居合わせたかった……と」


「黙れ……!!」


 クラマは黒槍をワイトピートの喉に突きつけた。

 しかしその切っ先は細かく震え、クラマの顔色は死人のように血の気が引いていた。


 ワイトピートは槍を突きつけられても微動びどうだにせず……天使のような穏やかな顔で、死神のような言葉を口にした。


「クラマ=ヒロ。きみは私の同類だ」




 これで終わり。

 最後のひとつが開かれた。

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