第17話 ダダリオ村へ(3)

 ガタリ、ゴトンと馬車が揺れる。街道を使ってスタイン市から離れるとそこに広がるのはどこまでも広がる田園風景だった。


 先遣隊の馬車は全部で四台、その先頭の荷台に伍堂は乗っている。同乗者はライドンと、馬を操る御者だけだった。優しく肌を撫でる風は少し冷たかったが、草木の香りを運んできて落ち着いた気持ちにしてくれる。


 腰を痛めてしまいそうな馬車の揺れがなければ、あっという間に寝てしまっていたことだろう。


 一つ鼻歌でも歌いだしたくなりそうな気分だったが、向かい側に座っているライドンはクロスボウを抱えたまま鋭い視線を至る所に投げかけ続けていた。何かあるのだろうかと、その視線の先を追ってみるが特に何かいるわけではない。たまに農作業をしている人がいるだけだ。


 そういえば、どうして彼はクロスボウなんてものを持っているのだろうかと気になり尋ねる。返事はすぐに帰ってこず、ライドンはじっと伍堂を見た後で溜息を吐きながらぽつりと零した。


「強盗が出るかもしれないからだよ、真ん中にある二台の馬車。あれには村人用の食糧とか、いっちゃえば支援物資ってやつだな。そういうのを積んであるんだが、万が一にでも奪われたら困る」


 ふぅん、と気のない返事を返した。


 強盗が出るなんて言われても想像ができないのである。日本で強盗に逢う事なんてのはまずないし、何よりもゆるやかに流れる景色が原因だった。


 牧歌的という言葉が相応しい光景を見ていると心は凪いだ海のよう。強盗が出るかもしれないという話もそうだし、自分達の向かう先ではモンスターとの戦いが待っているのに、そのことすらも忘れてしまいそうだ。


 右を見ても左を見てもそこにあるのは畑ばかり。どの畑も同じ作物を育てているらしく、変わり映えのしない風景なのだが不思議と飽きが来ることはない。


 これらの畑では何が収穫できるのだろうか、農作業をしているらしい姿を見れば具体的にどんなことをしているのか。そういった気になることをライドンに尋ねてみたのだが、感触の良い返事は返ってこない。


 いつもだったら余計な話題もそっちの方から出してきて脱線することだってあるというのに、彼は伍堂へろくに視線を向けることもせずに周囲へ目配せを続けていた。


 良からぬ企みを秘めた輩が近づいてはこないだろうかと警戒しているのは理解しているつもりだが、そこまで真剣になる必要があるのだろうかと思う。あっちを見てもこっちを見ても畑ばかりだし、見かける人々はどう見たって農民だ。


 すれ違うのも商人の隊列や農家の荷を満載した馬車ばかり。怪しげな姿がやって来そうな気配はどこにだってない。埃にまみれながら一人で歩く得体の知れない人物とすれ違ったり追い越したりはあったが、その一人で歩いている人々の姿を良く見てみればなんてことはないただの旅人だと分かった。


 一応はライドンに習って警戒するような視線を周囲に向けるが集中力は続かない。伍堂の目が向くのは街道を行き交う人々ではなく広がる田園と青い空を泳ぐ雲だった。


 そういったものに胸中を優しく撫でられていると腰を痛めそうな馬車の揺れにも慣れてきたらしい、電車の揺れにも似た心地よさを感じるようになってくる。そうなれば続いてやってくるのは眠気だった。


 重くなってきた瞼を落としてしまわないように目を擦ったり頬を叩いたりするものの効果はない。考えてみれば昨日は初めて街に出て疲れていた上に今日は睡眠時間が短かった。心地よい風と馬車の揺れ、それに変化のない光景が延々と続いているのだ。眠くならないほうがおかしい。


 それでも寝てはならないと頑張ってはいたのだが、瞼はどんどんと重くなってくる。抵抗してはいてもうつらうつらと舟をこぎ始めてしまい、ライドンがあからさまに大きな溜息をついた。慌てて顔を上げて首を横に振るが、彼にはバツの悪いところをばっちりと見られてしまっている。


「寝とけよ、どうせこっから長丁場になるんだ。お前は慣れてないんだし、今は寝てても……まぁ問題ないから体力は残しとけ」


「けど……物盗りがやってくるかもしれないんだろう?」


 至極全うなことを言ったにもかかわらず、大きく笑いを吹き出されてしまっては気分が悪い。まだ付き合いが長いとはいえないが、それなりに気心が知れた相手なので伍堂は不服を隠そうともせずに唇を尖らせた。


「どうせこねぇから気にすんなよ、気をつけちゃいるけど盗賊なんてここいらは滅多にでねぇし。それにしたって、そんな眠そうな顔して真面目な事を言うなよ。笑っちまうだろ」


 まだおかしな気分が抜けきれないらしくライドンはまだ肩を揺らしている。


 正しいことを言ったにも関わらず笑われるのは確かに嫌だが、この笑いのおかげで彼の緊張も若干ほぐれたのだろうか。ライドンの目つきから険しさは鳴りを潜めて、いつもの軽い調子になっている。


 それがまた伍堂を安心させてくれて眠気がさらに強くなってくる。この世界に来てから初めての大きな移動で向かった先では初めての、多分、戦いが待っている。ライドンの言うとおり体力のことを考えるときっと眠ったほうがいいのだ。


 納得してしまうともう睡魔には抗えないし理由もない。断りを入れてから自分の意思で瞼を閉じると、すとんと落ちるようにして寝入ってしまった。


 次に瞼を開けてみれば大きな建物が見えて、馬車は止まっていた。


 大きな建物といってもエプスタイン邸と比べれば遥かに小さいし、簡素なつくりをしている。もうダダリオの村に着いたのだろうかと思ったのだが、まだ日は高く太陽は頂点近くにあった。頭を振って眠気を飛ばしつつ周囲を見渡し、ライドンも御者も見当たらない。小さいといえど湧き上がった不安は手を剣の柄へと運ぶ。


 深呼吸をしてもう一度周囲を観察すると、ここはおそらく街道沿いの宿ではないかと推察することが出来た。


 というのも建物の横にはこれまた大きな厩舎があったし、伍堂の乗る馬車は建物前の広場に止まっていてそこには先遣隊の馬車だけでなく、他所からやってきたと思われる商人の馬車も停められていたのである。


 となると今は休憩の時間に違いない。ライドンも御者も姿が見えないが、宿の中にいるか別の馬車のところに行っているのかもしれない。ならすぐに二人は戻ってくるだろう、そうと分かると手は自然と柄から離れていた。


 予想通り体感で五分と経たないうちにライドンと御者が戻ってきた。ライドンの手には革の袋が握られていて、御者は両手に藁を抱えている。きっと馬に食わすのだろう。


「よう起きたか、これはお前の分だ。寝てたから腹は減ってないかも知れないだろうけど残さず食っとけ。向こうに着いたら飯食えるかわかんねぇんだからな」


 笑いつつ軽い調子でライドンは言ったがどうしてだろうか、妙な深みがある気がしてしまう。言葉と共に差し出された袋は結構な重さがあって、茹でた芋と塩漬けの肉そしてチーズがたっぷりと入っていた。


 一人分では有り得ない量であり思わずライドンの顔を見てみると、既に笑みはない。ただ一言「全部食え」と言うばかりである。


「これを全部? 嘘だ、君の分もこの袋に入っているんだろう?」


「お前の分だよ。俺たちは同じもんを宿の中でもう食ってきた」


 ライドンが自分の腹を叩いた、心なしか少し膨らんでいる気がする。


 彼の言うことを本当だと信じることにし、祈りを捧げてから口をつけたのだがまったくもって美味しくなかった。芋は本当に茹でただけで何の味もしない、肉は硬い上にしょっぱいばかりでチーズは大丈夫だろうと思ったがこれは乳の臭いが強すぎて食が中々進まない。


「その飯さぁ……まっずいよなぁ……」


 考えていることを見透かされてしまったような気がしたが、ライドンは伍堂を見ていない。道の先を見ていた。


「けどみんなそれがフツー……なんだよなぁ、考えてみりゃ俺ら恵まれてんだなぁって……出撃するたびに思うわ」


 語りかけてきているようではあるが、それにしては声が小さいし何よりライドンは道の先から目線を動かさない。適当に相槌を打つだけ打って伍堂は手の中にある芋を見た。


 ナンシーの家でご馳走になったものを思い出す。彼女の家で食べたものと今食べているもの、彼女のところの方がちゃんとした調理を施されていたために味は上だが、今食べているこれだって料理すれば質は同じになるだろう。


「公爵様に、俺みたいなのを拾ってくれたハンゲイトさんには感謝しないとなぁ……」


 これが独り言なのは承知していたが、思うところがあって彼がこっちを見ていないのに伍堂は同意の頷きをしていた。


「行くぞ! 連中は俺たちのことを待ってくれなんかしないからな!」


 少し離れたところからハンゲイトの張りがあって遠くまで届く声が聞こえる。ライドンがクロスボウを手に持つ、御者が鞭を振り上げる。


 伍堂は手にした食事をどうしたものか悩んでいるうちに馬車が動き出した。動き出したことで急かされている気もしたが、これからしばらくは移動するだけなのだ。だったらのんびり食べても良いだろうと景色を楽しみながら乳臭いチーズの塊に噛り付いた。


 そこからは特別これといったことは無かった。


 ライドンもずっと気を張り続けているのは無理だったらしく、欠伸をかみ殺していると思えばうつらうつらとし始める。そんな彼にやっぱり同じ人間なんだと、変な具合に親しみを改めて感じながら馬車に揺られ続ける。


 途中で何度か街道の宿に立ち寄り休憩を入れたり、馬を交換しながら街道を進み続けた。遠くに山が見え始め、少しずつ少しずつ近づいて雄大な連なりを実感する頃には日がとっぷりと暮れ始めていた。


 夜が近づいているせいかすれ違う馬車も旅人も見なくなる。日が高いうちは居眠りをしていたように見えるライドンもより一層に気を引き締め始めたらしい、クロスボウを握る手に力が篭っていた。


 空の色が紺色になった頃、馬車の揺れが急に酷くなった。どうしたのだろうかと周りを見れば、街道を外れて細い道へと入っている。進む先には何かありそうに見えなかったが馬車はガタゴトと揺れながら細い道を真っ直ぐに進む。


 歩みは落ちない、紺から黒へと空の色は変わっていく。見上げれば星が瞬き大きな月が輝いて白銀の光で大地を照らす。歩くのに困らない程度の明るさだが、遠くを見ることは出来ずに影も増える。


 視界が悪くなっているせいで、昼間は長閑に見えた畑が今や底の見えぬ海のようだ。風が吹いて道を挟む畑がざわめきを鳴らす。喉がごくりと音を鳴らす、額にじっとりとした汗が浮かんでいそうな気がして手の甲で拭ったが汗は出ていない。


「もうすぐ着くはずだ……鎧を付けとこう、暗いけど俺の真似すれば良いから」


 ライドンの声は小さい。荷台に置かれていた革の鎧を手にとってライドンの真似をしながら身に着ける、着方は難しいものではなくすんなりと着用することは出来たが思っていたよりも重い。これを着て激しく動くことが出来るだろうか、自身の能力に不安を感じながらライドンがそうしたので伍堂もまた靴の紐をきつく結びなおす。


 ガタガタゴトゴト馬車は揺れる。


 心のざわめきが大きくなる、一体いつまで続くのだろうか。そんな思いに苛まされているうち進行方向に弱いオレンジの明かりが見えた。


「あそこがダダリオの村だな……とりあえず、俺たちは何とか間に合ったらしい」


 ほっとライドンが溜息を吐いてクロスボウを下におろした。そうかあそこが村なのかと、明かりをじっとみた。どんなところなのだろう、見える明かりは家から漏れているものに違いない。数を数えてみると片手で数えられるほど、戸数が少ないのか、それとも。


 向かっているのはゴブリンの群れではない、人々の住まう村である。だというのに心臓の鼓動は高鳴るばかりで静まってくれそうに無い。村の方から風が吹く、木が燃える臭いがして心臓はビートを細かく刻む。


 そんなはずはない、この臭いは薪が発するものに違いない。だってそうだろう明かりが見えているじゃないか。


 自分に言い聞かせてみるが胸のざわつきはおさまらない。村に着いて、そこに住む人の顔を見れば治まるに違いない。だから早く着いてくれ。


 風は臭いと共に大きく乾いた音を運んできた。何かが破裂したような音に驚き体を跳ねさせた後、テレビやゲームでよく聞いた音だということに気づく。何の音だったか、そうだこれは銃声だ。


 その音に驚いた馬が足を止めると共にライドンはクロスボウを手に立ち上がった。


「ジョン・ライドン! ゴドーと共に先に行きます!」


「良くぞ言った! 早く行け! ゴドーは声を出すことを忘れるんじゃあない! ライドンは気を張りすぎるな! いつもどおりにやれば良い!」


「了解しました! 行くぞゴドー!」


 荷台を飛び降りると駆け出すライドンを見てもすぐには動けなかったが、状況を飲み込むと共に体を動かした。


 柄を押さえながら舗装されているとは言いがたい踏み固められただけの道を走る。重いと思っていた鎧だが、いざ実際に走ってみるとその重さを負担に思うことは無かった。それよりも腰に下げた剣が足を進めるたびに揺れるのがリズムを乱す。


「怖いときは声を出せ! 良いなゴドー!?」


「わかってるよ!」


 先を行くライドンの声に負けじと腹から声を出して走る。村の粗末な門が見えてきた、そこには火縄銃を持った男が二人いる。その銃口の先へと目を向けると小柄な背の曲がった人影があった。暗くて細部は良く見えないが、その輪郭は人であって人でないようだ。


 奇妙な小さな影の数は三つ。


「エプスタインの軍だ! 貴様らは退け! 後は俺たちがやる!」


 ライドンは二人の男に呼びかけながら足を止め、奇妙な三つの影の内の一つめがけてクロスボウの矢を放つ。風を裂き放たれた一矢は見事に命中し、地面の底から響くような甲高い叫び声が聞こえて影の一つが倒れこんだ。


「行けゴドー! 声を出して剣を抜いて突っ込んだら何とかなる!」


 言われるがままに伍堂は腹の底から声を出して剣を抜いた、残った二つの影がこちらを見た。爛々と暗闇に輝く四つの瞳は大きく紅く、明らかに人間のものではない。再び声を出して湧き上がる恐怖を振り払う、四つの瞳が揺れる。


 思考と呼べるものはない。ただ影に駆け寄り剣を両手に持って振り上げる。見下ろした瞳と視線が交わされ、月明かりに照らされるその姿をはっきりと見た。


 子供ほどの背丈に大きな頭にはぎょろつく目玉、醜く突き出た腹を持つ胴体からは短い足が伸びて、足の短さとは不釣合いなほどに長い腕の先には石斧があった。


 それがゴブリンなのだと理解する前に伍堂は剣を振り下ろしていた。硬い衝撃を一瞬だけ手の内に感じたが、その後はさしたる抵抗も無く振りぬく。酷い悪臭が鼻を突き、残る一体のゴブリンへと視線を向けるとそいつは背を向けた。


 剣を振り上げまた声を出すがそれは声と呼べるようなものでもない、雄たけびでもなく獣の彷徨のそれだった。ただひたすらに、がむしゃらに自分が何をしているかも分からぬまま逃げる背中へ刃を振り下ろすと生臭く暖かな液体が全身に掛かる。


 伍堂の足元には三つの死骸が転がった。ひとつは頭蓋を射抜かれ、ひとつは左右に分かたれて、ひとつは背を深々と切り裂かれたゴブリンの死体である。


 息を吐き出し、吸い込む。手にした剣はどすぐろい血で染まり切っ先からはぽたりぽたりと雫が落ちていた。何の気なしに鎧を拭ってみれば手にべったりと血がついた。酷い臭いがする。


 伍堂が両断したゴブリンの体からは紐のように見える臓物が赤黒い水溜りの上に浮かんでいた。最初はそれが何なのかわかっていなかったが、すぐに自分が倒したのだと理解すると手だけでなく全身が震えて剣を地面に落とした。


 歓喜ではなく恐怖。


 対象はゴブリンではなく己自身だ。人でないものが相手であったとはいえ、躊躇いどころか何も考えることなく剣を振るいその生命を終わらせてしまった自身が酷く恐ろしい。


 歯の根が合わない、今にも吐きだしてしまいそうなほど気持ちが悪く、二つの眼から大粒の雫が幾つも溢れ出た。

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