第15話 ダダリオ村へ(1)

 日が傾き始めたころ、伍堂とライドンの二人は酒で気分を高揚させつつ仲良く肩を並べて屋敷へと戻ってきた。行きは馬車だったが帰りは徒歩だったのだが、この歩く時間が酒を抜くにはちょうど良い。


 誰が見ても酒を飲んだと分かるほどに顔を赤くしている二人だが、足取りはしっかりとしていたし呂律が回らないということもなかった。帰る時間を伝えていなかったこともあり、出迎える者は誰もいないと思い込んでいたのだが、屋敷の大きな扉を開けるとパウエルとハンゲイトの二人が揃って立っている。


 頃合を計って迎えに出てきてくれたのだろうかと思いそうになったが、二人の師匠は唇を真一文字に結んで神妙な面持ちで佇んでいる。酒場での一件がばれてしまったのだろうか、ライドンは黙っていると約束してくれたし、そもそも報告する時間なんてなかったはずだ。一体どうして、と隣に立つライドンの顔を見たが彼も見当がつかないらしく、二人して顔を見合わせた。


 とにもかくにも、師匠たちは待っていたようなので帰ってきた挨拶はしなければならない。


「ただいま戻りました、街は楽しかったです」


 硬く重い空気に促され、気をつけの姿勢をとり笑いを浮かべることもなくそう言っていた。パウエルとハンゲイトはただ黙って頷くだけ。


 何らかの理由で酒場で喧嘩をしたことが二人に知られている、なので怒られるに違いないそう思い込んでいる伍堂からすれば、二人のこの態度に真綿で首を絞められているような気分になる。こちらから包み隠さずに話したほうがいいのだろうか、そんなことすら思い始めた。


「街が楽しかったようで幸いだ。ライドン、特に何事もなくゴドーを街に案内できたのかな?」


「正直に申し上げますと、早々にゴドーとはぐれてしまいました。けれど怪我の功名といいますか、ゴドーは街の娘と知り合いになれました。私も途中で合流し、その娘も交えて楽しく時間を過ごせました。取り計らい感謝します」


 パウエルからの問いに、ライドンは言葉こそ堅苦しくはあるがいつもの人好きする笑みを浮かべてさらりと答えた。それを聞いた二人の師匠は始めて表情を綻ばせたのではあるが、すぐに険しい表情へと戻る。


 その様子から喧嘩の事は伝わっていないらしいことがわかるが、それならそれでどうしてそんな険しい顔をしているのかがわからない。


「二人とも顔が赤い、それだけで楽しい時間を過ごしただろうということは分かるよ。本当なら私もハンゲイトも、今日は君たちにその余韻へ浸っていて貰いたいところだったのだが……そうはいかなくなってしまった」


 パウエルの言葉に、ハンゲイトが深いため息を吐いた。一体何があったのかと、伍堂とライドンはまたも顔を見合わせる。


「何かあったのですか? 最近は平和ですし、街でおかしな噂も聞くことはありませんでした。もしや王都に出向いている公爵様の身が差し迫っているなどという事は……?」


 ライドンの問いにパウエルは首を横に振る。エプスタインの身に危難が訪れていないことを知ったライドンは胸をほっとなでおろしていた。


「あまり人の来るような場所で話すようなことではないからね。特にゴドー君は慣れない街を歩いて疲れているだろうが、少しばかり付き合ってくれ。これは君にも関係する事態だ」


 薄々そんな気はしていたが、はっきりとそう言われると気が重くなるだけでなく体も重くなった気がした。あれやこれや、ネガティブな想像が瞬時に浮かんでは消えていき、酒で高揚していた気分はすっかりと消沈してしまった。


 姿勢を正し、深く重く頷く。


 そうしてパウエルに連れられていった先は彼の執務室だった。さして大きくもない部屋で窓は一つだけ、隙間なく本棚が置かれているために壁紙は見えない。本棚にも本がぎっしりと詰まっている、並べられている本は見た目だけのダミーの場合があることを伍堂は知っていたが、この部屋に置いてある本は全てが本物であるような気がする。


 というのも、この部屋の中には紙とインクの匂いが充満しており図書館と似た匂いがしているのだ。パウエルの執務机の上には書類や本、巻物が山と積まれている。それは執務机の上だけでなく、来客との応対用に置かれているローテーブルの上も同じだった。


 ローテーブルの上の物に気づいたパウエルはバツが悪そうにしながらも乱暴にどけてしまう。置かれていたものは全てが床の上へと転がり落ちた。そのままに放置してはいけない気がしたのは伍堂だけでなくライドンもであって、この二人は視線をさ迷わせたが部屋の主パウエルは執務机の書類の山から何かを探し始め、ハンゲイトは気にした風も見せずにソファへと座った。


「二人とも早く座れ」


 ハンゲイトが髭を撫で付けながら手招きするのだが、二人は躊躇する。どうしても床の上へ落とされた本や書類が気になってしまい、視線はそちらへと向いてしまうのだが、ハンゲイトが早く来いと急かしてくるものだから座ることにした。


「今日の昼の話だというのにどこに置いたかもうわからないな……整理整頓は大事ということか。ハンゲイト君、本題に入る前にゴドー君に簡単でもいいから教えてやってくれないか。そのうち教えるつもりだったのだけれどね、まだ授業はそこまで進んでいないんだ」


 探し物が中々見つからないようだ。パウエルは執務机の引き出しの中まで開けて探し物をしているのだが、見つかる気配がないらしい。探し物をしながらも彼はハンゲイトへと声をかけると、ハンゲイトは無言で頷いた。


 ハンゲイトは一瞬だけライドンへと視線を向けた後、伍堂へ射抜くような視線を投げかける。稽古の時に向けられる視線と似ていたが、それよりも遥かに鋭い。背筋に冷やりとしたものが走り、自然と背中がまっすぐに伸びて両手は膝の上へと置かれていた。


「そう畏まらなくてもいい。まずゴドー君に尋ねる、君はゴブリンという生き物を知っているか?」


「ゴブリン、ですか……?」


 つい問い返してしまったがゴブリンなら伍堂も知っている。といっても、それはゲームや漫画での話だ。特に伍堂がプレイしてきたゲームでは、ゴブリンというモンスターは序盤に出てくる雑魚敵として登場していたために伍堂の中では弱いモンスターというイメージが強い。


「その様子だとある程度の知識はあるようだが、ゴドー君の知っているゴブリンと我々の敵の一つであるゴブリンに相違があっては困る。まずゴドー君の知っているゴブリンについて教えてくれ」


「はい、そんなに詳しいわけではないんですけれど……。ゴブリンというのは、子供のほどの身長の……なんていうかな、こう醜い見た目をしていてすばしっこくて狡賢い。でも、駆け出しの戦士でいいのかな、そんな人でも倒せる弱いモンスターだと……」


 感心するように相槌を打ちながら聞いていたハンゲイトだったが、伍堂が弱いと言った途端に眉間に皺が寄る。探し物をしながら聞いていたパウエルも、手を動かすのを一時止め、苦々しい表情を浮かべながら伍堂を見ていた。


「そうだな、確かにゴドー君の言うとおりゴブリンという連中は決して強くない。一対一という前提だったら、少しばかりの訓練を受けた健康な男性であれば難なく倒せるだろうね。けれどねゴドー君、ゴブリンは弱い。やつらは自分たちが弱いことを知っている、そして狡賢いつまり我々人間ほどでなくとも高い知能がある。これ以上は実際に戦ったことのある、ハンゲイト君やライドンの方が詳しいだろうね」


 パウエルがライドンの名前を出したので、隣に座っているライドンを見た。彼はローテーブルへ視線を落としながら、歯噛みしていた。酒のせいもあるが、今の彼の顔が赤いのはそれだけではない。何かを思い出して、憤っていた。


「あいつらは……」


 伍堂の視線に気づいたライドンは、心を落ち着かせるために深く呼吸をしてからぽつりぽつりと話し始める。


「ゴブリンは戦ったことがあるやつじゃないと分からない、とても卑怯な連中だ。女子供や老人そして怪我人に病人、そういう力のない人間を殺して、そして食べる。一対一で戦うならやつらの死体で山を築いてやる自信がある、だがあいつらは卑怯な狡賢いやつらなんだ」


「それはどういうことなんだいライドン?」


「連中は徒党を組み、罠を張る。油断していればやつらの罠に掛かり、袋叩きにされて牛や豚のように食われちまう。倒しても、最後の一匹まで根絶やしにしなけりゃ鼠みたいに増えてまたやって来る。初めての出陣はゴブリンとの戦いだったんだ、俺の同期はあいつらの罠に掛かって捕まった。助けに行ったときは、鍋で煮られて肉は食われて骨だけにされていた」


 思わず息を呑む。ライドンの声は震えていた。声だけではない、肩も小刻みに震えて怒りで拳が力強く握られている。


 ライドンは俯いたまま、それ以上語らない。ハンゲイトへと目を向ければ、彼は目を閉じ静かに首を縦に動かした。ライドンの語った話が、まじりっけのない真実だとその仕草が述べていた。


 伍堂の知る創作物に登場するゴブリン達と彼らが語るゴブリンは違う。ライドン、そしてハンゲイトの言うことが俄かには信じられずデスクを創作しているパウエルへと目を向ける。


「信じてないようだけれども、ライドンが言っている事は本当だ。私は研究中心だから生きたゴブリンを見た経験は、そこの二人と比べれば少ないから頭でっかちなことを言うつもりはない。それでも、初めてあいつらを見たとき感じたことは鮮明に思い出せる、あれほど残虐な生物がいたなんて、とね」


 探し物が見つかったらしい、パウエルは手に数枚の紙片と一巻の巻物を手にハンゲイトの隣へと座った。そしてテーブルの上に巻物と紙片を広げる、巻物はスタイン市を中心に置いた地図だった。


 紙片はどうやら手紙のようで、お世辞にも綺麗とは言いがたい文字が連ねられている。書いた人間はさほど学のある人間ではないらしい、言葉遣いは平易なもの。そのおかげで読み書きを習得しているとは言いがたい伍堂でも楽に読むことができた。


「見て分かるとおりこれは地図、そしてこっちの紙は我々……というよりも、エプスタイン卿にと送られたものだがね。内容は、どうせならゴドー君に読み上げてもらおうか。一言一句読み上げろとは言わない、勉強がてらに大雑把に内容を言ってくれ」


 パウエルから渡された手紙に目を通す。字が汚いもので時折詰まるところはあったものの、難しい文章ではなく、頭の中で日本語へと翻訳するのは容易かった。


 手紙はダダリオという村から送られてきたもので、最初は村がどんな場所か村人はどんな暮らしをしているのかが綴られていたが、二枚目からはゴブリンにどのような被害を受けたかが書かれていた。穀物を保存していた倉庫が襲われ家畜が奪われ、村の惨状を伝えてくる。


 平易な文ということもあり、頭の中に村のイメージが簡単に思い描くことができ、そのために伍堂はつい口元を覆ってしまった。


「読み上げなくて良いよ、その様子だと内容を理解したことは充分に伝わったからね。ただゴドー、どこから送られてきたのか場所の名前だけを言ってもらえるかな?」


「ダダリオの……村です」


「そうだ、ダダリオ村だ。ではこいつを見てくれ、今我々がいるエプスタイン邸のあるスタイン市はここ。そうしてスタイン市はここにある」


 言いながら広げられた地図の真ん中にはスタイン市があり、パウエルはそこを指さした。そしてその指は西へと向かい、地図の端近くまで行ったところで止まった。


 そこには集落を示す絵が描かれてあって、その下に小さな文字でダダリオ村と書かれている。地図の真ん中から端、相当な距離が離れているように感じるのだが肝心の縮尺が記載されていないため実際の距離は分からない。


「馬を使えばどのぐらいかな、ハンゲイト君ならすぐわかるだろ。どのぐらいだ?」


「部隊を一つ送るぐらいなら一日もあれば充分だ、だが規模が大きくなればそれだけ時間もかかる。それでも長く見積もって二日程度だろう」


「そんなに掛かるんですか!?」


 つい大きな声が出た。今こうしている間にも村は苦しめられているはずだ、手紙だって一瞬で届くわけではない。書かれている状況よりも、きっと酷いことになっているに違いないのだ。


 なのに一日は掛かるという、今から出発したところで間に合わない気がする。


「落ち着けゴドー。こういう要請の手紙というものはな、往々にしてあることだが大げさに書くんだよ。そうでもしないと動いてくれないと彼らは思っている。なので実際はそこまで差し迫ってもいないことが多い、もちろん全てが真実ということもあるが……どんな村にも武器はあるし、心得のあるものを配置するようにしてある。だからそこまで焦らなくて良い」


「そう、ハンゲイト君の言うとおりだ。私たちが読み解く限り、真実はゴブリンの群れが現われたというところだけ。だからといって落ち着いていられる状況でないことには変わりがない、群れを根絶するとなると相応の人員を送り込まなければならない……のだけれど、ね」


 パウエルの眉間に深い皺が寄った、その隣に座るハンゲイトも苦しい表情を浮かべている。


 伍堂が思うに、それが分かっているのであればすぐに人を送るべきだ。それとも、そうはできない理由があるというのだろうか。


「公爵が不在だから、ですね」


 ライドンがぽつりと呟き、正解だとでもいうように二人が頷いた。


「その通りだ。エプスタイン卿が不在の間は私に部隊を動かす権限がある、しかし――」


「じゃあすぐに部隊を送ればいいじゃないですか!」


 パウエルがまだ言葉をつづけようとしていたが、伍堂は声を荒げてそれを遮った。パウエルは深い溜息を吐く。


「それが出来たらどれだけ楽だったか。ゴドー君には難しいかもしれないが、幾ら私が権限を持っているからといってそう易々と大きな部隊を動かすわけにはいかないんだ。公爵は私を信頼してくれているからそこは問題が無い。しかし私が独断でそれを行った場合、国王や大臣だけじゃない他の力のある領主がそれをどう思うか。これを加味すると、下手には動けない」


「そんなことを言ってる場合じゃ――」


 興奮のあまりつい立ち上がりパウエルに詰め寄ろうとすると、即座にライドンも立ち上がり伍堂の肩を押さえた。そのために出かかっていた言葉も引っ込んでしまい、小さく謝罪を述べながらソファへと座りなおす。


「謝ることはない。私としてはこの地に縁も所縁もない君が、見たこともない聞いたこともないだろう村に住む人々のために憤っていることが嬉しい。それに、何もしないわけじゃない。大人数をすぐには動かせない、と言っているだけだ」


「どうするっていうんですか?」


 尋ねた途端、パウエルは意味ありげな笑みを見せる。その意味が分からず、つい眉を寄せた。


「部隊を動かすためには公爵と連絡を取る必要があってそれには時間が掛かる。だからその間、少数の精鋭を先遣隊として派遣する」


 何もしないわけではないと知り、ほっと息を漏らす。安心すると今度は失礼なことをしてしまったことが申し訳なく、頭を下げていた。


 そうして疑問が湧き上がる。話し方から察するに、おそらく伍堂がライドンと街にいる間に決定されていたことに違いない。ではなぜ、それをわざわざ話したのだろうか。もしや、と頭にあることが浮かんできた。


 この考えが正しければ、そんなことを思うと動悸がし始める。

「先遣部隊は四名。ダーヴィット・ハンゲイトとジョン・ライドンそれに私の部下グラハム・ボネットの三名、残りの一名は君だ。ゴドー君、君も先遣隊の一員としてダダリオ村へ行くんだ」


 考えが正しかったことが証明されるやいなや、拒否の言葉を口にしようとしたが喉で詰まった。


 なんと言えば良いのか分からなくなってしまったこともあるし、そもそも自分に拒否権など無い気がしたのだ。


 伍堂はこの屋敷で、いわば施しを与えてもらっている状態にある。そんな自分が彼らからの命令を無視できる立場にあるとは思えない。


 しばし沈黙が流れて三人の視線が伍堂へと集中する。その沈黙を破ったのはハンゲイトの一言だった。


「怖いか?」


 何も言わずにただ頷いた。


「怖いと感じるのは大事だ。怖れの無い者は危険を感じられないということでもある、その怖さがあるなら大丈夫だ。ゴドーにはゴブリンと戦うだけの力がすでにある、このハンゲイトが保証する」


 伍堂の気持ちを落ち着かせるために言ってくれているのは分かっていた。だからといって、恐怖が緩和されるわけではない。


 まだ見ぬゴブリンの事を考えるだけで恐怖は肥大する。そうならないように固く拳を握り締めてはいたが、今にも震えだしそうだった。

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