第5話

 時刻は夜。

 あれからひととおりの尋問を受けたクラマ。

 彼は今、薄暗い留置場の一室に閉じ込められている。


「召喚施設を出て1日でココに来た地球人はオマエが初めてだよ。スゲェな」


 両手両足を縛られて石の床に放り出されているクラマに、看守の男が話しかける。


「いやあ、それほどでも」


「ふてぶてしいヤロウだ。そんなに殴られて、まだりねえか」


 看守の言う通り、クラマの顔には殴られたあざがいくつもあった。


「そんなコトないよー、もーしないから、ここから出してー」


「出せるかッ。オマエ自分の立場ワカってんの? ダンジョン経営の妨害は、冒険者なら無期禁錮むききんこだけど、地球人の犯罪者は例外。おカミの判断で処分していいってなってるんだぜ」


「えええええええええええええ!? そんなー! 地球人差別だ! 弁護士を呼んでくれー!」


「そりゃそーだろ。口さえ開けりゃ運量次第で何でも出来る連中だ。捕まえておけるおりなんてねぇからな」


「あれ、それだと魔法使いはいいの?」


「アイツらは魔導具がなけりゃ何もできねぇからな。むしろ楽なもんだ」


「ほほー」


「言っとくけど、保釈金はその辺の冒険者には払えっこねぇ金額だからな。お仲間がどうにかしてくれるって考えはムダだぜ」


「……らしいね。さっき耳にタコができるほど聞いたよ」


 ふと、看守の男はクラマの首にかかった金属札を見る。



> クラマ 運量:148/10000

> クラマ 心量:72



「まぁオマエは運がいいよ。こんな運量じゃ縄も外せねぇからな。これがもっと多かったら、捕まった時点で殺されてたろうな」


「そうだね。おかげでこうして楽しくお喋りできる」


「楽しくネェっての! どうしてそんな余裕なんだオマエ。何か逃げる策でもあんのか?」


「いやあ……」


 策などなかった。

 外ではイエニア達が、なんとかしようと頑張ってくれているかもしれない。

 だが、クラマの選んだ選択肢は、今この場所こそが終着点だった。


「変なヤツだ。どっかオカシイんじゃねぇか?」


「いやいやいや、普通だよ普通。どこからどう見ても普通でしょ? ね?」


「地球人のフツーなんて知るかッ」


 看守はそう言って、お喋りは終わりだとばかりにクラマから背を向けて、書類に筆を走らせた。




 それから約1時間後……




「って言ったんだよ、僕はね。でもマザキの奴は僕の想像の範疇はんちゅうを遥かに超えてたね。彼はなんて返してきたと思う?」


「オイオイ、もったいぶるんじゃねぇよ、早く言え!」


「そう、奴は――下着のラインがあれば、中身の是非は問わない。既にその役割は果たした――と」


「そいつ哲学者かよ……」


 看守はゴクリと喉を鳴らした。


「僕にも理解しきれない。深海のごとき深みにいるね、彼は。でもそれだけじゃないんだ。彼のすごいところは……」


 そこで、バンと音をたてて勢いよく扉が開かれた!


「何をしている、貴様ら」


 入ってきたのはせた中年の男。

 黄土色の髪を後ろにでつけ、オレンジ色の瞳にメガネをかけている。

 クラマは初めて見る男だった。


「ディーザ様。いやコレは……コイツがうるさいんでちょっと」


 看守はバツが悪そうに誤魔化ごまかしている。

 クラマはその名に覚えがあった。

 地球人召喚施設長ディーザ。

 こいつがディーザか、とクラマはしげしげと眺める。


「ふん、ろくに仕事もせずに囚人と談笑か。まぁいい、こいつを運び出せ。あぁ、念のために口枷を噛ませておけよ」


 どうやら、どこかへ連れて行かれるらしかった。

 が、クラマにとって口を塞がれるのは非常にまずい。万が一でも逃げ出すチャンスが、完全にゼロになるからだ。


「やあやあディーザさん、会いたかったよ」


「なんだ? 私は貴様の名前すら知らん」


「いやあ、女の人にモテる男だって聞いてさ。是非その秘訣ひけつを教わりたくて」


「くだらん。どこから出た妄言もうげんだ」


「そうなの? いやあ、僕も綺麗な人と付き合いたいなあ。例えば……冒険者ギルドの経理役とかね」


 その瞬間、ディーザが手を伸ばし、クラマのあごを砕かんとばかりに握りしめた。


「誰から聞いた、その話」


「いぎぎ……さ、さあ……だれだっけなぁ……」


 ディーザはしばらく間近でクラマを睨みつけていたが、やがて地面に叩きつけるように放り出す。


「ふん、吐かないなら別に構わん。言わなくても結果は同じだ。オノウェ隠蔽の痕跡があったらしいが……私なら拾い上げられる」


 言って、ディーザはクラマに背中を向けると、後ろに控えていた看守へ怒鳴りつける。


「おい! さっさと口枷を嵌めろ! 使えんやつめ」


 言われて看守は口枷を持ってクラマの所へ歩いてくる。


「そういうワケだ。悪ぃなあ、これも仕事でよ」


 クラマは顔をそらして抵抗をする。

 ディーザの言葉と雰囲気から、今より悪い所へ連れて行かれるのは明白だった。

 それならいっそ、今ここでなけなしの運量を使って、逃亡の可能性に賭けるべきか……?

 思考を巡らせている時間はない。クラマは口を開いて――


「釈放だ!!」


 突然、丸々と太った中年男が現れた。

 紫の瞳に、密度の薄くなった薄紫色の頭。

 男は一目で富裕層と分かる豪奢ごうしゃな身なりをしている。


「ヒウゥース様……何故ここに」


 先ほどまで傍若無人な振る舞いをしていたディーザが、男の前ではかしこまっている。


「聞こえなかったか? 釈放だ! 保釈金が支払われた」


「まさか……」


 ディーザと看守の目が驚きに見開かれる。

 しかしディーザは納得がいかないようで、ヒウゥースと呼ばれた富豪の男に己の意見を告げる。


「地球人の犯罪者は危険分子となります。そもそも、保釈金を出してきたのは彼を受け持った冒険者でしょう? ならば騒動に加担していた仲間のはずだ。その者も捕まえて処罰すべきです」


「ディーザ! だからお前は……ダメなんだ! ない! ないんだよ! 商才が!!」


 大仰に手を振って力説するヒウゥース。


「しかし……」


 なおも反論しようとするディーザ。

 その肩に、ヒウゥースは手を置いた。


「支払ったのはラーウェイブの王女だ。貧しい小国だが、繋がりさえ出来れば金を作る方法はある。それに本人も、騎士でありながら見目麗みめうるわしい姫君。いくらでも使い道が浮かんでくるわい」


 どのような使い道を思い浮かべているのか、ニターッと口元を釣り上げるヒウゥース。

 ディーザはなおも不服のようだったが、それ以上の反論はしなかった。


 そこへ、部屋の外から争うような声が届いた。


「……そっちはダ……待っ……」


 再び扉が勢いよく開かれる!


「クラマ! どこですか、クラマ!」


「イエニア……!」


 入ってきたのはイエニアだった。

 クラマの姿を見つけたイエニアは安堵の表情を浮かべて……その顔についた痣の数々を見て、鋭い眼差しに変わった。

 イエニアが入ってきた後から、制服を着た職員が遅れて入ってくる。


「ダメですって、立入禁止ですよ! ……あ! ヒウゥース議長、ディーザ施設長……こ、これは……」


 職員は中の有様を見て、完全に腰が引けていた。

 その一方でイエニアは、敵意すらもった目でヒウゥースを見据える。


「これは失礼しました。追加で科料かりょうをお支払いしましょうか?」


 ヒウゥースはイエニアの視線の険しさなどどこ吹く風で、ニコニコしながら返答する。


「いいえ結構! おい、そこのお前、彼の縄を解いてあげなさい」


「へい」


 看守がクラマの拘束を解いて、クラマの手足が自由になった。

 クラマが立ち上がるのを、イエニアが支える。


「それでは行きましょう、クラマ。歩けますか?」


「ああ、大丈夫」


 体中が痛くて仕方がなかったが、そんなことはおくびにも出さずにクラマは返答する。

 そうして、イエニアはクラマを連れて留置場から出ていった。

 ヒウゥースは終始笑顔を崩さず、ディーザは鋭い視線でクラマを睨み続けていた。






 留置場から出ると、外ではパフィーとレイフが待ち受けていた。


「クラマ!」


 パフィーが勢いよくクラマに抱きついた。


「お、っと、と……」


 クラマが勢いに負けて倒れそうになる。

 留置場での尋問と長時間の拘束で、まともに歩くのも難しいほど憔悴しょうすいしていた。


「あっ……ごめんなさい。大丈夫……?」


「うん、大丈夫、大丈夫」


 クラマは心配そうに見つめるパフィーに笑ってみせる。

 そうして顔を上げて、皆の顔を見てクラマは言った。


「みんな、心配かけてごめん」


 それに対してパフィーは大きく首を振る。


「ううん、いいのよ。クラマが無事なら」


 レイフは宵闇よいやみで薄暗い中、クラマの顔をじっと観察して……ふっと笑って言った。


「ま、そんな男前おとこまえの顔で言われちゃ、こっちも何も言えないわね」


 クラマの顔はいくつもの殴られた跡が変色して、膨れてきていた。


「今日のところは早く帰りましょう。後始末は終わっていますので、ゆっくり休んでください」


 イエニアに促されて、4人は帰路につく。


 こうして長かったダンジョン探索の1日目が、ようやく幕を閉じたのであった。



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 貸家に戻ってすぐベッドに横たわったクラマだったが、寝付けないでいた。

 顔の上に乗せた手ぬぐいを取って、サイドテーブルに置かれた水桶みずおけにひたして絞り、再び自分の顔に乗せる。

 そうして天井の木目を眺めていると、クラマは部屋の外から微かに足音が近づいてくるのに気がついた。


 クラマは顔を上げずに、目の端だけで出入口を見る。

 すると仕切りになっているまくを手で避けて、そろそろと入ってくる人影があった。


 レイフだ。


 彼女は物音をたてないようにクラマのベッドに近付くと、そろりそろりと、ベッドに乗り上げ……


「なにをしているの」


 クラマの声でレイフが止まる。

 レイフは少しだけ硬直したが、すぐに妖しい笑みを浮かべた。


「なにって……夜這い?」


 クラマは頭を動かして、自分の上に乗ったレイフを見る。

 レイフはクラマに覆い被さるように、四つん這いの姿勢で見下ろしている。

 今現在、クラマの眼前には、重力に引かれて最大限にその大きさを主張する、たわわに熟れた2つの果実があった。


「………………」


 クラマが何も言わないでいると、レイフはフフッと笑ってベッドから降りた。


「冗談よ。あなた、私には興味ないものね」


「いや! やはり誤解がある。アレはそういうことではなくてですね」


「まあ、それはいいとしてね。今日はあなたにちょっと話があって」


「あんまりよくないんだけどなぁ……」


 クラマのか細い訴えを無視して、レイフは静かに語り出した。


「あなたには教えておいた方がいいと思ってね。今日、あなたを留置場から出すために払った保釈金の額」


「……!」


 クラマは視線で話を促す。


「50万ロウ。だいたい、一般的な冒険者の稼ぎ2年から3年分ね。これだけで、そこそこ立派な家が建つわ」


 クラマには、この国の住宅事情や冒険者の懐事情が分からないので、日本円に換算するのは難しかったが、とにかく相当に高い金額だということは把握した。


「これをイエニアがひとりで全部出したの。でも、彼女は言わないだろうから」


 クラマにもなんとなく分かる。

 少なくとも、イエニアからクラマに教えることはないだろう。


「おそらく、彼女がダンジョン攻略のために祖国から持ってきた軍資金のほとんどを使ったはずよ。あんまりお金のある国じゃないから」


「………僕に、そんな価値があるだろうか」


「あら、それを聞いちゃう?」


 レイフはいたずらっぽくクラマを見つめた。


「いや……」


「ふふ、まあ地球人を失ったパーティーは再召喚が認められるけど。それとは関係なく、彼女はあなたを見捨てることができなかった。そして彼女の立場では、サクラたちを切り捨てることもできない状況だった。実質、彼女に選択権はなかったのに、仲間を危険にさらして責任だけを負う形になってしまった」


「ああ」


 分かっていた。

 そういう状況になると分かって、その流れを作ったのは、他ならぬクラマ自身だったからだ。


 そんなクラマの考えを知ってか知らずか、レイフは続ける。


「でもね、別にあなたを責めてるわけじゃないの。あなたもイエニアも、お互いに自分のやるべきだと感じた事をやっただけ。それが結果としてパーティーに不利益を生んだり、全滅したとしても……別にいいのよ」


「いや、それは」


 さすがに全滅は駄目だろう。

 クラマはそう思って目で訴えたが、レイフはそれに微笑みで返した。


「いいのよ、それが仲間だもの」


「………………………………」


 クラマは何も言えずに、レイフの目を凝視した。

 と、レイフは困ったように照れ笑いを浮かべる。


「なんて。かっこいいこと言っちゃった。まだ仲間としての信頼関係も築けてないのにね」


 レイフの言葉が、ちくりとクラマの胸に刺さった。

 信頼関係を築けていない。

 それはそうだ。

 なぜならクラマ自身が、彼女達のことを信用していない。

 だから留置場に入れられた時も、助けが来るとは考えていなかったし、それに――


「クラマ。胸の傷のこと、隠してたでしょ?」


 クラマの心臓が強く鼓動を打った。


「それは――」


 クラマが何かを言おうとするのを、レイフが制する。


「ああ、うん、ごめんなさい。分かってるのよ、クラマの立場からだと、私たちを信用できないのは当たり前だもの。何も悪くないのよ。……むしろね、これに関しては私たちの方に問題があるのよ」


「問題……?」


「ええ。まぁ、その……ぶっちゃけると嘘ついてるからね、私たち。色々と」


 てへへ、と困ったように笑うレイフ。

 クラマもまさか直球で嘘を告白されるとは思っておらず、返事に詰まる。


「だから、私たちを信用して……なんて口が裂けても言えないのよね。だからね、ひとつだけ、私からお願いしたいことがあるの」


「お願い?」


「そう、お願い。聞かなかったことにしてもいい、私の個人的なお願い」


 何だか分からなかったが、クラマは頷いた。


「あなたのできる範囲で、イエニアのことを気遣って欲しい」


「イエニアを?」


「そう。彼女、見た目しっかりしてて、強い力を持っているけど、まだあなたと同い年くらいの女の子なの。慣れないリーダー役で、普段しない気遣いと、仲間の命を預かるプレッシャー。そして、失敗は絶対に許されない使命がある。……かなり無理してるのよ、あの子」


「そうか……そうだね。うん、わかった」


 そう、彼女達はそれぞれ、目的があってダンジョンの踏破を目指している。

 そしてそれを成功させると、クラマは約束しているのだ。


「目的があるのはパフィーも、レイフもそうだし。約束したからには頑張らないとね」


「あ、私はいいのよ別に。たいした理由じゃないし」


 ケロッとそんな事をレイフはのたまった。


「え、いいの?」


「ええ、いいのいいの。イエニア達に比べたらどーだっていい事だから」


 からからと笑うレイフに、クラマはどうにも上手く返す言葉が見つからなかった。


「じゃ、こんなところでね。ごめんなさい、長いこと付き合わせちゃって」


 そう言って背を向けたレイフを、クラマは引き止めた。


「あ、そうだ。睡眠薬ってないかな?」


 レイフは立ち止まって肩越しに振り返る。


「睡眠薬? ああ……そんなれだものね。眠れないわよね」


「いや……普段から寝付きが良くなくて」


 地球ではほぼ毎日、睡眠導入剤を使用していた。

 レイフは少し思案して、


「うーん……薬は持ってないけど、代わりのものなら……」


 そう言って、少し足を開いて、下腹部のあたりでもぞもぞと手を動かしている。

 暗くて背中を向けているのでクラマにはよく見えない。


「んっ……しょ……あっ」


 そして振り返ったレイフは、刃のない短剣の柄部分だけを手にしていた。


「これね、魔法具っていって、魔法使いでなくても決まった詠唱をするだけで魔法を使えるものなのよ」


「うん、わかった。それはいいけど、今どこから出したの?」


「うふふ。で、魔法具ごとに決まった魔法しか使えないんだけど、これは心量が100以下から最大で200以下の生き物を眠らせることができるのよ。心量の少ない地球人はほぼ必ず眠ってしまうから、ダンジョンでは使えないんだけどね」


「うふふじゃないよ。ツッコミをスルーしないでくださいよ」


「そんな、代わりに突っ込みたいだなんて。疲れてるのに、若いわね~」


「もういい! もういいでーす! いいからその魔法を使ってみてくださーい!」


 そんなクラマの熱烈なリクエストに応える形で、レイフは詠唱を始めた。


「オクシオ・イテナウィウェ……ホエーウー・ユヒ」


 レイフの持つ短剣が、淡い光を帯びる。

 ダンジョンの中で見たパフィーの胸当ての光と同じはずだったが、なぜだかクラマには、目の前の光がどこか暖かさを持つように思えた。


「眠れ、眠れ、夜のとばりは舞い降りた。

 まぶたは落ちる。だれもが同じ。

 枕をならべ、夢路をたどり、いざないましょう」


 まるで子守唄だった。

 魔法の効果からしても、その感想は間違っていないのだろう。


「ねんね、ねんねこ、夜のおとどに包まれて。

 ゆりかごの中で、まどろんで」


 とても優しくて、慈愛に満ちた、穏やかな調べ。

 まだ魔法の効果は出ていないのに、頭がぼんやりしてくるのをクラマは感じていた。


「眠れ、母の胸に」


 ――落ちていく。


 急速な睡魔は抗うこともさせずに、瞬く間にクラマの意識を黒く塗りつぶしていく。

 完全に意識が途切れる寸前、意識と無意識の狭間はざまでクラマは、


「どうしてつくろえなかったのだろう」


 そんな言葉を、思い浮かべていた。

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