第6話
いつかこうなる予感はしていた。
今のままが続く可能性が低いってことも。
それは突然訪れた。
梅雨入りしてから一週間ほど経ったある日。
登校する時に晴れていたから、私は傘を持っていくのを忘れてしまった。ちょっぴり顔を出していた太陽はあっという間に隠れて、午後には厚い雲が空を覆っていた。放課後になると雷までゴロゴロ鳴りはじめて、今にも雨が降り出しそうだった。ずぶ濡れになって風邪でも引いたらやっかいなことになる。私はやむなく下校した。
マンションに着き、玄関の扉の前で一度ため息をついた。この時間だと、きっとまだ中にいる。この時間、高宮さんは部屋にいない。アルバイトをしている。
私は扉を開けた。
「ただいま」
母の靴が散らかる玄関で、スニーカーを脱ぐ。
「あら、今日は早いね」
部屋の奥から声がした。ゆっくりそこへ向かうと、母は鏡を前にお化粧していた。
「あ、そうだ」
ランドセルを降ろしていると、母は何か思いついたようにパッと私を見た。
「マヤ、お前におとうさんができるかもしれないよ」
おとうさん?
聞きなれない言葉に一瞬首を傾げる。でもすぐに理解した。そういう展開もあり得るなって、ずっと思っていたから。
母はその人について話し始めた。顔に次々化粧品を塗りながら、とても楽しげに。私はまたぼんやりしていた。
母はその人と私を一度会わせたいらしい。というか、その人が私に会ってみたいらしい。私は適当に返事をして、週末にその人と会うことになった。
母はその人と再婚して今度こそ幸せになるんだと意気込んでいた。母の話はほとんど私の耳をすり抜けていった。遠くで鳴っているラジオみたいに、言葉がただの音になって私の中に届かない。
だけど突然、切り取られた一部の言葉が耳に飛び込んできた。
「その人の家で一緒に暮らすことになると思うんだけど」
顔を上げる。
母は唇に色つきのリップクリームを塗っているところだった。私は母の後ろに座っているから、鏡越しに彼女の顔が見える。母も鏡越しに私を見た。目が合う。
「マヤもこんな部屋にずっと住むの嫌でしょ?」
「私は」
私は……。
この先は言っちゃいけない。わかってる。でも。
この部屋の隣には。
「私は別に、今のままでもいいよ」
鏡の中で、母の目つきが変わった。
部屋は急に静かになった。
カチャカチャと母が化粧品をポーチに片づけていく音だけが響く。そのポーチと携帯電話、それから色々なものをハンドバッグに詰めて、母は振り返った。
母は笑っていなかった。
ああ、やっぱり怒っている。
彼女は無表情のまま、私を殴った。
鈍い音が聞こえて、顔を殴られたはずなのに体にも衝撃を感じた。勢いに耐えられず、倒れてしまったんだと気づく。いつものように平手打ちじゃなかったからだ。それに、珍しくちゃんと痛い。
私が母に同意しない意見を言ったのはたぶんこれが初めてだ。
母は火がついたように怒鳴り出した。
さっきの言葉を、私が再婚に反対していると受け取ったらしい。そんなことはないんだけどなぁ。今の生活も嫌じゃないと言っただけで。
いつの間にか母の目には涙まで浮かんでいた。せっかくきれいにお化粧したのに。母はひたすら私を殴って、蹴って、色んなことを叫んで、ふと出勤の時間であることに気づいた。
「反省しなさい」
吐き捨てるように言い残して、母は出ていった。
そういうわけで、私は現在ベッドに縛り付けられていた。
両手両足、それぞれ四か所をビニール紐でベッドの脚に繋がれている。抵抗はあまりしなかった。すぐに解けるだろうと思っていたし、抵抗したところでやめる人じゃないとわかっていた。それに、必死になってビニール紐を結ぶ母の姿はなんだかおかしくて、私はぽかんと見ていることしかできなかった。
私の予想に反して、ビニール紐はぎっちりと固く結ばれていた。どんなに手足を動かしてもびくともしない。自分で解くのは無理そうだ。どうせ帰ってくる頃には母の機嫌も直っているだろうし、きっと紐を解いてくれるだろう。降り出した雨の音を聞きながら、気長に母の帰りを待つつもりだった。
だけど時間が経つにつれ、そうもいかなくなった。
お腹がすくのも、のどが渇くのも我慢できた。
ただ。
トイレ行きたい……。
だんだん強まっていく尿意に私は悩まされていた。
今何時だろう。
日が暮れて部屋が真っ暗になってから、随分経つ気がするけど。
考えている間にも下腹部がじんじんしてくる。どうしよう。このままじゃお漏らししちゃう。もうすぐ十二歳になるのに。どうしよう。
バタン。
一人で焦っていると、隣の部屋から扉の閉まる音が聞こえた。次に部屋の中に人が入ってくる足音。荷物を床に置く音。
高宮さんが帰ってきた。
反射的に安心しそうになる。隣人が帰ってきても私の状況は変わらないのに。隣の部屋にいる以上、私がどんな状態かなんて高宮さんにはわからない。でも、音は伝わるということを私はよく知っている。
ためらう気持ちは十分すぎるほどあった。隣人に今の状況を知られたくない。母にこんなことをされたと知ったら、高宮さんはどう思うだろう。しかも、状況を知らせる理由が尿意にあるというのがとてもとても恥ずかしい。
だけど、もう迷っている余裕はない。私は未だかつてない危機に直面していた。
「た、高宮さん」
頑張って口にしてみたものの、かぼそい声しか出なかった。これじゃきっと伝わらない。
「高宮さん!」
さっきよりは大きな声になったけど、まだ足りない。
私は縛られたまま無理やり体を動かした。繋がれたベッドが揺れて壁にぶつかり、ガガンと音をたてる。
「高宮さん!」
必死で体を動かしながら呼び続ける。名前を呼ぶまではよかったけど、そこから何を言ったらいいか全く考えていなかった。壁越しだから、複雑な話をしても伝わらない。大事なことだけをはっきり言わなくちゃ。
「高宮さん! た」
た。
助けてください?
違う。
違う違う違う。
そうじゃない。言いたいのはそんなことじゃなくて、えっと。
「ちょっと来てください!」
言ってから、これは変だなと自分で思う。
すぐに、隣の部屋の窓が開く音が聞こえた。
あれ。そういえば隣人はどうやってこの部屋に来るんだろう。窓を開けたからつまりそういうことなんだろうけど、でも、高宮さんが欄干の上を歩いて来る?
私はその様子を想像して思わず笑いそうになった。
間もなくベランダから騒がしい音が聞こえてきた。縛られたまま首だけ無理やり曲げて窓の方を見る。
暗いベランダに人影が見えた。隣人がおろおろしながら欄干から降りているところだった。窓に鍵はかかっていない。隣人は外から窓を開け、少し迷ってから部屋に足を踏み入れる。
そして、私を発見した。
部屋が暗くて、隣人がどんな顔をしているのかわからない。高宮さんは私を見ても何も言わなかった。少し不安になる。
「あの、電気つけてもらえますか」
私がそう言うと、隣人は我に返ったように動き出した。
「スイッチは台所の横です」
隣人は暗い中慎重な足取りでそこまで行き、照明のスイッチを入れた。パッと部屋が明るくなる。暗闇に慣れた私には眩しすぎて、思わず目をつむる。
私が目をチカチカさせている間に、高宮さんはテーブルにあった鋏に気づいた。母がビニール紐を切る時に使って、そのまま置いていったものだ。隣人はそれを手に取り、速やかに私の右手に巻かれた紐を切った。
やっと部屋の明るさに目が慣れて、高宮さんがはっきり見えるようになる。
ぶつん、ぶつん、ぶつん。
無駄なく鋏を動かして、左手と両足の紐もすぐに切ってくれた。私の四肢は久しぶりに自由になったけど、痺れていて上手く動かせない。
「いつから」
高宮さんは私の目を見ないまま言った。
「いつからこの状態だった」
声から戸惑っているのがわかる。
高宮さんに事情を説明しなきゃいけないけど、正直今はそれどころじゃない。
「すぐ話すので、ちょっと待っててください!」
私は痺れる足をもつれさせながらトイレに駆け込んだ。
ふうう。
長いため息がこぼれる。
ギリギリセーフ。危なかった。
危機が去ってしまうと、私は隣人に対する恥ずかしさでいっぱいになった。いきなり呼びつけておいて事情も話さずトイレに駆け込むなんて、失礼極まりない。顔を合わせるのが気まずくて、私は無駄に時間をかけて手を洗った。
私が顔を赤くして部屋に戻ると、隣人はベッドの横の位置に座っていた。鋏を持ったまま、じっとしている。私がトイレから出てきたことに気づいているのに、こちらを見ようとしない。
「突然呼んだりしてごめんなさい」
私は高宮さんの隣に座って頭を下げた。
隣人は何も言わない。何を考えているんだろう。何も考えなくていいのに。
「縛られたのは母が出勤する直前です。それからずっと」
ベッドの近くに置いてある時計を見る。十一時半。母が出ていったのは五時頃だから、六時間も縛られていたことになる。
「今日は帰りが遅かったですね」
なんでもいいから返事が欲しくて、高宮さんに話しかける。
「ああ」
期待もむなしく、帰ってきた言葉はそれだけだった。
普段は沈黙なんて全然苦じゃないのに、今日はなぜかとても焦る。
「こ、この部屋どうですか? 今日はちょっと散らかってるけど、いつもはもう少しきれいで」
「君の物がほとんどない」
ぽつりと小さな声。
そんなことに気づかなくていいのに。気づいてほしくないのに。高宮さんは私が隠しておきたいことを簡単に見抜いてしまう。
私の方を少しも見てくれない。濡れた前髪が目を覆いそうに下がっている。よくわからないけど服も少し濡れているだろう。
「タオル持って来ます」
立ち上がろうとする私に、高宮さんはようやく顔を向けた。
いつもと同じ無表情だけど、何か違う。瞳に穏やかな色がない。鋭い視線を一直線に向けている。私は射抜かれたように動けなくなってしまった。
「いいよ。そんなに濡れてない」
高宮さんはわずかに表情を柔らかくして言った。
それに少し安心して、座りなおす。
「意外と簡単なんだな。ベランダを移動するのって」
隣人はいきなりそんなことを言った。気まずさのせいで緊張していた私は、一気に脱力してしまう。もっと真面目なことを言われると思っていた。
「これならいつでもすぐに来られる」
高宮さんの声はささやくように小さかった。教科書を読み上げるみたいに平淡な話し方。私の目を、やっと普通に見てくれる。
「ありがとう」
緊張がほぐれて、やっとお礼を言うことができた。
「最近母の様子がおかしかった理由がわかりました」
私は今日の顛末を話し始める。
「あの人は、再婚するらしいです。すぐにではないけど、その内。だから私のご機嫌をとっていたの。今度相手の人に会うから、その時に上手く気に入られろってことだと思う」
作り笑顔も変なカレーを作ってくれたのも、きっとそのためだ。
私は高宮さんに一部始終を話した。
「そういうわけです」
隣人は納得したように頷いた。
「そうか」
高宮さんはもうすっかりいつもどおりだった。私の話をちゃんと聞いていたのかもよくわからない、退屈そうな横顔。本当はとても動揺しているのに、いつもどおりふるまってくれる。私のために。
優しい人。
違う。変な人だ。
隣人は間もなく帰っていった。来た時と同じようにベランダの欄干をつたって。私はそれを見送った。まだ少し怖いのか、動きがぎこちなかった。私がそれを見て笑うと、隣人も笑った。
縛られている間は困り果てていたけど、今はなんだか楽しい気持ちだった。私が大きなミスをしでかさない限りこんなこともうないだろうけど、新鮮でおもしろい出来事だった。
不健全にもそんなことを思ってしまった。
それがいけなかったのかもしれない。
現実は私の予想に反して動きだした。
私がもうないだろうと思ったことは、それから頻繁に起こるようになった。
金曜日の夜、私は予定どおり母の恋人と会うことになった。その人は母よりも若かった。きっと母より高宮さんに歳が近い。声が大きくて、ころころとよく表情の変わる人だった。
ファミリーレストランでの会食。その人と母がよく喋るおかげで、私はあまり頑張らずにすんだ。
問題は、その人が話の中で何気なく発した一言。
やっぱりお母さんに似てかわいいね。
瞬間、母の眼の色が変わったことに気づいたのは私だけだった。
子どもに何言ってんのよう。
母はそう言って笑っていた。
その人と別れてから部屋に帰るまで、母は無言だった。こうなってしまったらもうどうしようもない。私は潔く諦めて、夜の町を眺めて歩いた。
部屋につくなり、母は私の背中を突き飛ばした。
私が母の恋人に色目を使ったと彼女は言った。私は色目というのが一体どんなものなのかもわからない。
結局私の四肢は再びベッドに繋がれることとなった。
母はこの間私が自力で紐を解いたと思ったらしく、結び目はさらにきつくなっていた。動くたびに手首に紐がくい込んで痛い。
しばらくはぼうっと天井を眺めていた。ご飯を食べたあとにお腹を蹴られたせいで、少し気持ち悪い。
はあ。
どうせ自力で解けないのは確実だし、長い時間我慢したって限界が来るのはわかりきっている。遅かれ早かれ彼の手を借りることになる。
「高宮さん」
私は隣人を呼んだ。
幸い隣人はずっと部屋にいたらしく、一度呼んだだけですぐに窓が開く音がした。さっきの騒動も聞こえていただろうし、呼ばれることを覚悟していたのかもしれない。
二度目だからか、隣人は落ち着いていた。ためらわずに窓から私の部屋に入って鋏で紐を切り、私の事情説明を聞くと速やかに帰っていった。表情は少し険しかったけど、この前ほど動揺はしていなかった。
一人になった部屋の真ん中に、私はぽつんと座っていた。
もしかして私は高宮さんにすごく迷惑をかけているんじゃないか。あの人はただのお隣さんだ。私のためにここまでしなくちゃいけない理由はない。
今までは私の方から一方的に押し掛けて、隣人は仕方なく付き合っているような形だった。だけど、隣人が私の部屋に来るのは彼の意思だ。私が呼んでも、隣人は自分の意思でそれを無視することだってできる。
高宮さんは自分から私に関わろうとしている。
今まで意識して考えないようにしていた疑問がはっきりと浮かび上がる。
どうして隣人は私のためにここまでしてくれるんだろう。
私は急に不安になった。
それからも似たようなことは度々起こった。
私は母と会うたびにベッドに縛られるようになった。どんなにきつく縛っても次に戻る時には私が自由になっているから、むきになっている。
私は母の恋人に気に入られすぎてしまったらしい。その人は、マヤちゃんにまた会いたいとしきりに母に言う。母はそれが不満だった。その不満は恋人ではなく私に向けられた。
私を自由にしておくと、こっそりその人と会うのではないか。母はそんな考えに囚われてしまった。本気で十一歳の娘に恋人を奪われると思っている。
監視という名目で母は頻繁に帰ってくるようになった。彼女は常にイライラしていて、以前のように楽しげに私を叩かなくなった。力の加減もできなくなった。感情が優先して自制心が働かないらしい。腕や足に少しずつ傷跡が増えていく。
私は縛られる度に高宮さんを呼んだ。
うちの部屋の窓はいつも開いていた。そもそも母には鍵を閉める習慣がない。隣人に来てもらうのには都合がよかった。
母は私がどうやって紐をほどいているのか不思議そうだったが、まさかベランダからやってきた隣人が手を貸しているとは思わないだろう。
回数を重ねるごとに高宮さんはベランダを移動するのが上手くなった。彼はもう心の動きを表情に出さなかった。縛られた私の姿を見ても、ふと服の袖がめくれて傷跡が見えても、表情を変えなかった。肝心なことは何も言わないで、気の抜けるような話をぽつぽつと語って帰っていく。本当は色んなことを考えている。顔に出さず、言葉にしないだけで。
この状況がもっと当たり前になればいいのに。そしたら私も高宮さんもこんなことじゃ動揺しなくなる。こんなのいつものことだって笑って、また前みたいにゆっくりお話しできる。私も早く慣れるように頑張る。だから高宮さんにも早く慣れて欲しい。
だけど、私も高宮さんも中々新しい状況に慣れなかった。
私は、縛られることには慣れた。慣れなかったのは、その度に高宮さんを呼ぶこと。私は毎回声を出すのを躊躇した。こんなこと続けちゃいけないと心がいつも警告を出している。
高宮さんはきっと私と逆。新しい傷が増えていく私の姿に、いつまでたっても慣れない。
二人とも頑張って慣れたように振る舞っている。違和感をなんとかごまかして、自分の役割をこなす。
私は、時間が経てば母は元に戻ると思っていた。今の母は恋人を奪われることが不安で感情的になっているだけだ。再婚が決まって、恋人が自分のものになったら落ち着くだろう。そう思っていた。
母が元に戻るのが先か、私と高宮さんが違和感だらけの生活に耐えられなくなるのが先か。考えるまでもなく、答えはわかりきっていた。
「君のお母さんは、もう駄目だよ」
私の部屋に訪れてちょうど十回目のその日、高宮さんは言った。
いつものように鋏で紐を切ってくれて、私がお決まりの事情説明をしようとした時だった。
「うん。知ってる」
突然の言葉だったけど、驚きはしなかった。
こんな生活長く続くわけがない。近い内に限界がくると思っていた。
高宮さんは真面目な顔をしていた。いつもの無表情とそんなに変わらないけど、なんとなくわかる。
「これ以上あの人と一緒にいても、君は」
「いいの」
私は高宮さんの言葉を最後まで聞かなかった。たまに彼が私にするように、必要ない話は遮ってしまおう。
「今のままでいいの。おかあさんの人生をこれ以上めちゃくちゃにするわけにはいかない」
「嘘だ」
隣人は低い声で言った。
「君がそんな理由でこの仕打ちを受け入れるわけないだろ」
こんな強い言葉を隣人に言われたのは初めてだった。思わずびくりとしてしまう。
確かに私が言ったことの半分は嘘だ。
あの人の人生なんて、私がいてもいなくてもめちゃくちゃだろう。親は敬うべきだと思うけど、今更私が何をしても母は喜ばない。だから正直、そんなことはどうだってよかった。
でも、今のままでいいという気持ちは本当。
私が黙っていると、高宮さんが口を開いた。
「君が望むなら、俺はちゃんと君を助けることも」
「やめてください」
ぴしゃんと叩きつけるような言い方になった。母に声が似ていた。気持ちが悪い。
「私はそんなこと、望んでいません」
耐えるように私を見ていた高宮さんが、とうとう目をそらした。
そう。そうやって目を背けてくれればいいんだ。
戸惑う瞳の色を隠せなくなるなら、私のことなんて見なくたっていい。
「それは、それだけは嫌なの。このままでいい。どうしても」
〝このままでいい〟と〝どうしても〟は文章として繋がらない。だけどそう言うのが一番正確だった。どうしても、このままでいい。
「君の望まないことはしない。あなたはそう言った」
高宮さんは再び私を見た。以前自分が言った言葉に追い詰められている。怒っているような、悲しいような表情。
「今もその気持ちが変わらないなら」
大丈夫。すぐに話し終わるから、もうそんな顔しないで。
「お願い、高宮さん。私を」
話が終わったら、そしたら。
「私を、助けないで」
いつもみたいに、退屈そうな返事をしてください。
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