第37話 ネアトリアの異邦人

 睨み合うまではいかないまでも互いに牽制しあうハリスとフジゲンの後に続いて鍛冶場を出た。向かうのは試射場だ。

 今から行うのは新型兵器の試験で、それは銃。となると人目に付かないだけでなく広い場所が必要なはずだ、シオの街を全て見て回ったわけではないがこの街でそのような場所は無さそうに思える。となると街を覆う壁を出て郊外に向かうのだと、伍堂はそう考えていた。

 しかし実際に向かったのは鍛冶場の目の前、突き出た桟橋の上である。ここから船に乗って行くのかと最初は思った、けれど船はない。どういうことだと、ハリスと視線を交わしながらもフジゲンに連れて行かれたのは桟橋の先端。

 そこまで来たフジゲンは海を指差した。その先には一艘の小船が浮かび、人体を描いた板切れが立っている。どう見たって絵の描かれた板は標的だ。

「まさかとは思いますが、ここが射撃場だというのではないでしょうね?」

 ハリスの問いは伍堂の問いでもある。

「そのまさかだけれどもよ、何だ文句あるのか? この街で銃の試し撃ち出来る様な場所なんてねぇよ、あるなら海だ。海に向かって撃てば流れ弾が誰かに当たる心配はねぇからな、安全だぜ」

「話にならんな、新型の武器を作ってくれ頼んでいるはずだ。これは我が軍の主力になるかもしれない物、シオには他国の人間も多いスパイだってどれだけいるかわからん。だというのにこんな衆人環視の中で試射していたというのか!」

「そうですよ、それに銃のテストをするのにあの的じゃダメですよ。船の上じゃ揺れちゃって、本当に狙ったところに当たるかどうかのテストにならないです」

 憤りの声を上げるハリスに続き、伍堂も自分なりにこの試射場の問題点を渋い表情を浮かべながら指摘する。しかしフジゲンはどこ吹く風で、ハリスの怒声も伍堂の苦言も受け止めたようには見えず今にも口笛を吹きそうな気配すらあった。

「いやいや、見えるから良いじゃないんですか。うちの攻防で作る武器はどれも一級品だ、剣だって鎧だって。もちろん銃もだ、その性能その威力をあえて見せてんですよ。ここは南の島々やネアトリア、トゥーリアの人間だって来る。そいつらに武器の性能を見せ付けるには打って付けじゃないですか」

 なるほどこれには一理があると納得させられてしまいそうになった伍堂だったが、すぐに頭を横に振る。見せ付けたからどうなるというのだ、抑止力になるとでもいうのか。そんなはずはない。

 手の内を明かすことになるだけだ。トゥーリアについては分からないが、海向こうのネアトリアはパウエルの様子から察するに仮想敵国なのだろう。そんな国の人間に武器を、ましてや新型兵器を見せていいはずがない。対策をとられるだけだ。

 伍堂でも理解できることをハリスが理解できないはずもない。彼はあまりの怒りに却って冷静になっており、眉一つ動かすことなく剣を握った。

「ちょっと……流石にそれはダメですって!」

 慌ててハリスの手首を握り、抜刀を阻止する。怒るのは当然のことだし、フジゲンには罰を受けるだけの理由がある。けれど、ここで斬るのは良くない。人目が多すぎる。

「離せ。こやつの工房がどれだけ優れた武具を作ろうとも、こんなことでは先が思いやられる。この調子では仮に新型銃が正式に採用されたとして、我が軍に配備しきらぬうちから他国に売り払いかねん。物さえあれば他の、そうだなスタイン市のヘフナーに見せて作らせたっていい。銃弾が特別といえど、魔術による産物ならばボネットやパウエルさんに渡せば再現出来るはずだ」

「そうかもしれないですけど、幾らなんでもここで斬るのはダメですって!」

 抑えられているにも関わらず、ハリスはまだ剣を抜こうとしていた。自然、手首を握る力が強くなりハリスは伍堂を睨み付ける。その瞳は澄んでいるにも関わらず冷たいもので、背筋が寒くなったが離す気はない。震えながらもハリスを抑え続けた。

 伍堂の苦労を目の当たりにしているというのに、フジゲンは怯えるでもなくハリスの行動が理解できないらしく腕組みをしながらつっ立っているだけ。せめて謝れと言いたくなるが、僅かに言葉を発するだけでもハリスの抜刀を許してしまいそうで口を開けない。

 フジゲンがこんなだからハリスの怒りが収まるはずもない。どうやって場を収めようか、汗を流しながら思案している所に足音が近づいてくる。ハリスの視線は音の方向に向かうと指が剣から離れた。

 ほっと息を吐き出し頭を下げてからハリスから離れ、伍堂もまた横を向く。

「おいおい、仲違い始めるのはやめてくれよ。こっちは面白いものが見れるんじゃないかって期待してるんだ、早くその銃を撃って性能を見せ付けてくれよ」

 そこに立っていたのは長髪を後ろで括った男性の姿、身なりは良く胸元には紋章が付けられて高貴な身分であることを教えてくれる。おだやかな表情を浮かべてはいるが目つきは鋭く猛禽を思わせるが、伍堂の目を引いたのは彼の腰にあるものだった。

 ベルトには刀が差されていた。それは紛れも無い日本刀。

 ヨーロッパを想起させるこの世界で目にした和に、懐かしいものを感じると視線をそこから離せない。

「なんだよ、刀がそんなに珍しいか? まぁ俺らの所でもうちの一族しか使ってねぇからなぁ、いやそんなことはどうでも良いんだ。撃つのか、撃たないのかどっちなんだよ?」

「いやいや、もちろん――」

 フジゲンが何か言いかけたがハリスがその肩を掴み止めた。そのハリスの姿に伍堂は首を傾げる。

 彼は明らかに緊張していた。身を強張らせていたし、唇は真一文字に固く結ばれ瞬きの回数も少ない。ハリスはぎこちない歩みで一歩前に出ると深々と頭を下げて礼を行う。

「私はこの港町シオを治めるブライアン・エプスタイン公の嫡男、ハリス・エプスタインと申します。その胸の紋章はネアトリアのウォルミス家のもの。使節団の代表テオドラス・ウォルミス殿とお見受けいたしますが、名を教えて頂けませんでしょうか?」

 ネアトリアそしてウォルミスの名が出た途端にフジゲンの表情が凍りつく。伍堂もすぐに理由を知ると、慌ててハリスに倣って頭を下げる。

「その通りだよ、俺がテオドラスさ」

「使節団が来られるのはまだ先と伺っておりましたため、何の歓待も出来ずまた見苦しいところをお見せしてしまったことをお詫び申し上げます」

 謝罪の言葉と共に再度頭を垂れるハリスだったが、テオドラスは肩を竦めると呆れたように溜息を一つ。

「詫びなくて良いよ、使節団はまだ来てないさ。どうせなら観光してやろうと思って、信の置ける部下だけを連れて五日ほど前から滞在させてもらってる。今の俺は使節団の代表である前にネアトリアから来た、ただの観光客さ。歓待してくれたら嬉しいけど、それは本隊が着てからにしてくれ。こっちも土産持ってきてるんだ、その時に交換しようじゃないか」

「そう言って頂けますと助かります、しかしお連れの方の姿が見えないようですが」

 辺りを見回してみたがそれらしい姿はない。

 観光客だなんて嘯いているが使節の代表であることに変わりない。そんな重要人物が警護もなく、異国の地を歩いているとは到底思えなかった。

 しかし探せど探せど、それらしき姿は無い。見つけられないのは伍堂だけでなく、ハリスもだった。二人して怪訝な顔を浮かべていた。

「いないよ? というか俺の言葉遣いの時点で気づいて欲しいもんだがね、使節として観光客。一般人としてきているからこんな砕けた話し方をしてるんだ、普通の男に警護なんて付かないだろ?」

「はは、何を仰いますか。ネアトリアの戦士は猛者ぞろいと伺っておりますが、警護を付けないという馬鹿なことはありますまい。これは私を試しておられると見ます、分かっておりますとも。あちらの商人に見える男がそうなのでしょう?」

 乾いた笑い声を出しながらハリスが指差した先には大きな風呂敷を担ぎ、海を眺めながらもこちらに視線を向ける男の姿がある。

 武装しているようには見えなかったが、テオドラスからすれば異国の地。無用なトラブルを起こさないためにも、一目でそれと分かる姿をさせていないのかもしれない。

「え? 違うよ、というか信じてくれたって良いだろう。護衛なんていないし俺は一人だ、それに今はまだ観光客なんだって。その銃を撃つのか、撃たないのかどっちなんだ?」

 ハリスは唇を噛み、返答に窮する。

 態度から考えるにテオドラスという男はネアトリアで非常に高い地位にある。彼が望むのなら可能な限り叶えた方が良いのだろうが、彼が見たいとせがんでいるのは新兵器だ。

 一般市民に見せるのだって危ういというのに、他国の高官に見せられるはずもない。

「いえ、既に試射は終えておりまして。申し訳ありません」

 フジゲンは言葉を発しこそしなかったが、驚きに目を丸くしテオドラスはそれを見た。嘘だと感付いたらしく目を細めたが、彼は追及を行わずにさも残念そうに肩を落とす。

「なんだ終わった後か、それは残念……仕方ない、それじゃ観光を続けさせてもらうよ。一応、<潮騒の宿>って所で宿泊してる。用があるならそこに使いをやればいい、俺が帰るのは日が暮れてからだけどな。それじゃあ失礼するよ」

 銃が気になるらしくチラチラと視線を送りながらも身を翻したテオドラスに向けてハリスが声をかける。

「お待ち下さい。観光客といえどウォルミス殿が賓客であることに違いはありません、腕に自信があられるとは思いますが念のために護衛を付けさせていただきます」

「……まぁ、そうなるか。分かったよ、けど一人だけにしてくれよ。ぞろぞろ人を連れ歩いてたら観光なんて出来やしないんだから」

「承知しました、こちらのゴドーを護衛につけさせて頂きます」

 不意に背中を叩かれたものだから前につんのめる。まさかの事に驚きを隠せないが、拒否することはおろか反論すら出来ない場面である。

 唾を飲み込み背筋を正し一礼。

「伍堂博之といいます、ただいまよりテオドラス・ウォルミス様の護衛を務めさせて頂きます」

「ゴドー・ヒロユキ……ねぇ、まぁいいか。俺に拒否出来るはずもないし、良いぜ。面白そうなやつが付いてくれるなら楽しめそうだ。とりあえず、美味い飯食わせてくれるところでも教えてくれよ」

 首だけを後ろに向けて伍堂を見ていたテオドラスだったが、見定めるような雰囲気は感じない。彼はしばらく伍堂の顔立ちを眺めた後、口角を緩めると前に向き直り歩き始める。

 伍堂は手にしたままだった銃と弾丸をハリスに預け、テオドラスの後を追う。背後から強い視線を感じ、振り返ってみれば不安を露にしているハリスがいた。気休めにしかならないと分かりながら、親指を立てるジェスチャーをしてから再度テオドラスを追う。

 テオドラスは観光しているのか、それとも別の目的があるのか。右に左に上に下、視線を彷徨わせている割には歩みが早く、人とぶつかりそうになることもない。護衛を仰せつかった以上はと、周囲を警戒しながら着いていくのには苦労する。

 街の中心部へと向かう道を歩きながら、伍堂はあることに気づいた。街の至る所に衛兵がいる、ネアトリアの使者が来ることを彼らが知らないはずはない。テオドラスが予定より早く来ていたとしても、衛兵たちは気づくはず。そして気づいていたのならハリスの耳に届いていたはずなのだ。

 しかし、ハリスの様子を見る限りこの情報は届いていなかった。風に左右される帆船での航海なら到着が前後することもあるだろうが、テオドラスの言葉を信じるなら彼が来たのは五日前。それだけの時間があれば、電話のないこの世界でも報せは届く。

 前を歩くテオドラスの背中に危険なものを感じてしまい、警戒の対象は周囲ではなく彼へと向き始める。

 物見遊山の気分で歩いていたテオドラスが唐突に、ぴたりと足を止めた。

「ゴドーだっけか? お前、俺のこと危ないと思っただろ? そういうのちょっとは隠したほうが良いぞ、わかるやつにはすぐわかるんだから、な?」

 振り返るテオドラスが浮かべていた表情は、屈託のない笑顔。

 危機感を覚えた直後にそれを察知されたことに、驚きよりも恐ろしさが勝り目を合わせることができない。

「まぁいいよ、お前が俺の護衛じゃないことぐらい分かってる。けどあんたらにとって悪いことをするつもりはないんだよ、何度も言ってるだろ? 観光客だって」

 どう答えていいものか分からない。彼の指摘したとおり、伍堂は護衛ではない。ハリスからそう言われたわけではないが、考えれば分かる事だ。ハリスが言外に課した任は監視、というよりかは抑止という方が近い。

 これをテオドラスは見透かしているわけだが、その通りですと答えるわけにいかない。結局、あからさまな間を空けてしまいながらも「護衛です」と彼の目を見ずに答えた。

「お前さん真面目だねぇ、この国の人間じゃないだろうに。まぁいいさ、お前の顔を見て名前を聞いて、ちょっと聞きたくなったことがある」

 びくりと震えたが、警戒に気づかれたほどではない。伍堂自身、フォールスの人々と顔立ちが異なる自覚はあるし名前の雰囲気も違うことは理解している。ほんの少し、頭の回る人間なら伍堂がこの国の人間でないのはすぐに気づけることなのだ。

「それはなんでしょう?」

 心臓の高鳴りを抑えようと、息を吐き出しながら尋ねる。

「ちょーっと長い話になるから、そうだな……」

 小さくうーんと唸りながらテオドラスは辺りを見渡していたが、とある屋台を見つけると動きが止まった。彼の視線の先にある棚先には串に刺された焼き魚が幾本も並んでいる。

 彼は舌なめずりしたかと思えば、あっという間もなく屋台へと向かっている。その動きが自然すぎる上に素早いもので、つい後を追うのを忘れてしまった。これはいけないと向かった頃にはもうテオドラスは二尾の焼き魚を手にしており、一尾を伍堂へと差し出した。

「遠出した時の楽しみがこれなんだよなぁ、こういう地元の人が食べるようなもんを食うのが楽しみでね。お前も食えよ、大した額じゃないし気にする必要はないさ」

 断ったほうが良いのではと思いながらも断る理由はなく受け取った。テオドラスは伍堂の目の前で身分を感じさせない豪快さで噛り付くと、身振りで伍堂にも食べるように促してくる。

 じっと鯖に似た焼き魚を眺める。皮は厚いが鱗は既に取り除かれていた、早く食べろと急かされながら大きく口を開けてかじりついた。

 分厚い皮がパリッと音を立て、中からふわりと柔らかな身がこぼれ出る。淡白な味わいだが、たっぷりと振られた塩がちょうど良く脂も乗っている。蝶の社交場で食べた魚も美味しかったが、この魚の方が上だ。港が近いため鮮度に差があるのだろう。

 シンプルなものだがそれが嬉しい、味も元いた世界で食していたものに近い。美味しいだけでなく懐かしさを感じる味に、一口目を飲み込んですぐに二口目を噛り付く。

「これ美味いよな、やっぱ港町の魚は違うなぁ……どうせなら他にも美味しいものがないか、食べて歩いて話しながら探そうぜ」

 口の中を魚で一杯にしながら頷いた。

 テオドラスとの食べ歩きは他愛のないもので、交わされる会話も世間話ばかり。あの屋台の食べ物は美味しそうだ、食べてみたがそれほどでもなかったな、あの店で売っているのはなんだろうか。

 テオドラスとはついさっき会ったばかりで、他国の人間とはいえ高い身分な上に親しみやすい顔立ちではない。だが性格はといえば親しみやすく話しやすく、彼と並んで歩くのはハリスから与えられた任の事を忘れるほどに楽しいものだった。

 こうして歩いて周っているうちに街の端へとやって来ていた。ここには商店もなく並んでいるのは住居ばかり、家人は皆働きに出てしまっているのか人の気配はあまり感じず人通りも少ない。そのせいか衛兵の姿も少なかった。

「ここいらで良いか……俺はお前さんの顔を見たときからあることを考えた、そして名前を聞いたときに確信を得た。その答え合わせをしたい。ゴドー、お前さん日本人だろう?」

 獲物を狙う猛禽の瞳に射抜かれた、体がぶるりと震えて背筋があわ立った。

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