第36話

 ディーザは苛立いらだっていた。

 この街で最も大きな高級賭場が金庫破りを受けたと聞けば、それで盗み出されたのは書類のたった一枚だという。

 しかもそれは不正の証拠。

 そして書類が盗み出されたと同時に、不正の実行犯が忽然こつぜんと姿を消した。

 これが無関係であるわけがない。

 万が一、あの男にやらせていた詐欺行為とヒウゥースとの繋がりが暴露されたら――


「くそっ、これでは私も巻き込まれる」


 頭が痛かった。

 調べなければならない事、処理しなければならない事が山積みだ。

 ディーザのストレスは頂点に達している。


「おい! まだ調査は終わらんのか!」


 賭場『天国の扉』の金庫室前でディーザは怒声をあげた。

 支配人を務める若い男が、恐縮して頭を下げる。


「も、申し訳ございません。どうやらオノウェ隠蔽いんぺいの気配があるらしく……」


「無能者め。貴様、後で私の執務室に来い」


「うっ! そ、そればかりはご容赦ようしゃを……!」


 ビクリと震える支配人。それをとげの刺すような視線で支配人を見るディーザ。

 支配人の男は何も言えずに、唇をんだ。


「どけ。私がやる」


 そう言って、ディーザは昨夜ここで起きた出来事について、魔法を用いて調査した。

 オノウェ調査と隠蔽の対決では、より技量の高い側に軍配ぐんばいが上がる。

 ディーザは三郎よりも魔法使いとして遥かに格上だった。

 ディーザの魔法により三郎の隠蔽は暴かれ、昨夜の一部始終が明らかになる。


「またあの地球人かっ……!」


 ディーザのこめかみに青筋が浮く。

 昨夜のクラマは覆面をしていたが、ディーザのオノウェ調査はその奥までつまびらかにした。

 それからクラマと一緒にいた次郎と三郎の顔も。

 すでにディーザはケリケイラを使った事前調査で、クラマとよくつるんでいるサクラたちパーティーのことも把握している。

 ところが最後に出てきた女だけは、ディーザの記憶に思い当たらない。謎の女だった。

 ともあれ、これで侵入者の身元が割れたわけであるのだが……


「……………………………………」






 ディーザはそれから地球人召喚施設の執務室へ戻り、今後の考えをまとめる。

 なぜなら、すぐに動けない諸所の問題があったからだ。


「クラマ=ヒロ……何故こいつは……引っかからない……」


 何度も問題を起こしつつも、するりとこちらの手をすり抜けていく男。

 今回もそうだった。

 賭場の金庫室に侵入したかと思えば、盗んでいったのは一枚の書類だけ。

 勿論もちろんそれも立派な犯罪だ。さらに言えば不法侵入、警備員への暴行、そしてオノウェ隠蔽と、引っ立てる要素はそろっている。

 ……しかし状況が良くない。

 その行動は完全に不正を暴き、地域住民を救う義賊のそれだ。

 昨夜の賭場の状況をかんがみるに、クラマ達は地域住民の協力を得ている可能性が高い。

 そこへきて地域住民を食いものにしていた悪徳高利貸しの失踪、住民の集団訴訟が重なって、近隣の街から記者が取材に来るという情報もある。

 こうなってはヒウゥース側も迂闊うかつに動けない。

 仮にクラマを捕まえ、それで民衆から暴動が起きたりなどすれば、近隣の街からこぞって記者が押し寄せ、スキャンダルを暴きたてようとしてくるだろう。

 それはまずい。

 非常にまずい。


「だから危険因子は早いうちに処理しろと言ったんだ……」


 ディーザは汚れた玩具をき取りながら呟いた。

 最悪なのが、ヒウゥースとの繋がりを高利貸しが暴露しており、その証拠までも掴んでいた場合。

 ここで捕まえれば、当然その証言も記者たちに向けて発信される。

 それはヒウゥースにとって最も避けたいところ。

 評議会議長であるヒウゥースを追い落とそうと、叩ける材料を探している政敵はごまんといるのだ。

 案の定というか、ヒウゥースは既に記者の接待へと動き出している。

 こういう時は本当に行動が早い。

 となれば、ヒウゥースには事を荒立てる気はないと見ていいだろう。

 それはすなわち、この状況ではディーザもクラマを捕らえるために動くことができないということを意味している。


「何故だ……何故こうなった……?」


 こんな事態を引き起こした原因。

 その鍵となったのは……今朝になって姿を消した、高利貸しのツィギト。

 このタイミングで消えたことで、ディーザの動けない状況が出来上がっている。


「………………」


 しばし黙考もっこうするディーザ。

 彼はやおら引き出しの奥から、今まで使ったことのない魔法具を取り出した。

 それを使用して、何処いずこかへと通信をする。


『アローアロー、こちらひげのダンディ。合言葉をどうぞ?』


「私だ。ヒウゥースの右腕と言えば分かるか?」


『きみかね、相変わらず遊びのない男だね。きちんとストレスは発散できているかね?』


 ディーザは向こうの言葉を無視して己の用件を告げる。


「とあるパーティーを、ダンジョン内で始末してもらいたい」


『はて? 私はきみらの手下になった覚えはないのだがね。ヒウゥース君の頼み事ならともかく、きみの命令を聞くいわれはないはずだが』


「最近、冒険者を素通りさせているそうじゃないか。逃がした冒険者も死体の確認が出来ていない。決まり事を守らねば、協力者とは言えない。違うか?」


『ははは、これはしまったな! うん、よかろう、やろうじゃないか。哀れなターゲットの特徴を教えてくれたまえ』


 そうしてディーザはクラマ達の情報を伝えて、ダンジョンに潜る日が確認できたら再び連絡すると伝えて、通信を切った。

 ふう、と大きく息をついてディーザは椅子に背を預ける。

 これでいい。

 ケリケイラを使えば、クラマ達がいつダンジョンに潜るかを特定することはできる。


「表で処理できないなら地下……ふん、元からそういう話だったな。この街の計画は」


 ディーザは自嘲気味じちょうぎみに笑った。

 冷静になって考えれば、それで良かったのだ。

 無理に公権力を使って事を荒立てる必要などない。

 始末をつけるのは地下。

 ここは、そういう街なのだから。


「くくっ……己のわきまえぬ者には死を。ふふっ……ふっはっはっはっ……」


 ひとしきり笑うと、ディーザはケリケイラに指令を次の伝えるために執務室を後にした。



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 ディーザの通信があってから数日後。

 ここはダンジョン地下4階。邪教の信徒が根城ねじろとしている秘密の隠れ家。

 再びディーザから連絡があり、標的がダンジョンに入ったとの報告が入る。

 それを聞いたワイトピートは、通信用の魔法具を置いて椅子から立ち上がった。


「というワケで、久々の仕事だ。準備はいいかね、諸君?」


「はっ! 完了しております!」


 背筋を伸ばして返事をする3人の男たち。

 いずれも揃ってワイトピートと同じ青い瞳。

 すなわち彼ら全員、邪教の徒であった。

 そのうち、ひとりの表情にかげりがあるのにワイトピートは気がついた。


「どうしたかね、コーベル君。何か気になる事でもあるかな?」


「いえ、そのようなことは……」


 敬愛するワイトピートに話を振られて恐縮するコーベル。

 ワイトピートはコーベルの肩を叩いて、正面から目を合わせて言った。


「コーベル君! 嘘はいけないな。ああ、嘘はいけない。それとも、私にも言えない事かね?」


「も、申し訳ございません! その……我々、悲劇の神の信徒が、あのような連中の指示に従う必要があるのかと……ただ悪意を広め、悲劇を振り撒くことが我々の目的であるはず……」


 コーベルが抱くワイトピート達への不満。

 その言葉に、ワイトピートは大仰おおぎょうに両手を広げて応える。


「コーベル君、きみは正しい! しかしだ……フフ、これも若さかな。この歳になると、ひと工夫を加えたくなるのさ」


「それは、どういった……?」


 ワイトピートはニヤリと笑みを浮かべる。

 まるで、悪だくみをする子供のように。


「彼らの“頼みを聞く”という体が必要なのだよ。恩を売るという形だ。そうすることで、こちらの頼み事も通りやすくなる。ビジネスライクな関係から一歩進んでね。……そうすると、どうなると思う?」


 いきなり問われ、コーベルは答えにきゅうした。


「も……申し訳ありません……自分には……」


 ちぢこまって恥じ入るコーベルの背中を、ワイトピートはバンバンと叩いた。


「はははは! すまなかったね、意地の悪い言い方をして! つまりだね、私の目的はたいして未来などない冒険者連中ではない。この国のトップへ登りつめ、さらなる野望を抱いて邁進まいしんする男……そう、ヒウゥースだよ」


 3人の男たちの目が、驚愕きょうがくに見開かれた。


「彼がその野望の頂点に達しようという時……そこへ考え得る限り、最大の悲劇を叩き込む! 今はその布石を撒いている途中なのさ。……どうだい、面白そうじゃないかな?」


「お……おおお! 素晴らしい! なんという遠大な計画……そうとは気付かず、自分はなんと浅はかな……!」


「ははは、今まで言っていなかったからね。驚くのも無理はない」


 口々に自分達のリーダーを美辞麗句びじれいくたたえる3人の男たち。

 ワイトピートは笑顔でそれに応え、そして思った。


 ――こんな簡単な嘘にだまされるとは、なんて扱いやすい連中なのだろう。


 しかし、そうなるようにこれまで動いてきたのはワイトピート当人であった。

 彼らの心を掴むために、彼らの人間性を分析して、彼らの望む言葉、望むものを与え続けてきたのだから。




 悲劇の神の信徒、ワイトピート。

 彼はその髪の色が示す通り、生来せいらいからの信徒ではなかった。

 彼の人生は、常に違和感がつきまとっていた。


 ――何かがおかしい。


 違和感に気付いたのは、物心ついてからしばらく経った後のことだった。

 その違和感を具体的に表現することは難しかった。

 強いて言うなら、そう。

 この世に生きているのが自分だけであるかのような。

 精巧せいこうな人形の群れに放り込まれてしまったような。

 周囲の人間と自分が同じ人間であると、どうしても彼には思えなかったのだ。


 もちろん、生物として何も変わらぬことは理解している。

 ただ、どうやら周りの者は、誰かが痛がっていたら自分の痛みのように顔をしかめて、誰かが嬉しい時は自分の心も温かくなるらしい。


 そのように感じたことは一切なかった。


 なんとも言い得ぬ孤独感を抱いた若い頃の彼は、神父の勧めによって改宗を試みた。

 博愛の神から祭の神へ。

 しかし違和感はぬぐえず、次に芸術の神へ。

 さらには美と官能の神まで。

 それでも違和感は払拭ふっしょくされなかった。


 孤独感から周囲との摩擦まさつを感じていた彼は、環境を変えるために高等教育へ進まず、軍に志願した。

 そこでの彼は非常に優秀だった。

 飛ぶ鳥も落とす勢いで昇進し、しかしその道行きは、捕虜に対する非人道的な扱いが明るみになったことで閉ざされた。

 軍法会議にかけられた彼は、兵士14人を殺害して脱走した。


 その後は、しばらく逃亡生活に明け暮れる事となる。

 当局の捜査の目をかいくぐって逃亡を続けるワイトピート。

 ある日その彼の前に、青い瞳の女が現れた。


「おまえは生まれながらの悪魔だ。人の群れの中に居場所はない」


 女はワイトピートを勧誘した。

 彼は女の誘いを受けて邪神の信徒となった。

 この世に悪意と悲劇をもたらす悲劇の神。

 ああ、これこそ自分が探し求めていたものだった!

 そのように考えた彼は、邪神の徒を率いて、あらゆる非道な行為に手を染めた。

 充実していた。それまでの人生で満たされなかった歓喜、充足感に打ち震えた。

 天職だ。そう思った。

 ……しかし。


 違和感はそのままだった。


 周りの信徒たちは、いずれもそれまでの報われない人生から来るストレス、鬱憤うっぷん、コンプレックスで歪んだ者達だった。

 他人の幸せが壊れるさまを見て、自分のそれまでの人生を慰める。

 おびえる無様な姿を眺めて、普段は怯える立場の自分を忘れ去る。逆転のカタルシス。

 そういったものを求めていた。


 ……そうではないのだ。


 そうではない。ワイトピートはそうではなかった。

 悲劇はただ単に楽しいものだった。

 そこに自分の人生を重ねる必要はない。

 仲間内で固まり、しきりに背徳感を共有しようとする信徒たちからは、やはり疎外感そがいかんしか得られるものはなかった。


 ――私に同類などいない。


 奴隷の卸先おろしさきとしてえんのあったヒウゥースに誘われて来てみたが、こんな地の底に潜る奇特きとくな冒険者連中の中にも、やはり自分と同じような者はいなかった。

 どこまでいっても自分はひとり。

 理解者など得られない。




「……頃合ころあいか」


 静かにつぶやいたワイトピートに、3人の部下が居住まいを正して向き直る。

 ワイトピートは彼らに向けて言った。


「それでは気を取り直して行こうじゃないか! 今回から加わった、新しい仲間と共に!」


 ワイトピートの視線の先。

 3人の男から少し離れるようにして、ひとりの女が壁に寄りかかっていた。


「……仲間扱いをするな。私は別に……お前の頼みだから、聞いてやってるだけだ」


 トゥニスだった。

 その青い瞳がワイトピートをにらむ。


「はっはっは、こんな所でのろけられても困ってしまうな!」


「っ……!」


 トゥニスは何か言い返そうとしたが途中でやめて、ふいっとそっぽを向いた。

 そうしてワイトピートは全員に背中を向けると、バッと右手を挙げてみせた。


「では、いざ行かん。彼らの冒険を終わらせに」

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