第41話 夜に二人で

 食事を終えた後は日が沈むまで街中を歩き回っていた。この国にしか無い品を探していたのだが、国外との窓口であるということが裏目に出る。

 アクセサリを取り扱う店を中心に回っていたのだが、困ったことに国産品を置いている店がほとんど無い。意外に思った伍堂だったが、考えてもみれば当然のこと。ここは外国との窓口ではあるが、大半はフォールス王国の人間である。

 そのフォールス王国の人々がシオに求めるものは何か、舶来品である。ネアトリア産の品物が多いのもおかしなことではない。

「あ、けどネアトリアの商人さんがここで商品になるもの探したりとかってしますよね。個人を相手にしてくれるかわからないですけど、問屋に行けばあるんじゃないですか?」

 失念していた事実に落胆し、諦めそうになっていた三人だったがこの伍堂の言葉に再び店を探し始める。ただ、これがまた苦労した。

 アネットが事前にリサーチしていたとはいえ、彼女が調べていたのは飲食店と観光名所、そして輸入雑貨の店である。卸売業者の事など考えていなかったし、三人とも商売それも流通には門外漢だ。問屋等は集まっているだろうと想像できても、それが街のどこになるのかとなるとわからない。

 というわけで歩いて探し、問屋街を見つけたのは日が傾き始めた頃。そして買い物が終わる頃には日が暮れかけていた。テオドラスは目当ての物が買えたことでホクホクと顔を綻ばせながら自分の宿へと戻り、伍堂とアネットも宿へと戻る。

 この時間になればハリスそしてボネットも戻ってきているだろう、夕食を摂りながら報告することになるだろうと思っていたのだが二人はまだ戻っていなかった。仕事の運びが上手く行っていないのだろう。

 待つのは良いが、いつまで待つことになるかわからない。それならと、伍堂とアネットは広い食堂で二人きりの食事をすることとなった。

 会話はない。

 伍堂は今日一日のことを頭の中で反芻し、省みていた。シオを狙っている誰かがいる、それとなくではあるが街の警備をしなければならなかったはずだ。なのにやったことと言えば、テオドラスと彼の土産を探しただけ。

 気になるのはそれだけではない、テオドラスへの対応もそうだ。彼はただの観光客だと口にして、事実そういう行動しか取っていなかった。けれども彼は一般人ではなく、ネアトリアの貴族である。

 そんな彼に対して非礼となる言葉遣いをしていなかったのかが気になってしまう。目上の人間に対して気遣いを忘れたつもりはないが、所変わればルールやマナーも変わるもの。フォールス王国では許されることかもしれないが、ネアトリアでは違うということだってありえる。

 こんなことばかりを気にして、考えたところで答えが出るわけでもないのに考え込んでしまう。新鮮な海産物を中心とし、郷愁を感じさせる料理を口にしながらも味は舌の上を滑って喉へと流れ込むばかり。

 アネットは伍堂が考えている内容までは分からなくとも、伍堂の思考を邪魔しないようにと声をかけず視線も向けなかった。けれどずっとではない。

 食後のデザートとして焼き菓子と紅茶が供された時、アネットは口を開いた。

「その辺りで止めにするのはどうでしょう? 味がわからないでしょう、せめて紅茶ぐらいは楽しみません?」

 アネットの声で思考の海から戻ってきた伍堂は食事が終わりに近づいていたことに気づいた。出された料理は残さず食べた、何が出されたかも覚えている。けれど味が思い出せない、感じなかったわけではなく思い出せない。

「随分と深く考えてなさったようですが、何を悩んでおられたのです? 必ずしも人目がないわけではありませんが、今は二人きりで聞き耳を立てるものもおりません。私でよければ聞かせてくださいな、何ができるというわけではないかもしれません。ですが、口にして出すだけで気が楽になることもあります」

 ティーカップへと近づけていた手が止まる。アネットの言うとおりだろう、頭の中にあるのは悩みと呼べるようなものでもない。吐き出せば、それだけで楽になれるだろう。

 ただ、脳内にあるものは人に聞かせられるようなものでもない。窘められ、説教を食らってもおかしくはないもの。だけどもアネットはそれをしないだろう。そして、慰めも同情もしないだろう。

「今日一日のことを思い返して、反省といったらいいのかな。いえ、違いますね。やっちゃってないかなぁ、って……テオドラスさんに失礼なこと、してなかったろうかとか。街の警備しなくちゃいけなかったはずなのに、何もしてなかったなぁ……けど街を歩いてるだけでも、敵でいいのかな。悪いこと、企んでる人にはプレッシャーかけれたりするのかなぁ、とか。答え、出ないのわかってるんですけどね。それでも考え始めたら止まらなくなってしまいまして」

 彼女の事は信用している、けれども恥がある。情けないことを、後悔しても仕方ないことを悔やむなんてちゃんちゃらおかしいと笑われそうなこと。だから伍堂は自分から笑う、ぎこちない機会じみた笑顔を浮かべる。

 アネットは口を開かない、伍堂に合わせるように小さく微笑むとただ頷いた。

 それだけなのに、肩に乗っていたものがすとんと落ちた。今の今まで、気づかぬうちにしていた緊張のせいで肩が上がっていたらしく、肩の位置が下がったようだ。

 そして大きな息を吐き出した。出て行ったのは頭の中でループし続けていた答えの出ぬ反芻の中身である。息を吸うと紅茶の香りを強く感じた。

「ね? 口に出すだけで楽になりましたでしょう?」

「えぇ、本当に。こんな、頭の中にあるものを出しただけなのに……不思議ですね」

 照れ臭さを覚えると共に顔が熱くなる。それを隠すために俯き後頭部に手を触れると、キシリと髪が軋んだ。

「そういえばここって浴場はあるんでしょうか?」

 潮風の吹く街中を歩き続けていたせいで髪だけでなく、肌も表面にぺとりと引っ付いてくる感触がある。熱い湯に漬かることは適わなくても、頭から湯を引っかぶって汗と潮を流したい。

「いえ、ありませんけれど。必要でしたら湯桶は用意してくれるでしょうから、浴びるぐらいのことはできるはずです。けれど浴槽に漬かるとなると、難しいかと……」

「でもここ宿屋ですよね、それも高級な。なのにないんですか?」

 伍堂にしてみればこれは当然の疑問である。伍堂の中では、宿屋と大浴場はセットになっているもの。宿には必ず広い浴場があるものとばかり思い込んでいた。

 しかしそれが違うのは、面食らったアネットを見てすぐ理解した。エプスタイン邸ではほぼ毎日入浴していたが、あそこは公爵の屋敷。生活習慣が他と一線を画していて当然なのだ。

「そうですね、湯を沸かすための燃料を用意するというのも難儀ですからね。用意させましょうか?」

 まだ菓子を食べきってないし茶も飲みきっていないのに立ち上がりかけるアネットを止め、首を横に振った。

「ですが潮風を浴びていましたし、髪が気持ち悪いのでは?」

「そこまでではないですよ、元々住んでいた所でも風呂に入らない日はそう珍しいものでもなかったし。無いなら無いで構わないです」

「ゴドー様がそういうのでしたら構わないですが……」

 やや後ろ髪が引かれるようにしながら座りなおしたアネットに、ほっとしながらもしまったと思う伍堂である。風呂が気になったのは自分が入りたいからではない、彼女の髪が痛むのではないかと危惧したからだ。

 イケメンやリア充に分類される人間なら、ここで格好つけられるのかもしれないが伍堂にそんな技量はない。泥臭い言葉なら言えるだろう、けれどそれではおせっかいすぎやしないか、恩着せがましいのではないかと考えて言えなくなってしまうのだった。

 こんな考えが顔に出ているかもしれない、ということで伍堂は紅茶を背を逸らしながら煽り表情を隠す。しかしこの動きは大仰なものであるし、アネットは察することに長けている女性である。健闘むなしく、内心を悟ったアネットは口元を緩めていた。けれど口に出すことはしない、それだけで充分だったのだ。

 ここから会話も無いまま食事が終わる。時計が無い為に時間を計る術はないが、体感的にはまだ午後八時頃だと思われた。夜ではあるがまだ早い時間、といっても出来る事があるわけではない。それに明日は早いだろうし、夜中に何かが起きるかもしれない。眠れる時に眠り、体を休めて置くのが大事だと部屋へと戻った。

 そしてアネットと同室だったということを思い出し、頭を悩ませた。自意識過剰かもしれないがアネットがまた誘ってくるかもしれない、彼女に好意を抱いてはいるが褥を共にして良いわけではないと思っている。されど伍堂は健康かつ旺盛な年頃、どこまで理性を保てるかの自信はない。

 また着替えをどうするかという問題もある。アネットも部屋着に着替えるだろうし、伍堂も着替えたい。彼女が着替えるところを見たくないというよりかは、むしろ見たいのだが目にして良いものでもなく、自分の裸身を人の目に晒すのは恥ずかしくもあった。

 新たに悩みながら窓際のベッドに腰掛け、外へと視線を向けていると背後から衣擦りが聞こえる。着替えているのは明白で、一声も掛けられなかった事に驚きつつも健全な男子であるためにアネットの裸身を想像してしまう。

 湧き上がってくる欲求に振り向いてしまいたい衝動に駆られる。日本とは風習が違うとはいえ、女性の裸を覗き見るというのはマナー違反に違いない。

「あ、あの……何をしているんですか?」

 衝動を抑えながら発した精一杯の声は震えている。

「着替えているだけですよ、昼間に着る服で寝るわけにはいきませんからね。ゴドー様も部屋着は持ってきてなさるのでしょう? 早く着替えなすったらどうですか?」

「そ、そりゃあ……も、もちろん。き、着替えますよ。この服じゃ、そ、その……落ち着かないし」

 つい振り返りそうになった頭を手で押さえ付け、窓の外に視点を固定させる。声は相変わらず震えたままで、吃音まで混じっていた。挙動不審と言えるほどに緊張している伍堂のこの姿は、アネットの悪戯心を刺激するものだった。

「落ち着かないのでしたら早く着替えなすったらどうです? それとも、私の体を目にするのがお嫌なのでしょうか? 以前にも申し上げましたとおり、私はゴドー様をお慕いしておりますしその気持ちが変わることはありません。下着姿を見せることがあるかもしれないと、あれでもないこれでもないと頭を悩ませながら選んできました。ゴドー様は真面目なお方です、婚姻の約束をしていない女子の裸を見てはならぬと考えておられるのでしょう……けれども好いた殿方にそのような態度を取られてしまいますと、女としては自信を失ってしまいます……」

 アネットの声からは少しずつ力が失われていき、沈痛なものへと変わっていく。涙を流しているのではないかというほどだ。これは振り向いたほうが良いのではないかと、天秤が傾いていくが内にいる天使がこれは罠だと囁いた。

 そして悪魔が反論する、ここで振り向かなければ彼女を泣かしてしまうぞと。喉を急速に乾かせながら、健全な伍堂は悪魔の声に従った。

「この部屋着はどうですか? 人目に触れさせるものではないので、デザインに趣向は凝らしませんでしたが生地には拘っておりますの。上質のシルクで織らせたものでして、ほら何だか輝いているように見えませんか?」

 白いワンピースに着替え終えていたアネットはモデルのようにその場でくるりと回って見せた。彼女の言うとおり、生地は僅かな明かりを反射して輝いていたが伍堂にその輝きは見えていない。伍堂が見ていたのは彼女の胸、腰、そして臀部である。

 リラックス出来るようになのだろうが、彼女の服はゆったりとした作りになっていて体のラインを覆い隠していた。豊かな胸の大きさを隠すようなものではなかったが、腰から下のラインは完全に隠されてしまっている。

 ほっとしたような、残念なような。ラブコメ漫画の主人公もこんな気分になっていたのだろうかと思いながら、緊張からの開放とがっかり感に息を吐き出しながら肩を落としてしまうのだった。それがまたしもアネットの心をくすぐるのだ。

「隠されているものに興味があるのは当然のこと、私は構いませんのよ。いえ、むしろ望みです。あの日に言いましたとおり、私はあなた様と夫婦になりたいと。ゴドー様以外には考えておりませんし、私に会いに来た男もおりましたが断りました。ゴドー様が見たい、触れたいと望まれるならそのように。いやこれは卑怯な物言い、見られたい触れられたいのは私のほうで御座いますから」

 頬を薄っすらと紅に染め、しなやかに曲線を描きながら近づいてくるアネットに心臓が跳ね上がる。彼女の指が薄衣の胸元へとかかる、指がそのまま下ろされればなだらかな双丘だけでなく登頂が露になるだろう。

 今はまだ隠されているそれらを想像し、指先へと視線を向けながら伍堂は唾を飲み込み、喉の音で我へと返る。本能の渇きに流されるは容易いが、その流れに身を任せてしまえば堕ちてしまう。

「興味がないといえば……それは嘘です。僕も男ですから、見たいものは見たい。けれど、けれど男だから……やめましょう、ね?」

 胸元を下ろそうとしているアネットの手の甲を軽く掴んで押しやった。位置が位置だけに、指先には沈み込む肉の感触がある。つい反応しそうになってしまいそうになり目を逸らした。

「僕も着替えます。その、恥ずかしいから……後ろを向いててもらえますか?」

 恥ずかしくはあったが、真正面からアネットと視線を交わす。彼女は数秒の間伍堂を見返し続け、物言わぬまま微笑を浮かべると背を向けた。

 ほっと胸を撫で下ろし伍堂もまたゆったりとした部屋着へと着替える、背後から視線を感じることはなかった。着替え終えると共に振り返ると、アネットは言われたとおりに背を向けたまま自分のベッドの縁へと腰掛けている。

「終わりました。あの、僕はもう寝ようと思いますけれど……アネットさんはどうされます?」

「夜も更けておりますし、私にもこれといってすることは御座いません。ゴドー様が床に就かれるのでしたら私もそのように、ただ一つだけ我侭を叶えては頂けぬでしょうか?」

 アネットは振り返らない。

「僕に、叶えられることなら」

「あの日……初めてお会いしましたその時のように、同じ寝床に横になっていただければ、と。出来れば、また腕枕もしていただければ……嬉しく思います」

 アネットの顔が少し横を向く、表情が見えたわけではなかったが頬には強い赤みが差している。声も小さく、どことなく震えているような気がした。この部屋にあるベッドは二つ、どちらも大きなもので二人で横になったとしてもサイズは問題がない。

 伍堂にとってアネットは魅力的な女性で、彼女が自身に抱いている好意は薄々ながら本物だと感づいている。そんな彼女と同じ寝床で夜を過ごすのは、抑えきれなくなりそうで怖いものがあった。けれど、彼女は願い事をするのに顔を見せない、見せられなかったのだろう。声も小さなもので、きっとそれは飾ることのない彼女の本心だ。

 偽りのないその想いを向けられ、伍堂は彼女を裏切るまいと心に誓いこう答えるのだ。

「はい、そのぐらいなら……一緒に寝ましょうか」

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