第40話 街を歩く(2)

 灯台に設けられた展望台から望む景色は絶景というほかない。海から吹いてくる風は強く、飛ばされそうという程ではないがつい手すりを掴んでしまう。

 地図では観光スポットとして記されていたこの展望台だが、不思議なことに伍堂達三人しかいない。灯台守がいるにはいるが、伍堂達の邪魔にならぬよう配慮しているのか見える場所にはいなかった。

 海を眺めれば果てなく広がる海原に大型帆船が浮かび、陸側を望めばシオを覆う壁の向こうには緑の平原。そこには幾つかの村や集落が点在しており、立ち上る煙までも見えた。日本では絶対に見られぬ光景だろう。

 課せられた任さえ無ければ、伍堂も隣に立つアネットのように瞳を輝かせ景色に心を奪われていたに違いなかった。絵画でしか見たことのなかった景観は心を軽くさせてくれるが、浮き立つほどではない。

「あの、ここから見てわかる事ってありますか?」

 眉間に皺を寄せて険しい表情を浮かべているテオドラスに声をかける。

 返事はすぐに返ってこなかった。城壁の辺りが気になるらしく、彼はそこに視線を注いでいる。伍堂も気になり初めて城壁へと目を向ける。そこには大砲が設置され、小さな点にしか見えないが城壁の衛兵たちが歩いていた。

 多分、街にやって来る者を見張っているのだろう。

「街の作りは頭の中で想像していたものと差異はないな。こうやって改めて眺めると高い建物が少ないな、この灯台と……後は真ん中辺りにある鐘楼ぐらいか」 

「あぁ、そうですね。それが気になるんですか?」

 ざっと街を眺め渡す。建造物の大半は二階建て、三階建てのものもあるが鐘楼という例外を除けば一〇メートルを超える高さのものはなさそうだ。

「ネアトリアだともっと塔を建てるのが常だからな、どうしてかと少し気にはなる」

 元々この世界の人間でない伍堂に分かる話ではない。建築の話になるので知っているかはわからないが、解説を頼めないだろうかとアネットに視線を向ける。待っていましたとばかりに彼女は頷いた。

「僭越ながら私が答えさせていただきます。このシオの街は海辺で風を遮る物がありませんから、嵐に見舞われた時、強風で建造物が倒壊することがあるのです。鐘楼や灯台は高さが必要になりますので高く作っておりますが、そうでなければ低く頑丈に作るのが常でありまして法律でも三階建て以上の建造物を作ってはならないと定められております」

 言い終えた後、アネットはテオドラスへ向けて慇懃に一礼を行った。テオドラスはそんな彼女に目を向ける風もなく、「なるほど」と小さく呟くだけ。

「南部諸島で生まれた嵐はこの辺りに来るもんなぁ……それも道理か。してお嬢さんに尋ねるのだが、この街の防備はというより出入りはどうやって監視してる? 大きい街だ、流れ者だって来るだろう。そいつらをどう見つけ、どう弾く?」

「陸路ですと見ての通り街は壁に囲まれておりますので、出入りは幾つかある門に限られます。その門を通るには何人であろうと通行証が必要となります。海路であっても港に着いた船には必ず兵が乗り込み、門が通る時同様に入港証が求められると聞いております」

「はぁ、陸からも海からも通行証が要る。それは当然だが、俺が気にしてるのは実際の運用だ。陸でも海でも証が必要、それだけ聞いてしまえば安心だとなってしまいそうになる。しかし衛兵はそれを徹底してるのかねぇ?」

「徹底していましたよ。アネットさんは見ての通りの身なりで、乗っていた馬車も高価そうなものでした。けれども衛兵の方は通しませんでしたよ」

 半信半疑な上に、相変わらずアネットを見ようともしない彼に苛立ちを覚えた伍堂はつい口を挟んだ。伍堂だからなのか、それとも男性だからなのか。テオドラスは瞳だけを動かした。

「けど今彼女はここにいる。どうしてだ? 通行証が無いと入れないんだろう? 今の話だと彼女は通行証を持っていなかったように聞こえる、それならここには入れないはずだ。どうしてここにいる?」

「それは……」

 これ以上は言葉が継げなかった。アネットは伍堂達の付き人だと口頭で説明しただけ、彼女自身はその身分、出自を証明することは一切していない。

 伍堂達は領主エプスタインの代理としてきている、その力があったからかもしれない。他は違うかもしれない、だがそれは本当だろうか。確証は得られない。

「表情を見る限り、俺の考えてることを理解してくれたようで何より」

「え、じゃあ一体どうしたら?」

「そうだなぁ……」

 言ってテオドラスは息を吐き出し、景色へと背を向け手すりに体を預けると両腕を広げた。

「観光だよね。お前さんは怪しい奴がいないか探すとかって考えてたんだろうけど、俺と一緒じゃそれ出来ないでしょ? 港にある倉庫とか、でかい街だしならず者が集まる場所ってのもあるだろう。そういうとこ見に行きたいかも知れんけど、俺はあくまで外国人だ。加えて貴族、ただの善意テオドラス個人として協力しちゃいるがね。そんな人間にそんなことさせられるわけないじゃん、お前さんだってわかってるだろ?」

 頷くしかない。

「そ、だったら観光しようじゃないの。お前さんだって街見て回りたいだろうし、そっちのお嬢さんは飯が美味い店がどこにあるとかも調べてそうな気もするし……間違ってないだろ?」

 首を緩く傾け冗談っぽく笑いながら、テオドラスは初めてアネットへと視線を向けた。そのことにアネットは少し驚いたようだが、手で口元を隠し小さく笑う。

「はい。テオドラス様の仰られるとおり、評判の店を知人から教えて頂いております。ゴドー様は魚がお好きということですので、魚を生のまま提供する店を調べております。シオという港町だからこそ出来る、獲れたての鮮魚をドレッシングで和えて供する店があるそうです」

 伍堂の頭に浮かぶのはマリネやカルパッチョといった料理である。保存技術も流通も、日本と比較すれば遥かに劣るこの世界でもそれらの料理が味わえるのかと想像すると、不謹慎ではあるかもしれないが涎が出るのを止める事は出来ない。

 アネットの言う料理に好奇心を惹かれたのはテオドラスもである。ネアトリアにだって海はある、なら似たような料理があってもおかしくはないのだが、向こうには無いらしい。明らかに目を輝かせていた。

「生の魚はネアトリアでも食えるが、俺らんとこじゃドレッシングなんて使わない。魚醤に付けて食べるのが普通だな、こっちじゃそんな洒落た食べ方をするのか。これは俄然興味が湧いた、なぁゴドー。ちょっと連れて行ってくれないか?」

 それを聞くのはアネットにだろうと思った伍堂だったが、この世界は女性をアクセサリのように扱う文化がある。直接尋ねることをしないのは、マナーあるいは風習といったものなのだろう。

 顔に出てしまうほどではなかったが、このテオドラスもそうなのかと幻滅を覚えてしまう伍堂だった。

「そうですね僕もその料理は気になります、連れて行ってください」

 伍堂の言葉に喜んで頷きかけたアネットだったが、何かに気づいたらしく一瞬だけ目を大きくする。そして困ったようにテオドラスと伍堂、二人の間で視線を彷徨わせた。

「あ、あの……思い出したのですが、そこはやや高級な店ではあります。ですが敷居が高いわけではなく、やや裕福だったり収入を得た市井の人々も訪れる店なのです。宿まで店の人間を手配させましょうか?」

 身を縮こまらせやや怯えすらも見せながら問うたアネットだったが、これをテオドラスは可々と笑い飛ばした。けれどもやはりアネットに直接言おうとはしない、伍堂に視線を向けて代わりに言うように促すのだ。

「構いませんよ。テオドラスさんは却ってそういった店の方を好まれるようですから、料理人を呼ばなくてもこのまま向かいましょう。もし混んでいるのならば、みんながそうするように列にでも並んで待ちましょう」

 ほっと胸を撫で下ろしたアネットに連れられて店へと向かう。そこは運が良いことに灯台にほど近い場所にあり、店内からは港が一望できるようになっていた。食事時から外れていることもあり、客はまばらですぐ席に通してもらうことができた。

 注文したのはアネットが言っていた、生の魚をドレッシングで和えたもの。提供された皿の上には雑な盛り付けのために見栄えこそ悪かったが、カルパッチョといって差し支えないものが乗っていた。

 味は申し分なく日本の歓楽街で提供しても通用しそうなほど。テオドラスとアネットは初めての味に感激し、伍堂は懐かしさを覚える味に舌鼓を打った。料理が美味いと一緒に飲む酒も美味しい、そして何より会話が弾む。

 アネットに直接話しかけようとはしていなかったテオドラスだったが、食の力かアルコールの力か。ここでは伍堂を介すことなく直接会話をしていた。交わされるその内容といえば他愛のないもの、政治的なものは一切ない。

 好きな食べ物、そして酒の話。気負うことのない話題ばかり、コミュニケーション能力に自信を持たない伍堂だったが流石蝶というべきか、アネットが会話を途切れさせないように努めてくれたおかげで懸念すべきことも忘れて楽しい時間が過ぎていく。

 その途中でふと唐突に、テオドラスの眉間に皴が寄る。気を害すことを言ってしまったのだろうか、それとも他に頭を悩ませなければならない事態が起きてしまったのだろうかと、伍堂は思考を巡らせた。

「恥ずかしい話だが相談したいことがある……。これは同じ国の人間には出来ない話でな、決して他の人間に漏らさないと約束して欲しい。良いか、誰にもだ。エプスタイン公いや、国王に尋ねられても口外して欲しくないことだ」

 このテオドラスのあまりに深刻あまりに真剣な様子に、伍堂とアネットは即座に周囲を見渡した。昼飯時に近づいたこともあり、店内には客の数が増えていた。店員はそれら客の応対に奔走しつつあり、客たちも皆昼飯のことで頭がいっぱいと見えて三人のテーブルに注意を向けているものはいなさそうだ。

 しかし、聞き耳を立てられていなさそうだとはいえそんな重要な話をこの場でしても良いものなのか。アネットは自分で答えを出せず、委ねるように伍堂を見ている。急な緊張でさらに胃が重くなった気がしたが、伍堂は重々しく頷いた。

「好きな女がいてな、土産を買ってくると約束しちまったんだが……何を土産にすれば良いのか見当がつかないんだ、役目と関係なく街を見て回ってたのは土産になりそうなものを探していたのもあってだな。その、どういうものが良いと思う?」

 開いた口が塞がらない。まさかそんなことを相談されるとは誰が想像できるだろうか。大いに肩透かしを食らった気分で、その内容と今にも頭を抱えそうなテオドラスに笑ってしまいそうになるが深刻そうな彼を見てしまうとそれは出来ない。

「海を隔てた国なんですから、こっちの特産品とかじゃないですか。女性なんですし、この国独特のアクセサリーとかが喜ばれるんじゃないかと思いますけど」

 無難なところはこの辺だろうと口にした意見だったが、アネットはこれを否定し緩く首を左右に振る。

「ゴドー様の仰られる事は間違いでは御座いませんが、その方の好みを大事にすべきでしょう。愛する殿方から送られた品であればどのような物であれ嬉しいものですが、それが好みの物であれば喜びはひとしおとなります。ですので私としましては、恋人の方がどのような女性なのかを知りたくありますが教えていただけるのでしょうか?」

 尋ねるアネットの目には力がある。柔和な面しか知らなかったため、彼女がこのような真剣、というよりもマジと言った方が正しいだろう顔を見せるのは意外で、プレッシャーすら覚える。

 そして彼女に気圧されたのか、言い難い事情でもあるのか、テオドラスはすぐには答えない。けれども答えなければ事態が進まないことは分かっているので、周りの目を気にしながら小声で答え始める。

「それなりに良いとこのお嬢様なんだが、男勝りと言うと良すぎるな。斧やら槍やらぶん回す、そんな女だよ。なもんでどういうもんが喜ばれるのかさっぱり分からん、綺麗だったり可愛い物に興味が無さそうな節もある。てんで見当がつかんのさ」

 隣に座るアネットを見ながら、今まで会ってきた女性達を思い返していた。スタイン市に住むナンシー、公爵の娘パトリシア、そしてアネット。彼女達は皆、芯が一本通っている。

 それらは偶々だと思っていたのだが、この世界の女性というのはどうやら相当に強いらしい。

「それは悩まれることだろうと思います。話しながらも頭の中で候補を幾つか出しておいたのですが、仰られるとおりの女性ですと思いついたものはどれも向かないように思われます。ゴドー様はどう思われますか?」

「僕にも見当がつきませんよ」

 そもそも女性と付き合ったことも無ければ、バレンタインデーにも縁が無かった伍堂である。これまでの人生の中で女性にプレゼントを贈ったことといえば、母の日にカーネーションを買ったぐらい。

 そんな伍堂にテオドラスの想い人に適した土産物の見当がつくはずもない。

「それもそうだよなぁ……」

 天井を見上げながら深いため息を吐くテオドラス。様子を見るにかなり深刻に悩んでいる、理由が何であれ困っているなら力になりたいところだがゲームの中でしか存在しなさそうな女性の好みを知る由もない。

 女性のことなら同じ女性、アネットならばという気持ちもあるが彼女にもわからないようだ。証拠に、極力話を振られないようにとそれとなくテオドラスから視線を逸らし愛想笑いを浮かべていた。

「あれ? でもこの後は王都まで行くんですよね。帰りもここを通ると思うんですが、今そんなに悩む必要はないんじゃないですか?」

「そんな暇はないんだよなぁ……この後は各地の王侯貴族に時間をとられちまう。買おうとしたら人に頼むしかないんだが、それはしたくない。今しかないってことよ」

 テオドラスはまだ見つけられていないし、思いつきもしていないのだろう。話題を提供する意味もあったはずだが、そうでなければ伍堂とアネットに相談していないはず。

 そして女心を知らない伍堂はお手上げ状態で、アネットも自分とは程遠いその女性の想像ができずに候補すら挙げることができない。二人が何もできなかったところで、テオドラスは無難な物を選ぶに違いないだろうから、それで彼らの中が悪くなるということは無いはず。

 だから伍堂はここで頭を悩ます必要はない。リア充爆発しろと妬んだっていい。けれども何とか力になりたいという気持ちが強く、何とかならないだろうかとアネットに目配せを送る。彼女は承諾の笑みを返すと、手を叩いてパンと音を鳴らした。

「この後もまた街を見て回るのでしょう? でしたらお土産を探しましょう、工芸品や装飾品を扱う店も調べております。私も友人に土産をせがまれておりますし、ゴドー様もご友人のために土産を用意する必要がありますのでちょうど良いかと」

「あー、それもそうだな。店を回るのも、街を回るのも大差はないな。それじゃそうしようか、んじゃゴドー。昼からまた頼むよ」

 本当にそれで良いのだろうかと悩むところはある。この街は何者かに狙われている、ハリスから普段どおりにするよう命じられているが気が緩みすぎではないのだろうか。

 けれども警戒するといってもやれることは無いに等しいのだ。この手のことに慣れているテオドラスがそれでいいというのなら、きっとそれでいいのだろう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る