第46話 ドラゴンスレイヤー

 意味も分からずに全速力で駆け上がり、飛び出した屋上に吹く風は強かった。

 ここは海辺の港町、海からの強い風が吹くところ。その風には潮の香りが乗っているもの。けれど今、潮の香りは無かった。

 代わりに鼻を突くのは煙の臭い、生臭い血の臭い。きっとこれが戦場の臭いなのだろう。


 いつドラゴンが来るとも知れない、頭上に注意を向けつつもオークに気づかれないように腹ばいになって屋上の端へと向かった。俯瞰する戦場の光景は、不思議と懐かしい。

 この視点はゲームで見たことがあるからだろうか。けれども音はクリアで映像は鮮明、漂ってくる臭気が現実であるということを叩きつけてくる。


 視線を低くしたまま屋上を見渡した。あまり広くないし身を隠せるような場所はどこにもない。ドラゴンのブレスがどんなものか知らないが、伍堂の想像が正しければ吐かれた瞬間に終わりになるのだろう。戦いは早撃ち勝負に似たものになると思われた。

 空を仰ぐ、シオに高い建物は少なく遠くまで見渡せる。海を見れば水平線の彼方まで、空にあるのは雲と港で燃える船から立ち上る黒煙と炎。


 陸地側へと視線を向ける、展望台で見たときと同じ地平線まで見渡せるが黒煙のために視界が悪い。それでも空に漂う点にはすぐ気付いた。この世界で空を飛べるものとなれば限られている、虫と鳥あとはドラゴン等の魔物だけ。

 その点と伍堂のいる市庁舎とはまだまだ遠いが、明らかに鳥のサイズではないし、速い。見る間にその点は大きさを増していきシルエットが明らかになる。


 アニメでゲームで映画で、どれだけその姿を見たことか。強敵として印象付けられているその姿は紛う事なきドラゴンであり、それを認識した瞬間に喉が締め付けられたようだった。

 それでも伍堂はアネットの顔を思い出しながら弾を込め、銃を構え狙いを定めようとするが距離が遠すぎる。ゼマスティス銃は最新型ではあるが、遠距離狙撃を行うためのスコープなどという物はない。


 凸型の照星と凹型の照門で構成されたシンプルなものしかないが、それでも伍堂は狙いを付けて引き金を引いた。一つ、二つと頭の中で数えるが一〇まで数えてもドラゴンの姿は大きくなってゆき外した事を知り慌てて次弾を装填する。

 外した理由については見当がついていた。距離が何百メートル離れていたか定かではないが、それだけの距離があるのに馬鹿正直に撃って当たる訳がない。銃弾といえど素直に真っ直ぐ飛んでいくわけではなく、重力の影響を受けて落ちる。この落ちる距離を加味しなければならなかった。


 考慮しなければならないのは重力だけでなく、風もそうだ。ここは風が強い、放たれた銃弾は影響を受けて流される。自衛隊員なら出来るのかも知れないが、知識はあっても伍堂はやはり素人なのだ。その計算は出来なかった。


「大丈夫、大丈夫……問題ない」


 言い聞かせるように何度も呟いた。今、狙えなくても大丈夫。あれは必ず近づいてくるはずなのだ、そこを撃てばよいだけなのだと伍堂は体から力を抜いた。

 ドラゴンが城壁へと近づく。壁の上には大砲そしてバリスタが設置され、操るための兵士もいた。彼らもやはり接近してくるドラゴンに気づいており、照準を飛来する敵へと向けはするがドラゴンの機動性は高い。


 兵士達は照準を合わせることができずに右往左往しているようで、その間にもドラゴンは城壁へと近づき宙に静止した。これが何を意味するのか、伍堂は知っていたわけではない。

 けれど危険を察知し、本能的な恐怖に震えを覚えながらもドラゴンへと引き金を引く。しかし当たらない、一射目よりか近くなっているといえどまだまだ距離が遠かった。


 ドラゴンは宙を飛んだまま、口を大きく開けて火を吐き出す。火炎流は城壁を舐め、兵士を飲み込み一瞬で地獄をそこに顕現させた。城壁は遠いし、市庁舎の下は騒がしい。彼らの声など聞こえるはずがないのだが、大気を切り裂く彼らの断末魔が聞こえてくるようだった。

 翼を大きくはためかせてドラゴンが離れた、とっくに火を吐くのはやめていたが石造りの城壁は赤々と燃え続けて炎が立ち上る。銃口を揺らし吐き気で口の中を酸味でいっぱいにしながらも伍堂は城壁から目を離さず、分析を行った。


 どうして燃え続けているのだろうか、城壁の上に木造のものはなかった。それ以外にも可燃物があるようには見えなかった、ではどうして燃え続けるのか。

 考えられるのはドラゴンが単純に火を噴いたわけではないということだ。仕組みは置いておくとして、あれは軍用の火炎放射器と同じに違いない。可燃性の液体を燃やしながら吹き付けている、そうでなければ石造りの城壁が未だ燃え続けるはずがなかった。


 そして伍堂はまたも振り返り、今立っている屋上に隠れられる場所がないこと、城壁を焼いたあのブレスが避けようのない物である事を再認識した。

 城壁を焼いたドラゴンが舞い上がり、こちらを向く。巨大な翼がはためきぐんぐんと距離が近づく、それに連れてドラゴンの詳細がよりはっきりと捉えることができた。


 全身を覆う赤い鱗は艶やかで金属に近い光沢を持っており、爛々と輝く瞳は獰猛さ以外のものを感じさせない。腕と足の筋肉は見るからに強靭、手足の爪は太いが先端はナイフのように鋭利だった。そしてこのドラゴンの背には鞍が付けられ、人が乗っている。

 ドラゴンの動きは素早く、はためく翼としなやかに動き周囲を見渡す首に阻まれよくは見えない。だが伍堂の双眸は確かに見た。手綱を握るドラゴンを駆る四谷の姿がそこにあり、表情は歓喜に満ちているようで、伍堂は首を横に振る。


 彼の顔が見えたのはほんの一瞬のこと。そして何より、自分と同じ日本に生まれた彼が人を殺して喜んでいるとは思いたくなかった。意識してでは無かったのだが、四谷の顔を目にしたくないばかりについ下を向いてしまう。

 この無意識の行動に伍堂が気づいたのはドラゴンの影に覆われてからだった。接近を許してはならない、ドラゴンのブレスを避ける術は無い。心臓が一際はね、肋骨に痛みを覚えるほど、顔を引きつらせながら見上げれば、ドラゴンの背から見下ろす四谷と目が合った。


「いい面してるじゃねーか! もしかしてビビってんのか!? さんざっぱら俺のことぶん殴った時の威勢はどうしたってんだよ、なぁ!? てめぇに殴られた後よぉ、ぜんっぜんっ鼻血が止まらなくってさぁまだ痛いほどなんだよ。どう責任とってくれんだえぇ!?」


 ドラゴンの威容に気圧されてしまったがために震えがとまらない、歯の根が合わずにガチガチ音が鳴っている。

 先に殴ったのはそっちじゃないか、お前がオークを指揮しているのか、人を殺して何故笑えるんだ、そもそもどうして殺したんだ。言いたい事は幾らでも出てくる、けれども喉は動かない。声を出そうとしても震えが酷すぎて音にしかならなかった。


 そんな伍堂がおかしくって仕方がないとばかりに四谷は笑う。


「まぁいいさ、そうやってブルってくれるほうが面白いからな! で、俺が昨日言ったことはちゃーんと覚えてるか? 殺してやるっていったよなぁ! 両手足を引き千切って串刺しにしてぶっ殺すってよ! ついでだしその後はオークの餌にしてやるよ、連中は肉の丸焼きが大好きだからな!」


 四谷が手綱を操ると急速にドラゴンが降下し、足の指を大きく広げた。鋭利な爪先が刃物のように煌く、頭の中は白かったが咄嗟に倒れて腹ばいになる。掴まれはしなかったが鋭い爪と強靭な握力は革鎧を貫き、伍堂の背中を裂く。

 今までに経験したことのない焼ける痛みに叫び声をあげる、頭上から降り注ぐはサディスティックな笑い声。痛みに耐えて歯を食いしばらせると目尻に涙が浮かぶ。


「いったいよなぁ!? 俺もお前に殴られてすっげー痛かったし、まだ痛いんだよ! ちょっとは俺の気持ちがわかったか!?」


 分かるはずがない。背中の痛みが一種のスイッチとなったのか、ふつふつと怒りが湧き上がり頭の中が急速に鮮明になっていくようだった。

 ここからどうするのがベストなのか、考えてもわからない。けれども、やりたいことはハッキリしていた。


 ドラゴンの背から四谷を引き摺り下ろす。その後は考えていないし、思いつきもしていない。四谷が人よりも高いところに位置して、笑っているのが耐えられないし許せなかった。

 体を転がし腹ばいから仰向けに、背中の傷が痛む。流れる血が衣服に染みていき、生暖かい感触が背中全体に広がっていく。ドラゴンの顔の向こう、唇を歪めている四谷を睨み付け銃口をドラゴンの眉間へと向けた。


 距離が近い。金属にしか見えない鱗だが、この至近距離なら撃ち貫けるだろうと引き金を引いた。しかしその考えは甘かった、ドラゴンの鱗は硬く分厚い。着弾と共に甲高い硬質な音が響き渡ったが、鱗に皹が入っただけでダメージを与えられはしなかった。


 四谷が嘲る、ドラゴンも伍堂を嘲るかのように口を開ける。吐き出される息からは腐った肉の香りがしたが、伍堂に顔を顰める余裕はなかった。笑われながら圧倒的に不利な状況に置かれながらも、伍堂の目は真っ直ぐに四谷へと向いており手の動きは止まらない。

 これっぽちも、視界の端にすら入れていなかったが手は素早くハンドルを操作し、次弾を込めようとしている。この一連の動作は四谷も見ていた、だが彼は嘲笑う以外のことを行わない。伍堂の持つ銃が最新式であることは分かっていたが、ドラゴンに通用するものではないと侮った。


 対し伍堂は、一度効かなかったからといって諦めない。鱗が駄目でも、それ以外がある。例えば目、距離があって且つ縦横無尽に動かれていては狙えなかっただろう。けど今ならば簡単に狙える距離であり、目を狙わなくてもドラゴンは無防備な口内を曝け出している、こちらは狙わなくても当てられる確信があった。

 そして込めた弾丸は白銀の通常弾ではない。燃焼を意味する言葉が刻まれた赤の弾丸。これがどんな物かを聞かされてはいない、おそらく当てた物を燃やす魔法の弾なのだろうが確証はない。賭けだったが、一発しかないこれは威力も通常とは比にならないはずだと考え込めたのだ。


 外してはならぬと、万全を期して狙ったのは口腔の奥。引き金が酷く重たく感じられる。

 一秒にも満たない一瞬がやたらと長かった。発砲音は大きく耳に残響を残し、放たれた弾丸は真っ直ぐにドラゴンの口の中へと吸い込まれ肉の潰れる音がする。


 ドラゴンは口を閉じ大きくのけぞった。牙そして口の隙間から炎が吹き上がり、目玉が飛びでると後から火柱が立ち上る。苦悶の叫びはなく、その代わりに四谷の甲高い叫びが上がりドラゴンは伍堂の視界から姿を消し地へと落ちた。

 銃に通常弾を込めて屋上の端へと走り、銃口を向けながら下を覗く。竜の頭部は真っ赤な炎に包まれ、焼かれ体はぴくりとも動かない。その背に立ち伍堂を見上げる四谷の形相は、人の浮かべるものではなかった。


 般若の面のように、憎悪と怨恨に醜く歪んだ彼の顔はこちらが優位に立っているというのに背筋に怖気を走らせる。

 彼の唇が動き、口が開いて何かを言ったようだったが周囲の喧騒にかき消されてしまい屋上にいる伍堂の耳には届かない。そうして彼は背を向け、市庁舎を囲むオークの群れの中へと走り出す。


 伍堂は彼の背にぴたりと狙いをつけたが、引き金を引くことはできなかった。引こうと試みはしたのだが、手が震えている。引き金は決して重いものではない、少し息を止めて力を込めるだけで良いというのにそれが出来ない。

 そうこうしている間にも四谷はオークの群れの中へと姿を消してしまい、荒れ狂う胸中の波に耐え切れずに銃を下ろす。


 ドラゴンが落ちたことで士気が上がったのか、鬨の声が上がり庁舎内から兵士達が飛び出していく。傷を負い、鎧や武器が壊れている者もいたがそれを補って余りある戦意が今の彼らにはあった。数の上で負けていなかったこともあり敵勢を圧していき、オークの死体を積み上げてゆく。

 伍堂はその血生臭い光景を俯瞰し、非現実的な夢遊感に囚われながら四谷の姿を探した。屋上から見える範囲に、彼の姿は無いようで意味もわからずにほっと胸を撫で下ろす。そこからは、気力が尽きて動けなかった。


 大きく肩を上下させながら地上を見下ろしていると、市庁舎周辺からオークが駆逐され頭部を焼き尽くされ頭蓋骨を露出させているドラゴンの死骸に旗槍が突き立てられた。

 まだオークを駆逐したわけではないだろうに、ドラゴンが墜ちた事で勝利を確信した兵士たちは高らかに凱歌を奏する。彼らの顔は一様に明るく戦意に漲っていた、ここから掃討戦に移行するのだろうが長く続かないに違いない。


 広場で部隊の再編成が始められたが、兵士の多くは屋上にいる伍堂を見上げていた。彼らは居住まいを正し敬礼を向ける、思わぬことに驚きを隠せない伍堂だったが礼を失するわけには行かないとぎこちないながらも礼を返す。

 口々に賞賛が投げかけられた、言葉をかけるのはシオの兵士だけではなくボネットもそうだった。讃えられている事は理解できていても、実感は湧いて来ない。緊張から開放されたことにより一挙に噴出した疲労は体の動きも思考も鈍化させている。


 あぁ、そうか。とりあえず一段落ついたのか、ぼんやりとそんなことが頭に浮かぶと意思に関係なく伍堂の体は仰向けに倒れていた。

 立ち上った煙で黒く覆われているところが多いとはいえ、その向こうには澄み渡った青い空が広がっている。

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