第35話

 このアギーバの街で悪徳高利貸し、などと呼ばれている貸金かしきん業者『幸福屋』。

 その経営者は、名をツィギトという。

 この街に来てからというもの接待を受けすぎて腹のたるみが気になる彼であるが、元々は首都でシーフギルド――いわゆる暴力団に相当する組織――の構成員だった。

 シーフギルドと繋がりの強いヒウゥースによってツィギトはスカウトされ、この街で金貸しとして活動することになった。


 彼がヒウゥースから課せられた仕事は、地元民から「合法的に土地を譲り受ける」こと。

 ……この業界には言外の意味というものがある。

 要するに、「表向き合法に見えるようにだまして奪い取れ」……ということだ。

 口に出してこう言わないのは、万が一に備えてオノウェ調査で証拠を掴まれる事を警戒しているからだ。

 これはすなわち、ツィギトが下手を打てば「私は何も命令してない。奴が勝手にやったことだ」と容易たやすくヒウゥースから尻尾を切られるという事でもあったが、上手く立ち回ることができれば己の裁量において好きに出来るという事でもある。


 彼は首都で「悪辣あくらつ」とまでひょうされた手腕を発揮し、次々と地元住民から資産を奪い取っていった。

 彼が相手にするのはいつも決まって教養のない田舎者。

 元は貧相な田舎街だったこのアギーバでは、あまりに容易い仕事。

 順調に資産を増やし、このままいけば評議会入りも夢ではないと思えるほどに、順風満帆じゅんぷうまんぱんであった。


 今日、この日までは。




 ぺり、ぺり……という奇妙な物音でツィギトは目を覚ました。

 ここは彼の寝室。

 目覚めた彼は、真っ暗なはずの室内に明かりがともっていることに気がついた。

 ツィギトは光源に目を向ける。

 そこには机に座って、ランタンの光を頼りに、何らかの作業を行っている男がいた。

 ぎょっとしてツィギトは声をあげる。


「な、なんだお前は!」


 ……男は答えない。

 ツィギトの問いを無視して作業を続けている。

 腹を立てたツィギトは大声で警備を呼んだ。


「おい! 誰か! 侵入者だ!」


 反応は……ない。

 ツィギトはもう一度叫ぶ。

 しかし、いくら待っても警護の者が駆けつけてくる様子はなかった。


「……来ないよ」


 作業中の男が口を開いた。

 ツィギトには聞き覚えのない、若い男の声。

 男は言葉を発しながらも作業する手を止めていない。


 ぺり、ぺりり……。


「な……何なんだお前は。さっきから何を……」


 と言ったところで、ツィギトは目の前の男のしている作業内容に気がついた。


 ――ひとつの紙を、2つに裂こうとしている。


 縦や横に破るのではなく、厚みを半分にするように割り裂いて、見かけ上はまったく同じ紙を作り出す。


「あ………あ、ああ……!」


 ツィギトはその光景に愕然がくぜんとして震えた。

 やがて繊細な作業を終えた男――クラマは振り返り、2枚に増えた紙をツィギトに見せて言った。


「いやあ、念のために用紙を取ってきてもらって助かったね。まさかこんな方法でサインを複製してたなんて」


 書いた覚えのないサインが借用書にある。

 それを聞いてクラマはカーボン紙などを使って下の紙に写す、あるいは紙を重ねて上からなぞる、ひょっとしたら魔法でどうにか……などと、いくつか予想していた。

 しかし先ほど盗み取ってきた借用書を三郎にオノウェ調査してもらったところ、そのいずれも引っかからない。


「オノウェ調査は時間が経つほどに難しくなる。裁判の当日に行うには、もう相当な難度になっているらしいね。そのサインがどのように複製されたかという具体的な方法を指定して、Yes/No形式で調べなきゃならないほどに」


 裁判の日取りは理由をつけて引き伸ばすことができるし、元は田舎街だったここの地元住民には、優秀な魔法使いを用意するあてなどない。

 そして冒険者ギルドを介した魔法使いの紹介は、ヒウゥースの息がかかっている。

 この用紙裂きのトリックを見破らない限り、ツィギト側が裁判で負ける要素がないのだ。


「ば……ばかな……どうして……どうしてその方法が分かった……!?」


「父が絵画かいがのコレクターでね。中にはそういう珍しい贋作がんさくの作り方もあるって……小さい頃に聞いたことがあったんだ」


 それもノウトニーから渡された入会契約書を実際に手にして、妙に厚い気がして思い至ったものだった。

 考え抜かれた詐欺の手口を完全に暴かれたツィギト。

 彼はがっくりと項垂うなだれてから……やおら顔を起こし、もう一度声を張り上げる!


「け、警備は何をしている! 侵入者だぞ!」


 ……しかし、やはり無反応。


「無駄だよ。彼らには少し眠ってもらった」


 ツィギトが見上げる先には、ニヤリと口のはしを吊り上げて笑うクラマの姿。

 警備はエイトによって近くの部屋で縛り上げられている。

 エイトはぶつぶつと文句を言いつつも、クラマが頼み込んだらやってくれた。親切な人だった。


 しかしそんな裏事情を知らないツィギトにとっては、警備はすでに皆殺しにされ、次は自分の番だとしか思えない。

 絶望と恐怖におののくツィギト。

 その彼にクラマは近付いて言った。


「大丈夫。あなたを殺す気はないよ。……今は、まだ」


 “今は”という言葉を強調。

 そしてクラマはツィギトの肩を抱いて、その耳にささやく。


「しかし“彼”はどうだろうね。あなたの失敗をかばってくれるような、いい上司かな?」


 そんなことは絶対にない。

 自分に不利益があると分かれば寸分すんぶんの迷いなく切り捨てる男。それがヒウゥースだった。


「僕らはただ、あなたにこの街からいなくなって貰えればそれでいい。……たとえ、どんな姿であっても」


 その言葉に、ツィギトは否応いやおうなしに惨殺ざんさつされた己の姿を連想してしまう。


「あなたに残された選択肢は3つだ。犯罪者として裁きを受けるか、この地を離れて逃げるか、あるいは……」


 ツィギトから身を離したクラマは、右手を挙げた。

 ――ドッ! と次の瞬間、枕に包丁が突き刺さった!

 屋根裏にひそんでいた一郎の仕業しわざである。


 ヒッ、とツィギトは悲鳴をあげた。

 クラマはツィギトに背を向け、窓の方へと歩いていく。


「――明日まで。明日中に用意して街を出ろ。もし明後日になっても、この街にいたら……」


 クラマは背を向けたまま横顔だけをツィギトに向け、2枚の用紙をぴらりと見せた。


「次に盗むのは紙じゃない」


 言って、クラマは窓から外に出た。

 ツィギトはそれを魂の抜けたような表情で、呆然としたまま見送った。






「ここまでする必要あった?」


 外でクラマと合流したエイトが尋ねた。

 クラマはそれに答える。


「うーん……理由は色々あるけど……彼を放っておいて、ヒウゥースに始末される展開が嫌だったんだよね。そうなるとヒウゥースの目も警察の捜査も、こっちだけに向いてしまうから。彼には逃げてもらって、分散に協力してもらいたい」


「……ふうん……」


「それと彼が始末されて、仮に自殺として処理されたら、その後がちょっとよく分からなくなる。ヒウゥースに資産を取られて、訴訟そしょうを起こしても被害者に資産が戻って来ないかもしれない。それなら彼が姿を消して会社の引き継ぎや警察の捜査でゴタゴタしてる間に、被害者のみんなには一斉に訴訟を起こしてもらいたい」


「………………」


「まあ……他にも……えーっと……何だっけ?」


 こめかみに指をあてて思い出そうとするクラマ。

 エイトは押し黙る。


 やるなら徹底的に、最後まで。

 そのためにリスクを冒すことは恐れない。

 クラマのそんな考え方が見て取れた。


「……なるほど、よく分かったわ。じゃあ、私は本当に帰るから。あなたも早く帰りなさい」


 そんな妙にフレンドリーな言いようをして、彼女はクラマの前から立ち去っていった。


 ……果たして彼女は何者だったのか?


 しかし今のクラマには、そこまで考えることはできなかった。

 心量は残り20を切っている。

 酔っぱらったような霞のかかった頭で考えるのも、もう限界だ。

 今すぐ寝たい。いや、もう寝よう。

 それはなんとも素晴らしい名案だった。

 遠くから一郎の声が聞こえていたが、クラマはそれに反応する気も起きず、そのまま眠りの中に落ちていった。






 一方、その頃。

 賭場『天国の扉』では一向に騒ぎの収まる気配がなかった。

 あまりにもホールに人手が足りない。

 ごうやした支配人の男は、自ら警備員の休憩室へと向かった。

 バン! と休憩室の扉が開かれる。


「お前ら! 何をして――うっ!」


 扉を開くと同時に広がる、青臭さと汗臭さの入り混じった匂い。

 中ではぐったりと倒れた警備員の上に、ひとりの女が馬乗りになっていた。

 ――レイフである。

 見れば休憩室の中には他にも数人の警備員が、似たように半裸で床の上に転がっていた。


「無理……もう無理……」


 男たちは口々に、そのようなうわ言をつぶやいている。

 扉を開けて現れた支配人へと、レイフがなまめかしい流し目を向けた。


「あら、次はあなたが相手してくれるのかしら?」


 妖艶ようえんながらも、品の良さを感じさせるレイフのしぐさ。

 支配人は一瞬、立ちくらみをしたような感覚を覚えるも、ぐっと拳を握って壁に叩きつけた。


「ええい、商売女が! 出て行けっ!」


 響く怒鳴り声。

 レイフは休憩室から蹴り出された。






 翌日、悪徳高利貸しのトップがあわただしく街を出ていったという噂が広がり、これ以降、彼の姿がこのアギーバの街で目撃されることはなかった。

 それと同時に高利貸しへと地元住民数名が一斉に訴訟を行い、他の街から取材が来るほどの騒ぎになったという。




 納骨亭には元気を取り戻した看板娘のテフラと、心なしか機嫌の良さそうなマスターがいた。

 そして珍しく顔を出してきたベギゥフが、やたらと強い仮面の女の話を語った。

 対するノウトニーは笛を吹き、マユミは適当な相づちを打って漫画を描き続けた。




 クラマ達はとりたてて何も変わらず。

 ただ、クラマがパフィーに「魔法で声を変えたりできるの?」と尋ねたところ、


「えっ!? それは……できると思う、けど……あっ、今日は用事があるの! またね、クラマ!」


 とのことだった。

 クラマはお茶をすすって、ひとりごちた。


「なるほどなぁ……」


 こうして社会を乱す謎がひとつ明るみに出て、代わりに小さな謎が顔をのぞかせた。

 遠からず、すべての解は出るだろう。

 クラマはひとつ積み上げて、そうして次は地にもぐる。


 運命の時が、近付いていた。

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