第43話 鐘の音が鳴る

 四谷の姿が完全に見えなくなってしまってから伍堂もゆっくりと立ち上がった。体の節々が痛んでいたが、どれも大したものではなかった。歩くと痛みはあったが、支障をきたすほどではない。

 銃を拾い、腰の剣を履きなおすと四谷の後を追って暗がりへと進んでいく。そこはほとんど街灯の無い路地だったが、目が慣れてくればそれなりには見える。しかし四谷の姿はない。何となくで歩みを進めたが、路地は細く複雑に迷路のようになっていく。明かりがないこともあり、先へ進むのは断念した。

「あいつ、なんだったんだろう……」

 呟きため息を一つ吐いた。いきなり魔法の力らしきもので殴りつけられたことで怒りはあったが、それよりも鼻をへし折ってしまった事の罪悪感のほうが強い。鼻骨を砕いた時の感触は未だ膝頭に生々しく残っていた。

 咄嗟の事だったとはいえ折るのはやりすぎだった。そして自分にそんな力があるだなんて想像もしていなかった。ハンゲイトやハリスに実戦形式で稽古を付けてもらっているとはいえ、彼らにまともな一撃を入れたことはなかった。簡単に人を傷つけられる力が備わってしまっていたことを理解できていなかった。

 罪悪で体が重かった。トボトボとした足取りで来た道を返し、宿屋へと向かう。街路に立つ娼婦たちが蠱惑的な仕草と淫靡な言葉で伍堂を誘い、居酒屋の男が拍手を鳴らし威勢の良い文句で引き込もうとするが彼らの事は目にも耳にも入らない。

 宿に戻ったのは何時かはわからなかったが、体感では一時間近く経っているように感じた。ハリスとボネットがいるかもしれないと考え食堂を覗いてみたが真っ暗で人の気配はない。四谷のことをどうしよう、彼らの耳に入れなければと思いはしたが疲労が圧し掛かり始めた。

 来て間もないとはいえ寝床に帰ってきたことで安心したこともあるのだろう。アネットを起こしてしまわないように部屋へと入ると、革鎧を脱いだだけでベッドへと潜り込む。

 地面の上に転がされたのだから、汚れているに違いないことに気づいた時にはもう睡魔に呑まれてしまっていた。そして気づけばすっかり明るい頃になっている、その明るさにもう昼になってしまっているのかと飛び起き、時間を測ろうと窓に飛びついた。

 明るいとはいえ太陽は天頂には至らぬ位置、かろうじて朝といえるだろう時間であることにほっと安堵の息を吐く。

「起きるやいなや外を見てどうなされたのですか? 恐ろしい夢でも見たのでしたら、私の胸を遠慮なくお使いになられても構わないのですよ」

 肩から力を抜きながら内側へと振り返った。アネットは椅子に座り、従者のトーレスに持たせた鏡を見ながら髪に櫛を通している。セットが上手く決まらないらしく、彼女にしては珍しく表情が硬い。

「夢も何も見てませんよ。ただ寝すぎてしまったんじゃないかと思って、つい。ほら、太陽の位置を見れば大体の時間は分かりますから」

「そうでしたか……まだ朝の二の鐘が鳴ったところですから、慌てる必要はありませんとも。ただ一つ尋ねたいのですが、私が寝た後にどこかに出かけておりましたよね? 真面目なゴドー様のこと、夜遊びをしていたなどとは夢にも思っておりません。ですがその服の汚れ方、朝一の鐘の音ではお目覚めされませんでした。何やら良からぬ事があったのではないかと危惧しております、私の不安を消すためにもどうか正直に答えていただけないでしょうか」

「枕が変わったせいで眠れなくて、ちょっと夜の散歩に行っていただけですよ。そしたら道が暗くて昼間とは勝手が違っちゃってて、少し派手に転んだだけです」

 半分は本当のことで転んだというのも間違いではない。だから堂々と胸を張っていれば良かったのだが、隠し事をしている後ろめたさからつい僅かとはいえ視線を逸らしてしまう。

 コミュニケーション能力に長け、会話の端から察する能力を持っているアネットからしてみれば分かりやすい態度だった。彼女は怒らずに目を伏せると肩を落として項垂れてみせる。怒るよりも、こうして落胆してみせたほうが伍堂には効果的だと踏んでのことだ。

 実際に効果は大きかった。アネットの浮かべる表情に膨れ上がる罪悪に締め付けられるが、本当のことを言うべきかは悩ましい。彼女がどこまで知っているのかがわからない、下手に四谷のことを話すわけには行かない。悩んでいる間にも時は過ぎ、アネットの視線が鋭さを増してゆく。

「何やら話しづらい事情がお有りのようですが、それはハリス様には話せる内容なのでしょうか?」

「え、えぇ。ハリスさんには話しておきたいことです」

「そうですか、でしたら後ろ暗いことはないようで安心しました。私というより女の出る幕はない事案というのが少々悔しくはありますけれども、不安は消えました。あぁトーレス、信用していないわけではありませんが他言は無用です」

 アネットの言葉にトーレスは鏡を持ったまま頷いた。

「それとゴドー様、ハリス様と話すのでしたらすぐ食堂に降りた方が宜しいかと。今頃はボネット様と朝食を摂られているでしょうし、それが終わればまた出かけてしまうと思います。私は身支度にまだ時間が要りますので、気になさらず先に行ってください。その方が話もしやすいでしょう」

 言葉には棘があってチクチクと刺さってくるが謝りの言葉も思いつかず、いってきます、とだけ言って足早に食堂へと向かう。アネットの言っていた通り、食堂ではハリスとボネットの二人が向かい合って座っていた。

 既に食事は終わっているらしく、二人は食後の紅茶を嗜みながら会話を楽しんでいる風である。

「あぁゴドーか、おはよう。よく眠れたようで何よりだ、私たちはまたシオの役人と会わなければならんからもう出かけるが君はゆっくりと……ん、アネット嬢はどうした?」

 ハリスは座ったまま伍堂の後ろを覗き込もうとしていた、アネットが一緒にいるものとばかり思い込んでいるらしい。

「アネットさんは身支度に時間がかかるそうで、後できます。それよりも、お二人が一緒でちょうど良かったです。実は――」

 ここで一度言葉を止めて、辺りを伺った。食堂にいるのはハリスとボネットだけ、宿の人間は厨房にでもいるのだろう。奥から音がするが姿は見えない。

「どうしたね? 何か聞かれたくない話でもあるみたいだな」

 ハリスからの問いに静かに、深く頷くと彼ら二人は顔を見合わせ、ボネットが立ち上がり食堂を出て行った。おそらく人払いのためだろう、ハリスも伍堂の様子に居住まいを正すと身を引き締める。

「昨日の夜のことなんですが……寝つけなくて散歩に出たんです――」

 四谷のことを話し始める、ハリスは瞬きする暇すら惜しむようにじっと伍堂の話に真摯に耳を傾けた。嬉しくもあるが同時に緊張もする、時折つまる度に彼は相槌を打ち昨夜の出来事を全て包み隠さずハリスの耳に入れていく。

「以上です。鼻を折ってしまったので恨まれるのはおかしくないとは思うんで、殺すとまで言われたのは正直……それに、明日。つまり今日というのが気になってしまいます」

「そうだな、負けた側が吐き捨てる台詞としてはそう珍しいものでもない。ただお前の言うとおり、明日と言っていたことが私も気になる。加え、お前の見間違いでもなければ詠唱も魔法陣も無しに魔術を行使したということ。夜の暗がりといえどお前の話には具体性があった、見間違ったということはないだろう」

 ここまで言ってハリスは口を閉じると腕を組む。顔をやや俯けて考え込んでいるようだったので、伍堂は思考の邪魔をしないようにとじっと佇んでいた。

「私は魔の道に詳しいわけではないが、口を使わずに術を行使するとなると魔道具を持っているに違いない。ヨツヤが持っていた水晶玉が怪しいように思うが、確証はない。それよりも考えたのは、奴と魔物に関係性があるのか否か……ゴブリンに襲われた村、その近傍の森で見つかったのは地図。そこにヨツヤの署名があった、お前が発見したやつだ。覚えているだろう?」

「もちろん覚えてます。けど、あの手紙だけでゴブリンと関係があると言い切れるんでしょうか?」

「あくまで可能性の話だよ。魔物は人語を解さんと言われているが、ゴブリンよりも知性のあるオーク等といったもの共は我々の言葉を理解し、話すこともあるという。ゴブリンが言葉を話すというのは聞いたことがない、だがやつらは群れを作る。コミュニケーション能力を持っているということだ、犬猫と我々が言葉は通じなくとも意思を通わせるよう、ゴブリンとも同じことができる可能性はあるだろう」

「じゃあ……ダダリオ村を襲ったのは四谷かもしれない、ゴブリンをけしかけたかもしれない、と?」

 そんなことあり得るのだろうか、漫画でもあるまいしとは思ったが異世界に来てしまってる時点で漫画の世界だ。あり得ないとは言い切れない。

「あるだろうな、決して高いとは言えないがな。ただお前の話を聞いて、この街で鳥観の術を使ったのはヨツヤではないかと考えた。これは可能性がかなり高い。というのもだな、先日に話したとおり魔法を使う者にとって大きな街。このシオやスタイン市のように、政治経済の拠点と機能している街は結界のために鳥観の術が阻害されるというのは常識だ。師から必ず教えられるし、魔法を知らぬ私でも知っているぐらいのこと。これを知らぬとなればまったくの余所者、異世界から来たヨツヤであるなら知らなくとも当然だろうと考える」

 四谷が疑われているのは伍堂にとって良い気分ではない。ハリスからすればそう考えるのは当たり前のことかもしれないし、話を聞いていたら無理もないことだとは思う。

 それでも四谷は同じ日本人だ。魔術で殴られ、脇腹を蹴られ続け罵倒されたとはいってもこの異界の地で出会った同郷の者というだけで親しみを覚えているところがある。

「そんな顔をしないでくれ、私はあくまで可能性の話をしているだけであってヨツヤが謀をしていると決め付けているわけではない。それによくよく考えてもみたまえ、ヨツヤもまた異世界から来た人間だ。こちらの世界で知己がいるわけではない。企んでいた所で実行に移すためには人手が必要だ、伝手も無いのにどうやって人手を集めるというんだ」

「その人手を魔物で賄っている、と言っているように聞こえるんですが……」

「あくまでそれは可能性。オークは人語を解し、ゴブリンもコミュニケーションが取れるかもしれないと言った。しかしやつらは人間に対し敵対的だ、私たちがやつらのことをそうだと感じているようにやつらにとっても私たち人間は不倶戴天の敵。例えヨツヤが知性ある魔物と接触したところで、仲間に出来るはずもない。八つ裂きにされ食われるのが関の山だよ」

 この世界にいるオークがどのような魔物か知らないがゴブリンは分かる。やつらは確かに敵対的だった。しかし、だからといって仲間にならないというのは本当なのだろうか。何となく、ただ何となくだが四谷から普通ではない印象を受けている。

 その普通でない四谷なら、やってのけてしまっているのではないか。漠然とした不安が染みを落とし、じわりじわりと広がってゆく。

「とはいえヨツヤがお前を殺すと言っていたのは気にしたいところだ。負け犬の遠吠えだとは思うんだが……護衛を付けようかと考えてはいるのだが、人員を確保できるかはわからん。約束はできん」

「いえ、そんな護衛なんて結構ですよ。襲われた時に相手を倒せる、なんてことは言いません。けどハンゲイトさん、それにハリスさんにだって連日のように稽古してもらってるんです。倒されないように逃げるぐらいのことは、できるんじゃないかな、と」

 ハリスは、ほう、と言って頬杖をついた。実戦も多く経験しているだろうハリスの前で生意気なことを言ってしまったのだろうか。有り得る事だ、伍堂も実戦に出たことがあるとはいえ一度だけ。

 ハリス達からしてみれば素人に毛の生えたようなものだろう。

「自分の実力を知っているとはな、返り討ちにしてやると言っていたら殴りつけていたところだ。ハンゲイトさんほどではなくとも、教師を務めている私から見て逃げに徹するのであればお前は問題ないと思っている」

 剣の先生であるハリスからこう言われて悪い気が起きるはずもない。これが褒め言葉だと受け取ると、天狗になりたくはあったが居住まいを正して気を引き締める。

「ただやはり護衛は付けておこう。お前は自分の身とアネット嬢を守れはするだろうが、与えた新型銃まで守れるかとなると疑問が残る。あれは紛失されると些かマズイ、付けるように手配する。それでいいか?」

 褒められた直後ということもあり不服を覚えはしたが、ハリスの中では既に決定していることだ。それに、何かあった時にアネットを守れるかを考えたときに不安が残った。

「はい、わかりました。お願いします」

「よし。ならば手配するとしようか、腕利きを付けてはやれんが二人ぐらいは連れてこよう。人を呼べなくとも、無理なときは連絡する。それまでは……そうだな、のんびりと食事を取るといい。既に知っているだろうが、ここの魚料理は美味いしその出汁を使ったスープも良い味だったからな」

 真面目な話が終わり、穏やかな空気が流れ始めた。ハリスは軽く肩を回すと立ち上がり、早速出かけようと伍堂の横を抜けて食堂の外へと向かおうとする。そこに半鐘の音が響いた。

 それも一つだけではない、幾つもの半鐘が打たれて鐘の音をシオの街全体に響かせている。空気がざわついた、この鐘の音の意味を伍堂は知らない。良からぬ事が起きたのは雰囲気と、顔を青ざめさせているハリスの姿で分かっていた。

「何の音……ですか?」

 鳴り止む気配を見せない鐘の音は不安だけでなく恐怖心を煽り、尋ねる声もつい小さなものとなる。

「この鳴らし方は……敵襲だ。ゴドー、すぐ部屋に戻って支度を整えろ。戦う準備だ、後、これを身に着けておけ」

 ハリスは懐から紋章の彫られたバッジを取り出すと、それを伍堂に握らせた。

「何が起きているかはわからんが、お前に命令を下す。銃を手に持ち、街に出ろ。シオの兵士と協力し、防衛に当たれ。市民を退避させ、敵を倒せ。ある程度は独自の裁量で動くことを許可する、今渡したバッジはお前が自由裁量で動く戦士であることを示すものだ。私はやることがある、この宿の周囲だけでもいい。街を守るのに手を貸せ」

 ここまで言うとハリスは伍堂の返事を待たずに食堂を飛び出し、大声でボネットを呼びつけてそのまま宿の外へと出て行った。その間、呆然としていた伍堂だったがすぐに我を取り戻す。

 敵が来ているから戦えといわれても、実感が無い。半鐘の音が危険の接近を告げている。

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