第45話 市庁舎を目指して

 伍堂を守るようにグローヴァーとペイスで挟んだ隊列を崩さないように市庁舎を目指すが、その歩みは遅い。陣形を乱さないようにということもあるが、警戒しながらということが大きかった。

 ここは市街地で道が入り組んでいるところもある、商店のある通りには品物を運ぶのに使った木箱が置かれている所もあり、隠れられる場所が多い。奇襲を受けたということもあって敵の数は分からないし、動きというものがまったく読めていなかった。


 宿を守るために兵士を置いて来たために、今グローヴァーの隊は伍堂を含めても三人しかいないのだ。不意打ちを受ければひとたまりもなく、銃剣を付けているとはいえ長銃は取り回しが悪い。物影から襲われたとなればあっという間に全滅させられることになるのだろう。

 自然、歩く時に音を立てないようになるし息も潜める。身を潜めるに適した場所があると見れば、何もいない音を確かめながら進んでゆく。牛歩の歩みではあるが確かに市庁舎へと近づいていった。


 そして近づくたびに伍堂の震えは強くなり、グローヴァーとペイス、二人の兵士は復讐心を闘志に変えて戦意を漲らせていく。近づけば、近づくほどに死体の数が増えていった。兵士も市民も、大人も子供も、男も女も関係がない。反撃を受けてやられたオークの死骸も多かった。

 無残な姿を晒し、死して間もないのに蝿に集られる彼らを弔いたい気持ちが三人にあったがその暇はない。酸鼻きわまる光景の中、足に纏わりつく血の川の上を歩いていく。


 叫び声は今も響き渡り、剣戟の音が大きくなっていく。これらの音は市庁舎付近で戦いが今も続いているということであり、陥落していないという証だ。虐殺現場の地獄めいた光景を目の当たりにし、消沈しかかっている伍堂にとって戦いの音は僅かばかりの救いとなっていた。


「かなり懸命に戦っているようですな、宿からまだ遠いというほどではないですが憎たらしい種族共の姿が見えません。おそらくは全てのオーク共が庁舎へと殺到しているのでしょう」

「でしたら隊長、お言葉ですがもっと早く向かうべきでは? 今の我々の歩みは普通に歩くよりも遅いもの、庁舎の者たちを信じてはおりますがこれでは間に合うものも間に合わなくなってしまいます」


 先頭を行くグローヴァーの言葉に、最後尾のペイスが反応した。伍堂は振り返って表情を見たわけではないが、語気からかなり苛立っているのがわかる。

 衛兵のペイスは守るべき市民が無残にも殺された姿を見たことで、怒りの炎に身を焦がしつつあった。


「落ち着けペイス。私とて貴様と同じ気持ちだ、しかし……怒りは抑えろ。怒るなとは言わないし、貴様のその怒りは正当なものだ。だが怒りは冷静さを失わせ目を曇らせる、僅かな隙すら見せられぬ今の我々にとっては足枷でしかない。ですよな、ゴドー様?」

「えっ!? あっ、はいそうですね。怒るのは大事なことです、でも……落ち着かないと、ダメです」


 突然に振られたところで決めることなど出来ない、ペイスの表情が気になったが一々振り返っている余裕もなく背中に刺さる視線が痛かった。


「そう、ですね……失礼いたしました。このペイス、気を引き締めます!」

「あぁそうだペイス! ゴドー様、少しだけペースを上げていきましょう。三人といえど市庁舎を守る彼らには貴重な戦力でありましょうからな!」


 背に感じる視線の痛さは気のせいだったらしい。ペイスの声はやや消沈したように聞こえたが、すぐに元気を取り戻し、重い空気を軽くしようとグローヴァーは笑う。

 そして隊長グローヴァーの通り、警戒を緩めることなく速度を増して一直線に市庁舎へと向かった。


 市庁舎前の広場に辿り着くと、心を強く持とうとしても体の震えが止まらない。オーク共は市庁舎を完全に包囲し、雪崩れ込もうとしていた。庁舎に立てこもる兵達は必死になって応戦していたが、余裕が無いのはすぐに分かった。


 槍や剣をぶつけ合う兵士たちの中には血を流している者も多い。負傷した兵士を後ろに下がらせる余裕がないようだ。オーク達はこれに勝機を感じているらしく、後ろを気にすることなく津波の如く攻め立てていた。これは伍堂そしてグローヴァーにとって幸いなことである。


「一時停止です」


 グローヴァーの言葉に頷き、足音を殺しながら物陰に身を潜めた。陰から頭だけ出して伺ってみたが、オーク共は振り返る気配すらない。ギャアギャアグエグエ、鳴き声ををあげていた。それらは言葉を交わしているようで、心底気味悪さを感じさせる。


「どうもやつら頭は良くないようですし、警戒心も薄い。道中で遭遇しなかったことを考えると、攻めてきたオークのほとんどがここに集まっているのでしょう。問題はここからどうするか、ですな。ゴドー様はどのようにお考えで?」

「不意打ちの後、そのまま市庁舎に走りましょう」

「挟み撃ちをするチャンスではないですか? 何故、市庁舎に走る等と仰るのです」


 伍堂の提案にペイスは声を荒げかけたが、すぐオークの存在を思い出して口を塞いで声量を落とす。


「確かに挟み撃ちをするチャンスですけど……僕達は三人しかいないんです、確実に倒せるのは多くて五体といったところじゃないでしょうか。その後は、やられます。オークの方が数が多いんです、押し潰されますよ。それなら庁舎の中に駆け込んで合流するほうが良いです」


 解説するとグローヴァーは頷き、ペイスも納得してくれた。だがすぐには動かず、グローヴァーが口を開く。


「それが定石といった所でしょう、ですが一つ懸念があります。ゴドー様の銃で最初の一撃を入れれば敵は混乱に陥りましょうが、奴ら戦意に漲っているときた。一撃を入れてすぐ駆け抜けなければ数に飲まれましょう、失礼ですがゴドー様は体の震えが止まらぬ様子。走れますかな?」


 顔を俯けた。隠すつもりではいたが、隠しきれるものでもない。全速力で駆け抜けなければ、かなり高い確率で殺される。息を深く吸っても体の震えは止まらない。ここで死ぬわけにはいかないのだ、落ち着かなければ。

 そこで浮かんできたのはアネットの顔だった。不思議と彼女を思い出すと震えが落ち着いてくる、これはどうしたことかを考えたくなるがそんなことは後回しにすべきこと。グローヴァーとペイスはプロの兵士だ、いつでも準備はできている。


「やれます」


 顔を上げ、グローヴァーの目を真っ直ぐに見据えた。グローヴァーとペイスは頷き、伍堂は物陰から飛び出し即座に照準を定め一体のオークの頭を吹き飛ばす。

 オーク達の視線が、頭の無い死骸へと向けられ彼らの時が止まる。すぐに次弾を装填すると二体目のオークを同じように物言わぬ躯へと変貌させた。そこでオーク達も襲撃者の存在に気づき、ようやく振り返る。


 この時にはもう三射目の準備が出来ており、目のあったオークの胸に風穴を開けた。オークは叫びを上げて反撃の態勢を整えようとするも、グローヴァーとペイスの方が早い。彼らは槍を繰り出し、払い包囲に穴を開けた。全体から見れば小さな穴だが、三人が通り抜けるには充分な大きさだ。


「今です! 走れっ!」


 グローヴァーが声を上げ、伍堂は駆けた。開いた穴を伍堂が抜けるとグローヴァーとペイスがその後に続き、真っ直ぐに市庁舎の玄関を目指した。後ろからはオークが吼えたけっている、振り返らずただひたすらに走りぬける。

 伍堂達を迎え入れるために扉が開かれ、文字通りに飛び込み、勢いのままに床へと転がった。大きく息を吐き出し、玄関ホールの高い天井を仰ぎ見るとともに血の臭いが鼻につく。横になったまま首を頭に倒した、右に、左に。


 そこら中に怪我人が倒れていた。兵士の姿が目立つが市民の姿も多い、ここに避難してきた者なのだろう。

 息を整えている伍堂の元にボネットが駆け寄ってきた。彼も負傷しており、右腕を包帯で吊るしていたし頭にも包帯を巻いている。


「ゴドーさん、よくここまで来れましたねそれも無傷で……宿の方は大丈夫だったんですか?」

「グローヴァー隊長と、ペイスさんが連れて来てくれたんです。宿は、グローヴァーさんの隊の何人かで守ってくれてます」


 体を起こしてグローヴァーとペイスの姿を探した。ボネットとは会えたのだから礼を言いたかったのだが、二人の姿は見えない。とっくに息を整えて庁舎の防衛に参加しているのだろう。


「ハリスさんは、どこにいるんですか?」


 てっきりここで指揮を執っているものだと思っていたのだが、ハリスの姿は見えない。庁舎なら執務室があるだろうし、そこにいるのかもしれない。だがハリスの名前を出した時、ボネットの眉が僅かに動いた。


「襲撃の後に庁舎に来たんですが、部隊が散り散りになっていると知ると自ら招集を掛けると言って飛び出しました。ネアトリアからの客人がどこにいる状態かも分かりませんからね、数名を連れて行きましたよ。てっきりハリスさんと出会ったからここに来たのかと思いましたが、違うんですね?」

「宿では一緒だったんですけど、半鐘が鳴った後すぐに出て行ってしまい……敵がここに集中しているらしいのと、ハリスさんだけでなくテオドラスさんも来ていると思ってここに来たんです」


「そうでしたか、ここに来てくれたのは幸いです。ここに来るまで何度か使っているはずですが、弾はまだありますか?」

「それはまだあるはずですけど……」


 弾入れの蓋を開けて数を数える、ざっと数えただけで二〇は残っているはずだ。充分な数のはずなのだが、庁舎を囲むオークの数はそれ以上。一人ですべてを倒せるわけがないし、倒さなければならないわけでもないだが不安を覚えてしまう。


「その銃、従来型よりも装填が早いと聞いています。威力もさっき見ていましたが、一撃でオークの頭を粉微塵にするほど高いもの。ですが精度はどうでしょうか?」

「検証したわけではないですけど、ダダリオ村で使ったマスケットよりも高いと思います。狙った所に弾が飛んでくれますし、そうでないと頭を撃ち抜くなんて出来ませんよ」


 仲間のボネットと出会えたというのもあり落ち着いてしまったのだろう。道中でオークの頭を吹き飛ばしていった時の映像が頭の中で再生された。

 剣とは違って体に触れていたわけではないというのに、トリガーを引いた感触が妙に鮮明に思い出され手が震える。けれど以前ほどではない、慣れて麻痺してしまったとでもいうのだろうか。


 そんな伍堂の事をお構いなしにボネットは続ける。


「でしたら頼みたいことがあります。屋上に出て、そこからドラゴンを撃ち落して下さい」

「屋上ですか、わかりました。高い所だったら狙撃もしやすいでしょうし……あの、今何て言いました?」


「ですからドラゴンです。敵はオークだけじゃありません、そもそも奇襲を受けたのもドラゴンのせいですよ。孤高を愛する魔物だと書物にはあるんですが、ドラゴンがオークを運んできたんです」

「ドラゴンっていうと、翼の生えた大きな蜥蜴みたいやつで……火とか毒を吐いて、山奥とか洞窟に住んでいて、宝物を集めてたりして……それで鱗とか角とかが、何か凄い武器とか薬の材料になったりするあのドラゴンですか?」


 ゴブリンやオークがいる世界だったらドラゴンがいてもおかしなことではない。けれど、ゲームに出てくるようなドラゴンだったらどうすれば良いのか。そもそも持っている武器が通用するとは思えない。


 それを確かめようと尋ねたのだが、すぐに返事は返ってこない。ボネットは小首を傾き気味しながら伍堂を見ている。伍堂はこのボネットの態度に安心を覚えた。

 この世界のドラゴンと伍堂の知っている、ゲーム等に出てくるドラゴンには乖離がある。だからボネットはこうして、不思議そうに首を傾げているのだと。


「かなり詳しいですね、その通りですよ。宝物を集める習性を持っているという話は聞いたことがないですね、ゴドーさんの所のドラゴンにはそんな習性があるのですか? 興味深い話ですが、今はそんな場合ではないですし。ともかく安心しましたよ、ドラゴンへの造詣が深いとは思いもしていませんでした」

「いや、そんな無茶な……大砲ならともかく、これ小銃ですよ? それにドラゴンって本当に来てるんですか? 僕……そんなもの、見てないんですけれど?」


 冗談を口にできる場面ではなく、ボネットはそんな人物ではないと知っていた。それでもドラゴンがいるとは信じたくない。

 思い返してみれば頭上、空から咆哮が聞こえていた気がするがドラゴンにいて欲しくなかった。


「オークを降ろしてすぐに戻りましたからね、多分次のオークを拾いに行ったのでしょう。この庁舎を包囲しているところから見て、シオを攻めてる魔物は組織立った行動をしています。何らかの理由があり一時退いたと考える方が良いです、もしかすると次は……焼夷弾を持ってくるかもしれません。あれ、海獣の脂があれば以外と簡単に作れますし。知恵のあるものなら、空からの攻撃に適した武器だと考えるでしょうね」


 そんなものがあるのかと思うと絶句するしかない。日本ほど科学の発達していない世界だ、焼夷弾といっても伍堂の知っている焼夷弾ほどの性能はないのだろう。しかしこの単語を聞いて頭に浮かぶのは、平和記念資料館で見た、太平洋戦争末期の日本の焼け野原になった東京の写真だった。

 シオの建物のほとんどは石造り、幾ら焼夷弾といえどあのモノクロ写真ほど凄惨なことになりはしないだろう。けれども連想するのは焼け野原、幼子を庇いながら焼けた母、その腕の中で炭となった子の姿。


 もし、確実にそうだというわけではない。けれどもし、四谷がオークそしてドラゴンを操っているのなら、ボネットが言う様に焼夷弾を使ってくることは有り得るのだろう。その場合、資料館で見た光景がこのシオで現実となるに違いない。

 それは避けねば。というよりも、見たくない。想像すらしたくない、庁舎に来る道中で見た光景すら筆舌に尽くしがたい凄惨なもの。これを勝る惨状を目にしてしまったら果たしてどうなるか、気でも違ってしまうんじゃないか。


「大丈夫ですか? 随分と震えているようですが……無理もないことですけれど、ドラゴン迎撃に頼れるのは今やゴドーさんとその銃のみなんです。本当なら、あなたに頼むようなことではないんですけどね」

「いえ、安心してくださいよ。震えてはいますけどこれは武者震いというやつですから、ドラゴンを倒して英雄になってやりますよ」


 酷い嘘だ。大丈夫だと伝えるために、ボネットの顔を真正面から見据えはしたが伍堂は自分自身、体だけでなく瞳までもが震えていることを自覚していた。

 当然この言葉をただの強がり、己を奮い立たせるための方便でしかないことにボネットは気付いていたが、彼の立場と今の状況は伍堂に本音を晒す事を許さない。


 幾ら戦う力を持っている兵士といえど、恐怖に震えるものを最前線に出すべきでないとボネットは考えていた。可能ならば伍堂の持つ銃を別の人間に使わせるのが得策なのだろうが、今ここに銃の扱いを知っている者は伍堂しかいない。

 いたとしても、伍堂ほど扱える者がいるのかが疑問だ。


「私は指揮のためにこのホールから離れることができません、加え敵の猛攻のために護衛に割く兵力もありません。ただ一人……屋上で戦わなければなりません、それでも、ですか?」


 すぐに返事はできなかった。ゴブリンとも戦った、つい今しがたオークとも戦った。けれど一人ではない、ハンゲイトとライドンがいた、グローヴァーとペイスがいた。しかしここからは独り。

 出来るだろうか、無事で済むだろうか。そんな事が頭をよぎるが、怖がっていたところで事態は好転しない。空を自在に飛ぶ敵に対抗できるのは自分だけ、もしやらなければ街は火の海になり宿に残したアネットも死ぬこととなる。


 覚悟するしかなく、覚悟しなければならなかった。


「やります……一人でも、大丈夫です。屋上ならオークの攻撃はないでしょうし、ドラゴンに専念できます。ドラゴンが来なければオークを一方的に狙撃できると思うので、大丈夫です」


 力強く頷いたつもりだったが伍堂の声は震えていた。ボネットは下唇を噛みながらもうなずき返し、伍堂の背中を叩く。ボネットにはそのぐらいしかできなかったのだ。


「あそこの階段を上れば屋上に出れます。炎の息にだけは気を付けてください、健闘を祈ります」


「任せてください」


 ボネットが指を差した先、物陰に隠れるように大人一人が通れる程度の階段があった。伍堂は短く、小さく答えて走り出し階段を駆け上がった。

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