第31話

 テフラは次のように語った。


 テフラの家は何世代も前から、この地でイルラユーヒの養殖業ようしょくぎょういとなんできた。

 しかし今、その家が借金の取り立てによって奪われようとしている。

 その借金は当人がこさえたものではなかった。

 先日、賭場とばで借金をして大負けをした別の地元住民がいたのだが、テフラの父親がその連帯保証人になっていたのだという。

 そして借金を背負った住民が夜逃げをしたため、連帯保証人である彼女の父に支払いの義務が発生してしまったのだ。


「それは残念ですが、仕方ありませんね……保証人というのは、そういうものですので……」


「いいえ、違うんです! 父に聞くと、確かに賭場には付き添いで行ったけど、借用書にサインまではしてないって!」


 その話が本当ならば、文書の偽造ぎぞうということになる。明確な犯罪だ。


「しかし筆跡が違えば無効となるはずですが」


「それが……間違いなく父の筆跡だったそうです。でも、父は絶対に書いていないと……」


「それは……」


 苦しい話だった。

 いくら当人が書いていないと言っても、そこに文書が存在する以上は、それが証拠だ。

 こうなってしまうと、どのような方法によって本物と思しきサインを作り上げたのか、その証拠をテフラの父の側から提出しなければならなくなる。

 重苦しい空気の中で、クラマが口を開いた。


「オノウェ調査で調べられないかな?」


 それに対してノウトニーが回答する。


「ああ、極めて残念ですが……ここでは無理でしょう。こればかりは一流の魔法使いであろうとも……。あるいは、そう……手元にその借用書と、手口の目星があれば話は別ですが」


「借用書はどこに……?」


 クラマがテフラに目を向ける。

 テフラはうつむき気味に答えた。


「金貸しの人達が金庫に保管して、彼らに必要のある時にしか出さないそうです」


 空気がどんどん重くなっていく。

 聞けば聞くほど手詰まりだった。

 誰も口を開かなくなったところで、暗い空気を払拭ふっしょくするように、テフラがぱっと明るい声と笑顔で言った。


「すみませんでした、変なこと言ってしまって! 大丈夫ですよ、家がなくなっても働き口はありますから!」


 見るからに痛々しい空元気。

 テフラはクラマ達に頭を下げ、別の注文を取りに行った。

 その後、運ばれた料理を平らげると、クラマとイエニアも納骨亭を出た。

 クラマがわざわざ納骨亭に戻ったのは、これからマスターに料理を教わる予定だったのだが……。


「イエニア、先に家に戻……う」


 言いかけたところで、じーっと不機嫌な顔を近付けられる。


「行きたい場所があるなら言ってください、私もついて行きますから」


「……うい」




 そうして、その日は街中の様々な場所に足を運んで、聞き込みをして回った。

 すると予想以上に容易たやすく話を聞くことができた。


「おう、その話かい! 最近になってやってきた悪徳高利貸しが、地元民から土地を巻き上げてるって話さね。いや気の毒だねえ、ヌアリさんとこも。アタシの知ってるだけで5軒目だよ! このまえ宿屋のリバリーが裁判を起こしたけど、負けちまってね。今は路地裏で残飯漁りしてるとか。アンタも金貸しには気をつけな! 隣のお嬢ちゃんとイイコトできなくなるよ!」


 クラマは市場のアピリンおばちゃんから話を聞いて、次は路地裏へ。

 そこで先の話にあったリバリーという男を見つけた。

 悪臭を放ってみすぼらしい布きれに身を包んだ男は、クラマが話しかけても無視を決め込んでいたが、近くで買った串焼きを渡すと饒舌じょうぜつに語り出した。


「奴らは裁判の当日まで借用書を外に出したりしない。そこで裁判の当日にオノウェ調査をしろって言っても、裁判所は用意しちゃくれねえ。俺は冒険者ギルドの紹介で用意したが……くそっ、あの役立たずのデカ女が! そいつの名前? ケリケイラってやつだよ」


 クラマはリバリーに礼を言うと、路地裏を出てメグル達の貸家へ向かう。

 しかし都合の悪いことに留守であった。

 代わりにクラマは、話の中で出てきた冒険者ギルドへと足を運ぶ。

 クラマは受付のリーニオから話を聞いた。


「裁判への魔法使いの紹介ですか? ええ、そういうこともありますけど……私が選んで紹介しているわけじゃないので、正直あまり詳しくは。ええ、魔法使いにも得意不得意がありますから。ですので魔法使いの紹介は、地球人召喚施設長のディーザ様の指定になりますね」


 冒険者ギルドからはそんな話を聞くことができた。

 それからクラマは同じように保証人となって資産を奪われた人達へと、ひとりずつ会いに行く。

 すると、いくつかの共通点が浮き彫りになってきた。


・賭場に行ったのは、高利貸しから借金のある別の地元民に誘われたから。

・誘われる賭場は、いずれも同じ会員制の場所。

・賭けに負けて大損した本人は、全員が別の街へ移住。なぜか高利貸しも警察もそれをスルー。


「借金をギャンブルで返そうって話はよく聞くが、あいつはそういう奴じゃねぇんだ……誰よりも真面目に働いてよ、休憩時間にゃ毎日、子供と女房の自慢してきやがる……正直うざったかったけどよ……ひとに借金だけ押し付けて、何も言わずに消えちまうような奴じゃないはずなんだ……」


 保証人となって資産を奪われた者のひとりは、そのようなことを語った。

 そうして、聞き込みが一区切りしたところで、イエニアがクラマに告げる。


「この国の法では、利息はいくら高くても違法ではありません。合法ですから、堂々と取り立てることができます。当然、夜逃げしないように駅馬車には手配が届くはずです。しかし今回のケースでは、借金をした地元の方々はいずれも駅馬車を使って、別の街へ家族ごと移動している……これは不自然です。金貸しを生業なりわいとする者が、そんな不手際を何度もするとは思えません」


「うん。多分その時点で、既に借金がなくなってたんだろうね」


「借金がなくなっていた……?」


 妙な言い回しだ。

 借金が勝手になくなるはずがない。

 クラマは飛躍した話を、少し噛み砕いて説明する。


「なんで夜逃げするのに邪魔が入らなかったのか? って事の答えだね。借金があるなら金貸しは逃がさない。じゃあ金貸しが何もしないで逃がしたって事は……? 夜逃げした彼らには借金がないと解釈する他ないよね」


「ちょっと待ってください。それは……高利貸しと夜逃げした人達がグルだという事ですか?」


「……っていうことだろうね。グルというよりかは、たぶん取引かな。借金をチャラにして夜逃げを見逃す代わりに、他の地元住民を連帯保証人にする手伝いをしろ……ってところじゃないかな?」


「しかし連帯保証人のサインはしていないと」


「うん。だから偽造だろう。どうやってかは分からないけど……どう考えても怪しいのは、被害者全員が連れて行かれたっていうカジノだね」


 そういうわけで、クラマ達は問題の賭場のある繁華街へと足を運んだ。

 そこで聞き込みをすると、高利貸しの連中が件の賭場の裏口から入っていくのを見たという証言が出てきた。


「やっぱり高利貸しと賭場がグルっぽいね。証拠は何もないけど……」


 何か手がかりはないものかと、クラマ達がさらに聞き込みを続けていると……


「おお! よもやこのような場所で会おうとは! ああ、偶然とは時として運命の流れを感じるものです!」


 なんとノウトニーが現れた!

 彼は芝居しばいがかった身振り手振りを混じえて続ける。


「おおっと! いや、私としたことが! 夜の繁華街を並び歩く男女に声をかけてしまうとは! いいや、申し訳ない! これは無教養な盾持ちのごとき野暮やぼ! 不躾ぶしつけの極み!」


「いやあ、そう見える?」


「違いますから! 今日は別の用事で来ています」


「フフフ、いや失礼。ちょっとした冗談ですとも、ええ。貴方達も聞き込みでしょう? 例の悪徳高利貸しの件についてを……ね」


 どうやらノウトニーもクラマ達と同じように、あれから調査していたようだった。

 丁度いいので互いに情報を交換する。

 クラマ達の話を聞いたノウトニーは、のけぞって驚きをあらわにした。


「これはこれは……わずか半日でよくぞそこまで調べ上げたものです。私など、声をかけただけでおおよそ立ち去られてしまうというのに! ああ、なぜなのか!」


 さもありなん。というクラマの感想であった。


「私から差し上げられる情報といえば、ひとつしかありません。例の高利貸しが会員制の高級賭場に出入りしているという話ですが……どうやら彼らは賭場の金庫に書類を保管しているようです」


 賭場の金庫ならば、それは警備に関しては信頼できる。


「賢いですね。賭場と繋がりがあって使用できるなら、事務所に置くよりも遥かに安全でしょう」


「そのぶん、やましいことがありそうな……って感じだけどね」


 そうして情報を得たクラマ達は、ノウトニーと別れた。






 そうして目ぼしい場所からの情報収集を終えたクラマ達。

 その頃には既に夜も深くなってきていた。

 貸家に戻る前に、クラマは最後にテフラの家に向かった。

 以前、クラマ達が冒険者を脅かすためにイルラユーヒを使った関係で、テフラの両親とは面識がある。


 テフラの父・ヌアリは玄関先の、イルラユーヒの飼育小屋の前にいた。

 彼はやってきたクラマに気がつくと、人の良さそうな微笑みを浮かべたが……その顔には憔悴しょうすいの色が濃く浮き出ていた。

 テフラの両親は日本語を話せない。

 この街では地球人相手の商売が多いので多くの人達が話せるが、この世界全体としては、日本語を扱えるのは人口の3割程度である。


 今はイエニアがいるので通訳は可能だ。

 しかしクラマはカタコトの現地語で、身振り手振りを合わせて彼と会話した。


 彼は絶対に自分は借用書にサインをしていない! と強く主張しながらも、家族に申し訳ないと悔やんでいた。

 彼も賭場と高利貸しの噂は聞いていたものの、子供の頃からこの街で生まれ育った幼馴染の誘いは断れず、ついて行ってしまったという。

 クラマは彼の背中に手を回して慰めながら、ひとつだけ確認した。賭場の会員登録の際に自分の名前を書いた事を。






 テフラの家を離れて、クラマとイエニアの2人はようやく貸家への帰り道を進む。

 静かな仄暗ほのぐらい夜道をかなでる2人の足音。

 しばらく無言で並び歩く2人だが、やがてイエニアが口を開いた。


「……状況から考えれば、賭場と高利貸しが裏で繋がっていると見てほぼ間違いないでしょう」


「そうだね」


「しかしこの件はギルドも……いや、行政すら裏で噛んでいる可能性があります。この街の賭場や金貸しは、いずれも評議会議長ヒウゥースの傘下さんかにありますから……」


 ギルドや行政が絡んでいるかどうかは、あくまで可能性であり想像の域を出ない。

 だが可能性の段階であっても、クラマ達にとってはこの件に関わること自体が大きなリスクとなる。


「クラマ……」


「うん、わかってるよ。みんなを巻き込めないからね」


 そう言って、クラマはイエニアに微笑みかけた。

 イエニアは何も返すことができない。

 それからは家に着くまで何も言わないまま、2人は道を歩いた。






 夕食を終えて、深夜。

 人も街も、もうじき眠りにつこうという頃。

 住宅街の外れにある小さな貸し倉庫で、ティアが着替えをしていた。

 ここはクラマ達のパーティーとは別に、ティアが独自に借りている隠れ家。いわゆるセーフハウスであった。

 中は簡素なもので、食料と毛布、後は壁に立てかけられた槍と盾くらいしかない。

 普段のメイド服から黒を基調とした動きやすいパンツルックへと着替えたところで、入口からノック。そして返事を待たずに扉が開く。

 振り返るティア。

 そこに立っていたのはクラマだった。


「やあ、話があるんだ」


「……クラマ様」


 なぜこの場所を、などとは聞かなかった。

 街中に親しい知人のいるクラマなら、この場所を探り当てることなど容易い事だろう。

 ティアは無言で頷き、招き入れる。

 狭くて暗い小屋の中で、クラマの持ち込んだ計画に耳を傾けた。


 暗い小屋の中でティアに向けて語るクラマ。

 テフラの両親を助けたいという事。

 しかし聞き込みによる情報収集は手詰まりで、これ以上は借用書を入手して、直接調査する他ないという事。

 そのために高級賭場の金庫から借用書を盗み出す計画、その概要。

 クラマの計画を最後まで話を聞いたティアは、しばし目を閉じて黙考もっこうし……目蓋まぶたを開くと同時に告げた。


「クラマ様、それは我々にとってあまりにリスクが大きく、それに見合うメリットが見当たりません。我々には、何をおいてもやらなければならない使命がございます。そのような危険を冒すことはできません」


 ティアはこの提案を拒否。

 冷徹かつ非情な言葉。

 しかしイエニアの従者という立場からすれば、至極しごく真っ当な答えであった。

 クラマはそんなティアへと静かにたずねる。


「使命……っていうのは、イエニアのお母さんのために薬を手に入れること?」


「はい」


「そっか……」


 クラマはあごに親指と人差し指をあてて、考える仕草をした。


「……聞いた話だと、イエニアのお母さんは心の病らしいね。でも《奇跡の薬》っていうのは微生物の発育を阻害する薬品……多分これは抗生物質かな。この薬じゃ治せないはずなんだけど」


 その言葉にティアが息をむ。

 目を見開いてクラマを凝視するティア。

 彼女は見つめるだけで言葉を返すことができない。

 その無言は、クラマの言葉に対する肯定を表していた。

 つまり自分達の嘘を認めたという事である。


 イエニアの母親に関しては、クラマが先日ヒウゥースと会った際、イエニアが画家のアトリエに入った時にヒウゥースから聞き出していた。

 奇跡の薬に関しては簡単で、ニーオに尋ねたら詳しく教えてくれた。


 クラマはパフィーの嘘に関しても、すでに裏を取っていた。

 パフィーは師匠が殺されて《真実の石》を探していると言ったが、彼女の師匠は生きている。

 パフィーの師である《イードの森の魔女グンシー》は“三大魔法使い”と呼ばれるほどの有名な人物で、つい先日グンシーに会ったという冒険者がいた。

 また、《真実の石》とは魔法のアイテムを指す言葉ではなく、グンシーのさらに師である《陽だまりの賢者》が弟子たちに禁止した、地質学的調査のことを指す。


 いずれもきちんと調べれば判明してしまう程度の簡単な嘘だが……この世界の歩き方も知らない地球人が、ダンジョン探索と並行してそこまで調べるとは思わなかったのだろう。クラマはそう想像した。

 ……おそらく短い付き合いになる、という見通しもあったのだろう。

 長いダンジョン探索の中で間違いが起きずに、一度目のトライで最奥まで行ける可能性は低い。

 地球人が死ねば再召喚できるのだから、地球人を犠牲にしてでも自分達はなんとか生き延び、ダンジョンの作りを覚えて何度も挑戦するのが正道のはずだ。

 込み入った嘘をつく気にならないのも頷ける。


 ただ、レイフの言葉からは、今のところ何も嘘が見つかっていないのだが。


「事情があるんだろうから、そこを問い詰める気はないよ。でも君たちが目的のために僕を利用するのなら、僕の目的にも付き合ってくれるのがフェアなはずだ」


 黙り込んだままのティアに、たたみかけるように言う。

 これは交渉だ。

 クラマは己のカードを切った。

 対するティアは……


「……今まで嘘をついていた事は、誠に申し訳ございません」


 彼女は深く頭を下げて、謝罪した。

 そして、告げる。


「しかし、彼女たちを巻き込むことは承服できかねます。ただ……」


 ティアはそこで一呼吸を置いた。

 その表情は動きが少なく感情が分かりにくいが……少し迷っているように、クラマには見えた。

 そうしてティアは告げる。


「彼女たちへとるいおよばない限りは、貴方が独自に動くことには目をつむります」


 クラマはティアの目を見る。

 彼女は微動だにせず、彫像のように固い眼差しで見つめ返してきた。


 ――ティアらしくない。

 クラマはそう思った。

 なぜなら、この回答は答えとして成り立っていない。

 クラマがどう動こうが、そんなことは元からティアに制限されるいわれなどないのだ。


 クラマは裏の意味を考える。

 相手にメリットを提示しない交渉。

 これはすなわち、ここが妥協できないラインであり、踏み越えれば実行力を行使するという事だ。


 つまり、とてもとても乱暴で端的たんてきな言い方をしてしまえば、

「お前が勝手に死ぬのは構わない。彼女たちを巻き込むなら、お前を殺す」

 ……という事だ。


 視線が――互いの思惑おもわくを乗せて――交錯こうさくする。

 その繋がりを先に外したのはクラマだった。

 目蓋まぶたを閉じて頷き、ティアに向き直る。


「分かった。みんなは巻き込まないよ。これでいいかな?」


 そこにはいつもの通りに、優しい顔をしたクラマがいた。

 ティアはもう一度、頭を下げる。


「ありがとうございます。ご希望に添えず、申し訳ございません」


「ううん、いいよ。大丈夫……気にしてないから」


 そうして、クラマはティアに背を向けた。


「じゃあ――おやすみ」


「お休みなさいませ、クラマ様」


 パタン、と扉が閉じる。

 暗く、何もない小屋の中。

 流れ込んだ静寂がなく満たしていく。




 暗い小屋の中でひとり。

 聞こえるのは自分の呼吸と、衣擦きぬずれの音だけ。

 ティアはこれほどの静けさを感じたことは、今までになかった。


 本来はこれから外に出て色々なことを調査する予定だったが……なぜだか、この小屋から外に出る気がしなかった。

 仕方なくティアは一つだけある椅子に腰かけた。


 目を閉じ、思い出す。

 自分がここにいる理由。

 自分の信じる正しさを。



 ――使命がある。



 王命ではない。

 王の反対を振り切って、2人はこの地にやってきた。

 道中で樹海に立ち寄り魔女の愛弟子まなでしを借り受けた。

 それは、およそ不可能と思える困難な目的のために。


 突破口を探して様々な場所に忍び込み、情報を集めてきた。

 しかし乗り越えるべき障害は高く、手がかかる気配もない。


 そこへくさびが打ち込まれた。


 使い捨てにと考えていた地球人。

 クラマという予定外の要素によって、遥か遠くにあった目的地への道が開けつつある。

 しかしクラマという存在は劇薬であった。

 閉塞へいそくした状況を一気に進めると同時に、全て御破算ごはさんにする危険性をはらんだ男。


 ……ここで切るべきだ。

 今の自分がるべき行動。

 目的を果たすための最善。

 手が汚れる覚悟は、とうの昔にしている。


 ……しかし。


 ぎゅっと目を閉じ、思い出す。

 自分が抱く使命は何だった?

 自分はかつてどう思い、どう生きようと決めたのか。






「正しきを成せ」


 それは、幼い頃に読んだ建国王の英雄譚えいゆうたん


 ラーウェイブの建国王は、どんな時でも盾を手放さず、全ての力なき人々の盾となり、草木のような優しさと危険を恐れぬ勇気をもって人々から慕われた、理想の英雄だった。

 しかしただひとり、建国王のすることに、いつも異を唱える者がいる。

 王の幼馴染である女騎士、ヴィルスーロだった。

 彼女はほとんどの逸話で王に難癖をつけては失敗を繰り返す、りないトラブルメーカーとして描かれる。

 だが、ヴィルスーロのする事には信念がある。彼女には己の信じる正しさがあると、いくつもの英雄譚を紐解ひもとき、気付いたのだ。

 ヴィルスーロは潔癖だった。しいたげられる者がいるなら、今すぐにでも動くべき。誰も行かないのなら自分ひとりでも。

 その時も同じ。建国王の反対を振り切って、隣国との国境線へと単身飛び込んだ。

 だがそこは微妙な中立地帯であり、貴重な鉱物の産出地であり、繊細な外交によって統治権の交渉を進めている最中であった。

 隣国は強国。王は、民を巻き込む争いを起こしたくなかった。

 王は葛藤かっとうした。

 そのとき、王の師である養父が告げた。


「お前が盾を取ったのは、誰を守るためだった」


 ……と。

 そう、幼少の頃に王が初めて盾を持ち、敵に立ち向かったのは、幼馴染のヴィルスーロを大熊から守るためだった。

 王は決断し、騎士団を率いて国境線へと向かった。

 虐げられていた民は救い出された。

 ……ヴィルスーロの高潔な魂と引き換えに。


 幼馴染の亡骸なきがらを抱えて王都へ帰還した王は、自らの手で手厚くほうむり、その上にヴィルスーロの像を建てることを命じた。

 王はその材質に、切っても叩いても決して壊れず、火に熔けず、水にもびない、永遠にその姿を保ち続ける金属を指定した。

 その難題に陽だまりの賢者ヨールンが応えて、現代でも最高の硬度を誇る金属、ユユウワシホが開発された。


 ヴィルスーロの像は今でも王城の正門にある。

 その台座には、こう刻まれている。


「正しきを成せ」






 ティアは考える。

 自分はヴィルスーロになっても構わないという思いで、この街へとやって来た。

 今も己の信じる正しさのために、全力を尽くしている。


 ……しかし。


 今の自分はヴィルスーロなのか。

 それとも、ヴィルスーロに反対した建国王なのだろうか……?

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