第25話 屋敷への帰還(2)

 邸宅へと戻る僅かな時間の間、伍堂とハリスは特にこれといったやり取りはなかった。


 ハリスがただ、秘密にするように、と呟くよう言ったのみで伍堂はそれにただ頷くだけだった。納得がいくほどではなかったが、そうしなければならない理由は何となく分かっていた。


 もっとも、伍堂はパトリシアの見惚れてしまっていたために上の空だったというほうが正しいだろう。


 短い距離を歩きながら伍堂はじっと手を見ていた。そこにはまだパトリシアの感触が残っているようだ。


 アイドルと握手をした後は手を洗わない、などと言う人のことを鼻で笑っていた伍堂だったが今はその気持ちがわかる気がした。


 まだ彼女は庭を歩いているのだろうか、屋敷の中へと入る前に振り返ってみたのだが広い庭である。望む姿は見当たらず、落胆しながら重い扉を開けた。そこには誰もいないだろうと思っていたのだが、主であるエプスタインがただ一人でそこにいる。


 彼は腕を組み、つま先で足を叩き、眉間に皺を寄せていたようだったが伍堂そしてハリスの姿を認めれば笑みを浮かべた。けれどもその直前の表情を見ていたからだろうか、エプスタインの浮かべたものは作り物のように思える。


「散歩というには長い時間だったな、有意義な話ができたようで何よりだ」


「えぇそれは有意義な話が出来ましたとも。ゴドーは今帰ってきたばかりですし、私も目を通したいものがありますのでこれで失礼しますよ」


 虫の居所が悪いのか、ハリスはエプスタインと目を合わそうともせず早々にその場を去ろうとするのだがエプスタインはそれを止める。


「待ちたまえ、ハリスにも見て欲しいものがある。ゴドーも疲れているところ悪いが、一緒に稽古場に来てくれるか? パウエルがどうしてもゴドーに教えて欲しいものがあるそうだ」


「はぁ、わかりました」


 パウエルに教えられるものなど伍堂には無いはずなのだが、どういうことだろうか。気のない返事をしてしまいながらも、言われるがままにエプスタインに連れられ稽古場へと向かう。ハリスも憮然としながらそれに従うが、乗り気でないためか足取りが重そうに見えた。


 久しぶりに訪れた稽古場の真ん中ではパウエルが手にマスケット銃を持ち、今か今かと伍堂を待ち構えていた。彼は伍堂が来たと見れば主であるエプスタインもいるというのに、子供のような屈託のない笑顔を浮かべて手招きをする始末である。


 一体何事かと思っていた伍堂だったが、パウエルが持っているマスケット銃を見てすぐそのわけを察した。ダダリオ村からハンゲイトが手紙等で伝えていたのだろう、パウエルが手にするマスケット銃には銃剣が取り付けられていたのである。


「ほぅそれがハンゲイトからの手紙で、ゴドーが発案したとあった銃剣というやつか」


 エプスタインの言葉にパウエルは頷いた。


「その通りです公爵。なるほど単純な発想だとは思いますがこれは素晴らしい、我々が銃の欠点のひとつとして捉えていた接近戦でのどうしようもなさを克服します」


「まったくそうだな、今までは近づかれては棍棒のようにするしかなかったがそれならば問題ない。並べてやれば槍衾を作る事だってできそうだ、よく発案してくれたなゴドーよ」


 エプスタインが伍堂の背を叩く、それが力強くまた予期しないものであったためについよろめいた。


 褒められて誇らしい気持ちは伍堂の中にあるのだが、同時に恥もある。銃剣は伍堂の発明ではないのだ、誰が発明したのかも知らない。ただ知識として持っていたものを口にしただけなのである。


 それをさも伍堂の手柄のように言われるのは、本当に銃剣を発明した名も知れぬ誰かに対して申し訳なさを感じ、自分の手柄ではないと否定したくなる。けれどもエプスタインやパウエルの表情を見ていると、否定することもまたすまなくなってしまい出来なくなった。


 まだ顔を合わせたばかりとはいえ、ハリスならそんなことはないだろうと視線を向けたものの、そのハリスすらも銃剣にいたく感心しているようで、ほぅと息を吐きながらまじまじと銃剣付きマスケット銃を見ているのだった。


「お二人が言われるように実に素晴らしいものであると思います。しかし父上、それにパウエル殿。銃が持つ最大の欠点は克服されていないと思うのです、その欠点を改善しない限り銃は我々にとっては狩猟を楽しむための玩具にしかならないのでは?」


 ハリスの言葉に二人の表情から輝きが消え、沈黙が漂う。


「もしやお二人とも……例の火を使わぬ銃の開発、まだ諦めていなかったのですか?」


 エプスタインの方がぴくりと揺れた、ハリスの瞳はその動きを見落とさない。


「父上! 前から何度も言っているでしょう、そんなものにどうして力を注ぐのですか!? 我々の資源はそんなものに使うべきではないでしょう、武器ばかりに力を使うなんて! それよりもっと民草に還元せねばならないとはお考えにならないのですか? 何のために我々貴族がいるというのです?」


 肩を怒らせ顔も赤くしてハリスはエプスタインへと詰め寄った。エプスタインは姿勢を正し、背筋を伸ばして彼の怒りを真っ向から受け止める。


 ハリスから雨霰と怒気の篭った言葉を浴びせかけるエプスタインではあるが、彼は平然とした顔で聞くばかり。途中、ハリスが息継ぎのために言葉を止めたタイミングでエプスタインは伍堂を見た。


 釣られたハリスも視線を向ける。この場に伍堂だけでなくパウエルもいることを思い出したらしい、彼はエプスタインから距離を取ると間を持たせるために咳払いをひとつ。


「そういうわけです、言いたい事はまだまだ山ほどありますがそれは後ほどにしたいと思います。見苦しいところを見せて申し訳ありません」


「構わんとも、それに後ほどにする必要もない。ここしばらく息子との語らいの場が無かったこともある、場所を変えよう」


「ですが父上、その銃剣についての解説をしてもらうためにここに来られたのでしょう? 私と話をするのは後でも時間は取れるかと思いますが」


「銃剣については後でも構わんよ、明日必要になるというものでもない。しかし、私の後継者と齟齬をきたしたままにはしたくないし、それは早急に解消したいのだ。パウエル、ゴドーから良く聞いておいてくれ」


 パウエルが頷けばエプスタインはハリスの肩を抱いて稽古場を後にする。ハリスは抵抗を試みていたが、父親には逆らえないのだろう。不承不承ではあったものの、おとなしくエプスタインに着いていった。


「あの……エプスタイン公爵とハリスさんは、仲が悪いんですか?」


 二人が稽古上を後にして、声が聞こえない程度に離れた頃合を見計らってから伍堂は歯に衣着せずにパウエルへと尋ねた。あまりにも率直な問い方だったせいだろうか、パウエルは眉を曇らせる。


「悪いということはないのだろうけどね、本当に悪いのだったらハリス様は今みたいに詰め寄らないだろう。思っていることを素直にぶつけられる程度には仲は良いのだよ、ただハリス様は真面目……実直と言うのが良いのだろうね。もちろんそれは美徳なのだけれど、同時に欠点でもあるのさ」


「実直が欠点、ですか」


 そうだともというようにパウエルは大きく頷いた。


 多くの日本人がそうであるように、真面目で誠実であることが美徳だと教え育てられた伍堂にとってそれが欠点になるというのが理解できない。


 ただエプスタインが為政者であることは理解しているつもりだし、その息子であるハリスもやはりそうなのだろう。政の世界ではそれが良しとされないのだろうか、伍堂にはわからない。パウエルに尋ねようとしたが、答えてはくれない気がした。


「それはそうとしてゴドーよ、この銃剣というやつはどう使うんだ。ハンゲイトは手紙でこうすれば銃で格闘戦が出来ると書いていたのでやってみはしたんだが、こいつでどう戦えばいいのかさっぱりわからん。槍のようにして使うとはあったんだが、槍と同じように使えるわけではなさそうだしな」


「そのことなんですが……僕も正直なところわからない、いえ知らないんです。銃剣のついた銃でどう戦うのか、見たことはないんです」


 恥ずかしさと申し訳なさで俯いてしまう伍堂だったが、パウエルは気にした様子もない。そうかそうかと言いながら、マスケット銃をじっと見ていた。


「しかしゴブリンとの戦いで使ったんだろう? どういう風に戦ったんだ」


「それは……」


 どう答えてよいかわからなかった。戦いの時、伍堂は銃を使ったわけではない。農民たちに使わせたのだが、その彼らがどうしたのか。伍堂は目の前のゴブリンしか見えておらず、後ろを見ていなかった。


 素直に言ってしまえば良いのだが、どうしてもそれが出来ない。自分から発案しておきながらこの体たらく、パウエルが叱責するようには思えなかったが、それでも懸念は拭えないのだ。


 だからといって黙るわけにもいかないが、確固たる事実がある以上は嘘を吐くことはできないし、それとなく誤魔化せるほど伍堂は器用ではなく、結局は口をつぐむことになる。


「見ていなかったのか?」


 パウエルの問いに伍堂は静かに頷いた。怒られるのではないかと身構えたのだが、やはりパウエルはそれをしなかった。


「ゴブリンが相手とはいえ初めての戦いだ、無理もない。だったらどう使えばいいのかシミュレートしてみようじゃないか、私も剣や槍の修練をしたことはあるが……。そうだなゴドー、試しにやってみろ」


 マスケット銃が手渡される。どこがとは言えないが、ダダリオ村で見たものより洗練され研ぎ澄まされているように見える銃だった。そのためかダダリオ村の銃よりも僅かながら軽いのだが、どういうわけだが重たくて仕方がない。


 それは自責のせいだろう。素直に正直に言えなかったことをパウエルは怒りもせず、ペナルティも与えることはなかった。それが却って辛い。ただ沈んでしまうわけにはいかない、取り戻さなければならないのだ。


 下唇を噛みながら息を短く吸って、パウエルから距離を取り銃を腰だめに構えた。そのまま体ごと前に出すようにして銃剣を突き出す。


「こういう風にして使うことになると思います」


「まぁそうなるだろうな、とはいえそれがそのまま槍のように使えるのだろうかね。槍には突くだけでなく切る動きもあるが、銃剣で切るということはできそうか?」


「やってみます」


 銃剣はもちろんのこと、槍の心得があるとはいえない伍堂だったが推測交じりに銃剣を持ち上げ振り下ろすが、どうも違和感がある。


 斬る動きにはなっているのだが、果たしてこれで本当に斬れるのだろうかという疑問があった。勢いをうまく付けられないのだ、おそらくは重心の関係だろう。槍ならば重心は先端に寄っているため振り下ろす動作をしやすいが、銃の重心は先端ではないのだ。


「そのまま切り上げたらどうなる?」


 パウエルに言われるがまま振り上げようとしたが、力を込めたところで伍堂は動きを止めた。


 銃剣の刃は銃身の下に取り付けられている。これで切り上げようというのなら、銃そのものを回転させる必要があるのだが、銃はスムーズに回転できるようになっていない。出来なくはないが、切り上げが実戦で使えるものかと言われたら、素人の伍堂にだって答えは出せる。


「切るには向かなさそうだな。とはいえ出来なかった所で何の問題もないがね、銃で近接戦闘が可能になった。それだけで充分なのだが……ゴドー、構えなおせ」


 返事をして構えなおす、何をするのだろうと思っているとパウエルは稽古場に置かれていた木剣を手に取り伍堂の前に立った。


 まさか模擬戦をしようとでもいうのだろうか、もしそうだというのなら伍堂は息を呑む。模擬戦を行うことは何の問題もない、問題はマスケットに付けられた銃剣だ。真剣なのである。


 相手がハンゲイトだったのならまだしも、パウエルだ。プロレスラーそのものな体型をしているし、少しの心得はあると言ってはいるが実際に武器を持って戦う人間ではない。


 パウエルは自信があるのかもしれないが、万が一にもということがある。その場合、大怪我をさせてしまうことは明白だ。


「どうしたゴドー? 腰が引けているぞ、ほれ」


 木剣を握りこむとフェンシングのような突きが繰り出される。大柄な体躯からは想像しがたい小さな動きで、それでいて素早い。慌てて後ろへと下がるが、もしパウエルが本気だったら当たっていたはずだ。


 遊んでいるだけといった気楽さで木剣が幾度も繰り出される。楽しそうに笑っているパウエルだが、その動きに遊びはない。的確に伍堂の胴体を、あるいは手足を狙って木剣が飛んでくる。


 パウエルが銃剣を使っての対処を求めているのことはわかっていたが、手にしているのが真剣であるために伍堂は物怖じしてしまい銃を動かすことができない。伍堂は後ろに下がり続けてやりすごしていくが、それも限界がある。


 ついに背中が壁についた。にやりと笑ったパウエルの突きが伍堂の左手首を狙う、もう後ろに下がれない。腹を括った伍堂は両の足をしかと床につけると素早く銃を横に倒し、銃身でパウエルの手首を叩いた。


 パウエルの腕が下がり、胴ががら空きとなる。銃を横に倒したまま銃身を跳ね上げた、銃剣の切っ先がパウエルの顎を掠めた。


 当てるつもりはなかったが、寸止めするほどの技量は伍堂にはない。パウエルの顎先に赤い筋が出来たと思えばそこからたらりと血があふれ出し、玉となって床へと落ちた。


 ダダリオ村での戦いで血は見ていたが、あの時の伍堂は一種の狂乱状態にあった。しかし今は違うし、それもゴブリンではなく人間の血である。加えて怪我をさせてしまったという罪悪感に伍堂は血の気が引く音を聞いた。


「良い動きじゃないか」


 嬉しそうに目を細めながらパウエルは手の甲で血を拭った。傷口が鋭利だったためか既に血は止まって、赤い線が傷跡として残るだけだったが伍堂の目は赤く塗れたパウエルの手に向いている。


「端っこまで来てしまったし、真ん中に戻って続けるとしようじゃないか」


 木剣を肩に担いで稽古場の中心へと歩いていくのだが伍堂は動けない。顔を青ざめさせて小刻みに震えている、様子がおかしいことに気づいたパウエルは振り向き驚きに目を開いた。


「おいどうしたゴドー、真っ青だぞ。もしかして調子が悪かったのか?」


 パウエルからすれば伍堂のこの反応は予想できたものではなく、当惑し狼狽しながら伍堂に近寄り怪我をさせてしまったのだろうかと、痛むところがあるのだろうかと伍堂の体に触れる。


 伍堂は何の反応も見せず、パウエルに顔を見られまいと俯かせてしまう。病気に掛かっているのではないかと気にしたパウエルは伍堂の額に手を当てるが、もちろん熱があるわけではない。もしや未知の病気かとパウエルが焦り始めたところで、伍堂は小さく零す。


「すみません……怪我を、させてしまいました」


「なんだそんなことか、このぐらい怪我のうちに入るわけがないだろう。見なさい、既に血は出ていないだろう。痛みだって今はほとんどなくなっている、その程度の傷だよ。ハンゲイトと稽古していたらゴドーだってこのぐらいの怪我はしていたはずだ、慌てるようなものじゃない」


 安心したのか肩を落としたパウエルだったが、伍堂は落ち着いてなどいられない。


 パウエルの言うとおり、ハンゲイトとの稽古で怪我とくに打撲することは多いがそれとこれとは伍堂の中で別問題なのである。


 自分が誰かに怪我をさせられるのは構わないが、誰かに怪我をさせるのは耐えられない。申し訳なさがあるのはもちろんのこと、怪我を負わせた責任が取れる気がしないのだ。


「けれど……けれど……」


 何度も呟くがその後の言葉は浮かんでこない。何も出てこないものだから、思考は喋らなければという方向にシフトしてしまいさらに言葉は遠ざかっていく。


 パウエルから見れば伍堂のこの態度は異常なのであるが、それを指摘するようなことはしない。というのも伍堂はゴブリン討伐から帰ってきたばかりなのである、疲れているのだと結論付けたパウエルは伍堂の方にやさしく手を置いた。


 ただそれだけなのに伍堂の体はびくりと震える。


「そうだな疲れているところにすまなかった。ただ協力のおかげで銃剣の有用性について理解は深まったよ、ライドンにも試してみることにしたいと思う。とりあえず部屋に戻ってゆっくりと休むと良い」


「はい、そうしたいと思います」


 項垂れながらパウエルにマスケット銃を返した伍堂はとぼとぼとした足取りで自分の部屋へと向かった。廊下で誰かとすれ違うことはなかったのだが、幾つもの部屋から人の声がした。


 エプスタイン邸はこんなに騒がしい場所だっただろうか、神経が昂ぶっているのだろうか。そんなことを思いながら辿り着いた自室はひどく懐かしい気がした。


 整理整頓が行き届き、清潔で広々としたこの部屋と薄暗く散らかった四畳半の部屋に共通点は見出せない。けれども伍堂にとってこの部屋は既に自分の居室であり、落ち着く空間となっていたのだった。


 後ろでに扉を閉め、肩を大きく動かして息を吐き出すと疲れがどっとやってきた。体が重くなる。


 伍堂の目に映るのはベッドだった、とにかく休みたかった。洗濯され日に干された真っ白なシーツの上に、旅の埃で汚れた服のまま転がるのに罪悪感がなかったわけではなかったがそれ以上に休息への欲求の方が勝っている。


 ベッドに倒れこみ枕に頭をうずめると、全身を包み込まれたような気がした。枕も干されていたらしく、太陽の香りが心地よい。ふと昼食を取っていないことを思い出すと空腹がやってきたが、それを自覚する頃にはもう伍堂の瞼は閉じられていた。

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