第32話

 クラマは丸一日かけて準備を行い、そして深夜。

 作戦決行の時はすぐにやって来た。


 ターゲットは冒険者ギルドやヒウゥース邸に並ぶ程の豪奢ごうしゃな建築物……会員制高級賭場『天国の扉』、その3階金庫室に保管されている借用書しゃくようしょである。

 改めて外から見ると非常に大きな建物で、ざっと敷地面積しきちめんせきは東京ドーム1個分。

 真夜中だというのに数多くの照明と反射材によって、きらきらと光り輝いている。

 繁華街に賭場はいくつかあるが、この賭場が最も派手で、最も大きく賭けることができた。

 その代わり新たに会員となるには、既存の会員の紹介に加えて、住民票や冒険者ギルド登録証などの身分証の提示が必要になる。


 そんな賭場の裏口に、3人の黒ずくめの男たちがいた。

 クラマ、次郎、三郎である。

 それぞれ真っ黒の服に、覆面ふくめんで顔を隠している。

 3人は植木うえきの中に隠れひそみ、息を潜めて警備員が過ぎ去るのを待つ。

 警備員の姿が見えなくなったところで、クラマは口を開いた。


「さあ、ミッションスタートだ」


 その言葉を皮切かわきりに、植木の中からおどり出る3人の男たち!

 素早く壁の前に来た3人は、まず三郎が四つんいになって土台となり、クラマがその上に立って、クラマに肩車をされた次郎が通気口のふたを取り外す。

 人ひとりがなんとか通れる穴。

 3人はダンジョンよりも遥かに暗くて狭い穴を、ねずみのように這いずって侵入した。


 3人の先頭を進むのはクラマ。

 クラマは建築をけ負った地元の業者から、間取り図と空調換気設備図を入手し、潜入ルートを頭に叩き込んでいた。

 頭の中にある地図を頼りに、ずりずりと這い進む。

 やがて前方に光が見える。

 出口となる穴の先へと辿り着いたクラマは、極力顔を出さないように外をのぞき込んだ。


 そこは賭場の中央ホール。

 きらびやかな装飾の中を大勢の人達で賑わっていた。

 非常に広く、天井が高く、開放的なホール。

 クラマがいるのはその上方。

 天井近くにある壁穴の中であった。


 配置は完了。

 後は静かにその時を待つ……。






 高級賭場『天国の扉』は、本日も盛況せいきょうであった。

 ここには現地の住人、冒険者、他の街から立ち寄った資産家など、様々な人がおとずれるが、奥のVIPルームと中央ホールで客層が切り分けられていた。

 中央ホールでは現地民と冒険者が様々な賭け事にきょうじている。

 そこでは広いホールの中にディーラーが複数いて、客がやりたいギャンブルを選ぶことができる形だ。

 その日も人々は皆それぞれに、勝った負けたと言って盛り上がっていた。

 そんな時……


「ちょっとお待ちよ! そりゃイカサマじゃないかい!?」


 ホール中央で大音量が響き渡る。

 突如として声をあげたのは、恰幅かっぷくのいい中年女性――市場で野菜を売っているアピリンおばちゃんだ。

 嫌疑けんぎをかけられたディーラーは、笑顔を崩さずなだめる。


「そのような事はございません。落ち着いてよく……」


「いいや、アタシの目が黄色いうちは誤魔化ごまかせないね! 知ってんだよ、アンタらがアタシら現地の人間からボッてるのはね!」


 不穏なことを騒ぎ出した客に対して、警備員が反応する。

 しかし警備員が動くより先に、すぐ近くにいた客が叫んだ。


「おっ、おれも聞いたぞ! この賭場が金貸しとグルだって話!」


「わしも知っとるぞ!」


「なにぃ! どういうことだ!?」


 周囲にいた人達が口々に賛同さんどうし始める。

 どよめきが波紋となってホール内に広まっていった。


 ディーラーは警備員に目配せをする。

 うなずいた警備員は動き出した。

 負けが込んだ客が騒ぎ出すなど、彼らにとって日常茶飯事に過ぎない。

 営業を妨害する客は、すみやかにご退場願うまで。

 だが……


「おおっと! すまねぇ手が滑った!」


 なみなみと酒の入った陶器が床に落ち、破片と酒が周囲に広がる。

 その他にも……


「よし当たりだ! ……ん? なんだこの虫? どっから入って……あーっ! 俺のチップ!」


 別の場所では虫が大量発生して大騒ぎ。

 さらにまた別の場所では――


「あぁ~っ! あたしの指輪がないよ! ちょっとあんた、探しておくれ!」


 警備員に食ってかかる老婆。


「なっ……なんだこれは……」


 中央ホールのいたるところで同時に問題が発生。

 かつてない事態に、ディーラーと警備員は呆然となって周囲を見渡していた。






「なーんか中が騒がしいっすねー」


 一方その頃、正面入口ではマユミが会員登録をしていた。

 受付の女性が丁寧ていねいに答える。


まれに騒ぎ出す方もいらっしゃいますが、すぐに警備員が対応いたしますので、ご安心ください。……さて、後はそちらにサインを」


 差し出された入会契約書を手に取るマユミ。

 そこへ酔っ払った男が近寄ってくる。

 その男は一郎だった。


「あぁ~飲みすぎたぁ~気持ちわる……うぇええええええええゲロゲロゲロ」


「ぎゃーっ!? 跳ねたぁー!?」


 慌てて受付が対応する。

 一郎を受付が介抱している間、奥から呼ばれたもうひとりの従業員がマユミの対応を行う。


「失礼しました。こちらの方で会員登録の続きを……」


「あれ? あー、スイマセン。契約書がどっか行っちゃったんすけど」


「あ、ではもう一枚お持ちします」






 ――賭場『天国の扉』の外。

 あふれる人混みの中、入会契約書をひらひらと掲げて眺めるノウトニーの姿があった。


「ああ! 語り部たる詩人が、自ら策に手を貸してしまうとは! このような事……しかし、ああ、しかし! ……たまには悪くない」


 ノウトニーは涙滴るいてき状の楽器を取り出して吹いた。


「しかし、しかし……警告はしましたが、今日は“彼”が警備に入っている日。はち合わせすることがなければいいのですが……果たして、どうなることやら」


 そう言ってノウトニーは、そびえ立つ『天国の扉』の外観を見上げた。






 騒然とした『天国の扉』中央ホール。

 どこから手を付けるべきか分からず固まっているディーラーと警備員たちのもとへ、支配人の男が駆けつけてきた。


「何をしている! お前たち、まずはVIPを2階にお連れしろ!」


 まだ年若い支配人だが、堂に入った風に毅然きぜんとして指示を出していく。

 指示を受けてその場にいた警備員が、中央ホールにいる有力者を警護しながら誘導する。

 すると当然、ホールの事態を治めるための人手が不足する。


「おい、休憩室と裏から人を集めろ!」


 支配人の指示を受けて、警備員が走った。






 クラマの眼下、中央ホールでは阿鼻叫喚あびきょうかんの騒ぎが繰り広げられている。


「よーし、きたね。2人とも行くよ!」


 この騒ぎに乗じて動く。

 まずクラマは運量を使用する!


「エグゼ・ティケ……僕らが向こう側に着くまで、誰も上を見上げないように」


 続いて魔法の詠唱。


「オクシオ・シド……サウォ・ヒシハ・セエス・レエダエ・タナハ・セエスナ……フレイニュード・アートニー」



> クラマ 心量:85 → 55(-30)



 クラマは宙に浮いたような感覚を覚える。

 これはイクスの魔法具の効果。

 貸家かしやを出る前にイクスの部屋から拝借してきたものである。

 内部に空洞がある金属製の背中当て。魔法によってこの空洞内の空気を操り、外部の空気と融合させようとする。そうすることで背中当て内部の空気が外部へ向けて移動しようとして、結果的に浮力を得るという仕組みである。


 クラマはダクトの外へ躍り出た。

 そこから天井付近のパイプまで跳ぶ!

 コートの下に着込んだ背中当ての効果によって、クラマは羽根のように軽やかに跳躍。パイプを掴み、その上に乗った。

 それからクラマは銀の鞭を元いた場所へと伸ばす。

 伸ばされた鞭を掴んだ次郎を、続けて三郎を引き上げた。

 3人はパイプを伝って反対側の壁まで辿り着くと、再びダクトの中へ。



> クラマ 運量:10000 → 9663/10000(-337)



 狭いダクトをずりずりと這いずる。

 ねずみの真似事まねごとをしばらく続けて、一同はようやく廊下に出た。

 騒ぎの音は遠い。

 しかしホールの上空という無茶なショートカットをしたおかげで、目的地は近い。


「いやぁ~、キツイっスねぇ~、これは」


「落ちそうな気がしてキンタマ縮み上がったでござる」


「――しっ!」


 物音に気付いたクラマが2人を制止する。

 曲がり角の先から足音と人の話し声。

 音は3人の方へと近付いてきていた。

 クラマ達は顔を見合わせる。

 通気口に戻っている時間はない。3人は周囲を見渡して……大きめのダストボックスを発見した。


「おい急げ急げ! 女子トイレから煙が出てるってよ!」


「おれらも避難した方がいいんじゃねー?」


 話し声と足音はすぐそこまで来ている。

 3人は一も二もなくダストボックスに飛び込んだ!


「ぐえぇぇ~……狭すぎっス」


「だ、誰か拙者せっしゃのタマ、タマを……あっ」


「しー、静かに」


 密着して息を潜める男3人。

 すぐ傍を数名の警備員が通り過ぎ……ようとしたところで、そのうちのひとりが立ち止まり、手にした木の容器をダストボックスへ投げ入れた。


「いでっ」


「……あん?」


 怪訝けげんな顔をした警備員が近付いてくる。

 クラマは次郎の口を手で塞いだ。

 カツ、カツ、と近付いてくる足音。

 ドッドッドッと早鐘はやがねのような互いの心音が聞こえる。

 警備員はダストボックスを覗き込み……


「おい、急げって! 支配人にどやされるぞ!」


「あー、わかった、わかったって」


 警備員はどたどたと走り去っていった。

 危うくなんのがれたクラマ達。

 周囲から警備員がいなくなったところで、もそもそとダストボックスから這い出る。

 3人は残飯にまみれていた。


「ま~じ最悪っスね」


「……この世の地獄でござる」



> 次郎  心量:418 → 414/500(-4)

> 三郎  心量:352 → 334/500(-18)



 三郎は前かがみになって暗い顔をしていた。

 そこから逐一ちくいち、三郎がオノウェ隠蔽いんぺいしながら目的地へと進んでいく。



> 三郎  心量:334 → 246/500(-88)



 内部の警備は明らかに手薄になっていた。

 クラマ達は警備員と遭遇そうぐうすることなく、金庫室の前まで到着する。


 この世界においては、ダイヤル式の金庫というものに信用が置かれていない。

 なぜなら暗号などは魔法によって解読されてしまうからだ。「扉を開けるために必要な数字」などは、最もオノウェ調査が容易たやすい部類の情報だ。

 ゆえに必然として、金庫は人の手によって守らなければならない。


「……5人か」


 曲がり角から一瞬だけ覗き込んだクラマが呟く。

 案の定、武装した人間が金庫室の扉を守護していた。

 おそらくは専任の金庫番。

 どれだけ騒ぎたてようが、彼らがここを動くことはないだろう。

 ここだけはどうしても、打ち倒して突破する必要がある。

 クラマの背後で固唾かたずんで見守る次郎と三郎。

 ……彼らは戦力にならない。

 最初から「戦いは全部クラマひとりでやる」という話で連れて来ている。


 クラマは目を閉じて、息を整えた。

 ……敵の配置は記憶している。

 クラマは小声で詠唱を開始した。


「オクシオ・ヴェウィデイー……ボース・ユドゥノ・ドゥヴァエ・イートウ……」


 金庫番の兵士がざわめき立つ。

 たとえ聞こえないほどの小声で呟いても、詠唱が始まれば周囲の第六次元イテナウィウェに揺らぎが発生し、独特の振動波をもって感知されてしまう。

 しかし向こうが発生源を特定しようと、視線を巡らせる間に、こちらの詠唱は完了している。

 クラマは曲がり角から飛び出した!

 驚いた顔をする相手へと向かって、銀の鞭をはしらせる!

 宙を切り裂いて向かうのは一条いちじょうの鞭……ではない。

 兵士へ向かったのは7つの線。

 銀の鞭のなかばから、取り付けられた6本の鉄線が枝分かれするように伸びていた。

 鞭が標的に届いた瞬間、クラマはふところからパフィーの胸当てを取り出して叫ぶ。


「ディスチャージ!」



> クラマ 心量:55 → 30(-25)



 ビクッ! と兵士たちが跳ねた。

 電撃に打たれた兵士たちは、体の自由を失ってばたばたと倒れていく。

 陳情句ちんじょうくによるブーストなしなら、爪トカゲクリッグルーディブのように黒焦げになったりはしない。しばらく動けなくなる程度だ。


 だが、倒れたのは5人のうち3人だった。

 都合よく全員に鉄線が当たるほど固まってはいなかったのだ。


「なんだてめぇ!」


 言うが早いか、兵士のひとりは手にしたクロスボウをクラマに向けて発射した!

 時速250kmで飛来する矢。

 人間の反応では避けられるはずもない。

 クラマに出来ることは、相手が引き金を引く前から両腕を上げて首と頭を守ることだけだった。

 高速の鉄杭てっくい

 それは躊躇ちゅうちょなく容赦ようしゃなく、クラマの胸に突き刺さった!


「――っ!」


 胸部の中心に矢の直撃を受けたクラマは、崩れる落ちるように、ゆっくりと前のめりに倒れした。

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