第44話 燃ゆる港町

 鐘の音は鳴り止まない。一打される毎に音は大きくなり、心臓の鼓動も比例し大きくなる。内側からの音はあまりにも大きく、鐘の音が遠くなっていくような気さえするがそれは錯覚だ。

 街を守れとハリスから命じられはしたが、何をすれば良いというのか。何が起きているかは分からない、けれどきっとこれは敵襲だ。二度目の実戦になるのだろう、手も、足も震えている。手の震えだけでも抑えようと右手首を左手で掴んでみたが、震えは増すだけだった。


 酷く恐ろしい。外から聞こえてくる鐘の音に変化があった、今までは激しいながらも規則的な音だったが不規則かつ乱雑なものへと変わっている。

 それだけではなく、人の叫び声が加わっていた。絹を裂くような甲高い悲鳴、負の感情が入り混じる怒号が聞こえ始めている。間違いなく、外では戦いが起きていた。頭の中が白く染まっていく、やるべきことがわからない。


 何をすればよいのか、それだけが頭の中をぐるりぐるりと回り続ける。形を持たない重圧が黒く暗く圧し掛かり、膝を曲げてしまいそうだった。出来る事ならこの場にうずくまり耳を塞ぎたい、もっと言えば安寧に包まれた四畳半に戻りたい。

 けれどもそれは叶わぬ願いだ。四畳半に戻る事は当然の事として、今の伍堂はハリスから自分の裁量で動く事を認められている。それには義務が伴うもの、渡されたバッジを握り締めると震える手で襟元に取り付けた。


 背筋を伸ばし大きく息を吸い込み、ゆっくりと吐き出す。鐘の音はもう規則性など無くなり、ただただ打ち鳴らされるだけ。聞こえてくる悲鳴は大きく、その数も増しつつある。何か、出来る事があるはずなのだ。そのためにもまずは武器を手にしなければと、部屋へと走った。

 そこではアネットが蹲り、顔を青ざめさせながら震えていた。彼女の横では従者のトーレスが細身の剣を手に持って彼女を守るべく警戒していたのだが、やはり恐ろしいのだろう。二本の足ははっきりと震えていた。


「あぁ……ゴドー様、一体これはどうしたというのです……。あぁ、あのようなものを目にするとは正に悪夢……。これは夢なのでしょうか」


 アネットが顔を上げて震える手をゴドーに伸ばす。思わずその手を取って握り締めたが、掛ける言葉は思いつかない。恐ろしいのは伍堂も同様なのだ。

 だが伍堂は恐怖を口にしない、表情にも出さずに隠した。怯えるアネットは伍堂に安心を求めているのが分かっていたからだ。


 伍堂は決して強くはない。だから彼女を元気付けるための言葉は出てこなかった。やった事といえば、無言で彼女の手を強く握り震える瞳を真っ直ぐ見つめ返すだけ。

 それだけでもアネットの恐怖を小さくするには充分で、彼女の手の震えは小さくなる。ゆっくりとした動作で彼女から離れ、素早く装備を整える。


 革の鎧を着込み腰には剣を刷き、弾の数を確認してから弾入れもベルトに取り付けた。銃には銃剣を取り付ける。窓の外から見える景色には黒煙が登っていた。


「アネットさんはここにいて下さい、何が起きてるか僕にはまだわかっていません。けど、ここは僕が守ります」


 言いながらハンドルを起こし、薬室に弾丸を装填する。ハンドルを戻すと硬質な音が響いた。


「ゴドー様も行かれてしまうのですか……? 先ほど、窓から悪夢のような化け物の姿を目に致しました。あのような人ならざるものと戦うというので?」

「一度だけですけど、既に経験済みです」


 アネットに背を向けたまま答えた、顔を見られては恐れているのがばれてしまう。

 大丈夫だ、問題ない。あの時は無我夢中であまり覚えていないとはいえゴブリンと戦い、倒したではないか。ライドンから大英雄のようだったと称えられたじゃないか。己を鼓舞するために言い聞かせる。


「行ってきます、ここは守りますから」


 振り返らないままに言うと、返事が聞こえぬ内に走り出す。階段を駆け下り、その勢いのままに外へ飛び出した。

 眼前に広がる光景に、燃え上がらせ始めた戦意は早速萎みだす。燃える臭いが鼻を突き、濃厚な血の臭いが混じっている。街路は赤黒く染まり、衛兵だけでなく一般市民が、女も子供も倒れていた。倒れる人々の眼はどれも空ろで口は半開き、手足があり得ない方向に曲げられているものもある。


「てめぇ! 武器を持ってんならこっちを手伝いやがれ! そこら中から湧いてきやがる!」


 怒声が聞こえた方向に目を向ける。幾人かの衛兵が槍や剣を振るい戦っていた、相手も鎧を着込み人の形をしていた。けれど人間ではない、肌は濃緑色で見るからに分厚い。発達した下顎からは二本の牙が生え、潰れているようにも見える低い鼻、小さな耳、髪はあるが人間と比較するとその本数はかなり少なく一本一本が太い剛毛。


 ゴブリンかと一瞬だけ思ってしまったが、まったく違う。それら人型の生物はどれもこれも二メートル近い身長があったし、凶悪で獰猛な印象を強く与えてきた。

 怪物が吼えた。腹の底にまで響く低い咆哮に伍堂だけでなく衛兵までも竦んだ瞬間、怪物は手にした大斧を振るい複数の衛兵を弾き飛ばす。倒された衛兵達は致命傷を負いはしなかったが、すぐには立ち上がれない。


 怪物はそんな彼らを見下しているのか笑ったようだった。そして立ち竦んでいる伍堂に気づくと、斧を構えなおし地を揺らすほど強く踏みしめ真っ直ぐに向かってくる。


「逃げろ!」


 倒れたままの衛兵が一人叫ぶ。

 不思議と伍堂の頭は冷静だった、怪物の動きは見えている。恐怖は小さくなっていた、現実味があまりに感じられない。現実だと理解していても、夢の中にいるような感覚だった。


 逃げ出さず、銃を構える。照準は怪物の頭部、真っ直ぐに向かってくる的に狙いを合わせるのは容易い事だった。引き金を引く、マスケット銃よりも反動は小さいが発砲音は変わらない。

 放たれた弾丸は怪物の頭の上半分を吹き飛ばす。皮膚と肉を裂き、骨を砕き、脳髄と人と同じ色をした血液を散らした。怪物は前のめりに倒れ、頭を失った体は幾度か大きく震えて血を噴出したがそれもすぐに止まり、絶命。


 これらの光景が全てスローモーションで見えていた。頭の半分を失った死体を見下ろしながらも伍堂は安心することなく、次弾を装填し終えると前を見据える。まだ起き上がっていない衛兵たちは呆然と伍堂を見ており、伍堂は彼らの向こうに新たに現れた怪物を見つけていた。

 敵だと認識してからの動きは早かった。銃を構えなおし、また頭へと狙いをつけて発砲する。一体目と同じように、二体目も頭を吹き飛ばされて倒れ伏した。


 後続がやって来ないかと警戒し、しばらく銃を構え続けたが現れない。背後から来る気配もなく、大きく息を吐き出しながら銃を下ろす。この時には倒された衛兵たちも全員起き上がっており、負傷した箇所がないか確認していた。


「銃などというものは趣味で使うものだと思っていたが……その銃は凄いな、威力もさることながら弾込めが速い。それに立て続けに頭に当てるとは、良い腕だ。君は一体何者だね?」


 衛兵の一人、派手目の装飾を施した鎧を付けた者が伍堂に近づき声をかけた。歳も三〇を過ぎた頃のように見えるし、隊長格の兵士なのだろう。


「伍堂といいます。どう答えていいものか分かりませんけど、エプスタイン公爵の世話になってます」


 説明しながら襟元に付けたバッジを見せると、途端にこの隊長格の衛兵だけでなく彼の部下の態度までもが一変した。全員が素早く居住まいを正すと敬礼を行う、突然のことに伍堂は困惑を隠せない。


「失礼致しました! エプスタイン様直属の部下であられたとは、非常時ということでお許し頂ければと……」

「許すも何も僕はそんな大層な者じゃないですし……それに僕は……」


 何と言おうか考えて言い淀んでいるとまたも悲鳴が聞こえてくる。距離は分からないが、決して遠くない。そして未だ倒れている人々に意識が向いた。


「そうですよ、そんなことより助けないと!」


 彼らと話している場合ではない、今の悲鳴の主もそうだがこの場に倒れている人を助け起こさないとならない。手足があり得ない方向に曲がっていたとしても、衣服がどす黒い血に塗れていようともまだ生きているかもしれないのだ。


 伍堂は一番近くに倒れていた少年へと駆け寄った、彼の手をとる、氷のように冷たい。声をかける、返事はない。頬を叩いた、酷く固い。


「ゴドー様と仰られましたね、お言葉ですがここに倒れる者たちは皆絶命しております。オークに殺されました」


 隊長の沈痛な声が背後から掛けられた、理解はしても納得したくなかった。けれども納得するしかない、冷たいのは体温がないから、返事がないのは死んでいるから。じゃあ死んだのは何時だ、殺されたのは何時なのだ。

 ついさっき、なんていうことは無いだろう。宿の中に居たとき、外から悲鳴が聞こえていたじゃないか。その悲鳴の一部は、彼らだったに違いない。自分が、もっと早くハリスの後に続いていればこの人たちは死ななかったのではないだろうか。


 けれど後悔する暇はない、与えられない。新たな叫びが沈みかけた伍堂を無理やりに引き上げ、下を見ることを許さなかった。喉の奥から湧き上がる酸味を出してしまわぬ様に堪えながら立ち上がる。


「この怪物、オークっていうんですよね。早く、次を倒しに行きましょう。あなた達、この街を守る衛兵なんでしょう?」


 伍堂は混乱していなかったし、恐慌をきたしてもいない。けれど冷静ではないし、そして正気でもいられなかった。


「その通りですが下手に動くわけには行きません。目にしたわけではありませんが、ここの宿屋だけでなく他の家屋の中で市民が震えているのです。もし我々がここを放棄し、他所へ向かえばそちらは助かるでしょう。ですが残された市民を守るものがいなくなります」

「けれど……けれど……」


 またも悲鳴、これはきっと断末魔の叫び。聞こえる度に一つの命が終わっていく、普通に生きていれば耳にすることはまずないだろうもの。それを短時間の間に何度聞いたのだろうか、既に数え切れるものではない。


「お気持ちはわかりますし、失礼な物言いであると承知ですが離れるわけにはいきません。それが我々の役割であります、幾ら公爵様直属の方といえど従えません。行かれるのであれば我々は止められませんし、止めません」


 何も言えない。彼の言うとおりにしたほうがいい、アネットに宿を守ると言ったのは伍堂自身だ。彼の言われたからではなく、伍堂にも伍堂のここを離れられない理由がある。けれども鼓膜を通り抜け脳髄へと突き刺さる断末魔を聞いてはいてもたってもいられない。

 オークは街の他の場所にもいるはずで、伍堂の手にはそいつらを一撃で屠る武器がある。戦える、市民を守る力があるのならば行動しなければならないのだ。


 けれどそれは建前。本当のところはただ考えたくないだけ、考える時間が怖いだけだ。待てば考える時間が出来てしまう、そして考える。考えるのは恐ろしい、悪いことばかりを想像してしまう。だから伍堂は動かずにはいられない。

 しかし動けない、宿をアネットを守るためには動けない。動きたい、動けない。葛藤に苛まれ、髪を掻き毟った。激しい運動をしたつもりはなかったのに、汗でぐっしょりと濡れており手を動かすと飛沫が散る。


 隊長は葛藤する伍堂を見ても何も言わない。そんな場合ではないからだ、彼は部下に指示を飛ばし周囲の警戒する。それが彼らの仕事、やるべきこと。


「あなた多分衛兵の中でも偉い人、ですよね。お願いがあります、僕に指示をください」

「は!? 公直属のあなたに指示ですか!? 何を馬鹿なことを仰っているのです!」


 伍堂は首を横に振る。きっとこれが、今できる最善の行動のはずなのだ。


「僕は銃を持ってそれを使って怪物を倒せます。けど戦争というものを知りません、実戦の経験は一度しかありません。それも無我夢中で、何をどうしたかなんて覚えてない。だから教えてください、僕は今何をすればここを守れるんですか!?」


 剣幕に圧され隊長は一歩後ずさり、部下たちは顔を見合わせた。


「分かりました、ではまず私の名を名乗らせていただきます。私の名はグローヴァー、このシオの街の小隊長の一人です。はっきり申し上げますと、私も今何をするのが最善なのかわからんのです。部下と共に警邏の最中に突然オークの軍勢が現れ、そのまま交戦となりました。この場所にいるのはここで戦ったからというだけのこと、離れられないのは状況が分からないのと周囲の市民の安全を確約できていないからです。そんな私からゴドー様に頼めるのは、我々と行動をともにして欲しいということだけです。

 オークは知能こそ劣るものの、その肉体は強靭。生半可な兵士が切り結べば押し負ける公算の方が高い、ですがゴドー様の銃ならばその必要なく一方的にやつらを倒せる。我々はゴドー様の周囲を固め、弾を込め、狙いをつける間の身を守ります。その間にさっきのように頭を吹き飛ばしてほしい」


 伍堂は頷き、道の真ん中に立つ。その周囲を小隊長グローヴァーと彼の部下合わせて六名が囲み、オークの到来に備えた。怪物の犠牲になった人々の亡骸を動かしたいところではあったが、それすらも今この時だけは余計なことだ。


「グローヴァーさん、突然オークが現れたと言ってましたけど、それどういうことなんですか? この街は高い城壁と海で守られているはずです、街の中に奇襲を仕掛けられるはずはんてないと思うんですが」


「その通りです。本来ならば奇襲などされません、陸から来れば壁が塞ぎます。船で来れば事前に察知し、迎撃することができます。やつらはそのいずれでもなかった、鐘がなると共に現れた。有り得るとすれば既に街に潜伏し、タイミングを合わせて行動したのでしょう」


 グローヴァーの推測を聞いて、思い出すのはテオドラスの言葉だった。陸路だろうと海路だろうと、街に入るのは通行証が必要となるが厳格に運用されているかは怪しい、と。そして伍堂はさらに考える、船は多くの荷を積んでいることが多いだろう。その積荷は全て検査されていたのだろうか。

 オークは積荷に紛れていたのではないだろうか。それはただの仮説にしか過ぎない、けれどもこう考えると辻褄が合うというだけの話でグローヴァーに実際のところを尋ねても事が起きてしまい進行している今にすることではなかった。


 幾度と悲鳴が聞こえてくる。あまりにも短時間に聞いているせいで感覚が麻痺してしまい、断末魔のその叫びを聞いても感じるものがなくなってきていた。だから気づくこともある、悲鳴が聞こえてくる方角が決まっている。

 反対の方角に耳を澄ましてみたが、そちらからは悲鳴も怒号も聞こえない。グローヴァーも同じ事に気づいたのか、叫び声の聞こえる方角を見ていた。


「あの僕の錯覚だったら申し訳ないんですけど、さっきから音の聞こえる方角一緒じゃないですか? それに距離も、何となく同じ場所から聞こえているように思うんですが」

「ゴドー様もそう聞こえましたか、私も聞き間違いかと思いましたがそうではないようですね。お前らはどうだ?」


 部下達も同じように感じていたらしく、警戒を怠らぬまま全員が頷いた。こうなると聞き間違いは有り得ない、グローヴァーの表情が曇る。

 しばし無言の間が流れたが、兵士の一人が口を開く。その声は震えていた。


「あっちにあるのは市庁舎です、その聞こえてくる距離から考えてもちょうどかと……俺ここで五年兵隊やってますけど、オークが徒党を組んで攻めてくるなんてことは退役した人の話にもなかった。このオーク共は統率が取れすぎてます……あの、ゴドー様。公爵様直属なら、魔王の事とか聞いてないんですか? ほら、復活した、とか」


 魔王の単語が口にされた途端、伍堂を除いた全員が固まった。誰かが冗談として笑い飛ばそうとしたが、顔は引きつっていたし力がない。それが余計に空気を重たくさせた。

 明らかに士気が下がっていた、隊長のグローヴァーが喝を入れるべき場面である。しかしその彼も、魔王という存在は恐ろしいものであるらしい。完全に振り返りはしないが、背後にいる伍堂へしきりに視線を向けている。


 そんなモノはいないのだ、魔王の存在は御伽噺にしか存在しない。こう言ってしまうのは簡単だし、真実でもある。けど彼らがそれを信じるかはまた別の話しだし、信じてもらえたところで低下した士気が戻るとは思えない。銃把を握る手に力が篭る。


「そういった話は聞いていません……けれど、エプスタイン公爵は魔王の復活に備えて軍備を整えています。僕が手にしている銃もその一つです、魔王を倒すために作られた新型の銃がこれなんです。性能はさっき見てのとおり、魔物を一撃で倒せました。それに、そう……皆さんだってそうなんでしょう?

 魔王……いえ、魔王だけじゃない。この国を、このシオの街を守るために日々鍛錬を積まれているはずです。今はその成果を見せるときであって、怯えるような時ではないはずですよ」


 誰も返事を返さない、じっと伍堂を見るばかりである。

 彼らを落ち込ませず励まさないという一心で言ったことだったが、ほとんど考えることもなく思いつきで出したもの。適当に言い過ぎてしまったか、反省と後悔に襲われそうになり下を向きかける。


 グローヴァーが槍の石突を使って地面を叩き乾いた音が響いた。この音に伍堂は顔を上げ、兵士達の視線もグローヴァーへと向けられる。


「全く持ってその通りであります、我等はシオを守る兵士。その為に日々たゆまぬ鍛錬を続けておりました、例え相手が魔王であろうとやることは変わりません。シオを守る、その一点のために我等はおります。そして今こそ粉骨砕身し日頃の鍛錬の成果を! シオ衛兵の強靭勇猛なる様を見せるべき時!」


 槍を掲げたこのグローヴァーの宣言に彼らの部下達もまた、隊長に倣い槍を掲げそして鬨の声を上げる。素人の伍堂の目からしても士気は回復するどころか、先ほどよりも高まっている。

 状況はなんら変わらず、周囲には未だ死体が転がる凄惨な様相を呈しているもののグローヴァーもその部下達も漲る生気が瞳を輝かす。


「グローヴァーさん、オークが市庁舎を襲っていると仮定します。加えて、この隊のように個々の判断で動いている部隊も多いと仮定しましょう。この場合、市庁舎にはどのぐらいの戦力がありますか?」

「具体的な数は分かりませんがその仮定ですと決して多くない、少ないだろうと推察します。市庁舎の近くには兵舎もありますが、多くが出払っているはずです。向かうべきと思われますか?」


 尋ねられ伍堂は宿屋の二階を仰ぎ見た。アネットに宿屋を守ると宣言した、ここを離れるわけには行かない。けれど庁舎には多分、ハリスそしてボネットがいるはずだ。もう慣れてしまって感じるものが少なくなっているが、叫び声は未だ続く。


「街の中枢に敵が殺到しているかもしれない状況です、私としてはここの守りを手薄にしてでも向かうべきかと考えています。ゴドー様にも来て頂きたい、あなたの銃を戦力として期待したい。宿に大事なものが、人か物かはわかりませんがその守りを私の部下に任せては頂けないでしょうか?」


 伍堂は宿屋の二階から視線を外さない。何が最善なのかやはりわからず、グローヴァーの言葉は提案であって命令でも指示でもなかった。伍堂が拒否したところで彼は不満一つ零すことはないだろう。

 二階を見つめ続ける。アネットは部屋の隅で息を潜めているのだろう、彼女が姿を現すわけはない。それでも彼女の姿が、あの窓を開けてエールを送ってくれないだろうかと見てしまう。


 徐に弾入れの中を確認する。二発しか撃っていないのだ、弾はたっぷりとあった。

 最善の行動は何かわかっていない、すべき事もわからない。やりたい事は何だろうかと心に問うた、答えはすぐに返って来た。そこに至る方法は二通り思いつく、どちらも間違っておらずどちらも正しい。時間があればあるだけ悩めるが、暇などない。


「信じます。グローヴァーさんを、あなたの部下を信じます。守りたい人がここにいます、彼女の身の安全をお願いします」

「感謝いたします。ではゴドー様と、ペイスは私と共に市庁舎へ。他の者はこの場を死守しろ、貴様らの命は国を、シオを、民を守るためにある。文字通り身を盾とし市民を敵より守れ!」


 おう!と、力強い返事が返ってきた。グローヴァーが動き始めると共に、最も若い伍堂よりも若干年上に見える兵士がその後に続き、伍堂は最後尾へと付いた。

 向かうは市庁舎、おそらくそこが激戦の地となっているはず。角を曲がる前に宿を振り返る、気づいた兵士達は一斉に敬礼を行い伍堂も答礼を返した。

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