第22話 初陣(5)
全ての人員が配置に付いたが森に動きは見られなかった。
最初は誰しもが気を張り、積み上げた土嚢の陰から息を潜めるようにして様子を伺っていたのだがそれも長くは続かなかった。
森の中にゴブリンがいて、規模はわからないにせよいつか襲ってくるだろうとは思っていても緊張を保ち続けるのは難しい。
伸びていた背筋は緩んできたし、アルコールが入っている上に食後ということもあって村の人間などはあくびをし始めていた。伍堂も当初は気を締めていたが村人に釣られるようにして大きな欠伸が出始め、その度に頬を叩く。
元々酒が強いわけではないため瞼が重くなっていくのを感じるが、視線だけは決して森から外そうとはしなかった。それでも注視しているというわけではなく、ただ眺めているだけ。
何の気配も感じられないのでゴブリンの襲撃は来ないのではないかという気さえしてきた。昼の明るい時に隠そうともせずに陣地構築を行っていたのだ、警戒心の強い動物なら怯えてしまって出てこないだろう。
ゴブリンはそこいらの動物なんかよりも知恵が働くだろうし、もしかすると森から去ってしまったんじゃないだろうか。伍堂はそんなことまで考え始めていた。
「本当にゴブリンのやつら来るんですかねぇ……」
森に銃口を向けたまま一人の射手が呟いた。それは独り言だったのだが辺りが静かなもので、傍にいた全員の耳に入る。
伍堂は彼と同じことを思っているためつい同意の頷きをしそうになってしまったが、すぐに今の自分は指揮官であることを思い出して誤魔化すように首を横に振る。呟いた射手が怪訝な目を向けてきたが、伍堂は視線を合わさないように森ばかりを見ていた。
「来ますよ、必ずね」
自信たっぷりにボネットが言った。どうしてそんなことが言えるのか、根拠があるのだろうかそう思った伍堂が問いかけるよりも早く村の男が口を開く。
「どうしてそんなことが言えるんですかい? 俺がゴブリンだったらこんな待ち構えてるとこなんか絶対に行きたくねぇってなりますぜ」
「ただの動物ならそうでしょう、けれどゴブリンという生物はただの動物よりも私たち人間に少し近いところにいるのですよ。そして連中は妙なプライドとでも言うべき習性がありましてね。今まで自分たちより弱いと思っていた相手に反抗されるとですね、攻撃せずにはいられないのですよ」
「てことは、こんなことを話してる間にも連中はやって来るかもしれないってことですかい?」
「えぇ、そういうことです。なので気を引き締めていきましょう」
ボネットの言う事はもっともなのだが今ひとつ信じられない伍堂である。それでも集中力を復活させるには充分で、ふと昼間に見たゴブリンの死骸を脳裏に思い出すと眠気はどこか遠くへと行ってしまった。
また沈黙の時間が流れ始める。右翼と左翼の陣地に視線を向けたが、そちらはどうなっているかわからない。背後を振り返れば村人を引き連れたハンゲイトとライドンの二人が抜き身の剣を手にして馬上で佇んでいた。
正面、森へと向き直って大きく息を吐き出してゆっくりと吸い込んだ。空気は張り詰めて誰も何も喋らない。
静けさに耐え切れず口を開きそうになりはしたが、今音を立ててしまうと何だか良くない事が起きてしまいそうだった。ゴブリンは来るのだろうか来ないのだろうか、出来ることなら来ないで欲しい。そうして早く朝がやって来て欲しい。
時間が過ぎてゆく、空を仰げば配置に付いたときと今では月の位置が大きく変わっていた。そして森を向くと、暗い帳のように見えるそこで何かがキラリと光った気がした。見間違いだろうか、目を擦ってみたが何かが光ることはない。
風が吹き周囲の草がさらさらと鳴った。その風は草の音だけでなく、腐った肉の臭いと錆びた鉄の臭いを運んでいた。風が吹いてきたのは、森の方角である。
確信とともに伍堂の心臓は大きく高鳴った。少しでも暗がりをよく見ようと目を大きく見開いた。何かが動いている。ゆっくりとだが、波のような動きで近づいてくるものがあった。
「ボネットさん、お願いします」
伍堂は動きから目を離さずに、小さくはあるがはっきりとそう口にした。それを聞いたボネットは頷き、懐から小さな宝石を取り出すと目を閉じて呪文を唱える。唱え終えれば目を見開き、頭上へと高く高く放り投げた。
宝石は空中で静止すると突如として眩いばかりの光を放ち、辺り一帯は昼のような明るさへと変わる。波のような動きでしかなかったゴブリン達の醜悪な姿がはっきりと見えた。
急激に明るくなったにも関わらず奇怪な小人共はひるむ様子がない、鋭く汚れた牙を強調するかのような哄笑を浮かべながら前進を続けている。その数は一〇を越え、三〇に近い。もしかするともっといるかもしれない。
死骸を見てゴブリンの姿に耐性を得ていたつもりの伍堂だったが、つもりでしかなかった。
改めて目の当たりにする生きたゴブリンは吐き気を催すほどの醜悪さで、本能と呼べるほどの深い所から嫌悪が湧き上がる。
胸中に恐怖を抱えながらも伍堂はゴブリンから目を離さなかった。あまりのおぞましさに目を離せなくなっていただけかもしれないが、冷静に距離を測っていたのは事実である。
三つの陣地に配置された各射手がいつでも銃を撃てるように体勢を整えたことを視認していた伍堂だったが、号令を発そうとはしない。距離が遠かった。この村で使われているマスケット銃の有効射程距離はおよそ一〇〇メートル。再装填に時間がかかることを思うと、必ず当たる距離に来るまでゴブリンを引き付けたい。
戦慄を呼び起こす下卑た笑い声と共にゴブリンは進む。その速度は速いはずなのにやけにのろく感じられ、もどかしくて仕方がなかった。今すぐに号令を発したくて仕方がない、暑くもないのに額には汗が滲み頬から首筋へと伝い落ちる。
横から後ろから、皆の視線が伍堂へと集中していた。早くもっと近づいて来い、焦燥に駆られながら喉までやって来ている言葉を押しとどめる。二〇〇…一八〇…瞬きすることも忘れて距離を測っていた。
ゴブリン共は伍堂たちの存在に気付いているはずだし、陣地を構築しているのは明らかにも関わらず速度を緩めようとはしなかった。あるゴブリン等は挑発のつもりなのか、高い鳴き声を上げながら飛び跳ねていたがそんな挑発には乗らない。
村の男たちだけでなく隣にいるボネットまでもじれったさを隠す余裕もなくしきりに伍堂へと視線を向けていた。緊張しているのか、興奮しているのか、恐怖しているのか、自身の抱いている感情が何なのかすらわからなくなる伍堂だが、自制心だけは必死に働かせていた。
そうしてついに、ゴブリンは射程の中へと入る。
伍堂は立ち上がるやいなや土嚢の上へと飛び乗った。ゴブリンの視線も伍堂へと集まり、化け物共は唐突に人間が全身をさらしたものだから束の間とはいえ歩みを止める。
好機が来たと確信した伍堂は剣の切っ先を怪物の群れへと向け、押し込めていたものを解き放った。
「撃てぇ!!」
三つの陣地から雷鳴が轟き鉛の礫がゴブリンを襲う。
伍堂の姿を見て立ち止まっていたゴブリン達は銃声と共に体へ鉛の一撃を受けてその場にバタバタと倒れこんで行くが、全弾が命中したわけではないことは明らかだった。立っているゴブリンの数は多く、二〇を超えている。
突然の轟音と共に仲間を倒されたのだ、立っているゴブリンは明らかに狼狽し浮き足立っていた。
その様子を見ながら伍堂は焦らずに号令を発して、再装填を急がせながら背後を振り返る。醜悪な化け物が銃声で怯むのは予想していた通りで、手はずではここから騎乗したハンゲイトとライドンを先頭に歩兵の役割を与えられた村人が突撃するはずだった。
ゴブリンの反応を予測できていた伍堂ではあったが、馬のことを考えていなかった。ゴブリン達がそうであったように、ハンゲイトそしてライドンを乗せた二頭の馬は轟いた銃声に慌てふためき騎手を振り落とさんばかりの勢いだ。
予想できて当然のことだったはずなのに、それをしなかった自分が悔やまれると共に焦燥に駆られるがうろたえるわけには行かなかった。頼りにしていたボネットまでもが明らかに困惑している。
ゴブリンへと視線を戻すと連中は早くも恐慌から脱しようとしていた。すぐに立ち直ると共に突撃してくるに違いない、射手達は焦っているらしく装填にまごついている。
このままでは陣地に殺到される、幾ら銃剣を装備させているとはいえ誰も扱った経験がない上に焦っているのだ。そこにやって来られたらひとたまりもなく、惨劇が広がるだろう。
どうしてそうしたのかわからない。せめて時間を稼ぎたい、その一心だけで考えもなく伍堂は飛び出してゴブリンへと駆けた。そして二〇を超えるゴブリンの中で一体だけ他と違うものがいることに気づく。
そのゴブリンは簡素ではあるものの全身に鎧を付けていて兜を鳥の羽で飾っていたのだ。目立つ格好をしているせいか、伍堂はそのゴブリンに向け叫び声を上げながら駆けて行く。
化け物と視線がかち合った。奴は雄たけびを上げて向かってくる伍堂を前にしても動じない、それどころかふてぶてしい笑みまで浮かべているが伍堂にはゴブリンの表情まで見ている余裕はなかった。
駆け寄るや即座に両手に持った剣を頭部目掛けて振り下ろしたがゴブリンはいとも容易く刃毀れした剣でそれを防ぐ。衝撃に手が痺れ、不敵に笑うゴブリンの顔がよく見えた。
しかし伍堂は焦らない、焦る余裕すらなかった。ただ目前の敵を倒さねばならないそれだけで頭が一杯だったが、体は勝手に動いてゴブリンの胴体へと前蹴りを繰り出していた。
予想外だったらしくゴブリンはあっけなく吹き飛ばされて地面に倒される、そこに伍堂は飛び掛り素早く首を切り落とすと鷲づかみにして頭上へと掲げた。腹の底からの雄たけびを上げる、温かな汚濁が頭に降りかかってきたのだが気づかない。
時間が止まったが伍堂だけは止まらない。手にした首を近くにいたゴブリンに投げつけ、ひるんだ隙に飛び掛ると新たな一体を仕留めた。
再び銃声が鳴り響き周囲のゴブリン達が倒れこみ、そこに鬨の声と共にハンゲイトそしてライドンが突撃し、後に続く歩兵が生き残りを蹂躙していく。
あっという間にゴブリンは壊滅していた。僅かな生き残りも壊走し森の中へと逃げ込んでいく、その背中を追って走り出そうとした伍堂の前にハンゲイトの馬が立ち塞がる。
伍堂の目には突如として壁が現れたように見えて立ち止まった。だがすぐにそれが馬であることに気づくと迂回して追おうとする、ハンゲイトそんな伍堂の首根っこをむんずと掴む。
握力は強く痛みを感じるほどでありこれには立ち止まらずを得ず、歩みを止めた瞬間にどういうわけだか足に力が入らなくなってしまいすとんと尻を突く。
「やめておけ、夜の森は人外の領土だ。逸って追撃するのは愚かというしかない、それよりも後ろを振り返ってみろ」
頭の中は今ひとつとしてはっきりしないまま、言われるがまま尻を地面につけたまま振り返る。そこでは村人たちが喝采を上げ、それぞれが手にした武器を高く掲げて歓喜を露にしていた。
彼らの喜びの理由がよくわからぬままに、一つ呼吸を入れて落ち着きを取り戻し周囲に惨状を目の当たりにした伍堂は言葉を失う。
ボネットの使った夜闇を照らす術はまだ効力を発揮している。宙に漂う宝石から放たれる光はゴブリン達の死骸を照らし出す、どの死骸も未だ暖かく赤黒くぬるついた液体を垂れ流し、中にはまだ息があるのか白目を剥きながら体を跳ねるよう震わせているものもいた。
「見事な成果だ、この戦果は間違いなくゴドーがもたらしたものだ。胸を張ると良い」
騎乗したまま腕を組み高らかに笑ったハンゲイトだったが、伍堂はただ震えるばかりだった。
ゴブリンを倒して嬉しいという気持ちは確かにあるし、自分の功績なのだと言われるのは誇らしく思うべきところなのだろうがそんな気分には到底なれそうにない。
魔物がどういうものなのか伍堂は知らない、熊やライオンのような危険な動物みたいなものなのだろうという認識でいる。だから目の前で血を流していようと、息も絶え絶えになっていようとも何かを感じる必要はないのだと思う。
けれどもゴブリンの見た目、その輪郭は醜悪とはいえども人間と酷似しているのだ。その死骸が当たり一面に幾つも転がり、さらにそれらを生み出したのが自分の所業だと言われてしまうと冷静ではいられない。
馬上のハンゲイトを仰ぎ見れば彼は腕組みしたまま辺りを見回し、満足げに頷いている。その視線の先ではナイフを手にしたライドンが倒れ伏すゴブリンを一体ずつ検分して回っており、まだ息があると見れば素早く確実そして丁寧に喉と胸を突いて止めを差して回っていた。
「兵士として戦ってくれた村の者たちは誰一人として怪我をすることなく戦いを終えることができた。銃の効果というものを私は侮っていたのかもしれん、銃剣というものを知ることもできたし改良さえすれば銃の地位は変わってくるかも知れんな」
感慨深げに頷き独り言のように呟いているハンゲイトを横目に見ながら伍堂は立ち上がり、何の気なしに髪をかきあげた。自分がゴブリンの血で汚れていることを知りショックを受けはしたが、不思議と動揺と呼べるほどの心の動きはなかった。
どうしてだろうかと考えながら真っ赤に塗れた手のひらを眺めていると満面の笑みを浮かべたライドンが徒歩で駆け寄ってくる。
「凄かったじゃねぇかゴドー! 馬が暴れたときは焦ったけど、真っ直ぐに飛び出して行って大将首を獲るなんてよ。しかもそれを掲げるもんだからゴブリンの連中、恐れをなして逃げちまいやがった! 英雄カブリかと思ったぜ」
大声で笑いながらライドンは伍堂の横に立つとその背中を何度も強く叩いた。褒めちぎっているのはわかっていても、力が強くてつい顔をしかめる。
辺りの光景は伍堂にとって地獄さながらの様相を呈しているのだが、そんな中にいても気を許しているライドンに言われると嬉しさが湧き上がってくるのを感じる。その心の動きを自覚するとハンゲイトに褒められた言葉を反芻し、達成感までも感じるのだった。
「やりましたねゴドーさん!」
ライドンに続くようにしてボネットが村人ともにやって来た。彼らは伍堂を中心に輪を作ると口々に褒め称え、それは喝采と呼ぶに相応しい。
こうやって褒められることに慣れていない伍堂はどうしても照れがあって、恥ずかしさから顔を俯けてしまうのだが誇らしさを感じていた。けれどその反面、不謹慎ではないかとも思うのである。
先陣を切ってゴブリンを倒した伍堂は村の人々からすれば英雄であり、もし伍堂が彼らの立場であったとしたらこうして賞賛の言葉を口にしていただろう。
けれども、忌み嫌われるゴブリンであったとしても伍堂は率先して命を奪ったのである。そんな自分が賞賛されたとはいえ喜んでしまって良いのだろうか、不謹慎ではないだろうか。
返り血にまみれた顔で照れ笑いを浮かべながらも、その内側では葛藤していた。
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