第36話 グレコ工房

 窓から望む海原の景色、吹いてくる潮風は心地の良いもの。宿に着いてすぐ行動するはずはないし、伍堂の荷物は鞄が一つと一振りの長剣だけでどちらも部屋に運び終えている。

 しばらくの間はこうやってアネットと共に景色を楽しみながら落ち着こうとしていたのだが、背後が騒がしい。隣にいるとばかり思っていたアネットの姿もない、五月蝿くては落ち着くに落ち着けず後ろを振り返った。

 そこではアネットの従者であるトーレスが忙しなく箱にしか見えない大型の鞄を幾つも運び込んでいた。何個あるのだろうかと数えてみたが、五つ数えたところで止めた。鞄の数は一〇を超えていたことは間違いなく、部屋の中が鞄で埋められてしまいそうな気さえする。

「あの……これ全部アネットさんの荷物ですよね? 一体、何が入っているというんです?」

「気になりますか? ほとんどは服ですね、後はアクセサリと愛用している化粧品や香水になります」

 アネットは質問に答えながら鞄の一つを開けると中から豪奢なドレスを取り出した。

「そんないっぱい服が必要なんですかね?」

「そうですね……どのような催しがあるかわかりませんでしたので、どのような場所にも対応できるよう持てるだけ持って来ましたので」

「はぁ……」

 と気のない返事を返すしかできなかった。幾らなんでも多すぎだろうとは思ったが、口には出さない。彼女は考えた上でそうしているのだろうし、そうする理由もあるはずだろうと考えたのである。

 トーレスは荷を運び終えたらしく、アネットの指示で荷物の整理を始めだした。手伝えそうにもないし、馬車に揺られ続けた旅の疲れは体に蓄積されている。これはハリスだって同じはず。明言されていないが、彼らもゆっくりと休むはず。

 多分、夕食まで何もすることはないだろう。それまで昼寝をしようと、アネットに一言断りを入れてベッドの上へと寝転がって瞼を閉じた。

 耳を澄ませば海鳥の鳴き声が癒してくれる。鳥たちの声に誘われる様に眠りの階段を降り始めていたのだが、ドアを叩く音がした。ぱちりと目を開けてベッドから跳ね起きたが、既にトーレスが扉を開けており腰に剣を刷き支度を整えたハリスが入ってくる。

「何をしている? 早く剣を佩け、出かけるぞ」

「出かけるってどこにです? 宿に着いたばっかりですよ?」

「疲れていることは認めてやるがまだ日が高い、休む暇などないんだよ。使節団を出迎える準備もせねばならんし、この街の工房で製作させている銃を受領しに行かねばならん」

 疑問に思うことがあり伍堂は首を傾げる。

「あれ? グレコ工房に行くのは僕だけですよね、ハリスさんは歓迎の準備をするって話じゃありませんでした?」

「そうだ、その通りだが新式銃は私も気になるところだからな、目にしておきたい。しかし時間を捻出しようとすると今行くしかない、そういうわけだから行くぞ」

「それって――」

 ハリスさんの都合ですよね? と口に出すよりも早くに、察した彼は肯定の頷きを示した。それならそれでもっと早くに行ってくれよと、心の中でぼやきながらも持参していた剣を身につけ着衣の乱れを整える。

 部屋を出るハリスの後に続く伍堂のその後に、さも当然のようにアネットが着いてきた。それがあまりにも自然な動作だったためにハリスも伍堂もすぐには気づかなかったが、宿を出ようとしたところで彼女がいることに気づいてハリスは眉を顰めた。

「すまないがアネット嬢は来ないで頂きたい、貴方は女性で蝶であるといえどパウエルが認めた人物だ。無下にしようなどという考えは無いのだが、不都合がある」

「あらそれはどのような? 私はゴドー様のサポートを行うためにここにおります。戦いの場でないのでしょう、であれば私が同行しない理由は存在し得ないと思われますが」

 アネットは公爵の嫡男であるハリスに詰め寄った。

「お言葉ですが僕もアネットさんの言うとおりではないかと思います。アネットさんを同行させられない理由とはなんでしょう?」

 ハリスの眉間に皺が寄り、唇がへの字に曲がった。

「明確な理由があるわけではない、向かうのは工房でそこにいるのは職人だ。私はグレコ工房の者とやり取りをしたことはないが……職人というのは得てして妙なプライドを持っているし、どういうわけか工房に女が来ることを嫌う。そんなところに彼女を連れて行けば無用なトラブルを招きかねない」

 なるほどなと伍堂は頷いた。全員が全員そうであるわけではないだろうし、偏見かもしれないが伍堂の中には職人といえば頑固者というイメージがあった。なのでハリスの言うことにすぐ同意したのだが、アネットが面白く感じるはずがない。

 今にも食って掛かりそうな雰囲気を醸し出しており、そのまま口を開こうとしたので伍堂は止めるべく短く声を出した。アネットの言葉を止めることはできたが、二人の視線が伍堂に向く。

「銃を作るような工房だと炉があったりして火の粉が舞ってるんじゃないかと思うんですよ。そんな所にアネットさんが行ったら、煤とかで汚れちゃうんじゃないかと……女の人、アネットさんがそうなってしまうのは見たくないかな、と」

 何か言わねばならない、アネットが納得することを言わねばならない。時間もなく喉が動くに任せてしまったのだが、アネットの表情は一転し穏やかなものとなっていた。

「ゴドー様がそう言われるのでしたら私はここで帰りを待たせていただきます。ハリス様、出すぎた真似をしてしまったことをお許しくださいませ」

 深々と頭を下げられてしまい、ハリスはいたたまれなくなってしまったのかアネットからそれとなく視線を逸らしていた。

「いや、私こそ高圧的に過ぎたかもしれないと反省するところはある」

「寛大なお心をお持ちなのですね。では私は一度部屋に戻りますが、ゴドー様に一つお願いがあるのですがよろしいでしょうか?」

「えぇ構わないですけど、なんでしょう?」

「お土産をよろしくお願いします。それでは私は失礼いたしますね」

 アネットは二人に微笑みかけると部屋へと戻る、彼女が階段を登りきったのを見届けてからハリスは伍堂をまじまじと見た。

「ゴドーは女性と接した経験が少ないという話を聞いていたし、私もそのような印象を受けていた。だが今は思う、実は経験豊富なんじゃないか?」

 風を切る勢いで首を横に振る。つい童貞ですと口を滑らせてしまいそうになったが、そのような単語を彼の前で出すわけにはいかない。

「些か信じられんところはあるがそんな話は今するようなものでもない。距離は無いから徒歩で向かうが、シオはスタイン市に負けず劣らず。もしかするとスタイン市よりも人は多いかもしれん、間違ってもはぐれるなよ」

 ライドンと共にスタイン市に行った時のことを思い出してしまい胸がチクリと痛んだ。あの時はナンシーが助けてくれたし、ライドンが見守ってくれていたから助かったのだが、ここで迷子になってしまうと途方に暮れてしまう事になるだろう。

 緊張する伍堂を余所にハリスは足取りも軽く、どこか楽しげに歩き始め、身を固くしながら後に着いていった。

 宿を出た途端、通りを行き交う人の数に圧倒された。ハリスが言った通り、人の数はスタイン市と同等かそれ以上である。過去の轍を踏んでたまるかと、先を行く背中から目を逸らさないように努めはするが無理があった。

 普段、エプスタイン邸から出ることが無い伍堂である。はぐれてなるものかを心を強く持っていても、つい瞳は道行く人を、街路を挟む建造物へと向かってしまう。

 潮の香りがそうさせるのか、建築様式はスタイン市のものと大きな違いはないのだが明るい印象を強く受けた。人もスタイン市とは違う、あの街も異国から来たと思しき姿を見かけたが、他国との窓口であるからから数が多い。

 様々な肌の色、色とりどりの服と擦れ違う。それだけで目くるめく万華鏡を覗いているような気分になるのだが、至る所にいる槍を担いだ兵士の姿が釘を刺す。近々ネアトリアからの使節が来るというだけあって、彼らは威圧的な視線を周囲に巡らせ物々しい雰囲気を醸し出していた。

 そんな兵士の姿があるために楽しい気分にはなれないが好都合ではあった。彼らの存在のおかげで浮かれることなく、ハリスの後に続いていく。海に面した通りに出て少し歩いたところでハリスが足を止めた、彼が視線を向けた先にはグレコ工房の看板がある。

 黒く重々しい鉄製の扉を開けたハリスに続き中へと入る、窓はあるが数は小さくそして少ない。奥にある炉では真っ赤な炎が轟々と燃え盛り、そこから放たれる熱が室内に充満しており汗がじわりと滲み出た。

「こちらエプスタイン公の嫡男ハリス・エプスタインである! 製造を依頼した新型銃の受領に来た、責任者はおられるか!」

 室内に響き渡る鉄を叩くハンマーの音に負けぬようにとハリスが声を上げると、焼けて黒くなった肌の男達の視線が一斉に向く。彼らの目は力強く、筋骨逞しいがために伍堂は威圧感を覚えてしまいつい後ずさった。

「おーう、てっきりパウエルさんかハンゲイトさんが来ると思ってたがまさか息子さんが来るたぁちっと驚いたぜ。けどタイミングは良いかもしんねぇな、渡す前に最後の試射をしようとしてたところだ。あんたらが使うんだろ? だったら一発撃ってけよ」

 高いところから野太い声が聞こえた。室内が暗いせいですぐに気づかなかったが首を横に向けると二階へと続く階段があり、そこから初老の男性が降りてくるところだった。

 彼は肩に銃を担いでおり、その銃はマスケットではない。大まかな形状はマスケットとほぼ同じだが、より洗練され近代的な、伍堂もテレビゲームの中で目にした事のあるボルトアクションライフルと酷似していた。

「あなたが銃の製造責任者ですか?」

 ハリスの問いに男は頷き、銃を差し出した。ハリスはそれを受け取ると、ろくに見もしないで伍堂へと押し付けた。

 実際に手にしてみると、銃は紛う事なきボルトアクションライフルのそれでハンドルを起こして引くと薬室が開く。ひっくり返してみたが弾倉は無い、一発ずつ込めねばならないものらしい。しかし銃弾はどうしているというのだろうか。弾頭、火薬、薬莢、雷管を一体化させた実包も既に開発しているのか。

「あぁそうだ、この工房のいわゆる親方フジゲン・グレコってのは俺のことよ。にしてもそっちのにいちゃん、もしかして例の銃剣を発明したゴドーってやつか? 躊躇いなく薬室開きやがって、お前さんだって初めて見る新しい形の銃だってのによ。さてはあれか、銃の天才ってやつか、お?」

「あ、す、すみません。はい、僕が伍堂です。勝手に弄ってすみませんでした、まさかボルトアクション方式の銃が出てくるなんて思ってもみなくて」

 フジゲンは首をかしげた後、ハリスを見た。視線を向けられたハリスは首を横に振る。

「銃口から弾入れなくていい銃ってのはボルトアクションって呼ぶのか?」

「え? 呼ばないんですか? この銃どう見てもボルトアクション……ですよね? マガジンは無いから、一発撃つ度にハンドルを起こして排莢すると同時に撃鉄起こして、弾を入れたらハンドル戻して薬室閉鎖して撃って、ですよね?」

「あ、いやすまんわからねぇ……公爵んとこからコンセプト聞いて設計したのは俺だけどよ。まずボルトアクションってのがわからねぇし、マガジンっつーのはなんでぇ?」

「こういうタイプの銃のことをボルトアクションって呼ぶんですよ、確かドライゼって人が――」

 つい銃を見ながら解説を始めてしまった伍堂の肩をハリスが叩いて止める。しまった、と顔を上げればフジゲンは呆然と口を開けていた。

「ハリスさんよ……なんだこの男は、どっから来た奴だ。ネアトリアでもトゥーリアでも無いだろ、俺は他国の銃も仕入れて勉強してるけどよ、どこの国にもまだこのタイプの銃はねぇ。俺が初めてのはずで、このタイプの銃をなんて呼ぶかも決まってねぇ、名前がねぇはずなんだがな……けどこいつはボルトアクションなんて名前で呼びやがった。さもそれが当たり前ってな、ってことはこいつはこの国の人間じゃねぇしネアトリアでもましてやトゥーリアでもねぇ。んでこいつの国はこれと同じタイプの銃が既に存在してるってことんなるな、どういうこった?」

「話すと長いから簡潔に済まさせてもらうが、ゴドーの国は我々やトゥーリアよりも、軍事大国ネアトリア以上に銃が普及した国から来ている。私も直接は聞いていないが、連続で弾を発射できる銃も彼の国にはあるらしい」

 溜息を吐きながら離すハリスの隣で、銃を握る手に力を込めながら身を縮こまらせた。

 伍堂には悪意も何もなかったのだがフジゲン親方が設計した銃にケチをつけたことになったのではないか、プライドが高い職人の気分を害してしまったのではないかといった不安で気が気ではない。

「そんなすげぇ国があるのかよ……ってことはこいつを大量に作れる国があるってことか、はんぱねぇな」

 意気消沈してしまったのかフジゲンは肩を落としながらエプロンのポケットから金属の塊を取り出すと、手のひらに乗せて伍堂に見せた。

 それは白銀色をした小指サイズの杭だった。先端は尖り、奇怪な神々しさを感じさせる文字が刻まれている。一言断りを入れてから手にとってみると、小さな杭は仄かに暖かい。

「これ、なんですか?」

「何ですかってお前、弾だよ。お前がボルトアクションって呼んだ銃に使う弾に決まってんだろ」

「これがぁ!?」

 素っ頓狂な声を出しながら仔細に杭を眺めた。言われてみれば、先端の尖り方はライフル用の銃弾に近いものがある気がする。

 これが銃弾だというのなら、弾頭と薬莢が一体化していることになる。ならば中に火薬が詰まっているのだろう、それなら底部に雷管が付いているはずだがそれらしいものはない。

「これ、どうなってるんですか? 中に火薬が入ってるんですよね? 雷管とかはどうしてるんですか?」

「ライカンってまたわかんねぇ単語が出てきたな、言っとくがそいつは火薬を使ってねぇよ」

「火薬使ってないっていうんですか!? え、じゃあこれどうやって発射させるんです?」

 驚きについ大きな声が出た。

「一言で言えば魔法の力だな。魔力を貯めやすい銀で作って、呪文を刻み魔術士に力を込めさせてあるんだよ。火薬の代わりに魔力を使ってある、といえばわかりやすいかね」

 溜息が出た。普段から魔法の力で言葉を翻訳するイヤリングそしてチョーカーを身に着けている伍堂だが、アニメやゲームに出てくるような魔法を目にする機会は少ない。

 そのためこの世界に魔法があるということをつい忘れてしまっていたのだが、フジゲンの説明を受けこういう魔法もあるのかと感心を覚えた。そんな伍堂の横で、ハリスは顔を曇らせた。

「今、銀を使っていると言われたが値段は幾らだ? 素材もそうだが、その作り方では大量生産には向かないだろう。銃本体ならまだしも、弾が高価というのは話にならんぞ」

「あー……全くその通りさ、純銀だと高すぎるから可能な限り銀の比率は下げてある。けれどもやっぱり普通の弾と比べりゃ高い、それに魔力を込めるってのが問題だってのも理解してるぜ。魔法使いの能力にも寄るが、一人が一日に作れる弾の数は二〇から三〇ってとこだな」

「話にならんな、一挺あれば事足りるというものではないんだ。我々はこれを多くの兵に配備させたいと考えている、一日に作れる弾の数がそれでは有事の際に枯渇するのが目に見えている」

 ハリスの眉間に深い皺が刻まれ、ハリスよりも背は高く偉丈夫というに相応しい体形をしているフジゲンの姿が小さくなった。

「量産には向かないってのは確かで、俺も致命的な問題だってのは理解してんです。けどこいつは言ってしまえば魔法の弾なんです、普通の弾にはできない事もこいつは出来るんですよ」

 身を縮こまらせていたかと思えば一転、フジゲンは挑発とも取れる不敵な笑みを浮かべる。ハリスの眉がピクリと動いたのを伍堂は見逃さない。

 重大な欠陥ともいえる問題を抱えていることを理解しながらも、フジゲンは自身が設計した銃に絶対の自信を持っていた。ハリスとフジゲン、二人が視線を交わすと中間点に不可視の火花が散り音を鳴らす。

 炉から放たれる熱気で暑い室内だったが、睨み合いが始まると温度が下がったような気さえする。ただならぬ雰囲気を察したのは伍堂だけではない。

 焼けた鉄を叩いていた若衆達も一時作業の手を止め、親方と次期領主の顛末を固唾を呑み見守る。

「さっき言った通り、試し撃ちしようってとこだったんだ。準備はもう出来てるからよ、性能を確かめてみたら同大。その上で使えねぇっていうんだったら仕方がねぇ、あり得ない事だけどな」

「高価で少数しか生産できないことが気にならないぐらい高性能だと言いたいわけか」

 その通りだと、フジゲンは胸を張った。

「良いだろう。あなたが言うとおり、性能を確かめさせてもらおうか。ただ私は銃を使った経験が無い、試射はゴドーがやれ。この銃がどれほどの高性能なのか見させてもらおうじゃないか」

「そいつぁいいな、にいちゃんは銃に詳しいみたいだからな。この俺フジゲン・グレコの作った銃がどれだけ素晴らしいか、にいちゃんならすぐに理解できるはずだぜ」

 睨み合っていた二人の視線がほぼ同時に伍堂へと向けられた。二人とも似たような笑みを浮かべはしているが、その瞳は全く笑っておらず伍堂の姿が映ってもいない。

 性能を確かめろと言われたところで、伍堂だって銃の素人である。テスターに向いているとは言い難いが、口に出せるはずもなく承諾するしかなかった。

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